惑星「ヴェスタラン」
ヴェスタランのさんさんと降る日差しと湿気を含んだ空気は植物には最適で、地表の十二分の一しかない陸地はどこも緑が生い茂っている。
集積所を出てすぐのそこは少し開けていて木々の間に海が見えた。
大洋を渡ってきた風は潮気を含んでいたが、エアコンの壊れた風通しの悪いオフィスから比べれば格段にましだ。
圭は空高くそびえるガヴの木の木陰で立ち止まると汗をぬぐった。
「きみはゲーレス所長にきつく当たりすぎじゃないのかい?」
「本音を聞きだすには手っ取り早いですからね。ところで、きみは、ミスター・ゲーレスを知っているのですか?」
ポーカーフェイスの下で機嫌が悪くなる。なにか、変なこと疑ってるだろ?
「知らないよ。でも、この星では物事がどんなに複雑になるか、ある程度、知っているからね。フアランが相手だと交易の取り決めもひどく込み入ってしまうのも、フアランの行動の辻褄が会わないことも度々なのも知っているし…」
「ところできみはダムバウィッキーと親しいのですか? <フジミ>で知り合ったのですか?」
「以前、ここにいたことがあるんだよ。そのとき、かれは研究所所属の社会学者だったんだ。かれのやり方は一見異常にみえるけど、フアランをほんとに理解しているし、うまくやっていけると思う」
「ダムバウィッキー少佐の経歴は立派なものです」
と圭は同意した。でも、それは、次の質問のための前置きに過ぎなかった。
「きみがいつごろヴェスタランにいたのか聞いてもいいですか?」
「病院を辞めた後、神経化学薬品の研究員として働いていたんだ。……少しの間だったけど」
僕は結局、この星に馴染めなかった。
「もう船に戻っていいかい?」
「すみませんが、ランデヴー地点まで一緒に来てください。フアランを知っているなら意見を聞きたいです」
「ランデヴー地点はどこだい?」
内心ため息をつきながら、そんなそぶりを見せないよう圭の傍らを歩いた。
「この道を下りきったところに入り江があります。そこに動力付きの筏で本島から戻ってくる予定です」
フアランに目の前では転送はできない。不干渉文明に対する『示威行為』とみなされるからだ。不干渉文明に対する『示威行為』は重大な罪に問われる。
また、通信機もフアランが「物を話す箱には悪霊が憑いている」と信じ込み忌み嫌っているせいで使えない。
おかげで、報告ひとつ受け取るにも顔をあわせなければならないんだ。
二人の進む”道”はまるで障害物競争のコースだった。かみそりの刃のような鋭い突起を持つ岩や、山羊でなければ駆け降りれないような崖が続いている。もっとも、ヴェスタランの重力は地球の六分の一、地球の月ほどなので、二人はほとんどの障害物を飛び越えながらすすんでいった。それでも、急角度のコースは危険なしろもので、圭のエスコートがなければ、かすり傷ぐらい負っていたかもしれない。
暑いヴェスタランでの運動は体温をさらに上げさせ、僕はくたくたになった。
あまり、いい気分といえない僕はフアランの迷信深さに悪態をついてしまいそうだった。
崖状になったふもと部分に黒い砂礫の海岸が広がっていて、波打ち際には高床式の小屋が何軒か、修理もされず打ち捨てられていた。
待ち合わせに遅れ気味なのに、人影ははなく、ガウの木が風にそよいで、波が浜辺に打ち寄せられているだけだった。
動力付きの筏の音も聞こえてこない。
「遅い」
と圭がうなった。
「やはり無理やりでも通信機を持たせるべきでした」
「その先をまわったところにいるかも」
木々に隠された向こう側からはりだしている、入り江の片方の腕を指さしながら僕がいった。
「調べましょう」
圭が先にたって波打ち際の砂を踏んで進み、一軒の小屋の支柱の間をくぐった。
葦の茎を折ったような、ほんのかすかな物音とともに、黒い斑点と黄褐色の刺青が派手な姿が次々と腐った床の隙間から飛び降りてきて圭と僕を取り囲み、人垣を作った。
僕は一瞬当惑したように周りを見回し、何か話しかけようと口を開きかけた。
だが、その声は出せずに終わった。フアランが射た吹き矢が刺ったからだ。急いで、矢を抜いた。
「悠季っ!」
圭が僕を庇いながら、人垣の薄いところをめざす。
「大丈夫!」
そういいながら捕まえようとするやつらの手を振り払い、圭の負担になるまいと努力する。
しかし、暴れて、吹き矢の毒がまわったのか、手足から力が抜ける。
麻痺した体はがくっとくず折れてしまった。
圭の声と争う気配。
僕はあらん限りの力で叫び、荒れ狂いたかった。だが、喉も手足もまるで別々に意志を持ってしまったかのようだった。いや、意志をまったくなくしてしまったというべきなんだろう。
僕は意識は失わなかったがぬれた砂の上にうつ伏せに倒れた。
しばらくすると争う気配は治まってしまった。たぶん圭も吹き矢の毒にやられたんだろう……。
めがねを失った目に小さな何かがちょこちょこと動いて砂の中に紛れ込むのがうつった。
何時間も過ぎたような感覚があって、やがて遠くの出来事のように僕は自分が縛られているのを感じた。
ついで、かび臭い布袋を頭からかぶせられ視界を失った。
次に誰かにかつがれて移動し、堅い床にドサッと落とされた。床がゆらゆらと揺れている。多分、船なのだろう。
神経が麻痺しているので、苦痛は感じない。
まわりからフアランたちの鼻にかかった低い声が聞こえてくる。特徴のある香りに気づいた。フアランたちは酔っているのだ。
かたわらに、誰かの気配を感じる。圭だろうか。―――無事だろうか、苦しげな息遣いが気にかかる。
船が入り江から出て潮の流れに乗ると船は一段と激しく揺れた。
フアランたちは祈りのような単調な歌をはっきりしないリズムで歌い始めている。
僕は先刻盛られた成分不明の毒のせいで、ほとんどの感覚が麻痺していた。
このまま、どこにつれてゆかれるのだろう……。
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