久しぶりの自宅は、なぜかよそよそしく感じられた。これほど長い期間、伊沢邸を離れていたのは悠季と二人で過ごした留学時期以来かもしれない。
「ただいま帰りました」
僕は光一郎氏の肖像画に挨拶すると、部屋の奥へと入っていった。しかし、悠季の姿はどこにも見あたらなかった。いったい悠季はどこに行ったのだろう?
悠季の携帯はピアノ室に置かれていた。
僕が寝室に入ると、ベッドの上がこんもりと盛り上がっているのを発見した。
「・・・・・ああ、見つけた・・・・・!!」
羽根布団の端からは黒髪が覗いていたのだ。悠季の髪に間違いない。
僕は深く深くため息をつくと、彼を起こさないようにそっと布団を持ち上げてみた。
すーすーと気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。
夕方とはいっても、まだ日があるこんな時間に寝ているなんてといぶかしく思ったが、彼のスケジュールを頭に思い浮かべてみてから納得した。
人一倍気を使う彼のこと、泊りがけの講習会で気を張っていたために疲れきってここに帰ってきたに違いない。僕が帰国する予定は明日になるはずだったから、こうして眠っていたのだろう。
そっと布団を戻すと、音を立てないように下へ降りてシャワーを浴びた。寝室のシャワー室を使えば手軽だが、それでは悠季が起こしてしまうかもしれないから。
うっすらと目の下にクマを作っていた彼を起こす必要はない。悠季の顔を見られただけで十分満足出来る。疲れまでが癒される気がする。
僕は手早くシャワーを浴びると、薬缶を火にかけて湯を沸かし、薫り高い紅茶を淹れ、ブランデーを垂らした。
コーヒーは飛行機の中で飲み飽きていた。眠気を呼びこむためにもカフェインは控えた方がいいだろう。
キッチンで飲み終えてから寝室へと行くつもりだったが、どうしてもまた悠季の顔が見たくてたまらなくなった。行儀が悪かったが、僕はカップを持ったまま階段を上がり、寝室へと入っていった。
先ほどは布団にもぐっていた悠季だったが、寝返りをうったらしくて気持ちよさそうに眠っている顔がよく見えた。
穏やかであどけない寝顔。
彼の寝顔を見ながら飲む紅茶は一段と美味に感じられた。
そして、ゆったりとした寝息は、僕にとって極上の入眠剤となる。
飲み干したカップをサイドテーブルに置くと、僕は悠季を起こさないように気をつけながら、彼の隣にからだを滑り込ませた。
「・・・・・・・・・・ん」
眠ったままで悠季が僕のからだに寄り添ってきた。
無意識なのだろうが、僕が当然のように腕枕をしてくれると信じているらしい。しなやかな彼の足までからみついてくれている。
当然僕は喜んで彼のしなやかなからだを抱きしめ、彼の頬が僕の胸に摺り寄せられ吐息が僕の首筋をくすぐったく吹くのを感じていた。
とろりと心地よい眠気がさしてくる。
彼からの『お帰りなさい』は後ほど十分堪能させてもらうことにして、今はこの穏やかな心地よさと共に甘いヒュプノスの誘いに身を任せることにした。
「ただいま。そしてお休みなさい悠季。愛していますよ」
2008.4/25 up