【5】

 




 悠季は圭の法事に行くために差し回された車の中で、自分を迎えに来てくれた少年をちらちらと観察していた。

 自分の息子なのだと名乗った彼は、よく見れば確かにまだ幼い頃の雰囲気が残っていて、次第にかつて自分がかわいがっていた子供だということが納得できた。

 伯父である圭によく似ているが、圭よりはまだ少し背が低く、肩幅や腕も少年の華奢さを残している。だが、それはまだ彼が年若い少年であるためで、あと数年すればもっと伯父に似てくることだろう。桐院の血の濃さに改めて驚かされた。

有はオールバックだった圭と違って前髪を下ろし、若干長めな髪形は雰囲気を柔らかいものにしている。そんなささいなことが圭と違うだけで、悠季に息をつかせてくれる。

「僕が有だって、納得した?」

 どうやら悠季がずっと観察していることに気がついていたらしい。

「ああ、ごめん。悪かったね」

「ううん、いいんだ。確かにしばらく父さんに会わなかった間に僕は身長が伸びたし雰囲気が変わってきたって会う人みんなに言われるからね。父さんが驚くのも無理ないんだ」

「この前あったのが、確か留学の直前だから・・・・・年会わなかったのかな?」

「うん、それくらいになるね」

「親として失格だなあ。息子がこんなに大きくなっていたことも知らなかったなんて」

「そんなことないよ。僕が父さんのことを避けていたんだから」

「避けていた?」

「うん。父さん、今も亡くなった圭伯父様のことを忘れられないんでしょう?」

「・・・・・えっ?!」

 悠季はうろたえた。息子には圭との関係を知らせていなかったはずだが、どこでそれを知ったのだろう?

 知ったために息子は父である自分を避けるようになっていたのだろうか?

「大親友で好敵手だった伯父様が死んでしまってから、父さんの演奏は感情表現豊かになったけど、その分人嫌いな傾向が出ているってある音楽雑誌に書いてあったよ。それで父さんが僕や母さまと別れたんだろうかって思ったりもしたんだ。
それでね、そんな一番大切な人がたとえ僕の伯父様でもやっぱり僕や母さまのことが父さんの心を占めていないことがなんだか嫌だったんだ」

 子供っぽいやきもちだよね。そう言って有が笑った。

「・・・・・すまなかったね」

 ほっと肩の強ばりが解けた。

しかし、この前の留学直前に会ったときにはよそよそしくて、息子との関係の冷たさに内心では心を痛めていたというのに、この変化はどうしたことだろう?

「僕、留学して海外で暮らしていろいろ経験していくうちに、父さんが僕と母さまの顔を見て複雑そうな顔をするのが、理解できる気がするようになったんだ」

 有が親しい口調で話しかけてくる。その不思議さと嬉しさ。

「父さんは音楽家で、バイオリンが一番なんだね。父さんのバイオリンには父さんの気持ちの全てが現れていると思う。今の父さんの音も大好きだけど、少し前に父さんが圭伯父様と競演していたCDが桐院屋敷に置いてあったので聞いてみたんだけど・・・・・。なんて共鳴しあい、競い合っているだろうと思ってとても感動したんだ。 

 そんなすばらしい音を出し合える相手が死んだら、心にぽっかり穴が開いてしまって他のことなんかどうでもよくなっちゃうんじゃないかって思えたよ。だから僕や母さまとの関係にまで気がまわらなくなってるんだろうなぁって。

 ・・・・・それに、父さんと伯父様の間柄についても、知っていたし・・・・・」

「・・・・・知ってたのか?」

 ひやりと背筋が冷えた。

「そりゃ、おせっかいな人はいくらでもいるからね」

 有は肩をすくめて、たいしたことはないと素振りで示した。それを見て悠季はほっと胸をなでおろした。いつ息子がこの事実を知って自分のことを嫌悪するか気がかりでもあり、内心恐れていたことなのだが、今の彼にはこのことは問題になることではないらしい。

「僕だって少しは大人になったから父さんのことを理解できる。何より音楽を志すものとして伯父様のことを尊敬もしてるし嫉妬もしている」

「嫉妬?」

「あれほどの競演なら僕だってやってみたい!父さんと肩を並べた音楽家として競演してみたいんだ。でもまだ僕は子供で、勉強も足りてないし、父さんと競演できない。それが悔しくって」

「それで、嫉妬、か。でも君はまだこれから先があるだろう?」

「でもね、僕は天才と言われた指揮者の甥なんだ。これから僕がどれほどの成功を収めようと、必ず引き合いに出されるに決まっているんだからね」

「有。君は本気で音楽を、つまり指揮者を目指すつもりなのか?」

「うん」

 彼はしっかりとうなずいた。

「小夜子さん、いや、母さまや桐院のお祖父様は君に桐院家の当主として銀行家を目指して欲しいと考えているのは知っているよね?」

「知ってるよ。でも、僕は音楽をやりたい。指揮者になりたいんだ。伯父様がやっていたからじゃなく、父さんが音楽家だからでもなくて、僕は音楽が好きなんだ!」

「・・・・・そうか。君の人生だものね。君の好きな方に進むのが一番だね」
 

悠季はこぼれそうになったため息をかみ殺した。また桐院家の跡継ぎ問題が出てきたことで、あの人のよい義父である胤充氏がやきもきしているだろうと思うと少々つらい。今回は跡継ぎのはずだった有にかわる兄弟はいないのだから。

「それとね・・・・・、父さん知ってた?」

「何?」

「母さま、恋人がいるんだよ」

「小夜子さんに?」

「うん。たぶん近いうちに結婚するつもりなんだと思う」

「・・・・・そうだったんだ」

 離婚してからも悠季は小夜子のことを気に掛けてはいた。自分との砂をかむような結婚を解消しても、次のパートナーを見つけていないことを気に病んでいた。自分が彼女の一番人生の花の季節を浪費させてしまったのではないかと悔やんでいたのだ。

 どうやら悠季が桐院家に対して申し訳なく思っている様々な出来事の中で、少なくとも彼女に対しての負い目だけはなくなりそうだった。

「じゃあ、今日の法事にもその人が来るのかな?」

「さあね。僕には関係ないから」

 有は冷たい口調で言った。

「おいおい、君の義父になる人だろう?」

「僕はもう十分大きくなっているんだから、今更違う父さんはいらないよ。僕の父さんは父さんだけなんだから」

 くすくすと悠季から笑いがこぼれてきた。

 堂々と大人ぶった口調でしゃべっていた少年だが、ここにきて子供っぽい理屈で悠季のことを認めてくれる。

 昔の、仲の良かった頃の父子の関係が戻ってきたように思えて嬉しかった。

「そうか、父さんのことを好きなのか」

 くしゃくしゃと彼の頭をかき回して、抱きしめた。

「もう!僕はもう小さい子供じゃないんだから、髪の毛をくしゃくしゃにないでよ!」

 不満そうに口をとがらせる姿は、昔自分がかわいがっていた子供の姿をはっきりと思い出されるものだったので、悠季は心から楽しく笑えた。