【6】
成城にある桐院の屋敷は、昔悠季が住んでいたときと変わらない威容で姿を現した。
「いらっしゃいませ」
そう言って玄関で二人を迎えてくれたのは、昔のように伊沢氏というわけではなかったのだけれど。
いつもここに来た時と同じように、応接室へと案内された。
「久しぶりだね、悠季君」
今は富士見銀行の頭取はやめ顧問となっている胤充氏が暖かく迎えてくれた。立ち上がると自分の隣の席を勧めてくれた。
「お久しぶりですね」
かつては悠季の義父だった人。そして有にとっては祖父ということになる。
考えてみれば圭との関係に一番心を痛めていたのはこの人かもしれない。だが、小夜子との結婚を経て現在の立場にいる悠季に対して、桐院との婚籍から抜けてからも何かと心をかけてくれていた。
「有があまりに大きくなったので、びっくりしただろう?」
「ええ、驚きました」
「実は私も彼が留学から帰ってきたとき、圭が帰ってきたのかと思って腰を抜かしそうになったんだよ」
何のこだわりもなく胤充氏は笑って言った。
「まさか本人が自分の法事に出て来るわけがないんだけどねぇ」
彼には悠季をリラックスさせるつもりのジョークでしかないのだろうが、昨夜の不思議な夢がふいに思い出されて、悠季の笑いは引きつったものになった。
「あなた、およしなさいませ。悠季さんがお困りですよ」
隣の部屋から燦子が入ってきた。
「おひさしぶりですわね、悠季さん。お元気そうで何よりですわね」
「はい、お義母様もお元気そうでなによりです」
燦子は昔と変わらない美貌をほころばせると、悠季にうなずいてみせた。
「有さんもお迎えご苦労様でしたわね」
有はその言葉に黙ってうなずくと、悠季の隣の席に座った。
「小夜子はどうしたんだ。もうそろそろ出かける時間だろう?」
「小夜子さんなら今 参りますよ」
燦子が胤充にそう返事をしている間に、かちゃりと奥の方のドアが開き小夜子がやってきた。
「お待たせしてしまいましたわね」
ほほえんでそう言いながら悠季のそばへとやってきた。黒に近い濃い紫色の紋付に黒の地紋の入った帯に身を包んだ小夜子は裾さばきもさっそうとしていて、富士見銀行の女性頭取として生き生きと活躍していることがよく分かる。
「ひさしぶりだね、小夜子さん。なんだかますます綺麗になったみたいだね」
悠季は心からそう思った。それが新しい恋のせいもあるのだとしたら、彼女のためにほっとする気持ちになれた。もっともうらやましいという気持ちもどこかにあったかもしれない。自分はもうそんな恋を持つことは出来ないとわかっていたから。
「あら、久しぶりにお会いしたらお世辞がお上手になってらっしゃいましたのね」
くすりと小夜子が笑った。嬉しそうに受け答えするしぐさの端々にも恋をするものの艶がにじんでいた。
そっとソファーに腰をかけた。その何気ないしぐさの中に、自分の腹部をかばうしぐさが見えた気がした。それは、有を妊娠していたときにもよく出てきたしぐさだったから。
「・・・・・もしかして、小夜子さん・・・・・?」
悠季がその先の言葉をためらったのは、そこに彼女の両親がいたから。そして、悠季が男性だったからだが、小夜子は何のためらいもなく、悠季が言おうとしていた言葉に答えてくれた。
「ええ、わたくし妊娠していますの」
あわてて悠季は胤充の方を見た。しかし、彼はちょっと顔をしかめたのみで小夜子のからだのことはすでに知っていたらしい。
「うむ。実は悠季くん、小夜子は今度再婚することになっているんだよ。式はしないが近いうちに籍だけは入れることにしてある。これは悠季君には複雑な思いがあるかもしれんが・・・・・」
胤充がためらいながらもそう言い出した。
「それはおめでとうございます!小夜子さん、よかったですね」
悠季は心から祝福した。小夜子が幸福になることは何よりのことだったからだ。
「お寺から帰りましたら、ぜひ会っていただきたいですわ。法事には用事があって来られないそうですけど、お食事会には参加出来るそうですから。きっと悠季さんも気が合う人だと思いますわ」
「ええ、僕でよければよろこんで」
悠季が答えた。だが、ちらりと隣に座っている有のことも気になった。母である小夜子の再婚をどう思っているのだろう?先ほどは自分に関係ないと言い切っていたが、子供の強がりとも思えた。
「僕も弟か妹が出来て喜んでいます。かわいがってやるつもりですよ。それに、僕に兄弟が出来れば僕が桐院家を出て、指揮者になっても構わないわけですから、そちらも嬉しいですよ」
有が微笑みながらそう言った。
「おい、有。こんなところで言うことじゃないだろう?」
胤充が顔をしかめてたしなめた。
「でも、きちんと言っておかないと、お祖父様は僕が指揮者になることを反対されているでしょう?」
「それはそうだ。お前は小さい頃から学業の成績も優秀だったし、ぜひとも桐院の跡取りとして富士見銀行の頭取となって欲しいと思っている」
だんだん胤充の額に青筋が浮かび始めた。
「およしなさいませ!」
燦子がぴしりと言ってのけた。
「こんなところで言い合うようなことがらではありませんでしょう?今日は圭さんの法事なのですから」
気まずそうに胤充が押し黙り、有も無表情に戻った。
「悠季さん、失礼しましたわね。桐院家はいつもこうなんですの。お気になさらないでくださいね」
「・・・・・はあ」
ちょうど間がよく伊沢さんの後を継いでここの執事になっている人物が、部屋の中に入ってきて出かける準備が整ったことを伝えてくれた。
「それじゃ、出かけるとするか」
ぱん、と膝を叩くと胤充が立ち上がり、一同もそれに続いた。