ひなびた町を出発し、二人はまず行くことに決めた麻黄まおうへの旅を開始した。

 街のはずれにあった鍛冶屋と中古車屋を兼ねたような店でかなりガタのきた荷車と自動車の合いの子のような乗り物を買い、食料やその他旅に必要な品々を積んである。

 馳車と呼ばれるこの乗り物は、馬が曳いている乗り物ではなかったので、自動車に近いのかもしれなかった。

「これが一般的な乗り物なんですよ。璧の力で動かしているのです。もっとも、これはかなりの年代物ですがね。
 あの車屋が渡してくれた璧は粗悪な品で、あまり速度を期待できないしろものですが、僕の持っている璧を使えばもう少し早く移動できるでしょう」

「へぇ。便利な品なんだね、璧って」

「ええ。ですが、いろいろと制約はあるのですよ。無制限のエネルギーと言うわけではないですから、君の世界のデンキの方が使いやすいかもしれません」

「電気だって制約はあるよ。いつでもどこでも使えるというわけじゃないし。それに・・・・・」

 そんな会話が二人の間に楽しく弾んだ。桐ノ院は話題が豊富で悠季が思わず聞き入ってしまうような巧みな話し手だった。悠季はこの旅がいつまでも続いてくれればいいと心ひそかに願ってしまうほどに。

「君って本当にすごいね。何でも知ってるし、どんな問題でもすぐに解決できちゃうし。きっと女性にもててるんだろうねぇ!君みたいなハンサムで頼もしい男性ならどんな女性だってきっと惚れちゃうよな」

 悠季が感心した様子で言った。

「それとももう結婚して奥さんがいるとか?それとも婚約者が君の住んでいる領地に待っているのかな?君の隣に立つ女性なら、きっと知性的な美人なんだろうなぁ」

「僕にそんな女性はいません!」

 ぴしりと桐ノ院が断言した。その冷え冷えとした口調に悠季は鼻白んだ。

「ご、ごめん。君のプライベートに立ち入るようなことを聞いて悪かったね」

「・・・・・いいえ」

 桐ノ院は内心で深くため息をついた。
 
 この一言だけでも、悠季の頭の中で、『桐ノ院圭』という人間を友人としか考えようとしていないとあらためて思い知らされてしまう。

 彼の気持ちを変えるにはいったいどうすればいいのだろう?今ここで彼を愛していると言ったところで理解してくれるかどうか。逆に引かれてしまうのではないかという不安の方が大きい。

「さて、どうすればいいですかね」

 桐ノ院は悠季に聞こえないようにつぶやいていた。




 旅は順調に進んでいく。

途中天気の崩れもほとんどなく、宿が取れなかった場所では野宿をした。焚き火を焚き、持っていた食料を食べ、馳車の中で休んだ。

 こちらの世界についてまだよく分かっていない悠季は、焚き火のそばで桐ノ院から竜彊という世界の事情を聞きながら、この世界でこの先どうすればいいかという、道も示して貰ったのだった。



「一般に【神殿】と呼ばれている場所は単純に神に仕える者たちがいる場所ではありません。こちらの世界でのエネルギー供給の実権を握り、あらゆる学問に影響力を持っています。

 輝晶の性質上、音楽は重要な位置にあります。璧を持たずに輝晶を駆使する呪師にとって、音というのは輝晶に働きかけるための必須アイテムですから。その関係上音楽も神殿の管理になっているのです。あらゆる音楽と楽器演奏のための楽団もあるのですよ」

 そう言って、楽器の説明や楽団の説明をしてくれた。

「そうか。こちらでもバイオリンはあるんだね。だったら僕にもチャンスはあるのかな?あ、でも、僕程度のヘボだと採用されないかもしれないね」

「君の演奏を聞いたことがありませんので保証しかねますが、挑戦することは出来ると思いますよ。推薦でしたら僕にも出来ると思いますし」

「そうか。君はこちらの世界で貴族なんだものね」

 元の世界に帰れるかどうか分からない今、いつまでも桐ノ院の世話になっているわけにはいかなかった。このまま何から何まで桐ノ院の世話になって過ごしていくのは気が重く心苦しい。

 何か職にありついて生活していけるようにならなくてはと考えはじめていたから、自分にも出来そうな方法を示唆してくれるのはとてもありがたかった。

「ねえ、もしかして僕の見ている夢の中に出てくる場所ってその【神殿】・・・・・だったなんてことないよね。まさか夢の中で知らない場所に行くはずなんてないし」

 悠季はふと思いついたらしく、聞いてきた。

「この間、君が言っていたバイオリンを弾いている夢のことですか?もしかしてあれが続いていると?」

「うん。このところ毎晩だね。眠って気がつくとそこにいてバイオリンを持っているんだ。たくさんの楽器が並んでいる広い展示室のような場所だよ。そこには楽譜がたくさん収められているキャビネットがあるから、中からその日の気分で選んで練習している。でも、そこには僕一人で誰もいないみたいなんだ」

「・・・・・誰もいない」

 圭は【神殿】の様子を思い出そうとしていた。何回か行った事のあるその場所は、どこも大勢の人間がいていつも動き回っていた。たとえ夜中だとしてもバイオリンの音が響けば誰かが様子を見に来るはずだったが。

「どんな場所か思い出していただけますか?」

「えーと、確か扉の色が青くて・・・・・」

 悠季は思い出せる限りの記憶を思い起こして話した。その話を聞くうちに圭の眉がひそめられていった。

「何か思い当たることがあるのかな」

「・・・・・そうですね。今度その夢を見た時には、出来れば扉を開いてその部屋の外に出てみてもらえませんか?そうすればもう少し何か分かるかもしれません」

「うん。出来たらね」

 悠季は単なる夢の話として気軽にうなずいてみせたが、圭にとっては重大な話だった。

 また一つ悠季に対して謎が増えている。夢の中に出てくる青い扉というのは、もしかしたら大神殿の奥にある機密収蔵庫ではないかと思える。どうしてそんな場所に行くことが出来たのか?

 こうなると、ぜひ彼を【神殿】に連れて行くべきかもしれない。これほど謎が多いのは、彼が『マロウド」であること以外にもあるのかもしれない。そう思う。

 ぐんと胸の奥に不安が増してくる。いったいこの『守村悠季」』という人間は何者なのか?これほどまでに謎と愛しさを桐ノ院に与えてくれた者は、これまでの人生の中に現れたことがなかった。

「ところで、麻黄まおうに行くことになるって言っていたけど、どうやって君の家の人と連絡を取るんだい?連絡した様子もなかったけど」

 悠季は桐ノ院の深刻な様子に気づくことなく話題を変えた。

「ああ、それはこの服を買ったときに連絡がついていますよ」

「服?」

悠季はちらりと今自分が着ている服を見た。あの厚朴こうぼくで買った服を。

「ええ。あの仕立て屋はギルド、つまり組織的な連絡網を持っていて密かな連絡を受け持ってもらえるのです。決して他言をしないということが彼らの誇りでして、安心して連絡を頼めるのです。あの時、僕も伊沢に連絡を頼みまして、麻黄で待ち合わせることになっています。この連絡網は極秘扱いですから確実な方法しかとりません。

 柴胡ししょうはここから遠い。おそらく彼らがやってくるのは、おそらく僕たちより数日遅れてになるでしょうね」

 そう言って、桐ノ院家の力を垣間見せて悠季を驚かせた。





 麻黄まおうまであと一日というあたりのことだった。

 その日久しぶりに小さな町に到着し、町に1軒しかないという古びた宿屋に泊まることが出来た。ここ数日野宿が続いていて二人ともほっとしたのもつかの間、今までの宿屋ではなんとかベッドを2つ確保することが出来ていたが、ここでは狭いベッドが一台しかないという。

 桐ノ院は自分のからだが大きいことを理由に悠季にベッドを譲ろうと言い出した。

「だって僕よりも疲れているはずだよ。僕は何も分からないからって君一人で馳車の運転や整備なんか全部こなしているじゃないか。君の方がベッドに寝るべきだ。僕は床でも十分寝られるから」

「そういうわけには行きません。君こそ毎晩眠りが浅いのではありませんか?昼間馳車の中でも寝てばかりいるのですから。体調が悪いのでしょう?」

 悠季はうっと言葉に詰まって赤くなった。夜夢の中で何時間もバイオリンを弾いている夢を見ているせいか、昼間馳車の中で揺られていると、桐ノ院に申し訳ないと思いつつ寝入ってしまい、休憩のたびに起こされることが続いているのだ。

 桐ノ院に言われた、部屋の外に出ることは、なぜか夢の中では思いつくことが出来ない。夢中でバイオリンを弾いていてやがて夢から覚める、という繰り返しで、今のところ辺りの様子を探ることも出来ていない。

「明日には麻黄に到着して広いベッドに寝ることも出来ますから、遠慮しなくてもいいのですよ」

「だって、石の床に寝ることになるんだよ?」

 今までも甘やかしてもらっていた自覚がある。ここでもまた女の子のように楽をさせてもらっていいのだろうか?

「・・・・・だったら僕と一緒に寝るかい?もっとも『マロウド』と一緒に寝るのはお断りだと言うのなら僕には何も言うことはないけど」

「そんなことはありません!!」

 桐ノ院はつい上ずった声を上げた。

「僕は異世界の人間だ。ここでは稀に他の世界から飛ばされた人間がやってきていて、その人たちを総称して『客人マロウド』と呼ばれるんだってね。君は僕に『客人マロウド』の意味を教えないようにしてくれていたけど、あちこちの町に泊まっていくうちにどういう意味なのか分かったんだ」

 悠季は目を伏せた。

「『客人まろうど』というのは決していい意味を持っていなくて、何か悪いことが起きると必ず犯人扱いされたり、邪魔者扱いされるんだって。『客人』というのは災いを招く異世界人だと言ってた」

「それは違います」

 桐ノ院は言ったが、その語尾は弱かった。

 確かにこちらでは異世界から来る人間がごくまれにいることは知られている。彼らが何か大きな罪を犯したと言うわけでもなく被害をもたらしたと言うわけでもないが、明らかに客人であるということだけで差別されているのも事実だった。

 竜彊に着いてまだ言葉も分からなくて生きるために必死で過ごすうちに、食べ物を盗んだりすることもあるだろう。そのせいで竜彊の人間によって迫害され殺されてしまう者もいると聞く。だが、それは彼らの罪というべきなのか?違う世界の住人である彼らを救う手段を、この国は決して持とうとはしないのだ。

自分たちと違うものだからと排除し拒絶していいわけはない。桐ノ院は天青の守りを拝受したことで、この偏見と差別もいずれ改善するつもりだったが、改めて改善することを心に誓った。

 そして。

 悠季はまだ知らないようだったが、『客人』にはもう一つ大きな偏見を持った意味があった。

 それだけは絶対に悠季の耳には入れたくないと、桐ノ院は思っていた。

「君の事は僕が守ります」

 桐ノ院は悠季に向かってきっぱりと宣言した。

 彼の無邪気な笑顔が消えないように。もし彼が『客人』のもう一つの意味を知れば、どうなるか。

「うん、ありがとう」

 悠季は微笑んで言ったが、その表情にはどこか諦め、桐ノ院の言うことを信じてはいない様子が伺えた。

「僕は本気ですよ。竜彊が君を差別し迫害すれば、それは僕への侮辱となる。僕の名誉にかけて君を守ります!

・・・・・ところで、僕が一緒のベッドで寝るのを断ったのは・・・・・ああ、その」

 桐ノ院はいかにも言いづらそうに口ごもった。

「あー、白状します。実は僕の嗜好が問題でして」

「嗜好?」

「はい。僕は男性を恋愛対象とする人間なのです。つまり、君と同じベッドに眠るとなると、理性の手綱を握っていられるかどうか・・・・・はっきり言って自信がもてません」

「恋愛対象・・・・・?」

 悠季は口の中でその言葉を反芻してからぎょっとした顔をした。

「つ、つまり、君は、ぼ、僕を・・・・・!?」

「信用してください。確かに僕は君に好意を持っていて、魅力を感じているのは事実です。ですが、君の同意がなければ手を出したりはしません。いずれ僕を好きになって欲しいとは思っていますが」

 突然にされた堂々とした告白に悠季は目を白黒してしまった。

「・・・・・そ、そうか。僕がその、君の目には、その、好みに見えて・・・・・いや、でも」

 どう返事をしていいのか困ってしまって目のやり場にさえ困る。

「今まで君に言わなかったのは、君が妙な偏見と嫌悪を僕に抱いてしまうのではないかと懸念していたせいでして。君の素直さに甘えたかたちになったことは謝ります」

「へ、偏見って」

 確かに、もしどこかで桐ノ院がゲイであると知っていたら、これほど素直に彼と親しくなっていたかどうか。襲われると思うほど彼を信用していないわけではないが、どこかで引いていたかもしれなかった」

「・・・・・ごめん」

「なんの。分かっていただけたのなら幸いです。では毛布を一枚お借りしますよ」

 そう言うと、桐ノ院はばさりと部屋の隅に毛布敷き、ごろりと横になった。


【22】