その晩、悠季は目が冴えてしまって眠るどころではなかった。
寝耳に水もいいところの桐ノ院の爆弾発言。
この先、悠季はどんな態度で彼と接していけばいいのか。彼のとまどいは尽きない・・・・・。
――――― 僕がいた世界では女性にもてたことなんてないし、男性にそのテの口説きをされたこともないのに、どうして桐ノ院は僕に好意を持っているなんて言ったんだろう?
・・・・・僕を好き? 恋愛対象として見ている?!
本気なのか? 彼は本当にそう言ったんだよな?僕の聞き違いなんかじゃなくて。
いったい僕のどこが彼のお気に召したんだ?
そのテの男性のことをなんてよく知らないけど、彼らにとって魅力的なのは桐ノ院のようにたくましくて男性美にあふれた男だろう。僕みたいにどこをどう見ても平凡で、ひょろりとした男なんて対象として見ることもないんじゃないかと思うけど。
それとも、今は緊張した・・・・・いわば逃亡生活のせいで、一緒にいる僕が特別に見えている・・・・・とか?
そうか。そうだよな。・・・・・ははっ。
きっと彼の住んでいるという場所に戻って何もかも解決したら僕に恋したなんて錯覚はあっという間に忘れるに違いないんだ。彼は自分のいるべき場所に戻り、元の生活に戻り、僕の世界に来たことだって記憶の隅に追いやられるに違いない。
向こうでは何も取り得のない一般人だったし、こちらではあまりよく見られていないっていう【客人】というわけで、彼が僕を重要視するわけがないんだ。こっちの世界に引っ張り込んだかもしれないっていう負い目があるから親切にしてくれているに違いないんだから。
柴胡に到着する頃・・・・・いや、彼の家来という人たちが来るって言っていた麻黄に着いたら、幻想はきっと覚める。
僕は勘違いしちゃいけないんだ。
僕は桐ノ院のそばにいつまでもいられるなんて・・・・・思っちゃいけないんだ! ―――――
悠季はそんなふうに自分に言い聞かせ続けた。
部屋の向こう側に毛布を敷いて眠っている桐ノ院に気づかれないように注意しながら何度も寝返りを打ってなんとか眠ろうとしていたが、やがて何かに引きずりこまれるようにして、眠った。いや、意識を失ったと言えるような眠り方だった。。
一方、桐ノ院はといえば。
悠季の様子をそっとうかがっていた。悠季は桐ノ院が動かないようにしていたので眠ってしまったと思ったようだった。
悩みの深さを反映してか、何度か寝返りを打ちため息をついていたが、やがて静かになった。
桐ノ院は先ほどの突然の発言については後悔してはいなかった。言い出すタイミングとしてはあまりよくなかったが、何かにつけて彼に自分の意思を示していたはずなのに、一向に彼の方には届いていないことにいいかげん業を煮やしていたのだから。
彼にとって桐ノ院という男は、見知らぬ世界を案内してくれる親切な男、せいぜいが友人としてつき合えそうな、いいやつだとしか思っていない。その無邪気で愛らしい鈍感さにあきれるやらいらだつやら。
だから、あえて彼に告白した。
はたして明日の朝、どんな表情を見せるのが楽しみでもあり、怖さもあり・・・・・。
だがそれよりも、彼についてはいくつもの重大な謎があり、様々に考えなければならない。
こうして毎晩のように彼の様子を密かに観察していたが、寝返りもうたないほど眠りがひどく深いように思える以外に変わった様子は見られなかった。
しかし、彼の夢は――――――。
彼が出かけていると言っていた場所が気になってしかたなかった。聞き取った話によると大神殿の中に思えてならない。
悠季の中にもし未開発だが呪師として高い能力があるとすれば、無意識の状態で夢の中から目的の場所へと飛ぶことは可能なのかもしれない。意識だけを飛ばせた状態で大神殿の中に入り込んだのだと思えば納得できる。
だが、そんな場所があることさえ知らない悠季が、楽器が弾きたいと思っていても望みの場所へと行くことは出来るというのだろうか?
「ごめんなさいっ!」
突然、悠季が叫びながらベッドから起き上がった。
やがて、闇の奥から聞くものの胸をかきむしるような、押し殺した切ない嗚咽が聞こえてきた。
「・・・・・悠季、どうかしましたか?」
ベッドの方から聞こえてきた嗚咽がぴたりと止まった。
「・・・・・ご、ごめん。起こしちゃったかな。悪かったね。気にしないで寝てくれ。お休み」
かすれた声がよそおいきれない平静をとりつくろう。その痛々しい声は闇の中だからこそよけいにこたえる。桐ノ院は床から起き上がると、悠季のいるベッドのそばへと近寄った。
「気にしなくていいです。それより、何があったのか教えていただけないですか?ああ、もし君が話したくないというのなら無理に聞き出そうとは思いませんが」
しばらくの間悠季は答えようとしなかった。しかし、ため息を一つついてぽつりと言い出した。
「・・・・・夢が」
毎晩のようにバイオリンを弾いているという夢が?楽しいはずの夢が悪夢に変わってしまったのだろうか?
「今夜初めて夢の中に他の人が現れたんだ。僕が合奏曲を弾いていたら、チェロの音が聞こえてきた。すごく上手で僕も楽しく合わせていたんだけど・・・・・」
悠季の声は尻すぼみに小さくなっていき、その後を言おうとはしなかった。
聞き捨てならない話だった。初めて夢が他に繋がったのだ。おそらく大神殿の呪師が接触をはかってきたのだろう。だがその接触はやさしいものではなかったらしい。
薄闇を透かして悠季のからだを探り当てると、そっと抱きしめて小さい子供にするように肩や背中をやさしくなでさすってみた。
彼のからだは強張っていて、柔らかく暖かな布団の中にいたはずなのに、手を取ってみると冷たくなっているのが感じられた。
「それは素敵ですね。僕も拝聴したいものです。ああ、僕も演奏に参加してみたいものですね。もっとも、君の演奏にあわせるとなったらはじき出されるような腕しかありませんが」
まじめくさった調子で言われた言葉は桐ノ院の願ったとおりのユーモアで、悠季のからだから少し緊張をほぐしてくれたらしい。
「やだなぁ。僕程度じゃ聞かせられるほどの腕はないよ」
そう言って少し笑ってみせた。声はまだ少しかすれていたけれど。
「それでね。ビオラの人もいて、3人で合奏していたんだけど・・・・・」
また口ごもってしまった。が、今度は思い切ったように話を続けた。
「曲が終わったところで、一緒に演奏していたビオラの人から『もうここに来るな』って言われた。そして、僕が使っていたバイオリンを取り上げられた。『貴重なバイオリンを返せ』って。
そのバイオリンはここの場所にとってはとても大切な宝物なんだから、【客人】ごとき汚らわしい・・・・・その、娼夫が触ることも出来ないものなんだ、さっさと元の場所に・・・・・どぶの中にでも戻れって」
桐ノ院は思わず息を呑んだ。悠季に知られたくないと願っていたことが最悪の場所と言葉で言われたらしい。
「それはひどいことを言われましたね。その男の言ったのは偏見に過ぎません。ある理由で【客人】のことを悪しくいう者もいるということなんです。大丈夫、君はそんなことはないのは僕が一番よく知っています。気にしなくてもいいんですよ。
あとで事情を詳しく説明して差し上げます。理由さえ分かれば気に病まなくてもよくなりますよ」
桐ノ院は急いで頭の中に大神殿の中のめぼしい人物をリストアップしていた。こういう悪意に満ちた言い方をする者の名前を。そして、必ずそれなりの報いを受けさせることを決意していた。
「悠季、夢の中ではそのあとどうしたのか教えてくださいませんか?バイオリンを渡してからどうしました?」
今は悠季の夢が鮮明なうちに彼が行っていたという場所を特定することが先決だった。
「ビオラの人はバイオリンをチェロを弾いていた飯田という人に渡してから、僕を掴んで扉の外へとつれて行こうとしたんだ。扉の外には警備兵が待機しているからって」
「外に出たのですか?」
「いや。その前にこっちに戻っていたんだ」
「では、ビオラの・・・・・いや、チェロの・・・・・合奏していて楽しかったという人物はどんな男でしたか?少し話したのでしょう?何か記憶に残っていることはありますか?年ごろは?身なりは覚えてますか?」
「すごく渋くていい音を出す人だったよ。三十代くらいかなぁ。少し皮肉っぽいしゃべり方をしていて、でも、洒脱な感じがすごく魅力的な大人って感じだった」
鈍い悠季にしてはたいそうな褒め方で、少しならず心が波立った。しかし、それはのちほど考慮すべきこと。
「彼には、何か特徴はありませんでしたか?髪型とか、装飾品とか」
「そう言えば、耳に金の鎖の先に宝石の付いている揺れる耳飾りをしてたなぁ。僕の世界じゃ男性が耳飾りをしているのってどちらかっていうと珍しいんだ。でも、飯田さんの場合はとても似合ってたよ」
「耳飾り、ですか。赤い石でしたか青い石でしたか?」
「赤、だったね。とても綺麗な石だったけど」
桐ノ院はそれを聞いて確信した。飯田と言う人物は、間違いなく大神殿に属する神官に違いなかった。それも呪師としてかなりのレベルにある。赤い石は上級の呪師のしるしなのだから。
「・・・・・やっぱりこちらの世界でも僕は音楽を続けることは無理なんだろうか。ビオラを弾いていた人は、【客人】が神殿の音楽を奏でるなんて言語道断だってひどく怒ってたんだ。【客人】なんかが神殿に入ったら風紀を乱すからって。・・・・・娼夫、を神殿に入らせるわけにはいかないってね。
僕は夢の中でも必要ないって・・・・・言われたんだなぁ」
「そんなことはありません!【客人】だからといって、君の音楽を拒絶されるはずはないのですよ」
「でも、やっぱり僕は・・・・・だめ・・・・・なんだと思うよ。僕のようなヘボはバイオリンを弾くことを許されない・・・・・んだね。・・・・・あ、あれ、おかしいな・・・・・?」
「悠季?どうかしましたか?」
「頭が・・・・・ふらふらする・・・・・」
あわてて額に手を当ててみた。すると、手は冷たいのに額は燃えるように熱くなっていて、ぬるりとした嫌な汗をかいているようだった。
桐ノ院は急いで立ち上がると、璧をかざして部屋の明かりをともした。
明るくなった部屋の中に浮かび上がったのは、ぐにゃりと布団の上に倒れこんでいく悠季の姿だった。
「悠季!?」
桐ノ院の叫び声が深夜の部屋に響いた。
【23】