「この町はなんていう町?」

「ここは厚朴こうぼくと言います。なかなか面倒なことになりました」

「何かまずいことでもあった?」

「こちらに戻ってきた時、僕はおそらくここは桂枝けいしに近い場所ではないかと推測していました。しかし、思いがけない場所に戻ってきていたようです」

「どういうこと?」

「僕がいた場所は竜彊りゅうきょうの東南なのですが、ここは逆に北の端に近いのです。戻るには国を横断することになってしまうのです」

「それって大変なのかい?いや、君の住む竜彊というのがどれくらい大きな国なのか知らないけど」

「まあ。それなりに、ですね」

 桐ノ院は少し苦笑した。

「この地方では早い乗り物を調達することが出来ません。せいぜいが先ほど乗っていたような荷馬車くらいでしょう。もう少し大きな街に行けば乗り物を使ってもっと早く動くことも可能ですが。とにかくここで支度を整えて次の街へ移動することを考えましょう」

「でも、・・・・・その、お金は持っているのかい?それともまたあの【しおり】を換金するとか?今回は僕は役に立たないね」

「いえ、大丈夫。こちらの世界の金なら持っています。桂枝まで楽に旅をするだけの旅費はありますよ。さあ、それでは行きましょうか」

 そう言って、悠季の背中を押してうながすと街の中へと歩き出した。

「君の世界に行ったときは僕の服をまず調達しました。今度は僕が君の服を調達します」

 悠季が今着ている服は、異世界の日本から着てきたものではなかった。昨夜泊まった小屋の老夫婦が持っていた晴れ着の一着を買い受けて着ていた。

「その服は君に寸法が合っていないから、着心地が悪いでしょう?それに色柄も君の年齢には似合わない。この先はだんだん人が多くなります。合わない服装で他人の目をひきつけることはありません」

 確かにあの老人は悠季よりも小柄で、袖や裾が短く柄もごくごく渋い。街に入ってから周囲の人々の格好を見てみると、意外にカラフルな色柄を好んでいることが分かる。若者で悠季の着ているような渋い服を着ているものは稀だった。




 二人は街の入り口から右の方へと進んだ。

 桐ノ院の説明では一般的な街の作りとして、右半分に市があったり役所が置いてあったり市場があったりで公共のものだが、左半分は私有地でこの街の住人の住居であることがほとんどなのだと教えた。

 街は異世界の人間である悠季の目から見るとひなびていて、住んでいる人間が少ないように思えたが、実際ここはかなりの僻地の街らしかった。この街には宿屋と呼べるものは1軒しかなく、仙穀の買い入れ時期でもないので中央からの商人たちも今はやって来ない。宿に泊まる客は今の時期はほとんどいないらしく、貸しきり状態になっていた。

「このあたりの宿では食事は出ません。眠る部屋と風呂とを提供するだけなので、食事をするには周囲にある店で済まさなくてはならないのですが。風呂は、客が来たのでこれから湯を沸かすという話でしたので、先に食事に行きましょう。君もそろそろ腹がすいているでしょう?」

「あー、うん。すいてきた」

「では、行きましょうか。ただ、その前に君の服を頼んでおいた方がいいでしょう。仕立て屋の店仕舞いは早いでしょうから」

 桐ノ院はいかにも旅なれた様子で悠季を町の仕立て屋へと連れ出した。

「これから少し長く旅をしなくてはなりません。少しいろいろと買い揃えた方がいいでしょうね」

 桐ノ院はそう言うと、店員に言いつけて既に作っておいてある服の中から悠季用と自分用の服を選び始めた。

 桐ノ院ほどの身長を持っていると合う服がないのではないかと思えたが、ここの仕立て屋はかなり寸法には融通をきかせているらしく何種類ものサイズを揃えており、またこちらの衣装は多少の寸法の違いもすぐに変えられるそうで、修正がきくらしい。

 桐ノ院は手際よく自分の分の服を選び、あれこれと注文していたが、まったく初めての悠季にとっては好みや寸法について尋ねられても戸惑うばかりで、なかなか手直しが出来なかった。

「お客さんは細いですねぇ」

 そう言いながら仕立て屋は必要な寸法を手際よく測っていった。どうやら悠季に聞いていたらかえって時間がかかると悟ったらしい。

「本当なら君には布地からあつらえの服を贈りたいところですが」

「ええ?女の子へと贈り物じゃあるまいし!」

 悠季は思わず笑い出していた。しかし、桐ノ院はまじめな顔で並べてあった服の見本の中から気に入った反物を出して悠季のからだに当てて見せた。

「ああ、これがいい。君は淡い色が似合うようですね」

「あ、あの・・・・・桐ノ院」

 桐ノ院があてて見せたのは銀地に藤色の細かな刺繍が施してある生地だった。

「帯はこれ、小衣装はこちらがいいでしょうね」

 藍色に細かな青い糸で縞を織り出してある帯と、小衣装と呼ばれる下に重ねる服を重ねて見せた。

「注文できないのが残念です」

 まじめな顔でそう言った。

 しかし、悠季が文句を言い出す前に話題を終わらせて仕立て屋の方に向き直った。

「どれくらいで仕上がりますかね?桂の枝が芽吹くほどかかりますか?」

 仕立て屋はぴくりと肩を揺らしたが、何事もなかったように返事を返した。

麻が黄色く色づくほどはかかりませんよ。さほど縫い直すわけではありませんから、明日の朝には出来上がると思います。ただ、こちらのお客さんは細身で、ちょうどいい寸法の男性用がありませんで、選ばれた品は女物でございます。このまま男性が着るわけにはいきませんので、仕立て直しにはもう少し時間をいただきませんと。
こちらも今日出来上がるというわけにはいきません。
明日の昼過ぎには全て仕上げておきますが、宿の方にご連絡を差し上げましょうか?」

「結構。それでお願いします」

 桐ノ院は手付けを払って店を出ると、二人はそのまま食堂がある市場の一角へと足をすすめた。

 いくつもの店を冷やかしながら歩き、小奇麗な一軒の飯屋へと入っていった。地元の人ばかりが何人か食事をしていて、悠季たちが入ってくると物珍しげに注目していたが、二人が座って食事を注文しているのを見てとるとまた自分たちの話に戻っていった。

 二人が注文したのはここの名物料理だとこの店のおかみさんが自慢したもので、中華料理とも和風料理とも違うが異国人の悠季の口にも合う料理が何皿か出された。

 春巻きのように皮に包んであげているもの。色とりどりの果物をぶつ切りにして炒めてあるように見えるもの、近くの川で上がった魚を煮たものか、いい匂いの香辛料をまぶして揚げ煮してある魚料理。

 春巻きに似たものは食べてみるととろりと乳酪を使ったシチューのような具がたっぷりと入っていた。炒めた果物・・・・・に見えたものは、こりこりとした食感と甘酸っぱい味覚が不思議な調和を見せていた。更に、魚料理はこってりとした餡がかかっているのに淡白な魚の味とよく合っていた。

 悠季は物珍しげに見ていたが、店の人から食べ方や調理方法を教えてもらっておそるおそる口にした。

「美味しい!」

「そりゃよかった」

 説明してくれたおかみさんがいかにも満足げな顔で厨房へと引っ込んでいった。

「おい、兄さんがた。あんたたちはどこから来たんだね?」

 隣のテーブルで食事をしていた仕事帰りらしい数人の男の一人に声をかけられた。

「え、あ、あの・・・・・」

「実は、威霊仙いれいせんまで行く予定だったのですが、引き返してきました」

 答えに窮した悠季に代わって桐ノ院が答えた。

「威霊仙だってぇ?」

 店の中の人たちが驚いたように振り向き、何人かが聞き返してきた。

「もしかして、あんたら例の条例を使うつもりだったのかい?」

「ええ、まあそうです。しかし、事情が変わって僕たちの仲を許してもらえるようになりましたので、戻っていくところですが」

「へぇ〜!そりゃよかったなぁ」

 どうやらこの店にいる男たちには格好の話し相手だと思われたらしい。

「あ、あの、威霊仙って?」

 悠季が聞いたことのない地名に戸惑って桐ノ院に向かって小さな声で聞き返すと、耳ざとく悠季の言葉を拾った男がずいっと顔を差し出してきた。

「威霊仙って知らないのかい?おい背の高い男前の兄さん、もしかして何も知らないウブなやつを連れて行こうとしていたのかい?」

「まあ、彼は当たらずとも遠からずといったところでしょうか」

 問いかけてきた男に桐ノ院は苦笑して見せた。

「だめだよ、いかにもウブそうな兄ちゃん。ちゃんと話を聞いてからついて行かなきゃ」

「そうそう。坊や、知らない男についていっちゃいけませんよ!だぜ」

「おい、そりゃ子供の話だって!」

 げらげらと男が笑い出し、周囲にもにぎやかな笑いが満ちた。

「あ、あの・・・・・?」

 話の流れが見えない悠季には、自分たちの行動を酒の肴にしてしゃべっている街の人たちが楽しそうなわけが理解できない。

 隣に座っている桐ノ院が苦笑しているわけも。

 なんとか理由を教えてもらおうと思っても、彼は悠季と目を合わせようとはしなかった。

 食事が済むとは店のおかみさんがやかんに入れたお湯と茶葉の入った湯のみを運んできてくれた。この地でも食後にお茶を飲む習慣があるらしいが、中国のお茶の飲み方とよく似た飲み方をするらしい。

 湯を注ぐとふわりと茶の香りが立つ。茶葉が沈むのを待って蓋をずらしながらすすって飲むとほんのりと果実のような香りがして美味しかった。

「なあ、もしかしてお前さん、『マロウド』ってわけねえよな?」

「は?それは何ですか?」

 更に聞いたことのない単語が飛び出してきた。

「え・・・・・っ?」

 聞いてきた男が悠季の答えに戸惑ったように口をつぐんだ。

「もしかして本当に『マロウド』?」

 突然に周囲の空気が変わった。

 そのあまりの変化についていけなくて、おろおろと桐ノ院と街の人々との間に視線を往復させていた。

「な、何?」

 すがるように桐ノ院に目線を向けてみても、彼は困ったような顔をしていて説明してくれない。

「彼は隣国壌陽の奥地生まれですので、『マロウド』のことを知らないだけですよ。さて、そろそろ宿に戻りましょうか」

「あ、うん」

 桐ノ院がさりげなく話を終わらせて席を立ち、あわてて悠季もあとを追ったが、彼が街の人たちの質問をごまかし、悠季にこれ以上詳しい話を聞かせたくないと思ったらしいことは明らかだった。





 いったい、桐ノ院が悠季の耳に入れたくないこととはなんだったのだろうか?


【20】