「すみません。つい、珍しい歌が聞こえてきたので覗きこんでしまいました。お邪魔はしません。すぐに帰ります」
「へえ、ニッポン語がしゃべれるの?」
最初に声を掛けてきた少年とは違う声。もう少し年長のはきはきとした口調の声だった。
「ねえ、少しぼくらと話していかない?」
パタパタと歩いてくる気配がして、僕は生垣の隙間から中へと引っ張り込まれた。僕の手を掴んで引き込んだのは、僕より少し背が低いが、健康そうな小麦色に日焼けしていて、大人びた雰囲気を持つ少年だった。彼は自分たちが座っていたベランダの張り出しの陰に一緒に座らせて、好奇心いっぱいに聞いてきた
「大きいねえ!年はいくつ?近くに住んでるの?名前は?」
「まあくん。そんなに一度に聞いちゃ、答えられないと思うよ」
最初に声をかけてきた声の主は、色白で少女のように大きな茶色の瞳と赤い唇がとても印象的な持ち主だった。しかし少年らしくTシャツと半ズボンをはいていて、膝小僧に小さな擦り傷。華奢な体つきながらとても綺麗な子だった。そして微笑を含んだ穏やかで優しい声音が僕の耳に心地よかった。
「ああ、ごめんごめん。ぼくはまさゆき、っていうんだ。この子はゆうき。」
「圭、といいます。初めまして」
「ニッポン人、なんだよね。ニッポン語をしゃべっているもの」
「たぶん祖先はそうなのだと思います。僕はニッボン籍の船に乗っていますので、ニッポン語がしゃべれますが」
「圭くんはいくつ?」
「僕は八歳です」
「八歳だってぇ?!」
年長らしい方の子、まさゆき君が大声を上げた」
「ぼくよりずっと年上なんだと思ってた!丁寧なしゃべり方をするし・・・・・面白いよね」
それは船で初めて会う人にもよく言われる事だった。デスマス調のしゃべり方をとがめられて、小さいくせに生意気だとか大人ぶっているとか。世辞であれば、さすがに桐ノ院家の跡取りだとか、あるいは無理して大人に合わせた話し方をしなくてもいいのだとか気の毒そうに言ったりする。しかし小さい頃からこのしゃべり方が身に付いている僕が、他にどんな話し方をすればいいというのか。
「まあくん」
「ああ、ごめんごめん。ぼくはいつも一言多い。別にしゃべり方が悪いって言っているんじゃないんだよ。それが君らしさなんだしね」
「いいえ、気にしていませんから。そうすると、まさゆき君は何歳なのですか?」
「ぼくは十歳なんだ。ゆうきはこの間九歳になったばかり。ね、ゆうき」
まさゆき君がそう言ってゆうきの方を向くと、彼ははにかみながら、まさゆき君の影に隠れるようにして言った。
「うん、でもね、それはまさひろくんがつけてくれたぼくの誕生日なんだよ」
ふんわりと彼が笑う。
「本当の誕生日が分からない、のですか?」
「うん、ぼくは両親の事を覚えていないんだ。気がついたらここに住んでいたから・・・・・」
彼はあっさりとそう言うと、またにっこりして続けた。
「だから、まさゆきくんがぼくの誕生日を決めてくれたんだ。四月八日。聖誕祭と同じなんだよ。ぼくとまさゆきくんが出会った日なんだ」
「ここに住んでいるのはみんな親がいない子達ばかりなんだよ」
まさゆき君が続けて言った。
「孤児院・・・・・ということですか?」
「うーん、そうなるんだと思うけど。でも、この星生まれの子供は一人もいないんだ。難民の孤児院ってことなのかな?でも、大人たちは聞いても答えてくれないんだよ」
それより、と彼は話を変えた。
「圭くん、だったよね。何か他にニッポンの歌を知ってる?」
「どうか、僕も圭と呼び捨てにしてくれませんか?圭くんと年上の子に呼ばれるのはなんだか変です。ゆうき君も僕より年上なのでしょう?」
「えー。でもぼくが本当に君より年上かどうか判らないよ?」
「それでは僕もゆうきと呼びますから。ゆうきは僕を圭と呼んでくれませんか?」
この優しい声に、他人行儀ではない、親しげな呼び方をしてもらいたくなったのだ。
「・・・・・いいけど。じゃあ圭、何か知ってる歌を歌ってくれる?」
「はい」
僕はニッポンの昔の歌を歌い、知っている曲にはまさゆき君もゆうきも声を合わせて歌った。他愛ない事なのに、なぜかむしょうに楽しかった。
歌い疲れて三人とも黙り込んでいたが、そのうちにまさゆき君がしゃべりだした。
「圭はどこから来たの?船に乗っているって言ってたよね。この辺では、ここに住んでるぼくたち以外の子供を見るのは、圭が初めてなんだ。ぼくたち外にあまり出ないから・・・・・」
「僕は外宇宙から来ました。ここへは父の用事で来ていて、僕は今・・・・・実を言うと迷子です」
「迷子!」
二人の声が見事にそろった。
「とはいっても、どうやったら船に帰れるか、帰り方は知っていますけどね。いざとなったらオートタクシーを呼んでもいいですし。ただもう少しこの星の事を知りたかったし、今ここにこうしていっしょにいるのはとても楽しいかったです。船には夕方までに帰ればいい事になっているのだから、僕はちょっと・・・・・道草がしたかったんです」
にっこりと笑って、彼らに僕の発言が冗談だと分からせた。
「ふうん。圭ってもしかして、金持ちの子供なのかな?」
まさゆき君が、呆れたように言った。
「・・・・・どうしてですか?」
「なんだか初めて道草できたことを得意がって嬉しそうにしているからさ。普通の子だったら、そんなことを威張って言わないからね」
「そう・・・・・なんですか?」
「もしかして、圭はいますぐお家に帰りたくないことがあったんじゃない?」
ゆうきが、小さい声で聞いてきた。思いもしてなかったことを言われて、僕は口ごもってしまった。
「そんなことはありません!」
「そう?でも君、帰りたくないって泣いているように感じるよ?」
僕はその言葉にぐっと詰まってしまった。僕は今の今までまったく気がつかなかった、いや気がつきたくなかったのかもしれないその言葉は、先ほど知った事実――産んでくれた母はもうすでに亡くなっていたことや、燦子母上の僕への愛情が義務感なのだと言ったこと――が僕を手ひどく傷つけていて、心の奥底では小さい子供のように泣きたかった事にようやく気がついたのだ。
そうか、それで僕は船に帰りたくなくて、いつもだったら考えたこともないような無鉄砲な『道草』をしようとする気になっていたのか・・・・・。
僕は彼に『そんなことはない、君の気のせいだ』と見栄を張って笑って答えようとしたのだが、唇からは声が出ず、笑おうとした顔はぶざまに歪んでしまった。
「はい、これあげる」
ゆうきが僕に手渡してくれたのは、小さな白い飴だった。優しい彼が差し出してくれた小さななぐさめ。
「美味しいよ。圭にあげる」
「・・・・・ありがとうございます」
僕は素直に渡された飴を包むフィルムを剥がし、口に入れた。飴は濃厚な乳の味わいで、素朴でやさしい甘さを持っていた。
「・・・・・美味しいです」
「そう、よかった!」
ゆうきはにっこりと笑って僕を見つめていたが、そのうちふいには僕のからだを抱きしめてきた。温かくて小さい手のひらは僕の背中をぎゅっと抱きしめてから、ぽんぽんとやさしく叩いてくれる。そんな風に無防備に抱きしめられた記憶のなかった僕は、驚いて固まってしまった。
悠季の子供らしく熱いからだは、お日様と花のようないい匂いがしていた。ぽんぽんぽん・・・・・と鼓動よりややゆっくり目のそのリズムは、僕の中に凝っていた冷たくて固いものを少しずつ少しずつ緩やかに溶かしていくような気がして・・・・・気がつくと僕はゆうきのからだに手を回し、ぽろぽろと涙を流していた。
僕の心を凍らせていたものが溶け出し、ゆうきのいい匂いとあたたかな抱擁は、かわりに何か違うものを僕の心にそそぎ込み満たしていくように感じられた。
しばらくそうやって黙って泣いていた僕は、気まずい思いに駆られながら、おずおずとゆうきのからだから手を離し、ポケットからハンカチを取り出して涙を拭いた。
きっとからかってくると思っていたまさゆき君は、男同士として僕の泣いている姿を見ないように他所を向いていて、知らぬ振りをして泣き止むのを待っていてくれていたらしい。
「ゆうきは、圭をいつかの動物たちと同じように扱っているよね」
まさゆき君がにこっと笑いながら、僕に説明してくれた。ゆうきはいつも近くに傷ついた動物がいるとすぐに分かってしまい、怪我をした鳩や病気の子犬をこっそり物置に隠して手当てをしてやったことがあったのだとか・・・・・。
「ゆうきはね。動物がイタイ、クルシイって泣いているのが感じられるんだって。」
どうやら僕は鳩や子犬と同等に扱われたらしい。
「でも、ゆうきが『ぽんぽん』してくれるのは気持ちいいからね・・・・・」
まさゆき君がぽつんと言った。どうやら彼も同じことをしてもらったことがあるようだった。
僕はいったい何があったのか、彼らに言わなかった。しかし彼らも僕に聞いてこなかった。それは僕にとって一番ありがたい思いやりだった。
僕たちは空が様々な色に染め替えられていくのを見つめていた。船の中で見ていたホログラムもこのような色の変化を見せていたが、それに伴う視覚以外の感覚まで変化していくことは、プログラムされていなかった事を僕は知った。
肌に当たる空気が、少しずつ湿り気を帯びていき温度が下がっていく。空気の中に色々な匂いが混じっていって不思議な気分を味わわせてくれる。それは僕が今までかいだことのない匂いが多かったのだが。
湿って発酵しているような草や枯葉の匂い、家々での夕食の支度、仕事納めの人たちが仕上げに使っている機械の臭いや人々の出す汗の臭い、埃っぽい土の臭い・・・・・。
それらが混沌と交じり合って、人の心をせつなくする。僕がまさひろ君とゆうきといっしょに並んで座って、ぽつりぽつりと他愛ないことをしゃべりながら眺めていた空は、初めて見る惑星上での夕方の情景のはずなのに、いつかどこかで見たような既視感を持っていて、不思議に身になじんでいた。
『オールド・ホーム・テラ』(地球)にしか人類がいなかった頃も、こうして人は誰かと夕暮れの景色を眺めて思いにふけっていたりしたのだろうか。
「あ、一番星だ」
ぽつんとまさゆき君が言った。
「本当だ。綺麗だね」
ゆうきの声に振り仰ぐと、西の空に青白く輝く一つの星。橙色から紫、紫紺、藍色と変化していった空に浮かんだその星は、暗くなっていく空を背景にして、輝きを増していく。とても綺麗で、人の心に懐かしさを感じさせる星だった。
「そろそろ帰らないと」
僕が切り出すと、二人は切なそうな顔をした。
「うん、そうだね。圭は帰らないとね」
ゆうきも黙ってうなずいた。
「明日また来ます!」
「無理に来なくてもいいからね」
「いえ!ゆうきにいただいた飴を持ってまた来ます」
「あー、あの飴」
2人が顔を見合わせた。
「あれ、売ってないんだよ」
まさゆき君が困ったように言った。
「あれは聖誕祭にしか売っていない飴なんだ。お祭りの名物なんだよ。今度売り出すのは来年の四月、だね」
「そうなんですか。しかし探せばどこかにあるでしょう?」
「そうかな。あったら嬉しいね。2人ともあの飴大好きなのに、どこにも売っていないから。大事に食べていたんだけど、もうなくなっちゃった」
「・・・・・もしかして、ゆうきは最後の一つを僕に下さったのですか?」
すると、ゆうきは照れたように笑って言った。
「圭にも気に入ってもらえてよかった」
ぼくたちは、また買えるからね。と、ゆうきは続けた。
「さあ、もう帰った方がいいよ。圭。すぐに暗くなってくるから」
「きっとまた来ますから!」
僕は名残惜しい気分を引きずりながら、生垣を抜けて道に出た。二人が生垣の向こうから手を振ってくれるのを見てから、大通りへ歩き出し、オートタクシーを捕まえて搭載艇の待つ発着場へ向かった。
時間はちょうど刻限の15分前。ハツは発着場のすぐ手前でおろおろしながら僕を待っていた。やはり本船には知らせておらず、僕がここに来る事を期待していたらしい。ハツにくどくどと小言を言われながら搭載艇に乗り込み、僕らは無事に【暁皇】に戻ることが出来た。
ハツは僕の行動にひどく腹を立てているらしく、本船に戻ってもまだ僕に小言を言い続けていた。
「きっとご両親に今日あったことをお知らせいたします!ええ、きっと叱っていただきますから」
「ハツ、心配をかけて悪かったと思っています。でもナビが故障してしまったのは仕方なかったことですし、きっとすぐにハツが見つけ出してくれると思ったのですよ。
僕のことはこの船からも探し出すことが出来るのですからね。でもしばらくあの場所で待っていてもハツが現れないので、自力で船に帰ろうと思ったんです。
それにハツは僕が自分で搭載艇に戻る事が出来ると信じてくれたから、待っていてくれたのでしょう?」
ハツは黙ってしまった。確かに【暁皇】に連絡さえすれば、僕の体内にある発信チップの場所を調べて僕を探し出せる。しかしそれは本当の緊急事態で、そんな重大なことを引き起こしかけた側付きの人間がお咎めなしになるはずはなかった。
「まあ、坊ちゃまは賢いお子ですから発着場へ戻る道はご存知だろうと思っていましたし、きっとご無事だとも思っておりましたよ。護身用の武器もお持ちですし、この星は治安もよろしいですから。確かに今回は何事もなかったのですから、ご両親にご報告するのは無用な心配をお掛けするだけのことですし、止めておきますが・・・・・」
きっと睨んで続けた。
「今夜は早くお休みなさいまし。またお熱を出されたら大変ですからね」
「はい、心配をかけてごめんなさい」
ハツの小心さと事なかれ主義に感謝しながら、僕は自分の部屋へと戻った。今日の様々な出来事を思い出しながら、夕食の為にシャワーを浴び始めた。そうしながらも、今日会ったまさゆき君の人懐っこさやゆうきのやさしいほほえみを思い出す。それにゆうきの声や彼が僕を抱いてくれた時の温かな手と心地よい体臭を。絶対にまた会いたいと思っている自分にちょっと驚いた。
あの飴はここの名物というのなら宇宙港の免税店にはきっと置いてあるだろう。伊沢に頼めばきっと手に入れてくれる。それを持って明日また会いに行こうと決めていた。
だが僕はあの屋敷に出かける事が出来なかった。もうすっかり良くなっていたと思っていた僕の持病のぜんそくがその晩に出てしまったのだ。さほど呼吸はつらくなかったが、熱が上がった為に外出どころかベッドから出る事さえ許されなかったのだ。
僕はじれて不機嫌になっていたが、ベッドの中にいてはどうすることも出来なかった。
「圭様。あせっていても病気は治りませんよ」
伊沢が僕をたしなめたが、僕はベッドサイドに置いてある、土産物として売っていたのを買ってきてもらった、あの飴の箱を眺めながら、早くしなければこの星を出発してしまう事実に歯噛みしていた。
「伊沢。僕はどうしても行かなければならないところがあるんです」
伊沢は僕の顔をじっと見つめてきた。まるで何があったか全て分かっているかのようにうなずいてから、こう言った。
「分かりました、圭様。それでは出発の日までにお熱が下がりましたら、私が必ずお供をしてお連れ致しますから」
「本当ですか?!」
「はい、私は嘘は申しませんよ」
僕は初の外出で熱を出した以上、もう外出許可は出ないだろうと思っていた。もし出なければ、抜け出しても出かけるつもりだったのだが。どうやら伊沢にはそのあたりもお見通しだったらしい。
今日【暁皇】がこの星を出発するという日に、僕は伊沢に連れられてもう一度那由他に降り立った。急いでオートタクシーに乗り目的の場所へと向かった。手にはあの飴をたずさえて。
しかし、生垣を潜り抜け、この前の場所に行ったがゆうきもまさゆき君も出て来なかった。屋敷はこの前とは違ってどこかよそよそしく感じられ、以前には遠くから聞こえてきた他の子供たちの声も聞こえない。来た時間がこの前と違うからだろうか。
僕は出発までの許された時間ぎりぎりまで待っていたが二人は現れず、仕方なくこの前僕が座っていた場所に飴をそっと置いて帰ることにした。二人に会う事が出来なかったのは残念だったが、次にここに来た時にはまた必ずここに立ち寄ろうと思っていた。二人は僕にとって初めて出来た友達だったのだから。
しかし、僕はその後二人に会う事は出来なかった。約一年後にまた【暁皇】が那由他に停泊する事があったのだが、そのときにはあの屋敷は閉じられており、中に入れなくなっていたのだ。
その事実は、僕の心に小さなとげを残して、事あるごとにチクチクと心に触れてきて痛んだ。いったい何が二人に起こったのだろう?
僕は必ず二人を――特にゆうきを探し出す事を――心に誓った。
そう。これは僕の初恋だったのだ。
そうしてあれから十数年たち、大人になり【暁皇】の船長となった僕が、惑星に降り立ったとき、夕焼けに彩られていく空の中から一番星を見つけるたびに、口にあの飴の甘さと、やさしいゆうきの顔が思い浮かんでくる。今の君は少しでもまだ僕のことを覚えていてくれるだろうか。
僕はいつか必ず君を探し出してみせます。ええ、きっと・・・・・!
ミルキー悠季の話です。(笑)
でも、圭がこのままで終るはずもなく。(爆)
ということで、ついでに作ったお遊びの話へと続きます。
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