―――――場所は変わり、時間は少しさかのぼる。―――――












「幽霊が出る、だって!?」

 飯田は思いがけない言葉を聞いて、話しかけた相手の顔をまじまじと見つめてしまった。

「そうです!」

 冗談なのかと思っていたら、相手はのっぺりとした顔に精一杯重々しい表情を浮かべているつもりらしく、ゆっくりとうなずいた。

・・・・・間違いなく真剣そのものなのだった。





 ここは、月牙泉の大神殿。

 輝晶が生まれてくる場所でもある。

 沢山の学生がここで勉強し、いずれは神官や呪師へと育つことになるが、中には神官としての才能は持たなかったかわりに、音楽の才能が認められてそのまま音楽家になるものもいた。

 神官は文字通り神に仕え、輝晶のメンテナンスや整備も受け持つ。それに対して呪師は輝晶を使いこなし、あらゆる問題に対処することを求められた。

 全ては輝晶との相性ということになる。

 飯田は長く黄連おうれんの主席呪師を勤め、今回大神殿に呼び寄せられたのは学生の指導をするようにというのが辞令のはずだったが、未だ発見されていない天青の探索が進んでいないことから、彼に今後の探索の責任者にも任じられていた。

 とは言っても、肝心の天青の守護に任じられていた桐ノ院公爵が天青を行方不明にしてしまった申し開きのために大神殿で謹慎していたはずなのに、入れられていた部屋の中から忽然と消えてしまったというとんでもない事件のせいで、更に様相は複雑になっている。

 これは、桐ノ院家を陥れるための策略なのか、それとも桐ノ院家の中で何らかの内紛でも起きているのか、関係者の間でも混乱をきわめているらしい。

 いずれにせよ天青が見つからず、現在稼動している天青の寿命がきてその力を喪ってしまえば、この地方の全ての活動が止まってしまう。経済だけではなく、病院や施設、その他天青に依存している最下層の人々の暮らしがあっという間に立ち行かなくなってしまうだろう。

 重大な事件を起こした場合、桐ノ院家がどんな事態の収拾をはかるつもりなのか。竜彊全体におよぼす影響は計り知れない。

 こんな政治がらみの事件に引っ張り込まれたことで、飯田は自分の要領の悪さを心ひそかにののしっていた。火中の栗を拾わされてしまったというべきだからだ。これは自分に対する策略にひっかかったとしか考えられない。それほど、地方で辣腕をふるっていた飯田を恐れているということで、敬意を表されていると思って喜ぶべきか。

 しかし事件が解決し、天青が無事に収まるべきところに収まればいいが、もし天青に何かあった場合、飯田の地位も名誉も命までも消えてしまうかもしれないと覚悟しなければならなかった。

 故意か偶然か飯田のもとに伝えられていない情報が多くあることに気がつき、あれこれと思案した末に情報を得るためにいろいろと多方面に手を打つことにした。越権行為ととがめられる可能性はあるが、背に腹は変えられない。

 学生の指導が開始するのはあと3ヵ月ほど先になるが、飯田はそれまでになんとか天青を見つけ出したいと考えていた。また、そうでなくてはこの前代未聞の不祥事が世間に知られ、おおごとになってしまう

今はあらゆるコネや伝手を使って情報が集まってくるのを待っている状態だった。

そこに、この幽霊話である。

 話を持ってきたのは笹田という下級呪師だった。話を聞いているうちに飯田の眉がひそめられた。

 幽霊が出るのは大神殿の奥深く、訳アリの楽器たちを収蔵してある部屋で、その中でもとりわけ問題を持っているグァルネリ、銘を【エラトー】というバイオリンだった。

 本来このバイオリンは異世界からもたらされたと伝えられているが、この竜彊にやってくる際に何かの気に触れたのか、どうにもやっかいな呪いをまとってやってきていた。

 つまり、


――― 弾ける演奏者をバイオリンが選ぶ ―――


という難問を。

 バイオリンが気に入った演奏者以外が弾こうとすると、バイオリンは一切音を出さない。もし強引に弾こうとすると、過激に拒絶する。その過激さゆえに何人もの弾き手が大神殿を去ることにもなっている。

 今までにこのバイオリンを使いこなすことが出来たのは2人。しかし、今現在はバイオリンが選んだ演奏者がおらず、ずっと収蔵庫に仕舞われっぱなしだったらしい。

 そのバイオリンが、夜な夜な誰かに弾かれているという・・・・・。









「で、『エラトー』を弾いているのは誰なのか分からないのか?」

「はい、バイオリンが鳴っている間はあの部屋に誰も入ることが出来ないんです。もし鳴る前に部屋で待ち構えていたら、いつの間にか部屋の外に出されていますし、音が鳴ってから部屋に入ろうとしても扉は開かないし押しても叩いてもバイオリンの音が響いている間は何も出来ないんですよ。昼間にバイオリンを調べてみると、引き込まれていたのが分かるように松脂がわずかに付着していたり、弓の毛が減っていたりするんですけどね」

「弓の?それはもう換えたのか?」

「もちろん、バイオリンや弓の手入れを怠ると、バイオリンのご機嫌が悪くなって夜な夜な不協和音を響かせたりしますからね。きちんと手入れしましたとも」

 笹田は心配そうに飯田をうかがっていた。

「この問題は飯田師が解決して下さるってうかがってきたんですが、何か打つ手がありますか?」

「幽霊騒動の決着を俺がつけるって?」

「はい!」

「誰が言った」

「あ、あの・・・・・神官の芳野さんですが」

「ふーん?」

 芳野という神官は小早川家の息が掛かった神官で、今回の天青捜索に飯田を任命したのも小早川家だった。これは厄介ごとを飯田に押し付けたのか、それとも飯田の足をすくおうとする企みなのだろうか?

「あ、あの・・・・・僕にも手伝うように言われてますので、何でも言いつけてください」

 笹田が熱心にしゃべっていても飯田は考え込んだまま返事もしなかったが、やがて立ち上がって歩き出した。

「どこへいらっしゃるんで?」

「決まってる。事件現場へさ」

「は?」

 笹田はあわてて飯田のあとを追って来た。飯田が向かった先は、バイオリンが夜な夜な弾かれているという収蔵庫だった。

「あの、今は昼間でバイオリンは聞こえませんけど」

「それくらい分かってるさ」

 飯田の考えていることが分からず、笹田はおろおろと後を付いて歩いていた。

 問題のバイオリンは収蔵庫の一番奥のテーブルの上に置かれていた。古びたケースに収められ、いつ誰が弾いても構わないかのようになっている。だが、このバイオリンを弾くことはここ十数年の間誰も出来なかったのだ。

 ケースを開けてみれば飴色のつややかなバイオリンが現れる。手にとっても今はバイオリンは文句は言わない。以前だったら警戒されるかのように微妙に振動を伝えてきていたのに。

なにやら無機質の物体のはずなのに、満足げにしているような気がしてきた。

「昨夜も聞こえていたのか?」

「え?ええ。聞こえてたようです。僕は昨夜の音は聞いていませんが、ここ数日は同じ曲が流れていたようですよ。僕はあまり詳しくないんですが、どうやら一人で弾く曲を練習しているわけではないようですね」

「ふうん?」

 飯田はバイオリンを元通りにケースに戻すと、さっさと収蔵庫から出て行った。

「それで飯田師、これからどうするおつもりですか」

 あわてて笹田がついて来た。一人でこの収蔵庫に置き去りにされてはたまらないと思っているらしい。

「どうしたもこうしたもないだろう。夜になるのを待つだけさ」

【24】