二人の今夜の宿を探すために駅前の観光案内まで行って聞いてみたが、空いた部屋はなかった。どうやら今日の祭りのせいらしく、民宿も少し離れた宿屋にも問い合わせてくれたが、見つからない。

「お客さん。今夜はどうにも部屋がないみたいなんですよ。申し訳ないですねぇ」

 純朴そうな係員は、語尾にこの土地のなまりを交えながらすまなそうに謝ってくれたが、宿がなくてはどうしようもない。

「そうですか」

 そうなるといったいどうすればいいのだろう?悠季は少しはなれて黙って待っている男になんと伝えようかと考えていると、背後で急に電話が鳴り、受け答えしているらしい大きな声が響いた。

「はあ。ああ、はい、一部屋キャンセルが出た!ああ、そうですか。それはどうも。ちょっと待ってくださいよ。お客さん!ラッキーですよ。急にキャンセルが出て一部屋空いたそうです」

 悠季が振り返るとさっきの男性がにこにことしながら受話器を押さえていた。

「ちょっと値段が張りますが、それでもかまわないのなら今夜泊まれるそうです」


「・・・・・お願いします!」

 旅館の名前は世間の情報にうとい悠季でも知っている老舗の旅館だった。


  






 宿には用事を済ませてから行くことを伝え、次に二人が出かけたのは、紳士ものの衣服全般を扱っている店だった。

「彼に似合う服を選んで欲しいんですが」

 そう言っただけで店員はいかにも着せ甲斐がある客に興味をもったらしかった。

 上着ズボンシャツ下着靴下・・・・・。一式をそろえてもらったが、さすがに靴は手に入らなかった。これだけの身長がある男性なのだから、当然のように足のサイズも大きくて店にある標準サイズでは入らなかった。

「まあ、靴は今のままでも大丈夫みたいですね」

 彼が履いていたのは草履でも下駄でもなく、着物と少しアンバランスに見えるブーツによく似ている靴だったから。

 店員が彼に選んだのは黒のカシミアのジャケットにちょっと変わった織りの深い茶色のズボン。シャツは淡いオリーブグリーン。

 ズボンの裾はほとんど切らなくても済んだ。

「へぇ。よく似合いますね」

「お客様はお背が高くていらっしゃるので、お着せする甲斐がございます」

 服を選んでくれた店員が楽しそうに言った。

「じゃあ、今まで来ていた服を持ち帰れるようにしてくれますか?このまま着ていきますから」

「かしこまりました」

 店員が立ち去ると、悠季は鏡の前でまだ服のあちこちをいじっている男のそばへと歩み寄った。

「着物じゃなくても着慣れているみたいですね」

「キモノ・・・・・ああ、僕がさっきまで着ていたものですね。あれは正式な儀式用の服だったからですよ。僕の国でいつも来ている服といえば、どちらかというとこの服に似ていると思います」

 男は襟元や袖を引っ張って見せた。

「それにしちゃ、さっきファスナーだって知らなかったじゃないですか」

 今は平然と着こなしているが、さっきまでは着替え室で大騒ぎを起こしていたのだ。

「それは、僕が生まれて初めて見るシロモノだったからですよ」

 男は平然とした顔をしていたが、ぽっと耳が赤くなっていた。



 彼は先ほど試着室に入ってすぐに、困った顔をした彼が中から呼び寄せようと必死で悠季を手招きしていた。悠季がそばによってみると、ずり落ちないように両手でズボンを押さえている。

「すみません。この服はどうやって閉じるのでしょうか」

 ファスナーのやり方が分からなくて必死で悠季を呼んでいたものらしい。それまで無表情でいることが多かった男がひどく困っているらしい様子はおかしさとともに可愛らしさも感じさせたが、ズボンの前を見て悠季はぎょっとなった。

―― 男が男のモノを見て驚くなんて。―― 

 悠季は何気ない様子で目をそらすと平静を装って彼に説明を開始した。

 「これがファスナー。上のホックをはめてからこれを上に引っ張りあげると前が閉じる」

 悠季は無造作にファスナーの持ち手を掴み、前を閉めてやろうとした。

「いえ、自分でやります」

 彼はあわてて悠季の手を止めた。・・・・・明らかに先ほどよりも容積が増している気配。

 悠季は見なかった振りで手を離した。

「これでいいですね。僕はよく似合っていると思うけど、あとは君がこれを気に入るかどうかですね」

 彼はうなずいて自分の服を鏡に映して眺めていたが、悠季に向かって言い出した。

「着心地がいいことはいいのですが、やはり僕は着慣れた服のほうが落ち着きますね。僕の国の服は今着ている服よりもいっそう君に似合うに違いないと思いますよ」

「そうですか?」

 悠季はまだ服に不満そうな彼を放っておいて、支払いに行った。

 着ていた服は店に置いてあった小降りのスーツケースに収めてもらい、支払いを全部済ませて店を出た。

「君は、服を買わなくてもいいんですか?」

「僕?服はこのままでも構わないし下着ならあの店じゃなくてもすぐそこのコンビニで買えますよ。それより、もう一つ探さなくちゃいけないところがあるからそっちを探すほうが先にしないと。ただその店がこの町にあるかどうかが問題なんですけどね」

 まだ何か言いたそうな気配だったが、黙って悠季の後を付いてきた。

「あった!あそこならきっとあると思いますよ」

 悠季が見つけたのはスポーツ用品を扱っている店だった。

「ここに何があるのですか?」

「ここならたぶんあの刀をしまえるようなものがきっとあるはずですよ。でもこんな店があってラッキーだったなぁ」

 悠季は店員に話しかけ説明すると、店員はうなずいて大きなケースを持ってきてくれた。

 サイズを確認し、金を払うと店を出た。

「確かにこれなら入りそうですが、本来これはいったい何に使うものですか?」

「ゲートボールっていう運動の用具を入れるものなんです。日本では刀を持ち歩いていると警察に通報されたりするから、こういうケースに入れておかないとね」

 先ほどの城跡に戻ると、日はもう落ちて人影は見当たらなかった。昼間のざわめきが嘘のように消えてしまい、わずかに道路を走る車の音だけが遠く響く。

先ほど隠した刀は無事元のように木の枝の中に隠されたままになっていた。









 二人が今日の宿に入り部屋に案内されると、そこは旅館の中でも最上の部屋らしく、広い部屋の奥には床の間があり違い棚の上にはみごとな花が飾ってあった。さらに控えの間がついている上に専用の露天風呂がついているという贅沢さだった。

 食事はこの地特産の海の幸山の幸をふんだんに使ったぜいたくな品々が並び、食べきれないほどの皿数が二人の前にそろえられた。

 更に、この地の名産だという地酒が出され、運んできてくれた仲居さんが自慢げに食卓の上に並べた。

 仲居さんが給仕につこうとしたのを断って、二人は膳の前に座った。

「桐ノ院さんは箸は使えるのかな?食べられないものとかがあれば・・・・・」

 悠季がかいがいしく世話を焼いた。

「大丈夫です。これなら僕のところにもありますので」

 彼は少し不器用そうに見えたが、ちゃんと箸を使って料理を食べ始めた。

 添えられた日本酒はうまく、互いに酌をしながら杯を重ねていくうちに気持ちもほぐれ、重くなっていた口も解けていった。

「守村さん。お願いがあるのですが」

「なんですか?桐ノ院さん」

「もうそろそろ僕に対して丁寧な言葉遣いはやめませんか?」

「でも、君の方が年上でしょう?」

「僕は今年21歳ですよ。僕の世界とこちらと時の進み具合が同じならば、ですが」

「・・・・・僕より1つ下なんだ!?」

「ほう、守村さんはは22歳なんですか。では決まりましたね。友達になって下さるのならもっと気楽な言葉で僕に話しかけてくださらないと」

「でも、君はずーっと僕に丁寧に話しかけてくるじゃないか」

「あー。これはもうからだに染み付いてしまった話し方ですので、もう治らないと思います。ですが君の方は、最初の出会いの時には僕を怒鳴りつけていたのですから、今更丁寧な言葉にされなくてもいいのではありませんか?」

 悠季はちょっと赤くなって、肩をすくめた。

「君がそう言うのならそうするけど。・・・・・えーと桐ノ院さん、ところで、さっきの話だけど」

「圭と呼んでくださって結構ですよ」

「・・・・・日本じゃ普通名前を呼び合うなんてしないよ。幼馴染とかならするかもしれないけどね」

「ですが、君の方が年上だと分かったのですから、もう少しくだけてもいいのではありませんか?」

 悠季は「こだわるなあ」というように困った顔をしたが、小さくため息をついてうなずいた。

「それじゃ、桐ノ院。・・・・・これでいいかい?」

「妥協しましょう。ところで、先ほどの話とは?」

「さっき、君が言っていた僕と君とだけが言葉が通じる理由ってことです!・・・・・じゃなくて、理由だよ」

「それは食事が済んでからにしませんか?話は長くなりますし、かなりややこしいものですから」

 彼は言いにくそうにしていたが、悠季としてはこのまま落ち着かない気分で泊まるのも嫌だった。どうしてこの騒ぎに巻き込まれ見知らぬ人間と一晩一緒にいなくてはならなくなったのが自分でなくてはいけなかったのか?

 それでも行儀よく黙って、そのまま食事を済ませると彼が口を開くまで待っていた。

 食器類が片付けられ、ほうじ茶の入った湯のみを目の前に置くと、ようやく彼は口を開いた。

「まず、僕の住んでいた世界はこことは違うことを、もう君は信じてくださっていると思いますが」

「うん、それはさっきのことでよく分かったよ」

「ではまず僕の方から確認したいことがあるのですが、お尋ねしてもよろしいですか?」

「何?」

「僕の言葉が分かることについてですが、以前聞いた事がある言葉であるとか、両親がこの言葉を話していたということはありませんね?」

 悠季は彼の言葉に、いかにも困惑したという様子で首をかしげていた。

「君の言葉自体、異国の言葉をしゃべっているっていうのが分からないんだ。僕は誰に対してもずっと日本語を話していたつもりだし、君と他の人との言葉が違うなんて気がつかなかった」

「・・・・・そうですか。それでは、さてどこから話しはじめればいいものか」

 彼は言葉に迷いながら、ゆっくりと語り始めた。

【5】