「つまり、君と僕との間だけ何かが自動的に翻訳をしているということです」
「・・・・・何かって?」
「さあ、それは僕にも・・・・・。ああ、それより今夜の宿をどうしますか?そろそろ日も暮れてきた。早いところ宿の手配をしないといけないのではありませんか?」
彼は何かを知っているのかもしれなかったが、うまく話をはぐらかして周囲を見回して見せた。
悠季も顔を上げて辺りを見回すと確かに人通りがまばらになってきており、夕日が長く濃く物の影を引き伸ばしている。首都圏ならいざしらず、このあたりでは店などすぐに閉まってしまうだろう。
「僕はこのまま家に帰るつもりだったんだけど」
「家は近くなんですか?」
「いや、ここから電車に乗ってかなりの距離があるんだ。早く帰らないと終電に間に合わなくなるから」
気がついたとなるとそわそわと浮き足立ってしまい、視線は駅へと向いてしまう。
「君とはまだ話し合わなければならない事柄がたくさんあるのですよ。このまま立ち去られては困ります」
彼の言葉は丁寧だったが、その声にははっきりと命令が含まれていた。このまま帰ることは許さない、と。
「なぜ僕が見ず知らずの人間と一緒に泊まらなくちゃならない必要があるんだ!?君と話し合わなくちゃいけないことなんて何もないよ!悪いけど僕には君が誰でどこから来たかなんて関係ないし、興味もないんだ。だから付き合う義理はないし迷惑なんだよ!」
悠季はかっとなってどなっていた。どうしてこんな理不尽なことに自分が巻き込まれなくてはいけないのだろうか。
「ああ、失敬。僕はまだ名前も名乗っていませんでしたね。僕の名前は、トウノインケイと言います。サイコ(柴胡)で守護職を拝命している者で、ここに来る前までは天青の護りを命じられていました。僕の抱えている詳しい事情については、のちほどに。
ところで、君の名前も伺ってもよろしいですか?」
悠季の怒声にもどこ吹く風と受け流し、にこやかに自己紹介をやってのけた。彼の言っている職名や地名は悠季には分からなかったが。
そして、固有名詞については理解できない悠季のために、手をとると手のひらの上にこういう字を書くのだと教えてくれた。
桐ノ院圭。
それは、悠季にも理解できる漢字で書かれていた。あるいは言葉と同じように、何かが悠季にも理解できるような形にしているだけかもしれなかったが。
魅力的な笑みをたたえて穏やかに話しかけてくるその男は、同性の男の眼から見てもとてもハンサムで、これではさぞかし女性たちにもてるだろうと思われた。
でも同じ男性である自分に向かって愛想をよく魅力的に振舞って引きとめようとしても、効果はないんじゃないだろうか?
悠季は皮肉っぽく考えていた。彼には先ほどの刀を振り回して脅していた前科があるわけだから、恐れ疑わしく思う気持ちの方が強い。だから、どうして彼の言うことを聞いてやらなくてはいけないのかと腰がひけてしまう。
「・・・・・守村悠季だよ」
悠季は自分の人の良さにうんざりしていた。こんなことをいつまでも話していないでさっさと家に逃げ帰ってしまえばいいのに、と。
とはいえ、さっきの土産物店での出来事は強烈で、さっさと逃げ出すこともためらわれた。この男との出会いは何か知らない力が働いて自分と出会わせたのではないだろうか?
「守村悠季さん、ですか・・・・・。いいお名前ですね。ゆう・・・・・いや、守村さん。どうやら僕は突然見知らぬ土地のまったく覚えのない場所に飛ばされてしまったようです。ここがどこかも全然分からない状態なのですよ。このままここに置いて行かれれば、どうしていいか分かりません。君以外の人間とは言葉がまったく分からないのですから。
どうか僕のために一晩だけ一緒にいてくれませんか?もう君を刀で脅すような真似は絶対にしません。お願いできませんか?」
「・・・・・そうか。確かに言葉が通じないのなら仕方がないね」
彼の言葉は落ち着いたものだったが、それはかえって彼の内心の不安を感じさせるもので、逃げ腰になっている悠季にも察することができた。
悠季はふと大学へ通うために初めて東京へとやってきたときの心細さを思い出していた。誰も知らないこの地で暮らしていけるのかとても不安だったあの頃。まして、かれは言葉がまったく通じないのだ。このままここに一人で置き去りになってしまった彼はこの先どうするのか・・・・・?
悠季は顔を上げて彼を見上げた。そして、そこで見たものは先ほど見せていたような尊大な顔ではなく、かと言って卑屈に悠季に対して迎合するようなこともなかった。
悠季が彼の目の中にみたものは、幼い子供のように、一心に願う澄んだ瞳だった。
「・・・・・桐ノ院君でしたね。わかりました。とりあえず一晩だけなら君に付き合いますよ」
「ありがとうございます!
深い感謝の響きを持った彼の返事を聞いただけで、ほだされてしまったことをちょっと後悔しているもやもやも消えた。
「それではさっそく今夜の宿を探しだけど、僕はそんなにお金を持っていないんですけど。・・・・・もしかして、桐ノ院さんは持っているんですか?」
日本の貨幣を?
その疑問は心の中だけにつぶやかれたが。
「僕はこちらの金など持ちあわせてなどいませんよ」
彼は苦笑しながら肩をすくめてみせた。
悠季は思わず赤面した。そのしぐさは悠季が彼を疑っていることに対して非難するように思えたから。
どうも、彼に対してささくれだっている自分を反省した。最初の出会いが悪かったとはいえ、彼に対して悪感情ばかりを向けている。
「どうすればいいのか・・・・・ああ、これならばこちらの貨幣に換えることは出来るのではありませんか?」
彼は懐から金属製のナイフらしいものを取り出した。
「これは・・・・・?」
ナイフらしい形はしていてももっと薄く刃はついていないそれは、見事な透かし彫りが施された金色の金属の板だった。その先端には繊細で複雑な編み方をした鎖がついていて、鎖の先には大きく赤い透明な石がついていた。ナイフを真似た美術品か儀式に使う品のようで、おそらくかなり高価なものだろうと思われた。
「綺麗なものですね。でも、これはいったい何に使うものなんですか?」
「あー・・・・・。分かるでしょうかね。本の間に挟んで目印にしておくものなのですが」
彼は懐から文庫より少し大きいくらいのサイズの本を取り出した。ごく普通に本屋で見られるような装丁ではなく、かと言って和綴じの本でもなかった。表面を滑らかでいて不思議な模様を描いている皮で装丁された本はうろ覚えながら中世ヨーロッパで使われていたやり方で綴じられているように見えた。
彼はその本を開くと、金属の板を挟み込みぱたんと本を閉じて見せた。開いたときに見えた中身には、なにやら手書きらしい装飾画と見たことのない字が並んでいるのがちらりと見えた。
「ああ、【しおり】なんですか!」
どこまで読み進んだか分かるようにしておくもの。だが、こんな贅沢で珍しいしおりは見たことがなかった。
「ああ、こちらでも【しおり】と呼ぶものがあるのですね」
彼はうなずいていた。
「でも、こういうものを引き取ってくれるところってあるかな・・・・・?」
思わず首をひねってしまった。何か策は無いかと彼の方を見たが、
「あとは手放せるようなものはありませんよ」
と、肩をすくめてみせた。
「刀を売る気はありませんので」
「とんでもない!日本では刀剣の扱いに厳しいんですよ。こうやって普通に持って歩くことだってまずいんだから、売るなんて不可能ですよ」
と、そこで悠季は気がついた。それまで彼が刀を差していても誰にもとがめられなかったのは、彼の扮装(?)にあったらしいことに。
しかし、夕方になって祭りが終わってもこの格好でうろうろしていたら誰かが警察を呼ぶのは時間の問題に違いなかった。
「その刀はしばらくここに隠しておいた方がいいでしょう。あとでこっそり取りに戻った方がいいと思うから」
悠季が理由を説明すると、
「・・・・・分かりました」
彼はしぶしぶうなずき、枝が密になったこずえの間へと刀を隠した。
「こういうものを隠す場合、下よりも上に隠した方が見つかりにくいものです」
人間の視線が下にいくことを考えてのことだろう。もっとも彼の身長があるからこそ出来る隠し方ともいえただろうが。
「とにかく駅前に行ってみましょう」
悠季が彼をうながしてまた駅前への道を進んでいくと、だんだん人通りが増えてにぎやかになっていく。それに従って連れの男をじろじろと見ている人が多くなっていった。
この変わった着物を着ている大男は何者だ?と。
「このままじゃまずいよなぁ。とにかく早くどこかで彼の服を・・・・・と、あった!」
ぶつぶつと独り言を言っていた悠季が見つけ指差した店先には、大きな看板が掲げてあった。
【3】