【 第9章 上 】
「痛いです!船長、離して下さい!」
圭は悠季の抗議にも耳を貸さず、彼の手首を握り締めて廊下を足早にリフトへと歩いていく。悠季は引っ張られて小走りになってしまい、ぴいぴいと文句を言うエマをなだめるのが精一杯だった。
「船長、いい加減僕の手を離してくれませんか!」
「離せば君は逃げるでしょう?」
「逃げませんよ!話があるのでしたら聞きますから、どうか離してください。みっともない!」
廊下ですれ違った人が、目を丸くして見ている。そんな視線が悠季にはいたたまれない。
「僕の部屋へ」
リフトは圭の言葉に反応して動き出す。
悠季はようやく放してもらったけれどすっかりしびれてしまった手首をさすりながら、突然態度が変わってしまった彼の方を窺った。
圭はポーカーフェイスのままで悠季の方を見ようとはせず、リフトの移動表示を睨んでいる。悠季は自分が何をしでかしたのか考えたが、さっぱり分からない。
リフトはすぐ隣のフロアで止まった。どうやら彼は桐ノ院家のプライベートフロアで生活しているのではないらしい。
「どうぞ、入ってください」
悠季はしぶしぶ案内された部屋の中へと入っていったが、その中は悠季が想像していたものとはまったく違う雰囲気をもっていた。
「・・・・・すごい!」
初めて入る彼の部屋には、壁にはありとあらゆる惑星や地域の珍しい品物が飾ってあり、小さな博物館の様相を呈していた。
彼の興味の広さが伺えるものばかりが並んでおり、その反対側の棚にはライブラリーや本の山がぎっしり入っている。
悠季は目を丸くしてあちこちを眺め回していた。彼の部屋ならばきっと機能的で効率重視の、事務所のような部屋ではないかと想像していたから。
「バイオリンはこちらに。エマはこの部屋へ残してください。隣の部屋には入ってもらいたくないので」
言われたとおりにして彼の後をついて次の部屋へと入っていくと、さらに驚くことになった。
壁一面のオーディオラックには音楽関係のライブラリーがぎっしりと詰め込まれていた。
フルコンサートタイプのピアノが鎮座しており、壁には何箇所もの埋め込み式のスピーカーが取り付けられている。この部屋の中にいればコンサート会場と同等の音質で音楽を聴くことが出来るだろうと思われた。
「君にお見せしたいと思っていたのは、これなのですが」
部屋の中をきょろきょろと見回していた悠季に彼が手渡してきたのは、一つの記録媒体だった。
少し古い形の媒体の表紙には、
『バッハ 無伴奏一番 演奏者 福山正夫』
と書かれていた。そしてその下には細かな字でこの演奏に対する感想などがこまごまと書かれている。
「これは・・・・・」
「僕のライブラリーの中にありました。福山師の若い頃の演奏です。これは私的に録音されたもので、数枚を友人に配ったものだそうです。祖父がもらったものですが、以前気に入ったので僕が譲り受けていました」
「・・・・・ありがとうございます。とても嬉しいです」
「ここで聞いていかれますか?」
圭が聞いてきたが、悠季はこの演奏についての桐ノ院尭宗氏のメモ書きを夢中で読んでいて、つい聞き逃した。
「え?何かおっしゃいましたか、船長」
「・・・・・悠季さん、いい加減僕のことを船長と呼ぶのは止めていただけませんか?船長は確かに僕の役職名ですが、プライベートにまで同じように呼ばれたくはありませんから」
「しかし・・・・・、どう呼べば」
「僕には圭、という名前があります。そう呼んでいただけませんか」
「圭さん・・・・・ですか」
「圭、でいいですよ。僕は今は君より一つ年下のはずですから」
「それじゃあ、二十二歳なんですか?!」
悠季はびっくりして叫んだ。
「そうです」
「ちっともそうは見えませんね。こんな巨大な宇宙船の船長をされているから、きっと僕よりずっと年上なんだと思ってました」
「僕はこの船で生まれ育っていますので、小さい頃から跡継ぎになるべく教育されてきました。それに数年前からは父の手伝いを始めておりまして、一昨年父が急病で他界してからは、跡を継いで僕が船長となっているのです」
「そうだったんですか。知りませんでした、ずいぶん若く船長になられたのでは、ご苦労されたのでしょうね」
「・・・・・君はそうやって僕の事を知ろうとも思ってくれないのですね」
「え?」
「僕に興味がない、ということなのでしょう。この船に乗ってからもう一週間以上経ちますが、こんなごく簡単な僕の生い立ちなどすぐに分かることなのに、君は聞こうともしなかった。君は僕のことが嫌いなのでしょうか?」
「え、いや、その・・・・・」
「ここ数日も、僕が君の部屋へ伺うと、いつもおられなかった。僕を避けていたのでしょう?」
圭の声がだんだん押し殺したように低くなっていく。その声を聞いて、悠季は数日間のごまかしがここに来て大きなツケを払う結果になってしまったのを知った。
彼は怒っている。
これは悪い事をしたなと素直に認めた。
確かに誠意を持って自分にいろいろと応対してくれていた人に対する態度とは言えず、申し訳ないことをしているという後ろめたさがかなりあったから。
とはいっても、彼の熱っぽいまなざしや態度が重荷になってきていたことも・・・・・事実。
「君は川島君が好きなのですか?」
無表情のままで、圭の追及は更に続いた。
「は?川島さんですか?」
「先ほど川島君が君の眼鏡を外しても、君は怒らなかったでしょう?僕が外そうとした時は、ひどく怒っていたのに」
一瞬にして悠季の顔が赤くなった。
ではあの喫茶店での出来事を彼は見ていたのだ。あの時、うろたえて泣きそうな顔で逃げ出した無様な姿を・・・・・。
恥ずかしさは一瞬にしてそんなことを思い出させてくれた彼への怒りに変わった。
「僕が誰と何をしようと君には関係ない!ぼ、僕が誰を好きになったとしても、君にはかかわりがないことだろう!」
「関係がない、ですって?」
「そ、そうさ。関係ないよ。確かに僕は桐ノ院家の客分だけど、いちいち誰かを好きになったからって許可が必要なわけはないはずだ。君に言わなきゃならない理由はないはずだろう?!」
「関係ですか・・・・・、関係を作る気はあったのですよ。君という人に会った時からね。いつかはと決めていた。楽しみにチャンスを探していたんです。しかし、まさかこんな事になろうとは・・・・・」
圭は、皮肉っぽく笑っていた。
「・・・・・僕は、帰ります」
圭の笑いに何となく嫌なものを感じて不安になってきた悠季は、ソファーから腰を上げようとした。
「ええ、関係を作りましょう、今、ここで!そうすれば君にも僕の気持ちが分かるはずだ!」
圭がぬっと立ち上がった。と、ふいに手を伸ばして悠季の眼鏡をひょいと取ると、すぐ脇のテーブルの上に置いて、彼に襲い掛かり、ソファーに押さえつけてからだの上に覆いかぶさっていった。
「な、何をするんだ!」
その言葉には答えず、圭は悠季の唇に自分の唇を押し付ける。
「んむっ・・・・・うむむ・・・・・っ」
驚いて抗議しようとして開いた口の中にぬるっあたたかいものが入ってきて、悠季の口の中を動きまわっていく。
これってディープキスというものじゃないか・・・・・?と頭の隅でそんなふうに思ったときにはもう彼の顔は離れていき、首筋や胸にむさぼりついてキスの雨を降らしており、彼の手の方は悠季の服を脱がそうと動き回っていた。
ぎょっとなった悠季があわてて抵抗を始めた。
「ふざけるな!やめろ!ぼ、僕は君とそんなことをするつもりはないんだ!」
「そんなこと、ですか。はっきりセックスと言ってもいいですよ。ええ、僕はどんなことをしても君が欲しいのだから!」
きっぱりと言い切った圭の言葉を聞いて、悠季は息を呑んだ。
そこまでこの男を追い詰めるようなことを自分はしていたのだろうか? と。
悠季の抵抗が緩んだのに気がついたのか、圭の手はそのスキに悠季のズボンを下ろすと、彼の性器をやんわりと撫でしごいていった。それまで眠っていた悠季のそれは、圭の巧みな愛撫で徐々に高まりを見せていく。
「や、嫌だ!・・・・・っ、離せっ・・・・・!やめろおっ!!」
「でも、君のここは喜んでいるようですよ」
圭の手の中に人質をとられてしまった悠季は、逃げ出すことも出来ず、自分の上にのしかかってくる彼のからだを必死で押しのけようとするのが精一杯だった。
「愛しています、悠季、君を愛しているんだ!君は僕の気持ちに気がついていたのでしょう?でしたら、あんなふうにじらしたりせずに、僕の気持ちに応えてください!」
圭は、悠季に熱くささやきながら手と唇と舌で彼のからだのあちこちに愛撫を施していく。
抵抗し暴れるからだを封じて、なめらかな白い肌の上にいくつもの鮮やかな赤いしるしが付けられる。薄く汗がにじんだ白い肌はその奥にほのかな血の色を浮かび上がらせて、ひどく艶かしい。
「嫌だ・・・・・いやだ。もう・・・・・やめてくれ・・・・・」
すすり泣きとともに切れ切れに呟く悠季の声は、自分の意思と違って次第に甘さを帯びていく。
頭の中には他の人間の圧倒的な想いが流れ込んでくるようだった。自分のものではない激しい熱い欲情。その想いに自分の混乱した感情などあっという間に焼き切れてしまい何も考えられなくなってしまう。
彼の指が悠季のまだ誰も触ったことのない場所へと触れていき、悠季のからだの奥へと探っていく。ゆっくりと抜き差ししながらそこをほぐして、悠季のイイところを探して・・・・・。
「ああっ!な、なに、これ?・・・・・僕に何をしたんだ。・・・・・変になる!・・・・・ふっ、ああっ・・・・・!」
悠季のからだがびくんと跳ね上がった。今まで味わった事のない、目もくらむような快楽。
流されてしまう・・・・・!このまま彼の好きなようにされて、最後まで彼を受け入れてしまいそうだ・・・・・!
僕は、僕のからだはいったいどうしてしまったのだろうか・・・・・?
悠季は頭の隅で必死に考えていた。
『このまま彼に全てをゆだねてもいいのではないか、これほど気持ちが良いのだから・・・・・?彼を受け入れてしまって、行き着くところまでも堕ちてしまえば・・・・・』
『いや、これは強姦なんだ!僕の意思とは違う事を無理強いされているんだ!』
心の中で二つの気持ちがせめぎ合い、混乱を極めていった。
ふいに圭が悠季のからだを手放してきた。のしかかって来た彼が起き上がって、瞬間悠季のからだが自由になった。
逃げるなら今しかない!
悠季はあわててソファーから転げ落ちると、そのまま絨緞の上を四つんばいになって圭から逃げ出そうとした。
だが、次の瞬間悠季の腰は両手で捕まえられ、足の間に圭の膝が割り込んできた。
「ひっ!」
足が割り広げられ、腰を引き寄せられた。
「・・・・・・っ!!」
次の瞬間、悠季のからだを目もくらむような激痛が突き抜けた!!
声にならない悲鳴が悠季の口から飛び出してくる。じわりとからだ中から冷たい汗がふき出して全身を濡らしていく。
「悠季、悠季、からだの力を抜いて!これでは動けません」
耳元で圭がささやく。
「・・・・・い、痛い!・・・・・いや・・・・・嫌だ!・・・も、もう、やめてくれ・・・・・」
「しかたがありませんね」
圭は掴んでいた腰を離すと、手を悠季の前へと差し伸べ、怯えてしまった性器をなだめるようにしごき始めた。
「あ、・・・・・ああ・・・・・」
下半身を襲う激痛や、内臓が押し出されそうな圧迫感も、時間をかけて慣れてくれば鈍ってくるものだ。未だに痛みも苦しさも大きかったが、圭がゆっくりと腰を動かし始めると、苦痛以外の不思議な感覚がじわりと滲んで来る。
『これは・・・・・快感・・・・・?』
「・・・・・なんて感じやすいのでしょうね、君は!それに君のからだはとても綺麗だ。胸の飾りやこの羽のような肩甲骨などは食べてしまいたいくらいに美味しそうですよ!」
一瞬にして冷水を掛けられた気がした。背中にキスしてくる圭の唇の感触もどこか遠い。
――暗示が・・・・・発動してしまう!――
「・・・・・ひっく・・・・・うくっ・・・・・ちくしょう、ちくしょう・・・・・!」
悠季はすすり泣いていた。
こんなふうにして、自分が一番嫌がっていた事が現実になってしまうことになるとは・・・・・!
もうじき自分から身体を差し出し、相手に奉仕するようになるのだろう。
以前のように、心の中は絶望感と自己嫌悪でいっぱいになっても、その顔はいかにも喜んでいるかのように嬉しそうに笑いながら・・・・・。
おじいちゃんがかけてくれていた、昔のあの暗示を抑える防壁は破られてしまうのだろう・・・・・。
「・・・・・悠季?」
圭がふと我に返り、いぶかしげに悠季の顔を覗き込んできた。
悠季の態度が突然おかしくなってきている・・・・・?あれほど敏感に反応していたからだが反応しなくなり、皮膚がひんやりと冷えてこわばってきていた・・・・・。