悠季は宅島のお猪口に酒をついでから尋ねた。
「はあ。なんです?」
「実は桐ノ院圭のことなんだけど」
悠季が尋ねると、宅島はいぶかしげに顔を上げた。
「そう言えばこの間彼の十七回忌をやったそうで。早いもんだ、もう彼が亡くなってから満で十五年が経つんだなぁ・・・・・」
思えば宅島は圭の中学高校を通じての友人であり、悠季ほどではなくても深く彼にかかわった人間だった。その彼に圭が生まれ変わっているとしたらどう思うか・・・・・ふいに聞いてみたくなった。
「宅島くんは、生まれ変わりって信じる?」
「生まれ変わり?」
「たとえば・・・・・その・・・・・僕の息子が・・・・・」
桐ノ院圭なのだ、と それ以上は言葉が出なかった。
しかし宅島は有が伯父である桐ノ院圭によく似ていると知っている。
「ああ、有くんは圭にそっくりだそうだから・・・・・そのこと?」
そっくりなのではなくて、実は当人なのだが。
と考えているうちに宅島がなつかしそうにしゃべり始めた。
「まあ君の息子がまるで桐ノ院圭の生まれ変わりのように同じ才能を持っているかどうかは、まだ会ったことがないし、演奏を聴いたことがないから分からないけど。
あ、今度聞かせてくださいよ。
そうだなぁ。もし桐ノ院圭が生まれ変わっているとしたら、またSMEに契約させてこきつかってやるか。僕やあなたを悲しませた償いとしてね」
宅島は笑った。
「まあ、こきつかうは冗談としても、友人としても音楽関係者としても、そりゃ大喜びでこの世に迎え入れるだろうな。あんな不世出の指揮者は他にいない。僕はあの才能が存分に熟した後の音楽をぜひ聞いてみたかった!
だから、もし生まれ変わっているというなら大喜びで迎え入れるだろうと思うな」
「・・・・・そうだよね」
たとえ話としても、全面的に喜んでいる宅島の姿はありがたいと思った。こんなことを言い出して息子自慢だと思われるか、あるいはほんの冗談だと笑い飛ばされるのがオチだと思っていたので。だがなぜ生まれ変わりをあっさりと受け入れるような言葉が出てくるのだろうか?
「実はね。僕はやつが死んだと聞いて、本当のことなのかとずっと信じられなかったんですよ。彼の死に顔を見ていても死んだとはとうてい思えないような穏やかなものだったしね。次の瞬間『冗談です』とでも言って目を開けて起き上がるんじゃないかと思えたし。そんなことはあり得ないと頭では考えていてもねぇ」
宅島はぐいっと猪口を空けて、話を続けた。
「だけど、荼毘に付されて箱に彼の遺灰が納められているのを見ていてもその気持ちは変わらなかったなぁ。なぜかと言うと実は、桐院の家のことを昔彼の口から聞いたことがあったからなんだけどね」
「桐院家の?」
「そう。彼の家は古く、平安時代に遡れる旧家だ。それは聞いている?」
「ええ。知っているけど」
圭が桐院家の実情を話してくれた時は、公家というものがどんなに陰謀と策謀に渦巻くものかを嫌々ながら教えてくれたのだが。
「話してくれたのは酒の席だったけど、彼が言うには昔から家に言い伝えられている秘儀が幾つもあるらしいということだったんだ。まあ酔っていたし冗談まじりではあったけど、桐院家だったら生まれ変わりをさせるような秘儀があってもおかしくない、と思った印象は残ったな。それで彼が戻ってきても不思議ではないと思ってた。・・・・・いや、出来れば戻ってきて欲しい、戻ってくるのが当然ではないかとね」
「・・・・・そうなんですか」
「あ、悪い!守村さんには酷なことをべらべらと」
悠季の気持ちを考えて謝ってきた。彼はこういう気の使い方をしてくれる。
「気にしていないから。彼を知っている者ならば誰でもそう思うはずだし」
では、圭が実は生まれ変わっているということを明らかにしたら、誰もが喜んでくれるのだろうか?自分のように戸惑って迷っている者はどうすればいいのだろう?
つい思い浮かんでしまう圭のあの言葉。
――選んでください。『有』か『圭』かを・・・・・――
しかし今夜だけは忘れてしまいたかった。いつかは決めなければいけないのかもしれなかったが。
明日の夜は人間ドックの前日なので酒を飲めない。悠季はさほど自分の酒量が多くないことを知っていながら宅島に付き合って何本かのお銚子を空け、酒の勢いをもらってそのまま強引に眠りについた。
何もかも忘れて眠る事が出来た、と思っていた。
夜明けになって、突然びくんとからだが跳ねて、ベッドから飛び起きた。
今あった衝撃に、呼吸は速くなりまだ心臓が激しく鼓動を打ち鳴らしている。
「・・・・・ゆ、夢、だったのか・・・・・?」
悪夢、だった。絶対にそうとしか思えなかった。
それは、圭の依り代を自ら壊してしまう夢だった。
あのカフスボタンが悠季の手の中で砕け散っていく!
圭はそれを悲しげな顔で黙って見ていた。
悠季が元のように恋人に戻って、愛しあい暮らしていくことを拒絶したのだと悟り、黙って受け入れて、諦観した目でこちらを見ていた。
目の前で見る見るうちに圭の姿が崩れて一握りの灰となり、やがて風に吹き飛んで消え去ってしまった。
ひやりとした風が悠季の頬を吹き過ぎていき・・・・・唇に一瞬ふわりとあたたかな感触がかすめていって・・・・・。
そして、夢から覚めたのだった。
悠季は冷や汗がにじむ額を拭うと、ベッドから起き上がって背広のポケットの中に入れておいた小さなケースを震えが止まらない手で取り出した。圭の依り代だというカフスボタンを。
実はこれが圭の分身とも言えるような大事なものだったのだと知って、伊沢邸に置いていく気になれなくて持って来てしまっていた。
「・・・・・これが、圭」
入れてあったケースからカフスボタンをそっと取り出すと、ぎゅっと握り締めた。
これを壊すなどということを、自分は出来るのだろうか?
悠季はじっと綺麗な光沢を放っているカフスボタンを見つめ続けていた。
【16】