ICU内で、看護師たちがあわただしく動いている。医師たちが何人も悠季のそばに集まり始めていて、主任らしい医師も駆けつけた。

「ど、どうしたんだ?」

 宅島がうろたえた声を出していたが、圭にとってはどうでもいいことだった。

「この中に入る事は出来ませんか?」

「い、いや。俺もさっきそれを聞いてみた。君がやってきたら一番に会わせたかったんだが。本来なら入れるそうが、今は無理だろう。素人がいると邪魔になる」

 ざっと中からカーテンが引かれ、中の様子が見えなくなった。

「お、おい!どうなってるんだ!?」

医師の一人が中から強張った顔で出てきた。

「守村さんの容態が急変しました。今懸命に治療に当たっていますのでご安心を。しばらくこちらでお待ちください」

 そう告げた。

中に入れてください!会いたいんです!」

「いや、しかし・・・・・」

「ぜひ、会わせてください!」

「・・・・・では、ガウンをつけていただきませんと」

 彼らの粘りにやむを得ずという感じで、渋っていた医師は一人の看護師を呼び、宅島たちを託した。

「先生!戻ってください!」

中から看護師の切羽詰った声がして、医師はあわてて中へと戻っていった。

カーテンの隙間ごしに見ると、次第に医師たちの顔にあせりの色が見え始めている。医師や看護師たちが次々に処置を施しているのが分かる。

二人は大急ぎで渡されたガウンと帽子とマスクをつけた。

「おいこらっ!よせっ!」

宅島が止める間もなく、先に圭がICUへと飛び込んでいった。

 中に入り込んだ圭が見たものは、思わずその場に立ち竦むような光景だった。

 医師が怒鳴りながら薬品や器具を指示し、次々に看護師が渡し機械から読み取った数値を告げている。

V f心室細動です! D C電気ショックいきます。200ジュール」

「・・・・・360J。三回いきました!」

「早く!エピを1アンプル」

「バイタルは・・・・・」

「酸素飽和度は・・・・・」

 圭には分からない専門用語が飛び交い、医師や看護師のからだの隙間からちらりと見えた悠季は、のどにチューブを入れられていて、顔色は蒼白で、医師の手当てにも反応していないように思えた。

 悠季の上に圧し掛かるようにして医師が心臓マッサージをしているのが分かったが、その険しい顔からすると、よくない状態なのだろう。

 呆然としている間に誰かに手を強く引っ張られてICUの外へと出された。

「おい!無茶をするな!こういうことは専門家に任せるもんだ!」

 のろのろと圭が顔を上げると、立ちすくんでいた彼を連れ出したのは宅島だと分かった。

「・・・・・どうしたらいいんだ?悠季が・・・・・悠季が死んでしまう・・・・・!!」

 その場に崩れこんで顔を覆うと、声を殺して泣き出した。

「そんなことはない。彼はきっと戻ってくるさ!」

「いや、僕には判ります。彼の魂はすでに肉体を捨てている・・・・・!もう既にここにあるのは彼の抜け殻だけになってしまっているんだ!」

 圭の叫びは廊下にむなしく消えた。

 

 

「・・・・・17時30分お亡くなりになりました」

 医師からそう告げられたのはそれから時間ほど後だった。



結局悠季は一度も目を覚ますことなく亡くなった。前回の心臓発作で体力が低下していた上に、もう一度発作が起こったのが致命的だったのだ。

 彼が死んだ時、芙美子は間に合ったが他の悠季の姉たちは間に合わず、小夜子も来られなかった。

 芙美子がやって来た事で改めて医師から説明がなされ、既に快復のきざしがないと言われて、フラットになっている心電図を見せられて、芙美子は蘇生処置の中止に同意した。

 圭も黙ってうなずいて、悠季の蘇生処置を中止することに異議を唱えなかった。

「悠季を、楽にしてあげてください」

 未成年者の有に代わって芙美子が医師に頼み、スタッフは全ての蘇生処置を止めたのだった。

 医師の死亡宣告に、ぎりぎりと歯を食いしばっていた圭は、悠季の眠っているベッドへと走りよった。

「悠季!なんてことを・・・・・!」

すがりついて泣きじゃくった。

「悠季!悠季っ!どうして僕を独り置いて逝ってしまうのですか!どうして・・・・・っ!!」

 医師たちはそれを父を亡くした子供の慟哭と見ていただろうが、圭の告白を聞いてしまった宅島にとっては伴侶を亡くした恋人のものとしか思えなかった。

「僕は君のためだけにこちらに戻って来たというのに・・・・・!」

 圭の嘆きの本当の意味を知っているのは宅島だけだったが、今ここで慰める言葉は思いつかなかった。

 宅島は長年彼のマネージャー業をやっていて、悠季のひととなりを知り、繊細で気を使う彼を友人として大切にしてきた。それを突然喪ってしまったのだ。

嘆くというよりあまりのことにまだ頭が追いついていかなくて、他人のことのような非現実感が強い。

圭のあまりにも悲痛な嘆きに声も掛けらずに立ち尽くしていた宅島だが、彼にはこのあとやらなければならない事務的なことが多々ある身だった。悠季の死をなげいてばかりはいられなかった。

彼が本当に失った悲しみを実感することになるのは、たぶん葬式が終って落ち着いてから、ゆっくりとやってくるのかもしれなかった。

 自分はいつもくじ運の悪い慰め役ばかりだと思いながら、今や圭だと知ってしまった悠季の息子に声をかけた。

「なあ、圭・・・・・じゃなかった、有。俺だってつらいが、彼をこのままここにいつまでも寝かせておくわけにはいかないだろう?もうじき他の姉上がたもやってくるだろうし、小夜子さんもだ。どうか落ち着いて、彼をおくる準備をしないとな」

「・・・・・ええ」

 泣くだけ泣いたその顔はどこか虚ろで投げやりに見え、宅島をどきりとさせた。

「おい。へたなことを考えるんじゃないぞ」

「へたなこと、とはなんです?」

「・・・・・だからだな・・・・・」

「僕が彼を追って自殺するとでも?」

 ふっと圭が自嘲した。

「そんなことをすれば確実に悠季に会えなくなってしまう。自殺した者の往く場所は違うことを僕は実際に知っているのですよ?」

「・・・・・そ、そうなのか?」

 愛しそうに圭の手が悠季の頬を優しく撫でる。既に人工呼吸器や医療器具が外された悠季の顔は穏やかで、まるで眠っているとしか思えない穏やかなものだった。

「・・・・・あの。こちらをなくさないうちにご遺族の方にお渡ししておこうと思いまして」

 遠慮がちに先ほどICUで働いていた一人の看護師が声をかけてきた。

 

 

 悠季が霊安室に移されてまもなく、悠季の姉たちが相次いで病院に到着した。だが小夜子は病院に来ることを断念することを宅島に告げた。かわりに東京で葬式の準備を整えて待っていてくれると言う。

《・・・・・ありがとうございました》

宅島が小夜子に事の次第を電話で説明すると、深いため息とともに感謝の言葉を伝えてきた。

「いえ。僕がもっときちんと彼の健康に気を配っていればと悔やまれてなりません」

《いいえ。宅島さんのせいではありませんわ。きっと悠季さんのご寿命だったのだと思いますから、お気になさらないで下さいませ。悠季さんがきちんと伝えなかったのがいけなかったのですものね》

「だとしても、マネージャーなのですから気がつくべきだったと思いますよ。体調にも心の変化にも気がつくべきだった。・・・・・いや、いくら悔やんでも後の祭りではありますが」

《・・・・・ところで、今 有はどうしていますか?》

宅島から有は霊安室に移動しようとした直後に、病院から飛び出して行ったと聞くと、

《・・・・・そうですか。やはり・・・・・》

 と言ってため息をついた。

《有のことでしたら心配しなくても大丈夫ですわ。彼はおとなで判断力は充分に備えていますから。今はそっとしておいてやってくださいな》

 そう言って、宅島の心配をはらった。

《有はきっと東京に戻ったのだと思いますわ。彼には急ぐ必要があったのでしょうね。こちらからあの子に連絡してみますから心配なさらずに。どうぞそちらの用事に専念して下さい》

「もしかして、小夜子さん・・・・・?あの、息子さんの有は、実は圭の・・・・・?」

 宅島は圭が生まれ変わったことを知っているのかと尋ねようとためらっていると、

《宅島さん。どうかそれ以上はお話にならないで》

 やんわりと、だが相手に言う事を聞かせるだけの威厳を持って、小夜子は言った。

「・・・・・はあ、そうですね」

 宅島もそれ以上聞くのを止めた。そんな詮索よりも今他にやることは沢山ある。

《それより悠季さんを早く家に戻してあげましょう。よろしくお願い致しますわね》

「承知しました」

 宅島は電話を切ると事務局に手続きに向かった。これから数日間は葬式という多忙に取り紛れた賑やかさに救われる日々が続くだろうと思いながら。

 





翌日、新聞の死亡欄に小さく記事が載った。

【19】

 〇月〇日

 N市支部からの地方記事。

 かねて国内外に人気のあったバイオリニスト守村悠季氏が、N市主催のコンサートのあと
 突然の心臓発作によって亡くなった。

 享年4×歳

 喪主は長男の桐院有氏。

 葬儀は彼に縁のある光善寺で、音楽祭葬として執り行われる。




 【守村悠季】

 新潟県出身。邦立音楽大学卒。
 
 卒業後は音楽教師として勤めていたが、その後、日本音楽コンクールに参加して第三位に入賞。

 これをきっかけとしてイタリアに留学した。

 巨匠 エミリオ・ロスマッティに師事して腕を磨き、プロとしてデビューした。

 スプラッシュ・コーラのCMで一躍注目を浴び、日本に帰国後は母校のバイオリン講師のかたわら
 プロとして演奏活動を開始した。

 MHK交響楽団との競演も多数。

 夭折した天才として名高い、MHK常任指揮者 桐ノ院圭との競演が有名。