感想文&妄想文

今回の新刊外伝「檻の中」の感想文書く前にままず思った事。

「ああ、まだ富士見の続きが読める〜♪」(笑)

本当にこれが最後の巻ではなくてよかったです。楽しみはまだ続くのですね。嬉しいです。


さて、今回の新刊は3編から出来ていて、まず最初の「むずかしい弟子」

福山先生の視点が描かれた悠季の大学時代の話です。

これまで悠季からの思い出では福山先生のイメージといったら、『怖い』『ガミガミと怒られる』といったマイナスイメージばかりでした。

先生がただ出来ないから叱っているだけではなくて、弟子の事を大切に思っていたからこそガミガミと叱咤激励していたのだということに悠季が気づいたのは、日コン挑戦することになって改めて福山先生のレッスンを再開してからでした。

それでも本当の意味での信頼を感じるようになってきたのは更にその先。

日コンで伴奏ピアニストをつとめていた三条薫子さんが後日、悠季が師匠側の気持ちにまったく気がついていない事を知って、「福山おじじの空回りの片思い」と言っていましたけど、今回の話を読むとそれがよくわかりました。

本当に師匠の気持ち弟子知らずだったようですね。

そんなことになってしまったのは、悠季の人見知りとか都会慣れしていないところに頭からバイオリンの弾き方や曲想などを全面的に作りかえられてしまうことへの不満や不安などがあったことでしょう。

それまでついていたバイオリン教師の東田先生がそれほど厳しい先生ではなかったことで、がみがみと厳しく怒鳴られることへの耐性がなかったことも大きかったのでしょう。プロの卵たちを養育している福山先生と違って、趣味のピアノやバイオリンを教えている先生では、生徒を厳しく磨き上げるなんてことはないでしょうから。

そんな小さな誤解やわだかまりが降り積もっていって、大きな齟齬になっていったのではないかと思います。

その上、福山先生のお得意のセリフ。『越後へかえれ!』のフレーズも気持ちが食い違ってしまう原因の一つになっていたのではないかと思いました。

先生にとって、この台詞は多分に自分の原点を思い出せ。それがお前の力になるのだという意味も含んでいたのではないかと思うのですが、悠季にとっては恐怖のフレーズでしかなかったのではないでしょうか?

ことにお母さんが亡くなった後、親戚一同から『親不孝者』とか『バイオリンなんて役にたたないことをやってないるんじゃない』などと言われ続けていたわけですから、痛かったことでしょう。

幸い芙美子お姉さんが味方になってくれたことで大学を続けることが出来たわけですが、悠季にとってそれからと言えば福山先生の言葉は親戚たちと同様の意味合いを感じたのではないでしょうか?

だとしたら、先生が味方になってくれるとは思えなかった事でしょう。まして親しみや感謝など感じることなど出来なかったはずです。将来の事など相談する事も怖かったはずです。もともと誰かに打ち明ける事ができないたちでしたから。

先生のガミガミに耐えて自分の思う音が通れば勝ち。など、まるで倒すべきラスボスのような存在ですね。

腱鞘炎になったときに先生からの忠告を聞き流したことも同様。もし何かあればバイオリンを辞めさせられるというような強迫観念さえあったのかも。

『天国の門』の中の『夢見るバイオリン』と合わせて読むと、このあたりの意識の違いがよくわかります。

大学を卒業したあと、コンクールに挑戦する事になって教えを乞うことになると、エミリオ先生に留学を斡旋してもらったり、更におたおたしている間に母校の講師に抜擢してもらったり、ロン・ティボーに挑戦させてもらって優勝したりと実に先生のありがたさを感じるようになっている今日この頃・・・・・(笑)

大学時代に強引に院への進学を勧めなかったことへの反省から、どんどん悠季の進路を推し進めていったのかもしれません。

悠季が期待にこたえて結果を出したことで、福山先生の片思いもようやく報われたというものですね。

そう言えば、在学中福山先生ご推薦のエミリオ・ロスマッティ、のちのエミリオ先生のコンサートに悠季は行かなかったようです。行っていたら後日エミリオ先生に会った時に誰だったのかわかったはずですから。

ぴあが何なのかもわからなかったのかも。オーチャードホールも同様に。何しろあの頃ではネットなんて便利なものはなかったですしね。


そして次はタイトル・ロールの「檻の中」

マンハッタンの拘置所に入れられ、その後州裁判所に移送された圭の立場から見た裁判の様子が描かれています。

幼い頃に悪戯して物置に入れられていた時の思い出から始まっていますが、これは「富士見二丁目交響楽団 上」に付けられていたペーパーの話がうまく混ぜられていました。

いったいどんな方法でサミュエル・セレンバーグと闘うつもりなのかと思っていたのですが、圭の驚異的な記憶力の威力を使ったものでした。

すべての記憶が頭の中に入っていて再生可能なんて、ザルな頭を持っている私にとっては実にうらやましい限りです。

パーティーで見聞きした話を書いたゴシップ本を関係者にばらまくことで、サミュエル夫妻の品性の下劣さを明らかにし、SME会長である母親のミランダ・セレンバーグに長男を切り捨てさせる、とは、面子と感情面に訴える作戦だったわけですね。

小夜子さんが作戦隊長になって、元大学の友人たちを動員して大活躍されていた様子。どうやら裏ではソラくんたちも動いていたようですね。

公判は打ち切り。裁判自体が取り消しという大逆転勝利に終わりました。本当によかったです。

出てくるかと思っていた、燦子お母様とマム・マリアのお二人がミランダ・セレンバーグと会見したマザーズ対決がなかったのは、圭の視点からの話だったからでしょう。

次の外伝では出てくるのでしょうか?期待しているのですが。

小夜子さんの陰謀計画はここで終わりではないようですね。ゴシップ本の日本語版を制作しているという事は、M響復帰への布石をしているということなのでしょうか?


最後は「M響3題」

今回常任指揮者から追われてしまった圭をM響に取り戻すために様々に模索している人々の動きを、五十嵐、飯田、高田事務長それぞれの視点から描いています。

出てくるのはいずれもひと癖ある方ばかりのようで・・・・・(笑) 

イガはパシリでしたか。(爆)

富士見ホールのこけら落としでM響の団員さんたちが大挙友情出演という立場で出演していたのはこういう裏事情があったのかと思いました。

なんで突然こんなに急にやって来たのかな?と思っていたのですが、素直に友情だけだと思ってはいけないのですね。

コンマスの染谷さんがコンマスを辞退したのも、圭の我がままだけと単純に思っていてはいけないわけで。

圭がM響の常任に返り咲くのは3年後になったはずですから、まだまだ水面下ではいろいろとあるのでしょうね。


赤ペンチェックは・・・・・まあなしで。(苦笑)

香奈ちゃんが4歳って、はて?もっといっているんじゃ?と思っていたのですが、『ボン・ボワイヤージュの横断幕のもとに』の中の『殿下の陰謀』で圭が初めてM響でベートーベンの7番を振ったのは1996年正月。前年の1995年暮れ頃に香奈ちゃんがはいはいをしているとあるので、おそらく生後1年未満。となると、2000年に入ったばかりではぎりぎりまだ4歳?あ、合ってた(笑)

現実世界での時の流れは、既に10年を越えているので、まさかまだ4歳とは思いませんでした。σ(^◇^;)

もう一つ。石田さんのお子さんのことで、今回は嫁に行った娘がいるとありましたが、以前悠季が家出したときに『息子の部屋が空いているよ』と言っていたはずですので、息子さんも居られるのでしょうか?

次の新刊はいつになるのか分かりませんが、もしかしたら次の外伝集では宅島隼人・元夫妻の結婚式の模様なども出てくるのでしょうか?

あるいは、あの「富士見二丁目交響楽団 下」についていたペーパーに掲載されていた話『頑固者』を差し込んだ話とかもあるのでしょうか?裸エプロン・・・・・(汗)

早く出て欲しいような欲しくないような・・・・・(笑)

楽しみにお待ちしております。

2012.12/31 UP

例によって(笑) 下にSSを2編置いておきます