【 第9章 








 ぴいいいいいい・・・・・!!



 突然、耳を裂くような鳴き声が響き、バサバサとせわしない羽音がしたと思うと、突然圭の背中に激痛が走った。

「うわっ!」

 続いてまた肩や腕にも痛みが走る。顔を上げて何が襲ってきたのかと捜すと、サラマンドラの仔が翼を広げて飛び回っており、また圭を攻撃しようと隙を狙っている。

その眼はいつもの穏やかな青や緑の色ではなく、危険な真っ赤に染まっていた。そこにいるのは愛らしい宝石のような生き物ではなく、凶暴で害意にみちた野獣だった。

 圭がからだを起こしたのを見て、仔竜が圭の顔を狙って飛んでくる。彼はあわてて腕を上げて顔をかばい、態勢がくずれた。

「や、やめてください!僕を離して!」

悠季はエマの声に、はっと気を取り直してからだを起こした。

あわてて彼を思い切り押しのけると、触れられない場所へと出来る限りの速さで逃げ出した。

「エマ!いいよ、もういい!もういいんだ」

 大急ぎで暴れるエマを圭のからだから引き離して抱きしめた。悠季の腕にも興奮したエマの爪が掛かり、ざくりと開いた傷から血が流れ落ちていった。

 仔竜をなだめながらからだを優しくなでてやると、ぴるる・・・・・ともう一度鳴いてから身をぶるっと震わせて翼をたたんでいった。

「あ、あなたは!・・・・・僕を愛しているって言ったって、結局あなたがしている事はあの小早川匡と同じことじゃないですか!僕を愛しているってことは、強姦するほど僕のからだが欲しいというだけなんでしょう?!僕は、誰の愛玩物にもならない!僕は僕のものだ!」

 悠季が叫ぶと圭はぎくっとなって何か言いかけたが、そのままうなだれてしまい、彼の口からはいいわけの言葉も自己弁護の言葉も出てくることはなかった。

そんな圭をそのままにして、悠季音楽室から隣の部屋へと転がるように飛び出していった。

「・・・・・よかった・・・・・!ありがとう、エマ。僕は自分の嫌な姿を見ずに済んだよ」

 ぴいぴいと鳴いて、エマは悠季の腕の強さに抗議する。先ほどまでは興奮して真っ赤だった眼の色も、緑や青が混じったいつもの色に戻っている。

 彼が追いかけてくるのではないかと心配して、ちらちらと元の部屋を見ていたが、ドアが開いて彼がこちらに来る気配はなかった。

 ほっとして、ぶるぶると震える指で服を調えながら、自分の部屋へもどったらエマに裂かれた腕の傷を手当てしなければ、と思った。かなりずきずきと、痛い。・・・・・それから、下半身の方にも歩くたびに痛みが響く。

外へ開くドアの方へとそろそろと歩き出して出て行こうとしたが、ふと立ち止まってしまった。・・・・・その時、悠季が思いついてしまったのは、

『エマに切り裂かれた彼の怪我は、もしかして僕の腕の傷よりずっと深かったんじゃないか・・・・・?戻って確かめてくるべきかもしれない・・・・・?』

 という心配だった。

 悠季は部屋を出る時に見えた、彼の血だらけの背中が気になってきた。かなり深そうな怪我だったのに、悠季が部屋を逃げ出していく時にもうなだれたままで動こうともせず、手当てをしようとするそぶりもしていなかった。

『お人よし過ぎるぞ、悠季。また襲われて押し倒されたら、どうするつもりなんだ・・・・・?』

 そう自分を叱ってみたが、気になって仕方がなくなってくる。

悠季は文句をいうエマをなだめすかして部屋に残し、恐る恐る先ほどの音楽室を覗いてみると、彼は先ほどとまったく同じ姿勢のままで、背中や腕の傷の手当てもしていなかった。広い背中の傷からはかなりの血がしたたり続けている。

悠季は急いでアイヴァスを呼び出して、手当ての為に医療用の自動機械を出してもらった。

「圭さん、手当てをしましょう」

ぼんやりと不思議そうな表情でゆっくりと顔を上げた圭が、悠季の腕の傷を見ると目を見張った。

「あなただってこんなに怪我をしているじゃありませんか!僕よりあなたの方が先です!」

「いや、だってあなたの方が傷が重いし出血も多いですよ?いいからあなたの怪我の手当てを先にしましょう」

「いいえ、バイオリニストの腕ですよ。傷が化膿でもしたら大変です。あなたの方が先です。僕でしたら体力がありますから大丈夫です!」

 小さな丸いドラム缶のような形の医療用機械を悠季の方へと寄越した。

「僕が手当てしても、構わないですね?誓って妙な真似はしませんから」

悠季が口ごもってためらい、遠慮しようとするのを黙殺すると、圭は彼の傷の診断を自動機械に命じた。

機械は手際よく悠季の腕の傷を診断して、傷の表面に殺菌剤と止血剤を塗るよう指定し、保護フィルムを出してきた。圭は指示通りに彼の処置をしていった。自動機械は、傷が塞がったあと細胞活性処置をすれば、傷跡も無くなることを告げて、手当てを終了した。

 しかし圭はまだ気がかりそうな顔をして、悠季の目を見ないようにしてたずねてきた。

「あー、その・・・・・尻の方は痛みませんか?手当てをした方がよいのでは・・・・・」

「ぼ、僕なら大丈夫です!放っておいてくださいっ!」

 悠季は真っ赤になって手当てを断った。

「じ、じゃああなたの番ですね、僕が手当てをします」

 気を取り直して手当てにかかった。

 圭の怪我は悠季の腕の怪我よりかなり深いもので、止血剤だけでは血が止まらず、接着剤で傷口を閉じ、上に保護フィルムを貼ってから傷の固定バンドを取り付けた。

「・・・・・なんで戻って来たんです?僕のことなど放っておけばいいでしょう。僕はあなたを強姦した男ですよ。またあなたを襲うかもしれなかったのに・・・・・」

 黙ったまま手当てをさせていた圭は、手当てが終わる頃になってかすれた声でそう言った。

「怪我した人を放っておけなかっただけです。エマがあなたに怪我をさせたんですから。それに・・・・・僕はあなたにちゃんとお詫びと、言っておかなくちゃいけないことがあったんです」

「君がお詫びなどとは、とんでもないことです!僕は君になんて事を仕出かしたのかと思うと・・・・・!それにしても、僕に言っておかなければいけないこと、とは?」

「ええ、僕があなたを避けていたのは、小早川匡が僕に言った言葉のせいだったんです」

 悠季は彼の言葉を伝えた。

『僕と同じように綺麗な男の子が好きだからね・・・』

小早川が言った、あの言葉を。

「あなたは彼と同じように、最初から僕のからだだけが目当てなのだと思い込んでしまっていた。ひどい偏見もいいとこですよね。だからあなたが僕の態度を怒るのは無理なかったんです。

あなたが僕を好きになるなんて思えなかったし、面白がって僕にちょっかいをかけているとしか思えなかった・・・・・。あなたが相手をするとしたら、もっと才能とかがあってもっと美形な人でしょうから」

「僕は違います!僕は悠季という人が好きになったのであって、からだが目当てではありません!それにあなたはとても魅力的です。面白がるなんて、とんでもない!」 

 圭は叫んでから、ふっと苦笑いした。

「そんなことを言ったところでなんの説得力もありませんね。僕はあなたを強姦したのですから」

深いため息とともに言い続けようとするのを悠季がとめた。

「それにね、僕にはあなたと恋愛をするには問題があるんです」

 悠季は息を吸い込むと、全ての自分の生い立ちを圭に話し出した。

小さい頃どこからかさらわれたらしく、ある場所で他の子供たちと育てられた事。そこは孤児院ではなくて子供専門の売春組織で、自分には記憶がないが、たぶん男娼として過ごしていたらしい事。

そこで親友が麻薬の副作用で買われた相手と同衾中に死亡した事、それを見てしまった自分は同盟の奴隷として売られていき、巡り巡って恒河沙で福山正夫に買い取られた事・・・・・等々。

「僕にはまだ【ハウス】での暗示が残っているらしくて、今でもそのキーワードを言われれば嫌でも男娼として動き出してしまう・・・・・みたいだ。おじいちゃんがかけておいてくれたストッパーもあったけれど、今回はそれが効かなくなりそうだった。

僕はこんな風に自分の意思ではなく動いてしまう自分が嫌で、幼いころから性愛の対象となっていた自分が大嫌いだ!
僕は今までなるべくこんな自分の嫌な過去から目をそむけようとして、人との付き合いも深くしないように、恋愛にもかかわらないように気をつけて・・・・・逃げようとしてきた。だからそのつもりはなかったけど、結果的にはあなたの気持ちをもてあそぶような態度を取ることになってしまった。

今回のことは、つまり、自業自得みたいなものなんです・・・・・。

そんな僕だからバイオリンも・・・・・人を感動させる音を、出せやしない。・・・・・僕の唯一の心のささえなのに・・・バイオリンだけはもっと高みを目指したいのに・・・・・!」

 悠季は自分のからだが、がたがたと震えてくるのを感じた。手や足がしびれたように冷たくなっていき、耳から音が消えていく。目の前がセピア色に色彩を失っていき、意識が闇へ落ちていくのを感じていった。

意識の限界がきてしまったようだった・・・・・。

「悠季・・・・・?」 

 すとんと悠季の意識がなくなり、前のめりに倒れていく。あわてて差し出してきた圭の腕の中に、彼はまるで人形のように崩れ落ちていった・・・・・。
 






悠季は気を失ってから、一日半たってようやく目が覚めた。

知らないベッドに寝かされていているのに気がついてぎょっとなり、あわてて起き上がると、横に男が一人座っていた。

「君は・・・・・?もしかして・・・・・圭さん・・・・・?」

やつれはて無精ひげだらけでまるで別人のようになりはててしまった彼は、悠季には初めそれが誰なのかわからないほどだった。

 圭はずっとそばについていて、看病してくれていたらしい。

 それから、わき腹にはサラマンドラのエマが。わき腹に感じていた暖かな感触は彼女のものだったようだ。

「エマ・・・・・?」
 
 悠季がそっと撫でてやると、頭を少し上げて、くるる・・・・・と鳴いてまた眠ってしまった。

「エマは君の事を心配してずっと君のそばから離れようとしなかったのですよ。小さくちいさく鳴き続けて、君を励ましているかのようでした。疲れているようですから、寝かせておいてやって下さい」

 圭がひそめられた優しい声でそう言った。

「せん・・・・・、いえ圭さんもずっと僕のそばについていてくれたんですか?」

「ええ、ずいぶんうなされては暴れていましたからね。心配しました・・・・・!」

 確かに圭の顔や腕にはエマが付けたものとは違う引っかき傷が沢山ついていた。

「すみませんでした!君には本当に申し訳ないことをしました。君がこのまま起きないのではないかと不安で不安でどうしようもなかった・・・よかった、無事に起きてくれて・・・・・!」

 圭の顔には心からの安堵と、過ごして来た不安な時間のかすかな残滓が浮かんでいた。

「僕がうなされていたのなら、・・・・・あなたは知ったのでしょう?僕の、あの嫌らしい姿を」

 悠季の顔が、不安そうに圭を見つめる。

「嫌らしい、ですって?」

「僕は自分から男を誘いこんで、喜んでセックスしようとするんだ・・・・・!嬉しそうに笑いながら・・・・・!ちっともうれしくないのに、やりたくないのに、僕は、・・・・・そうするんだ・・・・・!」

 嫌気がさしただろう?とうつむいて悠季は言った。思い出すと手が震えてきそうだった。

「昔の暗示はちっとも消えてくれない。僕は眼鏡を外す勇気もないんだ。本当は眼鏡を外して人と接するようになりたいのにね・・・・・」

 圭がそっと抱きしめてきた。決して強くなくて、振り払おうと思えば出来る程度の優しい抱擁。背中に回った手が、ぽんぽんと叩いて、落ち着かせてくれる。

 これは悪夢の中でも感じていた、暖かな安らぎ。きっとまあくんが慰めてくれているのだと思っていたのに・・・・・。腕の温かさは悠季のからだになじんで、それが昔から知っていたもののように落ち着かせてくれる。

「どうして僕が君を嫌いになるんですか?僕ならば君がどんな姿を見せてくれたとしても愛しく思いますよ」

 圭の腕は、悠季が落ち着くのを見計らって、そっと離れていった。

悠季はその腕の温かさが無くなるのを、少し名残惜しく思っていた。

「しかし、君がセックスを嫌悪しているのは分かりました。僕は二度と無理強いはしません。僕の名誉にかけて誓います。君に僕の思いを押し付けて嫌な思いもさせません。

ただ、友人としてだけでかまいませんから、どうかもう一度やり直すチャンスをいただく事は出来ませんか?」

 圭が正面から悠季の顔を見つめて言う。

「友人として・・・・・?」

「ええ、君が僕と恋愛が出来ないのならば、せめて友人として始めることは出来るのではありませんか?僕の部屋にある音楽をお聞かせしたり、ああ、君が言っていたアマチュア・オーケストラを作ろうという話をしたり、・・・・・です。そのあたりから始めることは出来ませんか?」

「うん・・・・・。それくらいなら出来るかも・・・・・」

 ふっと圭の顔がほころぶ。

「もちろん僕を受け入れてくれて、いつかは恋人同士になっていただけるのならば、最高なのですが」

「・・・・・君って、しつこい性格だったんだね」

「ネバーギブアップの精神だといっていただけると嬉しいのですが」

 圭がにっこりと笑って見せた。その笑顔に一瞬どきっとする自分を感じながら、悠季は顔を背けて言った。

「一生恋人になんかなれないと思うけど・・・・・。友人としてだけなら・・・・・」

「ええ、それでも構いませんよ。僕は君のそばにいるだけでも嬉しいのですから」

「・・・・・ヘンなやつだよね、圭って」

「君の事を考えていれば、何を見てもばら色に見えてきますよ。ほら、今だって君が僕を『圭』と呼んでくれただけで、これほど嬉しいのですから」

 悠季はぽかんと口を開けてしまった。

「君がそんな脳天気なことをいうなんてね。僕は君は尊大で軽口なんか絶対に言わない性格なんだと思っていたよ!」

「僕は真実しか言いません。ただ、君を見ているといくらでもロマンティックな言葉が溢れてくるのです」

「・・・・・嘘ばっかり」


 顔を見合わせて二人同時に笑い出してしまった。

 こうして圭の求愛のやり直しが始まる。悠季が圭を受け入れるかどうかは、これからの圭の手腕にかかっている。




【暁皇】は数日後、惑星藍昌に到着することになる。












―― そこで大きなトラブルが待ち受けている事を、二人はまだ知らなかった。――