「そんな言葉を使うなよ!と、とにかく、僕は君と友人として付き合うことしか出来ないから、このままじゃ君を利用するだけみたいで、申し訳なくて」
うつむいて話す言葉は次第に小さくなった。
「この程度で利用していると言うのでしたら、どうぞこれからも利用して欲しいですね」
桐ノ院の笑いを含んだ声に、悠季は驚いて顔を上げた。
「そんなこと言わないでくれよ!」
「君はわがままでもないし、僕を利用するだけの人間と考えているわけでもありません。
もしそんな人間でしたら、この世界に連れて来られた時点で僕にもっと過大な要求を突き付けてもよかったでしょう。そうなっても、僕は承諾するしかなかった」
「そんなこと言えるはずないじゃないか。僕がこっちの世界の事を知らないから、君に依存しているんだぞ」
「そう思える君は、とても素直な育ち方をしているのですね」
ため息と、どこか暗さを含んだ声は、今までの穏やかで礼儀正しい桐ノ院のものとは違っていた。
「桐ノ院?」
「他人の言葉の裏をさぐって、相手の本当に意図しているものを見つけ出す。本当に自分の味方なのかそれとも敵なのか。僕はいつもそうやって人と相対していた。
君と一緒に過ごしていた時間は、そんな駆け引きとは無縁の時間でしたよ。
あちらの世界でも君はまったくの関係のない僕を置き去りにしても構わなかったのに、捨てておけずに手助けしてくれた。その上、生まれた世界とは違うこちらへと飛ばされてしまったのに君はまったく僕への恨みごとを言わなかったでしょう?
申し訳ないと思っていたのは、いえ、思い続けているのは僕の方です。いくら言っても感謝しきれません。それほど僕の借りは大きいのですよ」
そして、
と、桐ノ院は言葉を続けた。
「君が僕を思いやって、僕のためを考えて下さるのは、僕にいくらかでも好意を持ってくださっているとうぬぼれてもいいのではないかと考えているのですが・・・・・どうなのでしょうね?」
「そ、それは・・・・・!」
悠季は続ける言葉を失って目が泳ぐ。
その態度こそが、雄弁な言葉になっていた。
「返事を無理にいただこうとは考えていませんよ。ただあなたがこの世界に慣れて、この世界で生活していけるように手助けさせてもらいたいと思っているのです。僕の好意は迷惑ですか?」
「い、いや。そんなことはないけど」
「では僕の良心の呵責を鎮めるためにも、もう少し僕につきあっていただけますか?」
「そりゃ・・・・・えーと、そうなんだけど。でもなァ」
「僕の提案を考えておいてください」
なんとかして言葉を探そうとしている悠季を横目に見て、どうやら説得できそうだと桐ノ院は心の中でほっと胸をなでおろしていた。
先ほど、悠季が一人で生きていくために別々の道を行くと言い出した時の、心が凍りつくような恐怖を思い出して、ぞっとなる。
この先、彼がいなくなったらどうなるのか。
自分の思いがけない気持ちに驚いていた。
それほど彼を深く愛してしまっていたのか。最初は好みの容姿を持ち、素直で人を疑わない性格に驚き、人を信じ続ける強さに感動した。それだけのはずだった。
しかし、二人きりで旅をしているうちに、かけがえのないほどに愛してしまっていたのだろうか。
マロウドである彼を一人きりにしたら、いったいどうなるのかと思うと、不安でしかたがない。それに、彼のもつ数々の疑問や謎は、自分の目の届くところに置いて解決させなければならない。
いや、これはこじつけにすぎない。
自分でも執着していると思った。
しかし何としても、この先手放すことは出来ないと思う。どんな策を弄しても、彼が手元から出て行くことを阻止しなくては。
升麻に到着するまでに、きちんと彼から承諾をとらなくてはならないだろう。そして麻黄へと移動した後は、彼が納得して生活していくだけの場所を確保しておけばいい。
独立心旺盛な彼は、桐ノ院家の居候として過ごすことをよしとしないらしかったから。さてどうすればうまく説得できるだろうか?
「いん・・・・・桐ノ院、ねえってば!」
物思いにふけっていて、つい、悠季が呼び掛けていることに気が付くのが遅れた。
「向こうから音がするけど、何かが来るんじゃない?」
はっとなって馳車を止めて耳を澄ますと、かすかに響きが聞こえる。悠季の耳の良さに密かに舌を巻いた。
音の具合からすると、一台や二台ではない。速度を上げて急いでいる馳車の一団に思えた。それも、かなり速く軽そうな音から、乗り合いの馳車や郵便用の馳車ではなく、貴族の持ち物であると思われた。
敵か、それとも逮捕にやってきた国王か大神殿の者か。
まだ相手の馳車が視界に入らないうちに自分たちの馳車を急ぎ道の端へと隠してやり過ごすことにした。もしこれが追手であれば、危険なことになってしまう。ただの急いでいる貴族ならば、そのまま走り去っていくだろうし、追手なら身を隠して逃げなければならない。
目を凝らして相手をやってくる姿を窺っていると、徐々に近づくにつれて相手の顔が見えて来る。
「・・・・・ああ、あれは!」
桐ノ院は草むらから身を起こし、無造作に馳車の前へと立った。
彼等は公爵家の人間だったのである。
桐ノ院の姿を見て驚いた彼等は、喜びの声を上げると急いで馳車を止めてわらわらと走り寄ってきた。
「公爵閣下!ここでお会いできて何よりでした!」
「何かあったのですか?」
必死の形相で馳車を走らせていたのは、宅島との連絡に動いていた村沢だった。
「お耳をおかし下さい」
「構わない。ここに居る者は信用出来る。声をひそめる必要はない」
「ですが、彼は・・・・・」
ちらと悠季の方に目をやった。
「彼の事なら問題ない。お前が気にする必要もない」
「は。失礼致しました」
桐ノ院のいらだった口調に、村沢は主人を怒らせる愚を悟って、ここへ来た事情を話し出した。
それは、桐ノ院家にとってはあまりありがたくない知らせだった。
現在の公爵の居所を知っているはずだと大神殿からの使者が、突然やってきたという。
そして、姿を消した理由を問いただし詳しい説明をするようるよう求めていた。
その上、桐ノ院が今柴胡に向かっていることも承知の上で、柴胡に入るまでに逮捕するつもりまであるらしい。
見つけるまでは断固として帰らないときっぱりと言い張っており、早くきちんとした応対をしなければ、家人を手当たり次第にきつい尋問を始めると脅しているのだとか。
大神殿に逆らえばいったいどんな罰がまっているのかと、桐ノ院家の家人たちは震えあがっている。
今は桂枝に引きとめて時間を稼いでいるが、何とか急ぎ応対しなければまずい。
この地まで捜しにやって来られると、協力的ではなかったとして逮捕連行の口実を与えてしまう事にもなりかねない・・・・・。
「なぜ僕の居場所が分かったのだろうか。僕がここにいることを知る者は君たち以外にはいないはずでしたね。誰かが情報を流したということですか?」
じろりと村沢の背後に控えている従者たちを睨みつけると、彼等は居心地悪そうにしていたが、顔色を悪くしたり視線をそらす者は出て来なかった。
「まあいい。それよりも、宅島が僕に知らせをよこしたのですね」
「仰せの通りです。公爵様には急ぎ桂枝までお戻りになられるようお願いしたいそうです」
「なるほど。それで、桂枝へ戻るための『扉』の手配は出来ていますか?」
「はい。升麻の『扉』を優先的に使えるようにしてあります」
「分かりました。急ぎましょう」
「では、こちらの馳車へお乗り換えください。こちらの方が早いし乗り心地もよいですので」
桐ノ院はうなずいて彼らが運んできた馳車へと進んでいき、その後ろを悠季がついていくと、従者の一人が咎めた。
「おい、お前はこっちだ」
「え?」
悠季は男の険しい表情に思わずひるんだ。
男は悠季に近寄ってくるとぐいっと腕を掴み、後ろの馳車へと連れて行こうとする。
「何をしている!彼への無礼な振る舞いは許さない。彼は大切な賓客ですよ」
桐ノ院の厳しい声がとんだ。
「・・・・・は。失礼しました」
家人が渋々手を放すと、悠季はためらいがちに桐ノ院が乗り込んだ馳車へと歩み寄った。
「・・・・・いいのかい、いや、いいのですか?」
「もちろんです。さあ、早く」
しかし、普段のようなおだやかな口調ではなく、どこか上の空で固いものだった。
既に意識の大半でこれからのことを考えているせいだろう。悠季が言いなおしたことに気がつくこともなかったが、それを後でどれほど悔んだ事か。
一行はそのまま急いで引き返し、升麻への道へと馳車を走らせた。
緊迫感が、誰の口もつぐませて馳車を急がせている。
何度か休憩をとりながらも、夜も馳車を走らせ続けて、翌日には升麻へと到着した。一行の馳車は人目につく事を恐れ、公爵の乗る馳車と数人の警護の者が馳車よりも小型の乗り物に乗って周囲を固めていた。
馳車はそのまま街中を走りぬけ、ぽつりと建てられた灰色の石づくりの建物へと横付けされた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
待ち構えていた者が一行を建物の奥へと案内する。ここが『扉』の設置されている場所だった。
悠季は知らなかったが、『扉』という移動手段は璧を多く使うために、高価なものになっている。そのため貴族や王族が公用で使うか金持ちが緊急に使う手段となっていて、人数の制限が厳しい。
だから升麻から桂枝へと行く手段としては特殊なものだった。普通は、馳車か、あるいは馳車よりも早い乗り物を使って移動するのが一般的だったのだ。
一行が案内された場所は建物の中心で、広い吹き抜けの広間の中央に『扉』が設置されていた。
それは、大きな精緻な彫刻を施された白大理石に見える両開きになっている扉が置いてあるだけで、背後には何もない。
機械に見慣れた悠季の目には実に不思議なものに見えた。
「これが移動手段?『扉』って、本当に扉なんだ」
思わずつぶやいていた。
「さあ、行きましょう」
桐ノ院が驚いて足を止めた悠季の背中を軽く押して、『扉』の前へ立たせた。
「お待ちください!その者の分まで許可は得ておりません!」
村沢が叫んだ。
「その者、いえ、お客様は私どもが後ほど桂枝までお連れします。公爵様はどうぞ先をお急ぎください」
「いえ、彼も連れて行きます。悠季の分の許可がないというのなら、警護の者を一人残せばいい。問題はないでしょう?」
「ですが・・・・・その者はマロウドではありませんか!」
ぎゅっと桐ノ院の眉がひそめられた。
「それがどうしましたか?この方は僕の大切な賓客だと言ったはずです。あるじの言葉に逆らう無礼者など桐ノ院家には必要ない!」
ぴしりと言い放つと、村沢は渋々といった態度で頭を下げて謝罪した。
「ですが・・・・・いえ、失礼致しました」
表情を消したままで急遽『扉』の前に立つ者を調整した。そして、奥の二階張り出しにあるらしいコントロールルームへ合図をすると、中では承知したと示してきた。
同時に音もなく『扉』が、開かれていく。
扉が全て開かれると一行は中に入り、背後ではゆっくりと扉が閉められていった。
驚いたことにそこは部屋の中ではなく、何の機械も道具も置かれておらず、やわらかな色をした壁が囲む通路となっていた。
これが移動手段なのか?そう考えるとなんとも不思議なものだった。
悠季が思わず立ち止まると桐ノ院は悠季の背を押して中へ進むようにうながした。
押されるままに通路を進むとその先には先ほど開けた扉と同じものがあり、そのまますぐに開かれた。
扉を出ると先ほど出てきた広間と同じ作りになっていて、振り返るとやはり大きな両開きの扉しかない。
まるで元の場所へ戻ってきたようにしか思えなかったが、まっすぐにしか進んでおらず、Uターンした覚えもない。
そして何よりそこには、先ほど升麻に残してきたはずの随員たちがいない。
「・・・・・あれ?」
「驚かれましたか?ここはもう桂枝に入っているのですよ。これが『扉』なのです」
どこかで空間を折り曲げているのか、あまりの不思議さに首をかしげていたが、こういうとき必ずと言っていいほど丁寧な説明をしてくれるはずの桐ノ院はうわの空でさっさと建物から出ていった。
表情はまったく平静なままだったが、事態は緊迫したものになっていることがうかがい知れて、悠季も急いで後を追った。
建物を出ると、数人の人間が待ち構えていた。
「よかった!ようやく無事帰ってきたか」
一行を出迎えてくれたのは、桐ノ院と同じくらい背の高い青年だった。
「宅島」
桐ノ院が呼び掛けるとうなずいてみせたので、この人物が桐ノ院の話に時々出てきていた宅島という人物だということがわかった。
「どこでどうなっていたのか、探したぞ。詳しい事情は館に戻ってから聞かせてもらうからな!それにこっちの事情もいろいろと・・・・・。誰だ?」
桐ノ院のすぐそばに立つ悠季に気がついて、目線で説明を求めた。
「悠季、こちらへ」
呼ばれて、悠季は桐ノ院のそばへとやってきた。
「この男が宅島です。僕の幼なじみで桐ノ院公爵家の顧問をしています」
桐ノ院のすぐそばに招き寄せられて、悠季は宅島に挨拶した。
「宅島、こちらは守村悠季さん。僕の命の恩人です。大切な賓客として屋敷に滞在してもらうつもりです」
悠季がさえぎろうとしたが、桐ノ院は目で押しとどめた。
「守村さんの事情は村沢に伝えてあるのである程度分かっていると思うが、彼を元の世界に戻すために桐ノ院家の力をお貸しするつもりでいる。
だが、まずこちらの事情をなんとかしなければならないので、守村さんには別邸に行っていただいた方が安全だろう。よろしく頼む」
「あー・・・・・了解。守村さん、僕は宅島と言います。しばらくの間、彼を必要としますので、別邸で気楽に過ごしていてください。連絡が取れなくなるかもしれませんが、安心して過ごしていただけるようにしますよ」
微笑みを浮かべて悠季に挨拶してくれたのは、桐ノ院よりも人懐っこい笑顔の、飄々とした雰囲気をもった男だった。
桐ノ院が公爵としての格式を持っているとすれば、彼はどこにも縛られない自由さを持っているようだった。
だが、その彼も瞳の奥には緊迫したものを隠しているようだった。
それだけ桐ノ院を取り巻く事態は緊迫しているのか。
今までならまず悠季の意見を聞いてから決めていたはずなのに、既に決定事項として話す桐ノ院のやり方に、すっと頭が冷えた。
今までにない強引な桐ノ院のやり方は緊急事態を示しているのだろうか。
もしかしたらこのまま彼と会う事が出来なくなるかもしれないほどの・・・・・?
だとしたら、少しでも彼の助けになるなんておこがましいから、せめて邪魔はするまいと思った。
「守村です。お手間をかけることになりますが、よろしくお願いします」
頭を下げて、宅島が呼び寄せた家人に連れられて、そこから馳車に乗って出発した。
馳車の窓から桐ノ院を見つめる目は切ないものを含んでいたのだが、彼はそのまま気づかずに行かせてしまった。
あとでひどく後悔してしまうことなど全く知らずに。