惑星「ヴェスタラン」

ヴェスタランは暑い惑星で、僕はここで寒さを経験したことはなかった。
 特に集積所近辺は、うだるような暑さと湿気を含む風とがあるばかりだ。
 だが、圭と僕が両腕を後の柱に縛りつけられて坐っている石の床は、まるで、新しく掘った墓穴のように冷たくじめじめとしている。
 圭の体温が触れあっているところからわずかに伝わってくるが、間の柱が邪魔をして暖めあうこともできない。


 ともかく、目隠しだけははずされていたが、すでに夜で、墨を流したような闇に覆われれている。
 その闇を鋭く引き裂いて屋根の大きな隙間から月光が差し込んでいた。
 めがねを失った僕は明暗以外はほとんど何も見えない。
 古いためか石造りらしい部屋はカビくさい。
 今のフアランは海岸に簡素な小屋を建てて住むのが普通だ。この場所は遺跡のような場所なのだろう。


 どこか近くでなにかが始まっているのだろうか。
 酔った騒々しい声や、何かを打ち鳴らす音や、耳障りな音楽などが、このにわか作りの牢に流れ込んでくる。
 石壁に響いてウァーンとうなるような音になっている。


 背後で圭が戒めを解こうともがいているらしく、かれのこぶしが時々腰に当っているが、きつく縛られたそれは緩む気配さえない。
 長いあいだ努力したが圭はとうとう、戒めを解くのをあきらめるといった。
「きみを連れてくるのではありませんでした。すみません、悠季」
「すぐに、飯田さんが航宙船の探査装置で見つけてくれるよ」
「そうだといいのですが。ここは生命反応が多いですから、時間はかかるかもしれません」
「きっと見つけてくれるさ」
「しかし、救出は難しいでしょう。ここは不干渉惑星です。どんな理由があろうと武力行使や示威行為は許されていません」
「ここから、直接転送してもらうのは?」
「目撃される可能性がある場所では”示威行為”になります。規則どおりにやろうとするなら何かと交換するしかありません」
「状況はきびしいようだけれど、きっとなんとかなるさ」
 きみが一緒なんだから、なにも怖くないよ、と心の中でつけたした。

 明るい月が沈もうとしているのか、今は天井の裂け目から降る光も薄らいで、小屋の中は一段と暗くなっていた。
 騒音が一際大きくなったかと思うとまた、元のウァーンと響く音の中に呑みこまれていった。
 歓喜の声だけではない、苦痛の叫びも混じっているような騒音だった。
「外の騒ぎはなんでしょう?」
「儀式だと思う。フアランが酔って騒ぐのは、宗教上の儀式の時だけだってきいた」
 いやな想像ががかけめぐってしまう。
 圭も同様らしい。
「悠季…儀式ではどんなことをするか、具体的に知っていますか?」
「公式のレポートにあることしか知らない…」
「そうですか。それなら、僕も読みました」


 外から砂利を踏みしだく足音がして、入り口から松明がぬっと差し込まれた。ついで、フアランたちが入ってきた。全部で六人かな。
 見えない目を眇めても、それ以上はわからなかった。
 

 ひとりが側まで寄ってきた。背が低く太った女のようだ。
 女は僕の制服の袖をさわり、生地を調べ、次に何か装飾品や身につけているのもがないか調べようと体を屈めた。
 僕は息もできないほど緊張した。
 フアランの吐く息はまるで死体に腐敗処置でも施せるのではないかと思われるほどすさまじく、その上、かれらがおもしろそうにとりかわしてる会話は危険な響きが感じられたからだ。
「悠季!大丈夫ですか?」
「大丈夫、なにもされてないから」
 女は胸の記章をむしり取ろうとしたがはがれないので、興味をなくしたようだった。

 次に圭の側にまわった女は妙にいかがわしく圭の体に這わせ、ついで何かのそぶりをしてみせた。
 見ていたフアランがヒステリックに笑いこける。その声はまるでひどいしゃっくりのように聞こえた。
 圭は黙って、坐ったまま怒りを抑えていたようだったが、女が二度目に手をのばしたとき、いきなり、片足で相手を蹴り上げ、女はきれいにひっくりかえった。


 仕返しに圭は殴りつけられた。フアランが外に出ていってしまうと、僕はできるだけ、柱の反対側に身をずらし、ねじるようにして圭のほうを見た。
「圭…仰向いて頭を後に。出血が少なくなるから…大丈夫かい?」
「大丈夫です。そんなにひどくやられたわけではありませんから、心配無用です」
「…無茶だよ、縛られてるのに…」
「すみません。女などに触られるのはがまんできませんでした」
 圭は鼻をすすった。まだ血は流れているがすぐにとまりそうだ。

「フアランが暴力的だというのは聞いたことがないんだ。儀式に関しては違うけど」
「儀式の前には暴力は振るわないはずだということですか?」
「ダムバウィッキーは儀式自体が変わってしまったとはいってたけど。フアランはおとなしくて親切な種族だっていってた」
 圭は頭を振った。
「何が儀式をかえたのでしょう」
「さあ?風の吹く方向でも悪かったのかもね…」


 会話はそこで途切れてしまった。足音がして、フアランたちが戻ってきたからだ。
 圭が蹴った女はいないみたいだ。男たちは僕たちふたりの喉元に武器を突きつけた。刃は金を打ち出したものらしい。金製の武器では一度で刃こぼれしてしまう。儀式用なのだろうか。しかし、鋭さは十分だった。
 フアランたちは圭の戒めを解いた。圭は抵抗せず、引き起こされるままになっている。
 フアランは新しい蔓をつかって、圭を後手に縛り上げた。
 ゆらゆらとゆらめく松明の光の中、注意深く圭をみつめ、内心ほっとした。怪我は表面的なものだけらしい。今のところは、だけど。
「悠季、機会があったらすぐ逃げなさい。いいですね―――」
 棍棒の一撃を受けて言葉はそこで途切れた。
「圭!けいーーっ!」
 一瞬意識を失った圭はがくりと膝をついた。フアランたちは圭の体を引きずるように外に出てゆく。
 僕に武器を突きつけていたフアランはそれを見てから僕の喉元から刃をのけ、ククッと楽しげに笑うと酔った足取りで仲間のあとを追った。
 フアランたちに引きずられて、遠ざかる圭の足音が聞こえる。
 ―――僕にはなにもできない。
 ふと、口の中の違和感に気づいた。金気の味がする。唇を噛み切ってしまったらしかった。


 外では、騒ぎがつづいていた。いつまでも、圭は戻ってこない。
 まさか、もう…。
 あわてて、首を振ってそんな考えを打ち消す。


 そんなこと、あるものか。
 ひどくねじ曲がっていた手足、苦悶の表情のままの顔。検死した集積所の遺体の姿が浮かんで消えない。
 圭、圭、どうか無事でいてくれ―――