【29】

 部屋の扉を開けて中に入ると、悠季のベッドの上に覆いかぶさるようにして立っている人間がいた。

 先ほどまでこの部屋には誰もいなかったはず。ここは二階で、窓から入ることは出来ない。桐ノ院が入ってきた扉以外に扉はなく、すれ違いに入れる場所など、ない。

「誰ですか!?」

 桐ノ院が大声を上げると、その人物は悠季の上からからだを起こしてこちらに向き直った。

ほっそりとした肢体。やや色の淡い髪。その姿は、

「・・・・・悠季!?」

 桐ノ院は思わず叫んでいた。そこに立っていたのは紛れもなく悠季の姿だったから。

「い、いや違う。悠季のはずはない!」

 桐ノ院は自分に言い聞かせた。今も悠季は熱に浮かされ意識がないまま、早く浅い息をしながらベッドに横たわっている。だから、ベッドサイドに立っているのは悠季であるはずはなかった。

 だが、向き直ったその人物の顔は確かに悠季のものであり、横たわっている悠季よりも(認めたくはなかったが)更に魅力的だった。

 彼の服装は厚朴で桐ノ院が着せてみたいと思っていた服に似ている。しかしあの時の服よりももっと彼に似合っている。

 極上らしい絹地で出来ているらしいそれは夜の空のような濃い青。瑠璃色ウルトラマリンの服を纏っていた。

 彼自身は何とも思っていないようだったが、少し動くたびに綺麗な陰影が生まれて、しなやかな肢体にまとわりついているのがなんとも色めかしい。

 悠季よりも少し長めの髪の毛は濡れた様につややかで、ところどころに宝石をちりばめているかのように光っていた。

 いや、実際に髪の毛にはいくつもの透明な石がついていたのだ。それはまるで水晶が結晶して付着しているかのように。

 そして、彼の表情。

 それだけが違っていた。これまで一緒に過ごしてきた悠季の顔には決して浮かんだことのないものだったのだ。

 絶望と渇望。諦念と悲しみ。そして・・・・・あこがれ。まるで失った最愛の恋人をなつかしく眺めているかのような感情を表情に浮かべて桐ノ院の前に立っていた。

 本物の悠季よりも人生の深みを知るものだけがもつ風情をたたえている彼は、おそらく誰もが惹きつけられ、目を離せなくなるだろう艶と魅力を兼ね備えていた。

 ついとっさにそう思ってしまったことさえ腹立たしいが。

「いったい君は何者です。そこで悠季に何をしているんですか!?」

 だが青年は桐ノ院を見つめているだけだった。ふいに、ふわりと彼の手が悠季の方へと差し伸べられた。

「悠季に触るな!」

 桐ノ院は叫んだ。

 正体不明の人物をベッドサイドから押しのけようとすると、彼はすいっと自分から身をよけた。髪の毛についている水晶がチリリと小さく涼やかな音をたてた。

「あなたは・・・・・これ・・を・・・・・助けたい?」

 青年は悠季の方を指差した。悠季とまったく同じ声で。

桐ノ院は眉をひそめた。不審人物の口から思いもよらない言葉がこぼれてきたから。

「悠季のことを【これ】などと呼ばないでもらおう!」

 しかし、不審人物は桐ノ院の言葉など聞こえなかったようにもう一度言った。

これを助けたいと、思っている?」

「・・・・・当然でしょう!」

 桐ノ院は叫んだ。

「それは、これがあなたの恩人で恩義を返そうと思ったから?それともこれをこちらに連れてきてしまった義務感か責任感?そうじゃなければ、これが『客人まろうど』でこの世界に一人で生きてはいられないから、同情して手を差し伸べた?」

 淡々とした口調で彼は尋ねてきた。

「違う!僕は・・・・・彼を愛している!」

 押し殺した声で桐ノ院が言う。だが、声の低さにもかかわらずその真剣さと緊張感は重い。

「でも、これはあなたを愛してはいない。せいぜいが友人。あるいはこの世界で暮らすための案内人か保護者として利用しているにすぎない。
これは、ノーマルでモラリストで、あなたが愛していることなんてあなたに言われるまで気がつきもしていなかった。今も恋愛の対象になんて考えようともしていない。もしかしたらずーっとそのままかもしれない。それでも?」

 桐ノ院はぐっとつまった。



 青年がなぜそんなことを知っているのかは別として、確かに悠季にとって桐ノ院はそういう存在だった。少なくとも現在は。
彼が自分の思いに気がついてくれるのではないかと期待しながら、落胆したのは一度や二度ではない。

 出来るならば『桐ノ院』ではなくて、『圭』と呼んで欲しいと願っていた。『守村さん』ではなく、『悠季』と呼びたいと願っていた。

 けれど、彼はいつまで経っても気がついてはくれない。機会を得て、思い切って告白してはみたものの、彼は困惑した顔をしていて、まるで桐ノ院の気持ちに応えるどころか気がついてもいなかったのだと改めて思い知らされた。



「そう・・・・・彼は僕を恋人として受け入れてくれるかどうか分からない。彼の鈍さにいらだっていたのも事実。だが、僕は彼を愛してしまった。彼が僕をどう思っていようと、僕の気持ちは変わることはなく定まってしまっている。
自分でもなぜそうなったのさえ分からない。いつの間にか彼の面影だけが僕の心に住み着いてしまった。だから」

 桐ノ院はきっと不審なその人間をにらみつけた。

「どんなことをしても彼を助けたい。僕の命と引き換えにしても、例え悪魔と取引をしても、あるいは突然現れた怪しげな人物を脅迫してでも、相手が救う方法を持っているのならどんな手段をとってでも、救ってみせましょう!」

 その鋭い視線に悠季とそっくりの人物はたじろいで視線を逸らした。

「・・・・・その言葉をもっと早く聞いていればよかったのに」

 ぽつりとつぶやかれた言葉の意味を、桐ノ院に理解することは出来なかった。

「いったい君は何者ですか?」

「そのうち分かるよ。必ずね。それよりも、今はこれを助ける方が先決だ」

 そう言って、不思議なまなざしをベッドに横たわっている悠季に向けた。

「それは、確かに君の言うとおりですが」

 桐ノ院はうなずいた。

「君がどこから来たのか、そして誰なのか分からない。それどころか人間かどうかも分からないが、もし悠季を助ける方法を知っているのなら教えてもらいたい。
もう悠季を救う手立てはないと医者は言い、僕にもそれはうすうす気がついていた。もうこのままでは悠季は危ないということを。しかし、もし君に彼を救う方法を持っているというのなら、僕に出来ることならなんでもしよう。お願いです!どうか彼を救って欲しい!」」

藁をも掴むような気持ちで懇願した。

「・・・・・その、救うためならどんなことでも、する?」

 ためらいがちに彼が言う。

「もちろんです!」

 桐ノ院はきっぱりと言った。

「えっと、僕があなたに差し出す手段は非常識なものなんだ。これがあなたをひどく嫌って避けるようになるかもしれない方法なんだけど・・・・・。それでも、やる気はある?」

「・・・・・彼が助かるのならなんでもやりましょう!」

 桐ノ院はちらりと悠季の方を見ると、歯をくいしばるようにして言った。

「・・・・・そう」

 悠季に似た彼は、桐ノ院の返事を聞いてもすぐには助ける方法を教えようとはしなかった。まるでそれで何かが壊れてしまうのを恐れるかのように、言い出そうとしてはやめ、また言い出そうとして口をつぐんだ。

「早く教えてください!このままでは悠季は・・・・・。君にも分かるでしょう?彼にはもう時間がないんですよ!」

 もうベッドの上の悠季には熱を作り出すことも出来なくなっているのか、青白い顔色で浅く息をしているだけになっていた。瞼の上の青みは見るものを不安にさせる。
 

 ――― これでは誰が見ても危篤状態 と、言うだろう。 ―――


 息を引き取るのは時間の問題、もう何時間も残っていないように思えた。

「・・・・・これはね、もうほとんど死んでいるんだ」

 そう言って悠季を指し示した。

「・・・・・何を言う!」

 桐ノ院が怒って怒鳴って掴みかかろうとするのを押し止めて言葉を続けた。

「もう人としての生命力は使い果たしてしまっている。
だから今これのからだをかろうじてこの世とつないでくれているのは、―――――の力なんだ。そして、その力ももう失われかけている。これを救うには、方法を変えなくてはならない。僕がやろうとしているのはそんな方法なんだ。彼のからだに新たなエネルギーを与えて、大きく変換させなければならない」

 彼の言葉はところどころ意味不明だった。

 何の力で悠季が生かされているのか、聞き取りそびれた。

今はまず悠季を助ける方法を聞きだすことが先決だと、あせっていた桐ノ院はその言葉を聞き返さなかった。
 

 このことをあとでひどく悔やむことになったのだが。


「その、君がエネルギーとやらを与えてくれれば悠季は助かるのですか?どうやって?」

「そう。僕が与えるエネルギーが絶対に必要なんだ。でも、さっきそれをしようとしたんだけど、どうやってもだめだった。僕はこれには触れられないから、僕からこれに直接与えることは出来ないみたいなんだ。もしそれが出来れば何も問題はなかったのに・・・・・。だから違う方法でやらなくちゃいけないんだ」

 困惑した様子で彼がぼやいて、桐ノ院の方に向き直った。

「君に一度このエネルギーを渡しておいて、君からこれに渡すことが出来れば、これは助かる。
 受け渡すために君を仲介させなくちゃいけないんだ。
でも・・・・・もし君がこれにエネルギーをひき渡すことが出来なかったら、君自身が僕の預けたエネルギーの内圧に負けて死ぬことになってしまう。君の命を危険にさらすことになるんだ。それでも・・・・・構わないかな?」

「僕が彼を救うことが出来るというのなら本望ですよ」

 桐ノ院は嬉しそうに叫んだ。

「・・・・・最後まで僕の話を聞いてからにしたほうがいいよ。聞いた後も嬉しそうにしていられるかどうか分からないんだからね。だって君に渡したエネルギーをこれに渡すには・・・・・その・・・・・」


 桐ノ院は目の前に悠季にそっくりな人物が目をそらし赤くなっていくのを見ていて、あまりに本人にそっくりなしぐさに不思議な違和感と親近感とを感じていた。

 これはいったい何者なのだろうか?と。これほどまでに悠季と似ているというのは、悠季に関係している人間なのだろうか?

「あー・・・・・あの、つまりね。君がエネルギーを受け渡す方法っていうのは、その・・・・・これとのセックス・・・・・ってことになるんだよ」

 ようやく重い口を開いてくれた。しかし、思いもかけない言葉に桐ノ院は呆然となって絶句した。