「な、なにっ・・・・・?!」
あわてて桐ノ院が周囲を見回してみても、部屋の中には誰もいなくなっていた。
まるで今の出来事が夢だったかのように。
だが、悠季へと目をやってみれば、先ほど見たように彼の容態は持ち直しており、落ち着いた様子で眠っていた。
そして。
自分の中の感覚を探ってみれば、確かに身のうちにうごめくように感じられる巨大なエネルギー。ひとたび発火すれば大爆発を起こしそうな火薬を抱えているような気がしてひどく落ち着かない。
絶え間なくちりちりと指先から放電しているかのように思えているのに、腹のなかに抱えている量はまったく変化がない。
このまま持っていたら危険だということはいやおうなく理解できる。
膨大な量に驚かされ、そして恐れてしまう。人の身には必要と思えないようなエネルギーを、なぜ悠季に与えなければならないかという疑惑が頭を去らない。
「これは・・・・・はめられたかな?」
忽然と現れた青年の正体も目的もはっきりしないのに、彼の言うことをすんなりと聞き入れてしまったのは自分でも意外だった。しかし、どこかで彼の言うことを信用し受け入れている。
が、その結果は我が身に重くのしかかってきいて、じわじわと後悔が滲んできている。
「・・・・・ん・・・・・」
ベッドで昏睡状態になっていた悠季の瞼が震え、ゆっくりと開かれていった。
「悠季!?」
桐ノ院は思わず叫んでいた。
「・・・・・あれ・・・・・ここ・・・・・僕は・・・・・?」
悠季はまばたきをしてすぐ目の前にある桐ノ院の顔を不思議そうに見つめていた。なぜベッドのそばに桐ノ院が付き添っていて、無精ひげだらけの必死な顔をしているのか、と。
「ああ、よかった!どこかからだの具合がよくないところはありませんか?手は?しびれていたりしませんか?」
「・・・・・僕の手?なんともないよ」
悠季は目の前で握ったり開いたりしてみせた。確かに何も異常はなようで、桐ノ院はその白い指のしなやかさに思わず見とれていた。
「申し訳ないけど、腹がすいてるんだ。あの、何か食べ物をもらえないかな?」
ひどく情けなさそうな顔をして頼んできた。
「待っていてください!」
桐ノ院はあわてて部屋を出ると、宿屋の主人を呼び出し大急ぎで消化のよい食事を用意してもらえるように頼んだ。
「お連れさん、目を覚ましたんですか!そりゃよかったですねぇ!」
気のよい主人は快く桐ノ院の頼みを聞き入れてくれた。もっとも桐ノ院が気前良くはらっている心づけの効果もあったのかもしれないが。
いそいそと部屋へと戻ってきた桐ノ院は、扉の前ではたと気がついた。
―――― 忘れてはいけない。これの回復は一時的なもので、すぐにまた病状はぶり返すから ―――
そう言っていた、謎の青年。
だが、あの青年の言うことは全てが全て真実なのか?
確かに彼が与えてくれたエネルギーかあるいは不思議な何かが悠季を回復させてくれた。そして、桐ノ院の身に必要なエネルギーだと言うものを託していった。
だが、そのエネルギーを与えるのに非常識な手段しかなく、桐ノ院がそれを無理強いしてでもやらなくてはならないと彼は言った。もし、やらなければ桐ノ院自身の命が危ないという・・・・・。
今このときも桐ノ院の腹の中で不気味なほどの圧迫感を感じさせてくるエネルギー。頭のどこかでこれは危険だとささやくものがある。このままでは命が危ない、と。
もしかしたら、桐ノ院の命を狙った政敵の手の込んだ策略なのではないか?
桐ノ院は頭を振ってその考えを頭の中から追い出した。どこにこんなやり方で暗殺しようと考えるものがいるというのか。こんな遠まわしのやり方ではなく、暗殺者を密かに送り、剣でも毒でもたやすく殺すことさえ、護衛もなく無防備な桐ノ院には容易いだろう。
それよりも、今すぐ腹を決めなければならないのは悠季に事情を説明して説得すること。無謀な条件を納得するとは思えなかったが。
できなければ彼を強姦することも考えなくてはならない。つまり犯罪行為になってしまう。それでも、やりぬく覚悟は出来ているのか。
考える時間はあまりに少ない。
桐ノ院はわずかな時間で重大な決断をしなくてはならなくなってしまった。
あの謎の青年が言っていたように悠季は翌日一日を元気で過ごした。もうベッドは必要ないと言いはり、それまでの体の不調をいっさい感じさせなかった。
何日も寝ていたのだから体力が落ちていてもおかしくないというのに、まるでそんなことを感じさせない。それはもう不自然なほどに。
「もうベッドに寝ている必要なんてないんだ。食事だってこんな病人みたいなお粥じゃなくて、普通の食事でいいんだよ」
そう言って今すぐベッドから起き上がろうとする。
「ですが、何日も具合が悪かった人が突然起き上がってまた病状がぶり返してはいけません。せめて医者からの許可が出るまでは寝ていてください。食事でしたらもう少し歯ごたえのあるものを出してくれるように厨房に頼みましょう」
「・・・・・うん」
桐ノ院の説得をしぶしぶ受け入れてくれた。
そして、健康な時とまったく変わらない食欲で宿の女将が届けてくれた食事を嬉しそうにたいらげてみせた。
熱を出す前と違って、いかにもこの国にいるのが楽しいという様子ではしゃいでいる。浮ついた高揚が今までと違うものを感じさせて桐ノ院を不安がらせた。
「本当に何も具合の悪いところはないのかね?」
診察に来てくれた医者も実に不思議そうに首をかしげていた。
「紅狗にやられた者がこんな風に回復するとは夢にも思わなかった。薬が効いただけとは思えんが・・・・・」
何度も悠季に向かってどこか痺れるところや痛いところがないかと聞いていたが、悠季はあっさりと否定してみせた。それどころか倒れる前よりも調子がいいとさえ言ってのけた。
医者は首をひねりながらも診察を終え、帰り際には桐ノ院にぶり返すことがあればすぐにでも呼ぶように、くれぐれも用心するようにと言い置いて帰っていった。
悠季はいかにも元気な様子で起き上がって、すぐにも出発するように言い張り宿を引き払う準備までしていたが、桐ノ院は様子をみるのだと言ってきかせてその日も宿屋に泊まることを決めた。
そして、翌日。
「・・・・・なんだか昨日張り切りすぎたみたいだ。疲れが出たのかなぁ。手が・・・・・すこし震えるんだ」
朝起きた悠季は、なんでもないことのように笑いながら言った。だが、瞳にはおびえた色があった。
この世界のことを知らない悠季にとって、自分の病気が何かはまったく未知。その上なぜ突然治ったのか、医者にも分からないとなれば、またぶりかえしたのではないかという不安が胸に渦巻いているのだろう。それを隠そうとして不自然にはしゃいで見せているだけで。
夕方には手だけでなく足にも痺れが来ているようで、桐ノ院が額を触ってみると少し熱も出てきているようだった。
「大丈夫だよ。明日にはきっと治ってるって。僕があせって動きすぎたからだ。からだがびっくりしただけさ。・・・・・きっとね」
笑ってみせたが、口で言う以上に容態は悪くなっているようだった。
夕食の時間になると、食事のために階下へ降りて行くのを断った。
「悪いけど君一人で食べに行ってくれるかな。僕はこのまま休むよ。明日にはちゃんと治って出かけられるようにするから」
そんな強がりを言ってみせたのは桐ノ院に心配をかけさせまいと気を使っているためだろう。おそらく食欲そのものを失っているのかもしれない。しゃべることさえつらいのを必死で隠しているらしい。目の中には深いおびえが浮かんでいるのがまざまざと分かる。
もう、これ以上彼に黙っているわけにはいかないだろう。
ついに桐ノ院は腹をくくった。
我が身で受け止めればいい。彼の恐怖も怒りも悲しみも絶望感も。彼を助ける為ならどんな罪を受けることも覚悟する。
部屋の外には誰もいないことを確認すると、きっちりと扉の鍵をかけて、悠季の正面に立って話し出した。
「守村さん、実はあなたにお話しなくてはならないことがあります。そして覚悟していただきたいことがあるのですよ」
「な、何?嫌だなぁ、急に改まったりして」
そう言ってたいしたことはないように笑って見せたが、桐ノ院の緊張した顔をみてとると、一瞬にして青ざめた。
桐ノ院は悠季に病気で臥せっていた間のことを淡々と話し始めた。そして、例の不思議な青年が現れて告げたことも話した。
悠季の病気は本当に治ったわけではなく、彼が一時的に力を補給してくれたらしいこと。そして、本当に治すためには桐ノ院と・・・・・体をつなげなくてはならないということ。
「・・・・・ま、まさか・・・・・冗談だろう?」
悠季は引きつった笑いを浮かべていた。
「悪い冗談はよせよ。君はその誰か知らないやつに騙されてただけに決まってる。そんなことで僕の病気が治るはずないじゃないか!それに、僕は・・・・・男に抱かれるような性癖は持ってないんだ!」
「そうですね。僕も冗談だと思いたいですよ。君に無理強いするような真似をして君に嫌われたくはない。しかし、こうして君が瀕死の状態から一夜にして回復していたし、今また数日前の容態に逆戻りしているでしょう?」
桐ノ院はふっと苦笑してみせた。まるで温かみのない笑みが桐ノ院の顔に浮かんでいた。
「時を追うごとに、彼の言うことが次第に正しかったのだと実感として信じられるようになってきています。今このときも僕の中に溜め込まれているエネルギーがちりちりと魂を焦がしていて、刻一刻と僕の中で圧迫感を増している。
これを君に渡さない限り、君はまた昏睡状態に戻るというのは・・・・・おそらく間違いないのだと思います」
彼はいっさいの感情をそぎ落としたような声で告げた。
「僕は君をどんなことをしても助けると自分に誓ったのですから、たとえどんなに君に拒絶されようと、救えるという方法を試してみるつもりです」
「・・・・・なっ!」
桐ノ院の手が伸びた。
「や、やめろっ!」
「君を傷つけるつもりはないです。ですから、素直に身を任せてください」
「い、嫌だっ!放せよ!!」
手を振り払って逃げ出そうとする悠季のからだは、もう既に自分の意のままにはならないほど麻痺が進んでいた。強引に腕を引き寄せ抱き寄せると、いつもよりはるかに熱い。
腕を振り切って逃げ出したが、数歩いかないうちに足をもつれさせてふらつき、倒れそうになったところを桐ノ院の腕の中にしっかりと抱え込まれていた。
そのあとは力なく身をよじるだけ。
「は、放せっ!人を呼ぶぞ!」
「構いませんよ。君を抱き伏せている姿を見ても誰も怪しんだりしません。せいぜい痴話げんかと思う程度です。誰にもあられもない姿は見られたくはないでしょう?それでも助けを呼んでみますか?」
桐ノ院が耳元でささやいた言葉で悠季のからだは強張り抵抗が弱くなった。
この宿屋に着く前から二人は駆け落ちしてきたのだと言いふらしてきた。この世界は恋愛に寛大らしく、恋人同士がおおっぴらに抱き合っているのを見たことがある。男同士の恋愛もさほど眉をひそめられるものではないと聞いた。
もしここで悠季が助けを求めても、聞いてもらえる可能性は少ない。・・・・・おそらく。
「で、でも・・・・・!」
「このまま黙って受け入れなさい」
桐ノ院は静かだが断固とした声で悠季の言葉をさえぎった。
「君を助けるためです」
「嫌だっ!桐ノ院・・・・・!」
抗議の悲鳴は桐ノ院の口の中に押し殺されて消えた。
悠季は抵抗をやめた。
そして、おおいかぶさってくる桐ノ院の重みを感じながら、ぎゅっと目を閉じた。
桐ノ院はベッドの上からからだを起こした。
部屋の中には先ほどの濃密な時間の残りが漂っている気がした。
悠季を抱く前まで感じていた、からだの中に詰め込まれた不気味なエネルギーの圧迫感はもう感じられない。
先ほどまで熱があった悠季の額に手を当ててみると、こちらも熱が下がっているようでひんやりとしている。
すうすうと気持ちよさそうな寝息が聞こえる。ぱたりと腕が動かされたが、動きにぎこちなさはない。あの青年が言っていたことが本当だったのだと改めて納得させられた。
しかし、半ば強制的な、悠季には不本意な行為。
人と性的な接触を持たずに生きてきたらしい悠季は、桐ノ院のわずかな愛撫に慣れないぎこちなさと緊張を示したが、その肌の感じやすさは、数多くの男達と浮名を流していた桐ノ院さえも我を忘れさせ夢中にさせるほどのものがあった。
初めて彼のからだを開いて抱いて極めたのは彼を助けるため。二度目は更に念のために。ではその後は・・・・・?
無我夢中で何度も彼をむさぼっていた。
しかし、悠季にとっては生まれて初めての衝撃的な出来事。過度の激しい行為は彼の心にどれほどの影響をおよぼしただろう?
気を失って気絶したまま眠ってしまった姿は、ひたすら疲れを癒し今あったことを忘れようと眠りをむさぼっているだけのはずなのに、色めかしくて・・・・・また、そそられてしまっていた。
唇が少し切れて血がついて腫れている。桐ノ院が彼の中に押し入ってくるのをこらえているとき、強くかみしめていたためなのか。
桐ノ院はそっと唇を舐めて血を拭った。彼の血さえも甘く感じられた。
もう二度と悠季から親愛に満ちた笑顔を見せてもらえることはないだろう。
あの謎の青年からそのことを警告されてから、何度も繰り返し覚悟してきたこと。
分かっている。これは悠季を救うためにやらなくてはならなかったこと。
そのために彼の信頼と友情を殺すことになる・・・・・。自ら大切に育てたいと思っていた愛情を壊したのだ。
「愛しています」
眠ったままの彼に向かって言う虚しさ。
「明日の朝からは、僕は君のこの世界での完璧な保護者となってみせましょう。
二度と僕から求愛することはありません。手を出すなどなおさらのこと。誓いを破ったなら自分で自分を罰しましょう。・・・・・しかし、今夜だけ、今夜だけは君は僕のものでいてください」
桐ノ院は悠季のからだを抱きしめて、目を閉じた。朝まで眠れないだろうと分かっていた。
だから、せめて彼の健やかな吐息を耳にし、甘い肌を抱きしめて長い長い夜を越えていきたかった。