メヴェンナのみっつの月

 圭に口移しで水を飲まされ、気を失った悠季はようやく気がついたようだった。
「僕はキスっていったんだ」
 かすれた声で抗議した。
「おや、ちゃんとキスもしたではありませんか。でも、残念ながら魔法は解けていないようですね」
 少しも残念そうではなく圭がいった。
「残念だけど!魔法は解けたよ!……!」
 痛めたのどで大きな声を出したのでむせてしまった。
「水をもう少し飲みますか?」
 心配そうに圭がたずねた。
「いいよ、大丈夫。それより、ここは寒いから、奥へゆこう」


 滝の後ろのそこは濡れていて、熱が冷めた体には確かに寒かった。悠季が指し示したそこから続く洞窟は少し行くと最初に入った洞窟のように苔に覆われていた。
「こちらにすれば、君に寒い思いをさせずにすんだのですね」
「桐ノ院中佐!魔法は解けたっていったろ!」
「そのかわり、僕が魔法にかかったようです」
「話を聞く気あるかい?」
「ありますとも。君の声でしたらいくらでも」
 ふぅ、と大きなため息をついて、気持ちを切り替えると悠季は話しはじめた。


「僕は守村悠季。
航宙船<フジミ>の船医長で、<エクスカリバー>を搭載していたシャトルの乗組員だよ」
「いまままで隠していたのはわかります。あそこは監視されているのでしょう?」
 そうだとうなづくと悠季は説明した。
「僕の計算だとフィールドの外縁は滝のあちら側に位置するんだ。だから、ここはアンドリア人の感知装置による盗聴もできないんだ」
 悠季は簡潔に説明を続けた。
 緊急着陸したものの、アンドリア人に数日のうちに追跡してくる可能性があったので、シャトルの修理を試みる前に、この地域を調べ、<エクスカリバー>を隠したこと。
 その調査のときにこの洞窟もみつけたこと。
 最初の洞窟の小さな滝を水浴び利用していて、アンドリア人が到着したとき、悠季がいたのも、そこだったこと。
「僕はシャトルに戻る途中で、アンドリア人の声に気がついたんだ。やつらはほかの乗組員から<エクスカリバー>をありかを聞き出すのに熱中していて、僕には気がつかなかった」


 悠季は視線を逸らした。
 その目には過去の亡霊が取り憑いている。悠季は苦い声で続けた。
「みんな殺されてしまったよ。僕は武器も持っていなかったし、手のくだしようもなかった」
 圭はそっと肩を抱いた。悠季は哀しげな眼でかすかに微笑んで見せた。
「洞窟に戻った僕は見つかるのは時間の問題だと思って、制服を処分して、パンデラの葉でこれをつくって」
 とボロボロになったパンデラの葉の衣装を示し、
「やがて、やつらに発見された僕はきみに話したのと同じ話を聞かせたんだ」
「なるほど、気が狂ってるにせよ、そのふりにせよ、君が死んでしまったら何も聞き出せないですから、監視だけをしているのですね」
 それにねと、悠季は続けた。
「アンドリア人は迷信深い一面があるんだ。だから、僕がひょっとしたら真実を語ってるんじゃないか。僕が死んだら、本当にこの空地も破壊されるのではないか。って、不安になったんだろう」
「そして、まだ、<エクスカリバー>は発見されていないのですね」
「そう、だから、フィールドを一度消してきみを引き込んだんだ」
「ふむ、同族だったら何か話すかもしれないし、道具もあるから、発見するかもしれない…ですか」
「たぶんね」
 質問がありますと圭がいった。
「この洞窟はなぜ見つからなかったのです?」
「ああ、僕がアンドリア人に見つかる前に入り口を石でふさいで置いたんだよ。彼らの感知装置では洞窟の中までは音は聞けても見えないから」
「では、<エクスカリバー>は、ここにあるのですか?」
「はずれ。ここを隠したのは、何かのときに逃げ道になるかと思ったからだよ」
 悠季はいたずらっぽい顔で続けた。
「<エクスカリバー>は『魔法の池』に沈めであるんだ」
 圭はとても信じられないといった顔で、
「そんなことはありえません。僕はあの池も探査したんです」
 と眉をあげた。
「あの水はヴェリリウムを含んでいただろう?」
「ええ。きわめて珍しい原子ですが、だからといって…」
「それにオプシトレイト」
 と悠季はいった。
「このふたつを組み合わせた場合の効果は?」
「ヴェリリウムとオプシトレイトが同時に存在することは、まずありえないはずですが…」
 そういって、圭は記憶を探って、やがて、結論にたどりついた。
「結合してマイナスの偏光現象が起こりますね。何をもってしても透視できないスクリーンを形成して、そのスクリーンの存在すら探知できない」
「僕のシャトルの乗組員がそのことを発見したので、<エクスカリバー>を沈めたんだ。
 僕がトリコーダーを持ったきみをあそこに近づけないようにしたのはそのためだよ。そのうち気づいてバラしちゃうんじゃないかってハラハラしたよ」
「僕はばかでした」
「そうかもね?」
 悠季はにっこり微笑んだ。
「でね、ここはフィールドの外だし、きみの通信機を使えば<ウィーン>に―――」
「残念ですが、この惑星は希少鉱物の宝庫でピレティマイトも豊富なのです。そのせいで通信は妨害されてほとんど期待できない。 ぼくたちはシャトルで脱出するしかありません」
「でも、どうやって?」
「可能性があるのはこのフィールドを乱すことです。フィールドの外からなら、シャトルの重力制御システムの部品を流用して短い間ならフィールドを乱す装置を作れると思います」
「乱す?」
「ええ、消したり、破壊したりは難しいですが、シャトルがすりぬける間だけ無効にするのです。
 ここなら、装置を設置するのにちょうどいいです。きみにはシャトルを離陸させ、牽引ビームで<エクスカリバー>を回収したうえで、僕も収容してもらわねばなりませんが。重力制御が不安定なシャトルでですが、できますか?」
「やるしかないだろ?」
 悠季はシャトルなら操縦できるよ。航宙船は無理だけどねと笑って見せた。
「でも、このまま、のこのこ出ていって、部品や工具を運び込むわけにはいかないよ?やつらだって何かしていると気づくよ」
 圭は悠季の顔をじっと見つめたまま考え込んだ。
「分解修理を装いながら部品ははずせるとおもいますが。あとは、もう一度、誘惑してもらって洞窟におびきよせてもらうしかないですね」
「もうきみを誘惑するのはこりごりだよ」
「すみません。きみは魅力ありすぎて、うかうかと罠にはまってはならないと戒めすぎていたものですから」
「できるだけ、ヒントもだしたのにわかってくれないし」
 圭の言葉はかれの耳を素通りしているようだった。


 悠季が近づいてきたとき圭はシャトルから取り外した必要部品をあたり一面にひろげたまま、地面に坐りこんでいた。
「なにしてるんだい?」
「見てのとおり、通信システムを修理しようと努力しているのです」
「見たとおりとは、まったくちがうよ。これじゃ、『玉投げ遊び』をしているみたいだよ」
 圭は返事もしない。
「ほんとに『玉投げ遊び』をしようよ。通信なんとかの修理なんかより、ずっとおもしろいんだよ」
「そのゲームはよく知りませんが、それがなんであれ、まったく遊ぶ気はありませんので」
「僕のこと怒っているんだね」
 圭は部品をケースに詰め込んでたちあがった。
「嘘しかいわない者とは、話をするつもりもありません」
「きみに嘘をついたことなんてないよ!」
 悠季は叫んだ。
 圭は眉を顰めて振り向いた。
「そうですか?僕はきみに頼まれたとおりにしました。きみは自分の超自然的な変身が一時間以内に起こるといい、僕は要求された時間待ってみましたが、何の変化も起こりませんでした。
 つまり、きみの言葉は嘘でした」
「悪いのは僕ではなくて、きみの振舞いかたのほうだよ。考えてみてよ」
 眉間のしわが深くなった。
「そうだよ。きみの振舞いかただよ」
 と悠季がいった。
「僕は魔法を解くには恋人のキスがいるんだっていったよね。―――僕を嘘つきだと決めつけようとする懐疑主義者のキスじゃないんだ。
きみのやりかたが……魔法を解くほど上手じゃなかったんだよ」
「僕は下手でしたか?」
 憮然と圭が訊ねた。
「そうじゃなくて…」
 悠季はあわてていった。
「きみが疑うのをやめてくれればいいんだよ。まるで、実験でもするかのようにしか考えてないんだろ。それじゃ、だめなんだ。でも、ふたりが心を合わせればちゃんと効くキスになるんだよ。ねえ、もう一度、一緒に来てよ」
 悠季が腕に手をかけると、圭は部品を入れたケースを携えたまま、催眠術にかかったように悠季の後をついていった。
 





 航宙船<ウィーン>は第六宇宙基地の周回軌道上にあり、<エクスカリバー>はすでに、基地の保安区画に無事に運び込まれている。
 圭と悠季は転送室にいた。悠季は<フジミ>の修理が終わるまで基地に滞在することになっている。
 きちんと青い制服に身を包んだ悠季は、薄い木の葉の衣装を纏った森の妖精と同一人物とはとても信じられない。
 かれの制服の胸には医療部に所属することを意味する羽のある杖と蛇をデザインした記章が輝いていた。
 差し障りない会話を交わす間に時は過ぎて、別れの挨拶はどちらからもでなかった。


 やがて、惑星の基地から転送降下を迎える準備ができたという信号が入ってきた。
悠季は転送台に立った。


「さようなら、悠季」
 圭のその言葉に悠季の表情が曇った。それをみせたくなくて俯いてしまう。
「しばらくの間、お別れですね」
 悠季はその言葉に顔を上げて圭を見た。
「しばらくの間?」
「そうです。必ず、会いに行きますから―――きみは僕の運命です」
 圭はまじめな顔でいった。眼だけがやさしく微笑んでいる。
「そうだね。きみはメヴェンナのみっつの月の夜に『魔法の池』をのぞいたんだものね」
 悠季は魅惑的に微笑んだ。
 やがて転送装置が作動音を発し、悠季の姿が次第に薄れていったとき、圭の目にはまごうことなき、いたずらっぽい表情をした森の妖精の顔が映っていた。





 ※ ※ ※ ※ ※




 その後、<エクスカリバー>探索の功績を以ってして圭は連邦軍でもっとも若い船長として航宙船に着任した。
 彼が、ありとあらゆる手段をもちいて、<フジミ>に着任したのはいうまでもない。