小早川氏と別れた後、二人は風呂へと案内された。

『広いから二人でも入れますよ』と言われたが、相談して交代で入ってからあてがわれた部屋で休むことになった。もっとも、一緒に入ろうと悠季に誘われたとしても、昨夜の反省から桐ノ院が承知するはずもなかったが。

 悠季が風呂から上がって部屋に戻ると、部屋の中では桐ノ院が持ってきていた刀を抜いて真剣な眼差しで見つめていた。どうやら手入れをしようとしていたらしい。

 その怖いくらいの気迫に思わず息を呑んだ。

 今までの穏やかさが彼のうわべだけだったのだと頭から冷水をかけられたように思い知らされた。あの、最初に出会った時の危険な感じが彼の本来の姿なのだと納得できるくらいに。

 この男の言うことを素直に信じてここまで来たけれど、本当に信用できるのだろうか?

 ふと悠季の心に疑念が差す。

 彼は自分が敵に襲われてやってきたのだと言った。だが、それは本当のことなのだろうか。彼の言う事を今まで信じ込んでいたが、もしかしたら、逆に彼は本当は何かの犯罪者でこの世界へと逃げ込んできたのかもしれない。

 自分にはその言葉の真偽を知るすべはないのだから。

「守村さん?そんなところに立ったままで、どうかしましたか?」

「え?うん。君の仕事を見ていたんだ」

「仕事といえるほどのものではありませんよ。どうも小早川氏というのは信用がならない。用心はしておきませんとね」

 桐ノ院が苦笑した。手際よく刀身をぬぐい、表面の錆や曇りを確認してから鞘に収めた。

「それにしても、その刀ってこちらのものと違うんだね。金属の違いなのかな」

 部屋に入った時に感じた違和感。それは桐ノ院の今までのイメージと違うという怖さとともに、刀が見たことも無いものだということもあったのだ。

「そうなんですか?これは僕の家に代々伝わっているものなので、僕には見慣れているものなのですが」

 そう言って再度抜いてかざして見せた彼の愛刀は、薄い翡翠色の光を放っていた。

 初めてこれを見たとき、悠季は自分に差しつけられた驚きと恐怖で刀の色の違いにまで気がつかなかった。その上、夕方であたりは夕映えのオレンジ色に染められ始めていたのだから。

「こちらの世界では金属の色は、もっと青かったり黒かったりするんだ。銅とかは赤いし、金は黄色いけど、薄い緑色の金属って見たことがないよ」

 改めてこの刀を見ていると、やはり彼が異世界の人間なのだという思いが強くなる。こんな色の金属はこの世界にはあり得ないだろう。

「とりあえず今夜は何もこのまま休みましょう。全てはまた明日ということになります。まだ僕たちは小早川氏の手の内が分かりませんからね。いったい彼は何を隠しているのか、きっと探り出して見せますよ」」

 刀をぱちりと鞘に収め、更に昨日買ったケースの中に収めて部屋の隅に置いた。

「では、僕も風呂に入ってきます。悠季もどうか用心していてください。」

「あーうん、わかった。じゃあ、いっといで」

 悠季は何に用心するのか分からないままに返事をし、元のような穏やかな表情に戻っている桐ノ院を見送った。

 彼が部屋を出てすぐ、扉がノックされた。

「桐ノ院、何か忘れ物でもした・・・・・?」

 だが、扉の外に立っていたのは、さっき布団を敷きに来てくれたお手伝いさんだった。

「旦那さんが何か言い忘れたことがあるから来て欲しいと言ってなさるんで、向こうの部屋まで来て欲しいそうなんですよ」

「大切なこと、ですか?」

「ええ。もう一人の外国の方のことで、なにやら言っておかなきゃいけないことがあるんですって」

「何だろう?分かりました。すぐ行きます」

「あの背の高い外人さんは今お風呂に行ってるんですか?あの方、いったいどこの国の人なのか知らないですけど、ハンサムですよねぇ!どっかの御曹司って感じだし」

 お手伝いさんはいかにも好奇心丸見えといった態度で、悠季にしゃべりかけた。

「ええまあ、あまり知られていない国の出身なんで。それよりこちらのご主人は僕にいったい何の用があるのかなぁ?」

「・・・・・あのね、お客さん、気をつけたほうがいいよ。うちの旦那さんは野心家だし、押しが強い人だから、自分の得になりそうな話なら顔を突っ込むし、手に入れたいと思ったらどんな手を使ってでも手に入れようとするのよ。それでどうしても欲しいものがあれば、絶対に手に入れる人なんだよ。それこそよそ様を蹴落としてでも泣かせてでもやろうとするから。家の名誉だとか格式だとかって言ってえらそうにして見せてても惑わされちゃだめだからね。表っかわは愛想がいいし鷹揚ぶって見せるけどもさ。あんた、人がよさそうだからねぇ」

 うっかり騙されたら泣きを見ることにもなりかねないよ。と、小さな声ではあったが、次々にこの家の主人の悪口がとぴ出してきた。

「・・・・・はあ、そうなんですか」

「あ、でも、今あたしが言ったってことは旦那さんにナイショにしといてよ。ここだけの話、だからね。あの背の高いお連れさんがあんまりいい男なんで、ひどい目に会わせたくないって思っちゃったのよ。もちろんあんたも綺麗な顔してるしさ」

「それは、どうも」

 悠季はついでのように言われた褒め言葉に苦笑した。

 だが、召使がこんな風に客に対して言いつけるとは。小早川氏はどうやら家人にはあまりよく思われていないらしい。

このお手伝いさんは、先ほど悠季たちを部屋に案内した時もらった心づけを恩に着て忠告をしてくれたらしいが、事態がどう転がるのか見て見たいというあまりたちの良くない好奇心も含まれているように思えた。

 悠季は長い廊下を案内され、小早川氏が待っているという奥の私室へと連れて行かれた。

「旦那さん、お客様をお連れしました」

 ドアに向かって告げると、小早川氏がにこやかにドアを開けて悠季を迎え入れた。

「さあ、入ってくれたまえ。よく来てくれたね」

「・・・・・あの、桐ノ院さんに何か問題でもあったのですか?」

 悠季は内心の不安を押し隠して、小早川氏に尋ねた。

「まあ、ちょっと落ち着こうよ。僕がこれから話すことはとても重大なことだと思うからね」

 彼の居室は、和室なのにわざわざ洋風に改造したようで、ドアは洋風の外開きの木製。壁は和風の砂壁でありながら、床にはいかにも高価そうな段通を敷き詰め、天井にはややごてごてとしたシャンデリアまで飾ってあった。

 先ほど通されてもてなしを受けていた客間は古い屋敷らしいすっきりとした重厚なつくりだった。だが、こちらの私室は最初からこういう作りであったわけではなく、この部屋の主である小早川氏の好みで変えたものらしい。どことなくアンバランスでぎこちない。

 更に棚という棚にこの家の自慢の骨董品らしいものがぎっしりと並べられているという、いささか居心地の悪い部屋だった。

 悠季が庶民だからそう思うのかもしれなかったが、いかにも由緒のありそうな伊万里か鍋島の磁器の大皿や繊細な浮き彫りのある凝った西洋アンティークの壷が並んでいたり、その隣には漆器の箱が置いてあったりして、その統一感の無い並べ方は威圧感はあっても洗練されたという感じは与えてくれない。

 もし悠季に見回す余裕があって、お世辞にでも『すばらしいコレクションですね』と言おうものなら、次々と自慢を聞かせられたに違いなかった。

 小早川氏はソファーへと悠季を招き、テーブルに用意してあったグラスを持たせた。

「ここの名物なんだよ。果実酒だから口当たりもいいと思うよ。ぜひ飲んでみて。旨いから」

 そう言って自分のグラスにも注ぎ、口を付けて見せた。

「・・・・・いただきます」

 仕方なく悠季がグラスを口に近づけると、中からふわりと甘い香りがした。何から造られた果実酒なのか、少し甘めでそれに少しの酸味と苦味が加わってとても口当たりのよい酒だった。

「美味しいです」

「それはよかった」

 彼はにこにこと機嫌よくうなずいて、この酒についての薀蓄を聞かせてくれた。悠季は話に相槌をうちながらちびちびと飲みながら彼がここに呼び出したわけを待っていた。だが、なかなか話を切り出そうとはしてくれない。

 そこで悠季はグラスを置くと、きちんと座りなおした。

「小早川さん。僕を呼び出してまで言っておかないといけないこととはいったい何ですか?それも、桐ノ院さんには知られたくないようなタイミングを見計らってまで」

「うん。・・・・・実は申し訳ないが君たちの荷物を改めさせてもらったんだよ。どうにも君の連れの外人の態度が心配だったものでね。で、見てしまったのだが・・・・・。守村君、ゲートボールケースの中に入っていた剣は、少し変わっているが本物の真剣に思えたんだが、・・・・・君は知っているのかな」

 桐ノ院が指摘したように小早川氏は荷物を荒らしていたことをあっさりと認めた。

「はい。確かにあの剣は本物らしいですが、それは彼にも理由があってのことですから」

「理由?」

「それは・・・・・言えませんが」

『彼が異世界に人間で、あの剣を持って自分の目の前に現れたのだ』とは口にすることは出来なかった。悠季自身がまだ信じきれないくらいなのだから。言葉の不思議がなければ、おそらく悠季の前に座る小早川氏と同じように不審に思っていただろう。あるいはヘンなことを言ってからかってくる変人、そう考えて逃げ出していたに違いない。

「彼に何か言われたのかな?まあ、それは後でまた調べることにしよう。それよりも、君は彼から何か聞いていないかい?あの【璧】はどうやって使うものか知りたいんだがね。僕はぜひこの地に隠されているという成瀬家の財宝を見つけたいんだよ」

「見つけて・・・・・どうするおつもりですか?」

「もちろん、この土地の宝だよ?展示館に貸し出して、大々的に飾って全国の人に見てもらうさ!宣伝方法だって考えてあるんだよ。きっと評判になるだろうねぇ!発見した僕や小早川家の名誉にもなるしね。売ったりしたらそれこそ所得税が・・・・・いや、なんでもないが」

「・・・・・ああ、なるほど」

 小早川氏の狙っているのは財宝を見つけて、観光の目玉にすることらしかった。財宝を自分のものにして売買することは可能かもしれないが、それではあとあと所有権やら税金やらで面倒なことになる。彼は財宝をネタにして金を手に入れ、ついでに名誉も手に入れようと考えているらしかった。

 本当に財宝が出てきたら、の話ではあったが。

「だからね。君にも手伝って欲しいんだよ。もし成瀬の財宝が見つかれば、君にも利益となることだよ。胡散臭い外国人と一緒にいるよりも、この地の名士である僕、小早川匡と組む方が君のためにもなると思うよ」

 いつの間にか小早川は悠季に近寄っていて、気がつくとソファーの隣に座り込んで手を握ってきていた。そして更にからだを寄せてくる。

 なんなんだ、この人は!?

 悠季はむっとなって手を取り戻し、座っている位置をずらして彼との距離をとるようにした。だが、小早川にとって悠季の態度は恥らっているようにでも見えたのか、嬉しそうな表情を見せた。

「ねえ守村君。君も財宝に目をつけていることは分かっているんだよ。だからこそあのやたらに尊大な外国人と一緒に行動しているんだろう?だったら、僕に乗り換えて手を組まないか?僕の方がきっと先に見つけるよ。いろいろと発見しているものがあるしね」

 得意そうな表情で、彼は見つかるかどうかも分からない財宝について、ぺらぺらと話し始めた。

「財宝を見つけたらどうするかも考えてあるんだ。スポンサーを見つけてこの地を一大観光地にするんだよ。本物の財宝なら見に来る価値は十分にあるからね!その使用料をふっかけても市は出すはずだ。もし出さないと言ったら、その時は海外のサザビーズでもクリスティーズでも競売に出せば高値がつくと言えばいい。いや、市じゃなくて県に持ちかけてもいいな。そうすればもっと使用料も吊り上げられるかもねぇ」

「あ、あなたは、この土地の宝だと言っていながら、じぶんの利益になることしか考えていないんですか!?」

「そりゃ考えているさ。まず僕の利益にして、それからこの地でも儲けるのさ。そうすれば土地を持っている僕に他からも収入があがってくるからね!」

 悠季はかっとなった。知識人としてこの地の発展を考慮しているのかと思っていたが、彼には自分の財産のことしか考えられないらしい。

「失礼します!そんな利己的な考えを聞かされたら協力など出来ません。ここにはいられませんから出て行きます!」

「どこに行くというのかな。もうどこの宿屋も受け入れてくれない時間だ」

「泊まれないのなら駅に野宿しても構わない。ここよりはましなはずだ!」

 そう言うと、悠季は立ち上がって自分たちにあてがわれた部屋へと戻り、圭を呼んで一緒にこの屋敷を出て行く・・・・・つもりだった。

 しかし、立ち上がろうとしたとたん、足がふらついてじゅうたんの上にぺたりと崩れ落ちた。

「ど、どうしちゃったんだ!?」

「おやおや、ずいぶん効いちゃったんだね」

「・・・・・ぼ、僕に、何をしたんだ!?」

「僕は別にへんなことをしたわけじゃないよ。ただ、この酒が見た目よりも少しばかり強かったというだけさ。君は酒に弱いんだねぇ。もっとも、僕の飲んだものよりもアルコールの度数が高いから無理もないか」

「ぼ、僕に何をするつもりなんだ!?酒で酔わせてもあなたの言うことなんて聞きませんからね!」

「おやおや、うぶなことで。それともまだあの男とは何もなかったのかな?彼は君にご執心みたいだったけど?
・・・・・まあいい。とにかく僕がここに君を呼んだ本当の理由はこれからだ。君の事を気に入ってねぇ」

 そう言いながら、小早川は床に座り込んだ悠季の上にのしかかって来た。

「や、やめろ〜!」

 悠季は声の限りに絶叫した。
【12】