【32】

すっかりよく眠っていた。

悠季は、まぶたにかかる日差しに目をしばたたきながら、うんと伸びをした。

すっかりとよく眠って、気分よく目が覚めた。そろそろ空腹で、何か口に入れるために朝食を作らなくちゃ。


と、思ったとたんに現実が舞い戻ってきた。


目を見開いて、きょろきょろとあたりを見回して、ベッドの上に起き上った。

「いつっ・・・・・!」

とたんに何やらあちこちが鈍く痛んだ。

それで、一瞬にして目が冴えた。

辺りを見回せば、古びた宿屋らしい一室。

ここは夢の中で思い込んでいた日本の自分の部屋ではない。

竜彊と呼ばれている世界にいたままであるのだと思い出した。

そして昨夜、自分は・・・・・。






「気が付きましたか?」

 知っている声が聞こえた。

「っ・・・・・!」

振り向くと、ポーカーフェイスで鎧った桐ノ院が食事を乗せているらしい盆をもって入って来るところだった。

落ち着いた態度と平静な表情で、昨日の行為などみじんもうかがわせない。

悠季は息をのんで彼が入って来るのを見守っていた。

が。

盆から漂ってくるいい匂いに、ぐうっと腹が鳴ってうろたえた。

「よかった。食欲が出てきたようですね」

彼は盆をベッドのそばのテーブルに置いたが、悠季は固まったままで動けなかった。

「少し寒いですかね。これをかけて下さい」

そう言って、肩にあたたかそうな毛布をかけてくれた。

肩に彼の手が触れたとたん、びくりとからだがふるえた。

「心配しないで。君に触る時には、前もって言います。ですから、どうかむやみに怯えないでください」

悠季は目を上げて、目の前にある男っぽいハンサムな男の顔を見つめた。

昨夜、抗議も哀願も悲鳴も無視して、強引に押し倒し蹂躙した男を。

「熱はどうですか?・・・・・額に触れてもかまいませんか?」

 桐ノ院はきちんと許しを求めてきた。悠季がうなずくのを待って、手を差し伸べた。

「ああ、平熱になっているようですね」

悠季は息を止めて、彼の手が外されるのを待っていた。手は待つほどの事もなく、すぐに外された。

「昨夜の事は・・・・・」

彼の声に、毛布の下では悠季の指がぎゅっと握りこまれた。桐ノ院がどんな顔で自分を見ているのか、目を伏せて顔を見ないようにしていた悠季にはまったく分からなかった。

「謝罪はしません。あれは・・・・・どうしてもしなければならなかったと思っています。ですが、きみがつらい思いをした事は申し訳なかったと思っています。

納得するまで説得する時間がなかったし、僕も半信半疑に思いながらの、最後の手段としてしたことでしたから、ただのこじつけにしか思えなかったでしょう。

結果はどうあれ、君が助かったのですから、これ以上僕は言い訳はしません」

桐ノ院の言葉に悠季の腹の中に怒りがふくらんでくるのを感じていた。しかし、その気持ちを言葉にするのは難しすぎて、ぎゅっと唇をかみしめた。

「僕を許せないとしても、今は我慢してください。

食事をして、体力が回復させ次第、升麻へと出発しましょう。升麻に着いたらすぐ家人と合流して麻黄へと移動できますし、そこなら僕の力が及びます。

君を何とかして元の世界へと戻す方法を探ってみたいと思います。

 戻れるまでの間、安心して過ごせるようにしますし、もし・・・・・万一ですが、元の世界に戻れない事になったら、この世界で安心して過ごせるよう責任を持って用意させます」

真摯な口調で桐ノ院は言う。

悠季は返答に窮した。自分を強姦した男と、これから先も旅をしていく自信がないのだ。

「この先、絶対に君を襲わないと誓います。必要な時以外は君のそばに近寄らないようにします。僕を信用していただけませんか?」

けれど、悠季が返事に迷っていると、ため息をかみ殺す気配がした。

「返事は後ほどお聞きします。まず食事をして、体力を回復するのが先決でしょう」

「・・・・・わかった」

ごく小さな声で悠季が応えた。

桐ノ院はためらっていたが、言葉を足した。

「もし・・・・・ですが、どうしても僕と一緒にいられないと思うのなら、この街に留まる方法も考えましょう。考えておいてください」

彼が真摯な態度で悠季と向き合おうとしているのは分かる。

昨夜の事も、欲望のみでやったことではないと、何もやましいことはないと身を持って示している。

だから、自分も昨夜の事をいつまでも根に持ってかたくなになっているわけにはいかないと、心の奥では考えている。

考えては、いる。

この世界は、悠季のいた世界のように平和ではない。

今の彼の事情を考えれば、些細なことも取り返しのつかないことを引き寄せてしまいそうだった。

ただ、気持が追い付かないのだ。


どちらを選ぶか、君の望むとおりにします。


そう言って、桐ノ院が部屋を出ていくと、とたんに空気が軽くなったようで、楽に息が出来るように思えた。

これほどに彼の気配は重いのだ。

はたして、このさきどれほどの長さか分からないのに、彼について行けるだろうか?今までのように彼のことを信じて頼り切って行けるのか?

とは言っても、まったくの未知の世界にたった一人で取り残されて、生きていくことが出来るだろうか?

マロウドがあまりいい感情を持たれていない上に、この地の知識がない自分には何が安全で何が危険かもわからない。たった今もその未知のせいで命が危うくなったばかりだというのに。

桐ノ院という権力を持つ彼でさえ、自分がいた元の世界へ戻る道を探るのは難しいと考えているようなら、何の力も持っていない自分だけで、元の世界へ戻る事はさらに難しいのではないか・・・・・?

「情けないぞ。自分のことは自分でしなくてどうするんだ!」

自分で自分を叱咤した。


 ぐうっ。


現金な腹がまた鳴った。

どうやら頭で悩んでいても、健康なからだはエネルギーを要求するものらしい。

 健康?

確かに今自分は健康だ。

彼の言ったように、昨日までの嫌な熱や重苦しいだるさも嘘のように消えている。まるで何事もなかったのかのように。

先日診てもらった医者は回復ぶりにひどく驚いていたが、今回再度の回復ぶりははそれ以上だと悠季自身が感じている。

以前の時に感じていたような躁状態は、今思えば不安の裏返しだったのだと思う。

彼の言ったことがやはり正しかったのだ。と、悠季のからだは主張しているのだ。


「でも・・・・・強姦だったんだよ。あれは」


ぽつりとつぶやく。

信頼していた相手からされた、裏切り行為。

それがどうしても許せないのだ。

ふわりと美味しそうなスープの香りが鼻先をかすめ、ぐうっと、抗議するかのようにまた腹が鳴った。

「これって、ヘタに考えても堂々巡りだからやめろ、ってことなのかな」

思わず苦笑して、ベッドから立ち上がった。

無防備なはだかのままで、食事をする気にはなれなかったからだ。まず服を着れば、いくらか安心に思えるにちがいない。

椅子の上に少し不器用に畳んであった服に着替えていると、不思議な事に気が付く。

「あれ・・・・・?からだが、そんなに痛く・・・・・ないぞ?」

先ほど起きた時には、からだのあちこちがきしむように思えたが、起きぬけだったこともあるらしい。

昨夜は、体力のない悠季が緊張し必死で抵抗し暴れた筋肉痛を得たものの、それ以上のダメージはない。

力任せの乱暴なセックスを強要されたのであれば、今朝は足腰が立たない状態になっていてもおかしくない。セックスのことをまったくといっていいほど知らない悠季でも、そのあたりのことは分かる。

 昨夜、桐ノ院は強姦に思えても、悠季のからだをいたわりながら抱いていた、という事になるのではないか・・・・・?

「そう言えば、からだも綺麗にされてるし」

とたんに、あれこれを思い出して真っ赤になった。

彼の手や舌でされる愛撫に反応して、恐怖と苦痛にこわばっていたからだは柔らかくほどけて、昂ぶっていくうちに、ついに射精して彼の手や自分の腹に、あたたかなぬめりがしたたっていた。

そして、からだの奥に打ち込まれた彼は熱いほとばしりを打ち込み、思わず身をふるわせて・・・・・。

「う、うわぁ!」

思わず叫んでしまい、あわてて手で口をふさいだ。桐ノ院が何事かとやってきたら困る。

おそるおそる、そっと自分の奥へと手を伸ばしてみた。

ソコは、腫れぼったくなっていて、少し熱を持っているようだったが、傷はついていないようだし、綺麗にされていて、薬らしいものが塗られていた。

「うわ、これって、彼が始末してくれた・・・・・んだよな」

彼の目が自分のからだの隅々まで視て、くまなく触ったのだと思うと、例えようもなく恥ずかしい。

「い、いや。あいつがやったことなんだから、最後まで面倒をみてくれたんだ。いや、面倒をみるべきなんだから!それだけなんだ!」

そう思っても、なぜこだわってしまうのか自分でも分からない。

「気にするな。気にするんじゃない!そんなことより食事が先だ。腹が減っては戦は出来ぬ、なんだから!」

悠季は盆を引き寄せると、冷めかけたスープをすすり、添えてあった柔らかいパンを乱暴に引きちぎっては口に放り込んだ。



  




「一緒に麻黄までいきます。そこまで行ったら、僕が働けそうな場所を紹介してもらえませんか?」

食後に食器を引き取りにきた桐ノ院に、悠季はそう告げた。

「君がわざわざ外に出て働かなくても、僕の屋敷に滞在してくれればいいのですよ。部屋はたくさんありますし、気を使うこともありませんから」

「いえ。旅の途中は僕が一緒にいることで、いくらかあなたを守るかくれみのの役割を果たせのかなと思いますけど、あなたの本拠地である麻黄に着いたらそんな役目も終わりでしょう?

僕はただの邪魔者になってしまう。これ以上あなたの迷惑になるようなことは避けたいんです」

「迷惑などと・・・・・!」

「ただでさえあなたの立場が危ういのだと、ご自分で言っておられたでしょう?僕のようなマロウドがいては、余計に危険になってしまう。そばにいない方がいいんです」

「ですが・・・・・。いえ、そうかもしれませんね。とにかく、明日には出発しましょう。これから先、あなたの身柄をどうするかは、向こうに着くまでにゆっくり考えてもいいことだ」

 桐ノ院の肩が落ちて、ひどく落胆しているように見えたのは、悠季の気のせいに違いない。

「明日、医者にもう一度診てもらって、大丈夫なら出発しましょう」

「いいですよ!もうすっかり元気です。これ以上お医者さんの手を煩わせる必要はありません。
それに・・・・・あのお医者さんはなんだかとても物珍しがっていて、僕を調べてみたいと言われていたので、何をされるかと少し不安で」

「なるほど。それでしたら、このまま明日出発しましょう。用意してきます」

桐ノ院は納得した様子でうなずくと、出発するために馳車の準備をするために部屋を出て行った。