「守村さん、君の後ろにある四角な箱を開いてみてください」

「えっ?」

 桐ノ院が指し示したのは先ほど小早川が視線を送っていた厨子だった。悠季が立ち上がって厨子に向かって歩き出すと、とたんに小早川が顔色を変えた。

「何をする!ここは僕のプライベートの部屋だぞ!勝手に人のものを触るな!!」

 小早川が飛び掛かってきた。

『―――――――!!』

 彼の鼻先にさっと不思議な翠色の刃が差しつけられ、厳しい口調で命令された。ぎょっとなった小早川は手を引っ込めると、刃に押しのけられるままその場にへたりと座り込んだ。

 早く行けと動作で促されて、悠季は言われた厨子の扉を開いた。


リィィィィィィィィィィィィィィィン!!!



 ふいに涼やかな音が響いた。だが、その音は耳に聞こえてくるというよりも頭の中に響いていくようで、いつまでも聞いていたいような心地よさを持っていた。

「輝晶だ!やはりここに・・・・・!」

 呆然とした様子で桐ノ院がつぶやいた。

「輝晶?いったいどこに?それってどんな形の・・・・・?」

 あわてて悠季が厨子の中を見渡したが、以前に彼からは黒い結晶とだけしか聞いていなくて、それがどこに入っているのか、どんな形をしているのかさえ分からない。

「あれ?」

奥の隅に他の品物の間に隠すようにして置かれ、厳重に布に包まれたものが入っていた。大きさは悠季の手のひらに乗るくらいの小ささだった。

「これ・・・・・かな?」

 布包みをそっと開いてみると中から古ぼけた仏像が出てきた。稚拙な彫師が刻んだのか、ようやく人の形だと分かるような荒々しい鉈の後が残った木像だった。

「よせ!それを返せ!返すんだぁ!!」

 小早川は仏像に気をとられていた桐ノ院に体当たりを食らわせると、悠季めがけて必死な形相で飛び掛ってきた!

「守村さん!」

 襲ってくる小早川を避け、あわてて彼の手の届かないところへと逃げだした。だが、あまりあわてていたせいか先ほど飲まされた強い酒の影響かよろりと足元がふらつき、気がついたときには派手に転んでいた。

「守村さん!?大丈夫ですか?」

 桐ノ院が叫んだ。

 手に持っていた仏像は絨毯の上に落ちてころころと転がっていったかと思うと、ふいに足の裏にあったふたがぱっくりと外れて中から小さな石の欠片がころがり落ちてきた。

 からからから・・・・・!

 欠片は乾いた小さな音を立てながら絨毯から外れて、フローリングの床の隅へと転がっていった。そして、悠季が拾おうと手を伸ばした時。

 まぶしいほどの光が部屋の中に溢れて隅々まで照らし出した。光はほとんど圧迫感さえ感じされるほどのもので、そちらを見ることさえ出来ない。

「うわぁっ!な、なんなんだ!?これはいったい・・・・・?」

 小早川は呆然とした様子で光の元がある方向に手をかざしてどうなっているのか透かし見ようとしていた。だが、そこのあるはずの結晶の姿さえ見ることが出来ない。

「やはりここにありましたね。【輝晶】が!」

 桐ノ院がいかにも嬉しそうに叫んだ。

「・・・・・これが輝晶の輝き?!」

 ほんの小さな欠片だった。

 さっき光りだす前に見たときには石炭とかごく普通の黒い御影石かと思った。それほど何の変哲もないありふれた品物に見えていたのだが。

 だが、悠季が近づくにつれ、印象を一変させて冴えた光を放ち出した。これはどういうことなのだろう?何もした覚えはない、触れてもいないというのに。

「ど、どうすればいいんだ?!」

 悠季がうろたえて圭の方を見ると、彼は

「念じなさい!!輝晶に君の思考と同調させるのです。そうすれば、輝晶は君の思うがままに働いてくれますよ」

「念じるって・・・・・?」

 悠季は途方にくれた。桐ノ院はこの【輝晶】と呼ばれるものを使えば元の世界に戻れるのだというが、何も知らない悠季にその方法を託したのだ。・・・・・まったく何をどうすればいいのかさえ分からない悠季に。

「返せ!!それは僕のものだ!」

 小早川が叫ぶと、転がっている輝晶に掴みかかった。

『―――――――!!』

 桐ノ院が『やめたまえ!危険だ!!』と叫んでいた言葉は小早川には通じていなかった。

 小早川が輝晶を掴んだとたん、


 イ゛ン!!ンンンンンンンン・・・・・!!!


「うわぁぁぁぁぁっ!」

 なんともいえない不協和音と共に、彼のからだが飛ばされて部屋の隅に叩きつけられた。

「小早川!?」

 思わず悠季が駆け寄ろうとしたが桐ノ院が肩を抑えて首を横に振った。

輝晶は小早川に掴まれかけたとたんに眩しい光を弱め、輝晶がどこにあるのか見定めることが出来るようになっていたが、それでもまだ部屋につけられている照明よりも明るかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!

 不意に耳では感じられない不穏な気配がたった。それは光でも音でもなかったが、皮膚で感じられるような不思議な感覚のもので、気がつけば腕には鳥肌が立っていた。

 気配は結晶から出ているようで、徐々に強い力を帯び始め、ついにはそちらに手をかざせば触れそうなほどの圧迫感を備え始めた。

輝晶は誰も何もしていないのにゆっくりと宙に浮きあがっていくと、1メートルほどのところでぴたりと止まった。

結晶を核として塩が固まる時を見るように、輝晶と桐ノ院が呼んだ結晶の周囲にはごく薄い煙のようなものが現れはじめ、淡く輝きながらゆっくりと周囲を回り始めて薄い雲となった。そして、見ているうちにゆっくりと渦を巻き始め、やがて直径が1メートルくらいの渦巻きを形成し始めた。

「これって・・・・・まるで竜巻みたいじゃないか!でも、いったい何がどうなってるんだろう?!」

 悠季は呆然としてつぶやいた。小早川に至ってはすっかり腰が抜けて頭が追いついていかないようで、部屋の隅で呆然とこの事件の経緯を見ているだけだった。


 ブ・・・・・・・・・・ン・・・・・・・・・・!!



 雲の回転が早まるにつれ、最初はまるで遠くから聞こえる海鳴りのように不吉な音の波がからだ全体で感じられ、やがてだんだん近くに押し寄せてくるとまるで地震の音のように感じられてきた。

「いったい、何なんだ!?」


 それはざわざわと耳に不快な感覚を与え、ぴりぴりと肌にも嫌な刺激をもたらした。舌にはざらついた金属のような味わいさえ感じられた。

 小早川はもちろん、悠季も呆然としている間にどんどんと響きは大きくなり、あっという間に耳を聾するような大音響となっていった。



・・・・・ゥヴン、ヴン、ヴン・・・・・・・・・・!!


 びりびりと周囲の壁や柱が振動する。

 テーブルの上の置かれたグラスがからからと転がって床に落ちていった。

厨子の品や違い棚に置かれている品々ががたがたと派手に揺れていたと思うとあっという間に床に転がり落ちて砕けていった。

「ぼ、僕の骨董品が!!」

 小早川が叫んでいる声もかき消されてしまった。

「桐ノ院!これは君がやっているのかい!?」

 精一杯の声で悠季が怒鳴ると、その声が聞こえたのか、彼はこちらを向いて首を横に振った。

 そのときだった。

「危ないっ!!」

 渦巻いていた雲が触手のように伸びてきたかと思うと、桐ノ院のからだに巻きついて引き寄せ始めていた。 
【14】