「悠季さんが倒れた、ですって?!」

 その知らせは桐院屋敷にいた小夜子のもとにも届けられた。

「・・・・・はい、・・・・・はい。分かりました。ありがとうございました」

 声を聞きつけて、部屋から有(圭)も出てきた。

 受話器を置いて振り返ると、小夜子は厳しい顔つきで彼に言った。

「有。お父様が倒れられたそうです」

「・・・・・どういうことですか?」

「詳しいことはあちらに行かないと分からないようですけど、宅島さんの話ではどうやら心臓発作を起こしてN市の〇〇病院に運び込まれたようです」

 さっと有の顔色が変わった。くるりと振り返るとそのまま玄関へと歩き出した。

「・・・・・行ってきます」

「お待ちなさい!N市はもうかなり寒くなっているはずです。その服のままではだめよ!」

「・・・・・ああ、そうでしたね」

「でも、どうしましょう。私は無理だわ」

 小夜子は、うろたえた声で言った。現在は『妻』ではなかったけれど、それでも大切だった人の危ない時に駆けつけたい。けれど今は妊娠中で、少し体調を崩していることも考えると遠いN市までは出かけられない。

「僕一人で行ってきます。僕が向こうの様子を電話します。母様はあとから来られるようでしたら、いらしてください」

「ええ、そうね。残念だけど、私は一緒に行くことは諦めた方がよさそうだわ。有さん、一人で行けますか?」

「僕一人で充分ですよ」

 厚手の服に急いで着替えた上でコートを羽織ると、有はあわただしく桐院屋敷を出た。

「今の時間なら、新幹線はまだあるわね。ハイヤーをお願いするから、それでお行きなさい」

 有は小夜子の言葉にうなずくだけだった。屋敷を出てからは一言も口を利かず、運転手が東京駅に車をすべり込ませたとたんに、車を降りた。

 新幹線の席に座ってからも同じで、周囲の誰からも声を掛けられるのを拒むような張り詰めた雰囲気を漂わせていた。

 早く!早く!一刻も早く!!

 彼の中にある思いはそればかりで、新幹線の中で足踏みをしたい気分を抑えるのに必死だった。



 有が到着した新幹線の駅から降りてタクシーをつかまえ、目的の病院についたのは悠季が倒れた日の夕方だった。

 ICUの前には宅島が憔悴した顔つきで待っていて、駆けつけた有を立ち上がって迎えてくれたが、有の顔をみたとたんに驚きの表情に変わった。

「初めまして、宅島さん」

「君が有くんかい?驚いた、圭にそっくりだなぁ!血は争えないっていうか・・・・・」

「それより、父の具合は?」

 有は宅島の言葉をさえぎって問いただした。

「それが・・・・・」

 そう言ったきり宅島は言葉を濁し、目線を彷徨わせていた。

「小夜子さんは一緒ではなかったのかな?」

「母様はからだの調子がよくないので、後から来ます。ところで、父さんのお姉さま方の到着はまだですか?」

「今こちらに向かわれているそうだ。電車の連絡のせいで、少し到着が遅れているらしい」

「それでは僕に容態を教えて下さい。母に連絡をしなければいけませんので。それとも、僕が子供だから言えませんか?」

「・・・・・いや、すまなかった。そうだね、息子の君にも聞く権利はあるんだからね」

 そう言ってうなずくと、宅島は表情を改めて話し始めた。

「さっき医者から説明を受けたんだが、実は、彼の容態はあまりよくない。

今回僕も初めて知ったんだが、彼はWPW症候群という病気にかかっていたらしい」

 宅島は医者から聞いた悠季の病状について説明を始めた。

「・・・・・それで普通は治るはずの病気が、長い間の無理がたたったために、今回の事態を招いたらしい。散歩中に危険な不整脈を起こしてしまったそうだ。
 僕らが彼を捜していて見つけたときにはちょうど雨が降り出していて、既に体温が低下してしまった状態で倒れているのが見つかったんだ」

「それで・・・・・?」

「低体温はからだを温めることで改善したし、現在は脈拍も戻っている。しかし、医者の言うには彼の心臓に負担がかかっていたらしくて、いつまた心臓発作が起こるかわからないそうだ。それに・・・・・」

 宅島は言葉を続けるのをためらった。

「実は発見したときに、脈が触れなかった。捜しに来ていたホテルの人に救急車を呼んでもらって急いで蘇生術をかけたのだが・・・・・、脳にダメージがあったかもしれないそうだ」

「・・・・・それは、どういうことですか?」

「助かってももしかしたらどこかに障害を残す危険があるかもしれない、ということだよ。だが、それ以上に・・・・・」

 宅島は首を横に振ってみせた。

有は息を呑んだ。

「それは・・・・・父が亡くなるかもしれない、ということですか?」

宅島はうなずいた。

「今夜が山かもしれないという話だ」

 有の口の中で『そんな・・・・・』というつぶやきが漏れた。

 青ざめた顔は仮面のようにこわばり、震える指で髪の毛をかきむしった。

 
ダン!

 突然 有は壁にこぶしを叩きつけた。

「ばかなことを!悠季はどうしてそんな大切なことを言わなかったんだ!」

「・・・・・悠季だって?」

「宅島。君がついていながら、なんでこんな事態を迎えた?彼の様子がおかしいことは君にも分かっていたはずだ!」

 この初対面の子供の迫力にたじろいだ。

「おい。大人に向かってそんな口の利き方はないだろう?確かにお父さんの具合が悪かったことを知らなかったのはミスかもしれないが、それを君のような子供に言われたくない!」

 相手は初対面のはずなのに、なにやら聞いたことのある口調だと思いながら、宅島は抗議した。

「アメリカで倒れた時に医者から言われていたらしいことを、僕は聞いていなかったんだ!さっきここの医者は、以前にも発作があったはずだと言っていた。それを守村さんが僕には言わなかったらしいんだ!」

 その言葉に有がぴくりと眉を上げて見せた。

「では、悠季は逃げた、と言うことですかね」

 どこか苦々しげに彼は言った。

 その老成したような口調は、以前聞いたことがあるものだった。それも、かなり親しくしていた者の・・・・・?

「・・・・・どういうことだ?おい、もしかして・・・・・?」

 思いついた人物との共通点を目の前にいる者とに見出した。宅島の顔が強張り、信じられないものを見たといった様子で、まじまじと有の顔を見つめていた。

「僕が誰なのか、君にも分かったのではないか?」

 十年以上前に亡くしたと思っていた友と同じ顔で、彼はふっと自嘲して見せた。

――信じられない、デジャ・ビュー――

 宅島はじっとと有の顔を見つめていて、恐る恐る聞いた。

「・・・・・お前さんは もしや・・・・・桐ノ院圭、なのか?」

 有(圭)はわずかに口元をゆがめた。

「・・・・・ええ」

「そうすると、もしかして・・・・・昔言っていた桐院家に伝わるという、ああ・・・・・『生まれ変わり』とかいうのを果たしたというわけか?」

 圭はそっけなく首をすくめてみせた。

「そう言えば守村さんがそんなことを言っていたな・・・・・。おい、もしかして生まれ変わったことを彼にしゃべっちまったのか?」

 圭は答えなかったが、わずかにこわばらせた表情が、宅島の言葉を肯定していた。

「おいっ!そんなことを言ったら、あの真面目な彼のことだ。ひどいショックを受けたんじゃないのか?お前は我侭なやつだとは思っていたが、そこまで自分勝手なやつだとは思っても見なかったぞ!」

 宅島の顔は、腹立たしさと怖れがあふれて圭を非難していた。この発作の原因の中に圭が生きていたと告白していたことがあるのではないかと疑っているらしかった。

「・・・・・それがないとは言い切れないとは思う。深く反省している。あんな状態の悠季の言うべきではなかった。もっと言いようがあったととても後悔しているが・・・・・」

 圭は目を伏せて、自分の過ちを認めた。

「だったらだな、彼には一生の間黙っていればよかったじゃないか!彼の負担になるようなことをやりやがって!」

 宅島は顔をしかめて圭を睨んだ。

「しかし、彼が何か自分の健康について投げなりで精神的に不安定になっているのが心配になっていた。もしかしたら、彼が・・・・・」

「もしかしたら、自殺でもするんじゃないかと思った、とか?」

「・・・・・ええ。すると君も気がついていたわけですかね?」

「まあな。最近の彼を見て薄々そんな不安はあった。それで打ち明けたってわけか」

 圭は黙ってうなずき、宅島は怒りを納めた。

「で、打ち明けて、彼はなんと言っていた?・・・・・もしかして、お前は彼に余計なことまで言って無理を強いたわけではないんだろうな?」

「無理とは?」

「つまりだな。・・・・・元通りの恋人に戻って欲しい、とかだ。世間体を気にしすぎるほど気にする守村さんにはそんなことを言ったら、まずいだろう。絶対に阻止するぞ、そんな非常識な真似は!」

「・・・・・我々のプライベートだ。君に言う筋合いはないと思うが」

「そういうわけにはいかないだろうが!今の俺は彼のマネージャーなんだからな!そんなむごいことは彼に強いたくないんだ!」

「しかし・・・・・!」

 そのときだった。ばたばたとICUの中では医師や看護師たちがあわただしく動き始めた。

「どうしたんだ?」

『患者が・・・・・!』

『急変・・・・・!』

 ガラス越しにそんな言葉が読み取れた。

「悠季っ!」

 圭の叫びが廊下に響き渡った。
【18】