【10】
「ちょうどこの資料館に用事があって来たんですけどね。いやぁ、我が家の歴史に興味がある人に出会えるとは。大変うれしいですよ」
小早川氏はいかにも嬉しそうに言った。
「それで、君に興味があるのはどれだったのかな?」
「はあ。実はあそこにある水晶のことなんですが」
「水晶?」
一瞬男性の目つきが鋭くなったが、悠季は気がつかなかった。
「ええ、ちょっと教えてもらいたいことがあるんですよ」
男性はじろじろと悠季を見ていたが、やがてにっこりと笑うと言った。
「水晶のことなら多少は知っていることもあるから話せると思うけどね。
ああ、そうだ!我が家に来ませんか?いろいろと面白い逸話があるんですがね。あなただけにお話しますよ。きっと楽しんでもらえると思うんだが。どうですか?」
「あの。ご迷惑ではありませんか?」
「なんの。僕はちょうど今日は仕事が休みで暇があるんですよ。君は運がいい。僕は今小早川家のことを本にしようとしているところなんでね。君から何か参考になりそうな意見を聞ければ僕も助かります。ぜひ来てくれませんかね?」
「あの・・・・・」
悠季は困惑してしまい、背後に立ったまま何も言ってこない桐ノ院の方を見た。だが、彼の方はといえば、悠季の言葉も耳に入らない様子でポーカーフェイスを崩し、ひどく驚いた顔のまま硬直していた。
悠季が小早川氏に分からないように脇からつついてみるとさすがに気を取り戻したのか、「失敬しました」とつぶやいた。
「それで、彼はなんと言っているのですか?」
「うん。僕たちを自分の家に招待してくれるって言ってくださっている。でも、断るべきかな?」
「よろしければ申し出を承諾してください。彼の屋敷に行って調べたいことがありますので」
「わかった」
悠季はうなずくと小早川氏の方にきちんと向き直った。
「彼もあなたの家のことに興味があるそうなんです。一緒に行ってもかまいませんか?」
「おや、そちらの方は外国人なんですか。ほう?外国の方が僕の家の歴史に興味があるとはねぇ。・・・・・よろしいですよ。どうぞご一緒にいらしてください」
小早川氏は一瞬眉をしかめたが、すぐに消して愛想よく招待してくれた。
「ありがとうございます。それではお招きにあずかります」
「では、僕の車に乗ってください。どうぞこちらですよ」
そう言うと、小早川匡氏はちらりと桐ノ院の方を向いて、わずかに残念そうな表情を見せた。
二人が案内されたのはいかにも旧家といった構えの家で、昔 駕籠を乗りつけるための式台や城からの使者が服をあらためるための控えまであるといった、格式のある武家屋敷のつくりになっていた。
「ここも江戸時代の大変貴重な資料として公開してくれないかという依頼が来てるんですがね。しかし、ここは明治の大政奉還で城を明け渡したあと、先祖が移り住んだ屋敷ですから、愛着があるので荒らされたくないんですよ。近頃の観光客はマナーが悪いからねぇ」
二人は家族用の玄関から通され、中へと進んだ。
奥の客座敷に通され、いつのまにか用意させたのか酒や酒肴が用意してあり、この地の特産だという鹿肉そのほか様々なごちそうが並べられていた。
「今日は家人が出かけて留守なのでたいしたおもてなしは出来ないが、よかったらどんどん食べてくださいよ。あなたは酒は飲めるんでしょう?」
「いえ、どうぞお構いなく。かえってこちらが申し訳ないことをしました」
悠季は身を縮めてすまながったが、彼は鷹揚に笑っていた。
「いやいや。さ、どうぞ」
悠季があわてて断ろうとするのを押しとどめて酒を勧め、何回か銚子が回されたところでおもむろに小早川氏が形を改めてきた。
「さて、あなたが興味を持っていると言うのは、我が家のどんなことなんでしょうか?」
そう言うと、きらりと目を光らせて悠季の顔を覗き込んできた。
「あ、あの・・・・・!」
悠季があせりながらも事情の説明をしようとしたとき、桐ノ院が止めに入った。
「守村さん、申し訳ないが彼に説明を求められているのなら、僕の言うとおりに言ってもらえませんか?」
「・・・・・いいけど?」
けげんそうな顔をしてみせたが、不可解な圭の頼みを聞き入れてくれた。が、桐ノ院の方は悠季の理由を聞きたそうな顔を見ても答える余裕はなく、頭の中に渦巻く疑問でいっぱいになっていた。
「あなたは【璧】の名をご存知ですか?・・・・・そう聞いてもらえませんか?」
「そんなことを聞いてもいいのかい?」
「ええ、お願いします」
悠季が小早川氏に尋ねてみると、彼はひどく驚いた顔をしてみせた。
「それは・・・・・!確かに僕の家に伝わっているものだけど。あれをその名前で呼ぶのは小早川家の中だけなんだ。外の人たちは皆【水晶】だとばかり思っているからね。しかし、どうしてその名前を知っているのかな?」
「・・・・・あの璧と一緒に置かれていた物があるはずだが、お持ちですか?と、彼が言っています」
「どうして君はそれを知っているんだ!?ああいや、あの資料館の資料の中に書いてあったのかな。いずれにせよ、あれは我が家の大切な宝物でね。むやみな人間には見せないことになっているんだ」
桐ノ院の言葉を通訳されて、小早川氏は疑い深い顔で彼を窺っていた。
「出来ればみせていただけないか、そう言っています。もし、彼が探していたものと同じならばきちんと詳しい説明をするそうです」
「ほう?・・・・・そうか。それでは、少し待っていてくれたまえ。今持ってこよう」
奥へと取って返した彼は、しばらくして大切そうに桐の箱を持ってきた。
「これが我が家に伝わるもう一つの宝だよ」
中から彼が大切そうに取り出したのは、展示館に飾られてある璧よりも一回り大きな宝玉だった。色は淡い緑色で、圭が持っている璧とは色が違っていたが、その輝き方や透明感は確かに共通するものがあった。
「お望みどおり、我が家に伝わる宝物は見せたよ。さあ、話を聞こうじゃないか」
睨み付けながら言った。すると、桐ノ院は黙ったままふところから袋を取り出して開くとテーブルの上に璧を置いてみせた。
「これは・・・・・!」
小早川氏は呆然と彼の璧を見詰めていた。彼にもこの宝玉が自分の家に伝わってきたものと同種のものだと分かったのだろう。
「どうして彼がこれを持っているのかな」
「これは彼の家に伝わっているものだそうです」
悠季は桐ノ院の言葉を伝えた。
「確かにこれだけ大きな璧ならば大事なものでしょうが、これだけでは実際には何の役にもたたない。本当に必要なのはもっと違うもので、璧はその力を指し示すための媒体に過ぎない・・・・・のだそうです」
「ほう?」
小早川氏は、桐ノ院が言った物を持っているとも持っていないとも答えず、ただ黙って圭の璧を見つめていた。
「彼の話では、この璧ともう一つの宝を持っている者は、計り知れない権力を手に入れることが出来ると・・・・・。
えっ?!」
悠季は思わず桐ノ院の顔を見直した。昨日の話の中にはそんなことは言っていなかったはずなのに。
「あとで話します。とりあえず僕の言うとおりに言ってみてください」
桐ノ院はポーカーフェイスを保ち、小早川氏の顔から目を離さずに悠季に向かってささやいた。
「・・・・・分かった」
「この璧と対になるものが必ずこの地のどこか、それもごく近くにあるはずです。もし小早川家の中で保管してあるのなら、ぜひ宝を見せてもらえませんか?と聞いて見てください」
悠季は彼の言葉をそのまま小早川氏に伝えた。
「・・・・・彼は知らないと言っているみたいだけど?」
「では、あれが持っている力を知らないので、外見だけを見て廃棄してしまったのかもしれませんね。
・・・・・そう。それでは、彼にあれを失ってしまったのなら、すばらしい力を得ることは出来なくなるのだと伝えてください。とても残念なことだと」
悠季が彼の言葉を通訳すると、小早川氏は動揺をあらわにした。
「き、君にあれを見せれば成瀬の隠し財宝がどこにあるか分かるというのか!?」
そう叫ぶと、二人に詰め寄ってきたのだった。