「桐ノ院、いったいさっきのことはどういう意味なんだ?あの人たちは僕たちのことを何だと思っているんだ?!僕がこっちの世界のことを知らないからといって、ごまかさないでくれよ」

 店を出たとたん、悠季は桐ノ院に食って掛かった。なぜ彼はこちらの事情が分からない自分を放っておいて何の説明もしないのだろう?

「すみません。実は君が気を悪くするのではないかと心配でして。後手に回りました。
・・・・・あー。守村さん、僕たち二人は彼らにどう見えていると思われますか?」

「う・・・・・ん。そりゃ、友人同士?いや、君の方はいかにも身分がありそうだから、若主人と召使?あ、僕ががさつで召使になんて見えないか。そうだなぁ・・・・・たまたま一緒になった旅人同士・・・・・とか?」

「どれも不似合いですよ」

 桐ノ院は苦笑した。

「いかにもいわくありげな二人連れ。疑問を持ってくれといわんばかりでしょう?それではまずいので、逆手にとってみたのです。

 僕はあの飯屋に入るときにエスコートしてみせたでしょう?あれを見れば彼らにはなんとなく僕たちの間柄が推測できると踏んだのです。

『大家の若殿と地方からのぽっと出の若者の道ならぬ恋』

 刈り入れ小屋の老婦人がそう決め付けていました。あの町の人たちもそんなふうに考えたようでしたので、僕もわざわざ訂正する必要を感じなかったのです。

 おそらく彼らにとって一番思いつきやすいシチュエーションは、僕たちが駆け落ちしている最中、というというものだったのですよ」

「駆け落ちだってェ?!」

悠季は思わず叫びかけ、あわてて声をひそめた。

「僕と君とが、かい?男同士なのに?」

「はい。おっと危ないですよ!」

 桐ノ院は振り向きかけてつまずきそうになった悠季を抱きとめて、やわらかく苦笑した。

「まあ君が驚くのも無理はないかもしれませんが」

 悠季が呆然としている間に見かけよりも華奢なさわり心地のからだの感触を記憶にとどめて、そっと手放した。

「男同士で駆け落ちなんて、こちらではざらにあることなのかい?」

「先ほど威霊仙という地名が出てきていたでしょう?あそこには昔制定された、とある条例が今も生きていて、身分違いの恋人たちの結婚を正式に認めてくれるということで有名な場所なのです。

 曰く、

[この地に足を踏み入れ一週間を過ごした者たちは、この地の法律に従うものであると認められる。この地のものであれば、結婚は当人の意思のみが求められ、何人もそれを妨げることは出来ない]

というものです。

それを知った、親に結婚を認めてもらえない貴族や平民の恋人たちが手に手に駆け込んでくることがよくあるのです。さらに、男性同士、女性同士では結婚できない土地からやってきた者たちが結婚を認めてもらいに来ることもある土地というなのですよ」

「そ、そうなのか。ふーん」

「守村さんの今までの言葉から推測すると、君の住んでいた世界では男性同士の恋愛は認められていないようですね?」

「うん。場所によっては容認されているみたいだけど、ほとんどの国でタブーとされている。日本では禁止する法律はないけど、おおっぴらに言うことはあまりないね」

「そうですか。こちらの世界では、禁じている国もありますが、男性同士や女性同士で恋愛も結婚が認められているところが幾つもあります。もっともほとんどの人間は男女で恋愛し、結婚するのが一般的なのですが、嫌がられることはあまりありませんね」

「そうなんだ」

「ちなみに僕たちは威霊仙まで行かなくても親の許しを得ることが出来たということで、元の家に帰還している途中だというわけです。これからもこの理由を使って旅を進めるつもりなのですが・・・・・構いませんか?」

「それって、旅を無事に乗り切るための口実だよね?君は僕を口説こうなんてしたことないし」

「・・・・・まあ、そうとも言えますね・・・・・」

 桐ノ院の返答に一瞬の間が開いたことには気がつかなかった。

悠季にとって、桐ノ院は友人であり旅の案内人であり、この世界で過ごすための保護者でもあったが、恋愛の相手に、などとは今の今まで考えもつかなかった。

 悠季にとって恋愛とは女性とするものであり、いまだにぼんやりと憧れるものでしかなかったから。

「この先もなるべくめだたないようにして桂枝まで行こうと思っています。ですが、これでは無理でしょう?」

 彼が今着ているのはいかにも貴族らしい豪華な絹織り物だった。こんな僻地で着ている者を見たら、いったいどこの誰なのかと注目されるのは間違いない。少なくとも訳アリの貴族だろうと推測されるはずだった。

 桐ノ院は宿をとる前に上に羽織っていた上着を脱いで剣と共に荷物の中にしまいこみ、服は裏返して渋い裏地を表に見せていたが、裕福な商人の若旦那だと思わせるのは彼の貴族らしいものごしを見てしまえば無理がある。

「先ほど選んだ服でごまかせればいいのですがね」

 桐ノ院が仕立て屋で選んだ服は質はいいがありきたりの木綿の服だった。少し洗いざらしたような布地でくたりとしているのが着心地をよくし、旅慣れた感じを与えるものだった。

 だが桐ノ院が着るとなると庶民のものであるはずの木綿の服もどこか洒落た感じに着こなしてしまっている、と悠季は思っていた。どんなことをしても目を惹いているんじゃないか?と。それは他の者にも同じだろう。

「僕が何者であるか、どこにいるかを僕の敵に知られたくないのです。しかし僕の体格に目立つ衣装では僕とすれ違った他人全てに『覚えておいてくれ』と言っているようなものになってしまいます。

めだたない、というのが無理ならば、せめて納得できる理由を持つようにしなければ町の人たちが『あの男は怪しい』と騒ぎ立て、この土地で足止めを食う可能性がある。この街を支配している者の立場も分かりませんから、知られないように静かにここから移動しなければなりません」

 桐ノ院は【天青】を失くした責任を問われ、申し開きのために一室に閉じ込められていたが、何らかの理由で悠季の住む異世界へと飛ばされてしまい、ようやく帰ってくることが出来た。

 しかし、今現在のこちらの事情が分からない。はたして、桐ノ院の立場はどうなっているのか。

「僕が自分の意思で逃亡したと思われているのか、それとも誰かに連れ去られたと思われているのか・・・・・。そのあたりの事情を知る必要があります。場合によっては追捕の手が放たれているのかもしれない。見極めてからでないと、家のものと連絡することも出来ないのです」

「・・・・・そうか。そうだよね。それで、どうやって連絡するんだい?その・・・・・もし僕が君の足手まといになるようならどこかで放り出していっても構わないから」

 きっぱりと言って微笑んでみせた。異世界の人間が一緒なのだ。もし彼の立場が悪かった場合、悠季が役に立つとは思えなかった。

 桐ノ院は心からの感謝を込めて目線で謝意を示した。

「君の気持ちはありがたいのですが、むしろ君が一緒の方がいいのですよ。僕に連れがいるとは誰にも知られていないのですから」

「・・・・・それで、僕たちが駆け落ちしてるって思わせたわけか」

「はい」

 桐ノ院がきっぱりとうなずいたが、悠季には自分を連れていくことを負担に考えないように言ってくれただけのように思えて仕方なかった。

「君にとって一番いい方便なんだったら僕は構わないけど、でも君はいいのかい?男同士で恋人として振舞うなんて。君ならきっとどんな美女でも選り取りみどりだと思うけど・・・・・その、気持ち悪くない?・・・・・うわっ?!」

「おっと!大丈夫ですか?」

 またつまずきかけた悠季を抱きとめていた。

「ごめん。気が散っていたみたいだ」

「どうやら疲れているようですね。慣れない旅で気を使っているせいでしょう。今日は早く休んだ方がいいです。さっき、食事の時にもおかしかったですからね」

「あー、うん。そうだね」

 悠季は一つため息をついた。

 食後のお茶を飲んでいて、湯飲みを取り落としてお茶をこぼしていたのだ。

 もうぬるくなっていたから火傷をすることはなかったが、桐ノ院はあわてた様子でまめまめしく世話を焼いてくれていた。今までこんなことはなかったのに、この粗忽さはいったいどうしたのかと自分でも不思議に思えていた。

「あ、それからもう一つ聞きたいと思っていたんだけど、さっき町の人が言っていた『マロウド』って何?」

「・・・・・ああ、あれですか。たいしたことはありませんよ。世の中のことを良く知らない人間という意味ですよ。何も気にすることはありません」

 あっさりと答えてくれた。

 しかし、その答え方はあまりにすばやく、悠季の質問を予想していて返答を考えていたのではないか、とさえ思われた。

「・・・・・ふうん?僕がこっちに不慣れだからそう見えたのかな?」

「おそらくそうでしょう。さて、それより宿に帰って・・・・・」

 桐ノ院はこの先の旅のことをあれこれと話し始めた。まるで『マロウド』という言葉の本当の意味が悠季に知られるのを恐れるかのように。




「ねえ。夢が現実にも影響するってこと、あるのかな?」

 もうすぐ宿に着くというところで、ぽつりと悠季が言い出した。

「どういう意味ですか?」

「この指のタコのことなんだ。もうバイオリンを弾かなくなって何日も経つけど、まだタコは硬いままなんだよね。今までの経験で言うと、数日バイオリンを触らなければ指先は柔らかくなるはずなんだ。でも、硬い。むしろ硬くなってきているんだ。

毎夜見る夢の中の場所で、僕はバイオリンを弾いている。とてもリアルな夢なんだけど、朝起きるとちゃんとベッドで寝ているんだから、夢には違いないんだけど・・・・・」

「夢、ですか」

 桐ノ院は考え込んでいた。

「もしかすると・・・・・いや、そんなことはないはずだが」

「何か心当たりがあるの?」

「いえ。僕の思い過ごしだと思います。とにかく今日は早く休んで疲れを取りましょう。しばらくの間移動しなければなりませんので。夢のことは少し考えさせてください」

 そう言うと、桐ノ院は悠季をうながして宿屋へと歩いていった。

【21】