【3】
伊沢邸に帰ってきた悠季は、もつれる足取りで中へと入っていった。
長年の一人暮らしの用心からきちんと玄関の鍵をかけるのは忘れなかったが、いつもの悠季らしくない粗雑なやり方で服を脱ぎ落としながら二階へと上がり、乱暴にベッドへとからだを投げ出した。
目を閉じてそのまま何も考えずに眠ってしまいたかった。
だが、したたかに泥酔したはずのからだなのに、目が冴えてどうしても眠ることが出来なかった。
悠季はベッドサイドにあるテーブルの引き出しを探った。そこには小さな瓶が入れてあり、圭の葬式の後、鬱になって眠ることが出来なくなった時に処方されたものと同じ軽い入眠剤が入れてあった。
この瓶の中身を全部飲んでも死ぬことは出来ない。
そう考えて、悠季は苦笑した。誰もが悠季が圭の後を追いたがっていることを知っているのだ。
あの時も、そして、今も。
だからその瓶を手に取ることはせず、さらに引き出しの奥に隠してあった桐の箱を取り出した。これは圭の形見。彼の形代。
圭が生きていた間はこんなものを作ってと怒って見向きもしなかったディルドだが、今となっては唯一の慰めとなってくれていて、時々だしては自分で自分を慰めていた。
たとえ、朝になってもっと切なさが増してつらくなってしまうとしても、今はそれしかないのだから。
そっと箱から出してみる。
温かくもないし、圭の匂いも彼のからだの感触ないが、形だけは圭とそっくりに出来ていて、これが悠季をいくらかでも慰めてくれるだろう。
「・・・・・んっ!・・・・・はあ・・・・・」
頭の中いっぱいに溢れていた快感がゆっくりと引いていくと、それに代わって悠季に中に沸き起こってきたのは、この行為をいつもやった後に起こるおなじみの気分。
深い失望感と自分への嫌悪感。
「・・・・・こんなの・・・・・圭の代わりなんか出来ないんだ!!」
悠季は泣きながらディルドを部屋の隅へと力いっぱい投げ捨て、ベッドにうつぶせて泣きじゃくる。酒で外れた心の箍のせいで、悠季は子供のように泣き続けた。
このまま眠ってしまえばいい。
悠季はそう思った。
明日は落ち着いた自分に戻って、圭の法事に出なければいけない。
分かっている。既に圭はいないのだから。
その事実を改めて心に言い聞かせて、平静な態度で圭の墓の前に立たなくてはならない。
でも、今夜一晩だけ、酒の力を借りて自分の心のままに感情を爆発させてみたかった。
――・・・・・ゆうき、悠季――
「・・・・・ん、誰?」
闇の中から声がする。
――僕が、分かりませんか?――
懐かしい、でも二度と聞けないと思っていた深いバリトンのその声。
「・・・・・もしかして、圭なの?」
――・・・・・ええ――
「・・・・・嘘だ!圭は死んでしまったんだ。僕を置いて、僕を一人残して死んでしまった卑怯者なんだ!」
自分の叫んだ言葉で、また傷ついた。
――・・・・・すみません――
「ねえ圭、僕を一人にしないで。一緒に連れて行ってよ!」
――・・・・・悠季――
「一人じゃ寂しいんだ。圭がいないとぽっかり心に穴が開いて誰にもそれを埋めることが出来ないんだ。ここに一人で置いていかないで!」
ぽろぽろと涙が溢れてくる。これが夢だとは分かっている。分かってはいても、とてもとても切ない。
「抱いてよ。ねえ、僕を抱いてよ!寒いんだ、君がいなくなってからずっと僕のからだは寒いままなんだ。抱いて!僕を抱きしめて!」
――・・・・・悠季?――
「今も僕を愛しているのなら、圭、僕を抱いて!」
――悠季、それは禁じられたことなのですよ。そんなことをすれば君も僕も禁忌を犯すことになる。きっと後悔しますよ――
「いいんだ。死んだ君に抱かれることが禁忌なら、僕は喜んで破るよ。ねえ、圭。僕を温めて。僕をいっぱいに満たして欲しいんだ!」
――ですが・・・・・――
「もう何でもいいよ。もう僕は耐えられないんだ。君が死んでから周囲も自分もごまかしてきたけど、やっぱり僕は君と一緒じゃないと耐えられないんだ。時間が救ってくれるとかバイオリンが慰めになってくれるとかみんな言うけど、10年経ったってこの悲しみは少しも薄らいでもくれない!
このままだとバイオリンを憎んでしまいそうなんだ!これがなかったら何も考えずに君のそばに行けたんじゃないかと思えて・・・・・」
悠季の口から嗚咽がこぼれた。
――悠季、君がバイオリンを憎むなどありえませんよ。僕は君の音楽と共に生きていくのですから。僕はいつも君のそばにいるはずでしょう?――
「でも、君の姿がないのはつらいんだ!君の声やぬくもりや匂いを感じられないのはとてもつらい・・・・・!」
はらはらと悠季の目から涙が溢れていき、闇の中から優しく拭ってくれる暖かな手が彼に触れてきた。
――・・・・・悠季。ええ、そうですね、これは僕の罪だ。君は何も引き受けなくていいです。僕がすべて引き受けましょう。そして、二人でまた生きていきましょう!――
「・・・・・圭っ!」
悠季のからだに温かくて重い肉体がのしかかって来て、唇には温かなそれが触れてきた。悠季は泣きながら、自分を抱きしめてくれるからだに腕を回し口を開いて自分から彼の舌を招き入れた。
心の中では夢だと知ってはいても、あまりのリアルさにこれが本当に起こっていることのように思えて更に涙がこぼれた。
――悠季・・・・・!――
「けい・・・・・けい・・・・・圭っ!」
闇の中の圭は、悠季のからだを丁寧に味わい、丁寧に昂ぶらせて悠季を泣かせ、みっしりと満たして揺さぶり、悠季に歓喜の涙をこぼれさせた。
――悠季・・・・・愛しています!――
「僕も・・・・・好きだよっ!」
そして久しぶりに訪れてくれた溢れるような満足感をもたらす絶頂のあと、悠季の意識は途切れた。