【 第8章 上 】
【暁皇】という船はとても巨大だ。これはもう船というより惑星を回っている一個の衛星といっても間違いないくらいのもので、その内部はここに長年住んでいるものでも戸惑うくらいの多重構造になっている。
桐ノ院にエスコートされた悠季は部屋を出ると、廊下の行き止まりに設置してあるリフトに乗り込んだ。
リフトは船の中にはりめぐらしてある透明な通路を走っていき、中の人間や荷物を船の中を立体的に、上下左右自由に運んでくれる移動手段であり、途中広場の上を通るインターチェンジといえるような複数のリフトが交差する場所に出てくると、その複雑で幾何学的な美しさに誰もが息を飲むことになる。
悠季も例外ではなく、その圧倒的な迫力に押されて声をあげていた。
「悠季さんはこういう船に乗るのは初めてなのでしょうか」
「あ、はい。すごいですね!汎同盟の船ってみんなこういう風に大きな船ばかりなのでしょうか」
「この船が特別大きいのだと思います。長距離用外洋貨客宇宙船でもここまでは大きくない。この船は個人所有としては、最大級でしょうね。この船の中には何でもそろっています。一生船から下りないで生活する事も可能なのですよ」
「でも、僕なんかは身近に自然がないと寂しく感じられますが、この船の方たちは緑がなくても平気なのでしょうか?」
「いえ、この船の中には公園もあるのですよ。『森』とまではいきませんが、かなりの数の木々が植えられていまして、皆の憩いの場所になっていますよ。他にこの船の酸素を作るための植物たちのプラントもあるのです。人工的に作られた空気だけでは人間は物足りなくなってしまうようですから」
「へえ、そうなんですか。行って見てみたいなぁ」
「今度僕がお連れしましょう」
「いいえ!お忙しい船長さんにそんな迷惑は掛けられませんよ。今度飯田さんに教えてもらって行ってみます。この船の中を案内して下さるそうですから」
「いえ、そうではなくてですね。僕はあなたを・・・・・」
桐ノ院が言いかけたところで、リフトは上弦第二層の桐ノ院家のプライベートフロアに到着した。
桐ノ院は悠季をエスコートすると、祖父の待つ部屋へと案内していった。
「失礼致します」
悠季が恐る恐る入ると、その部屋の中は本物の木を使ってある鏡板やタペストリーが掛かっている重厚な部屋だったが、その明るい色合いから重苦しい雰囲気はせず、主人の趣味のよさを感じさせていた。
部屋の奥に老人が座っており、その隣に寄り添うようにもう一人の老人が立っている。
少し離れて中年の男性と、ホログラム中継された映像らしい女性たちの姿があった。
「福山悠季君、だったね。わしが桐ノ院尭宗だ。ようこそ、【暁皇】へ。少々からだを悪くしているもので、椅子に座ったままで失礼するよ」
老人は微笑みながら悠季を迎え入れ、悠季は勧められた椅子に腰を掛けた。
緊張しきっていた彼は、部屋の中にいた人たちが、感心したように悠季の姿を見つめているのには気がつかなかった。
エキゾチックな民族衣装、古めかしい黒ぶちの眼鏡を掛けていて、肩に伝説の生き物を乗せ、首に巻かれたその尻尾は金のチョーカーのように見える。そして右手にバイオリンのケースを握っているほっそりとした容姿の青年は、一幅の絵のように鮮やかな姿を彼らの前に見せていた。
もっとも悠季の方は肩からサラマンドラを膝の上に移すのに一生懸命で、自分の姿やしぐさが相手にどうみえているかなどには気が回らなかったが。
その生き物は悠季になだめられてようやく落ち着くと、先ほどの食事で満腹になっていたせいで、おとなしく眠ってしまった。
「あなたがサラマンドラを連れているのは、前もってここに知らせてあります。君になついているのは分かっていますのでそのままで構わないそうです」
圭は悠季の耳元に小声でそう告げると、自分も席に着いた。尭宗は咳払いを一つして、話し始めた。
「福山悠季君、だったね。恒河沙で正夫君が亡くなってしまったそうで、本当に残念なことをした。わしも実に悲しい。もしもっと早く来る事が出来ていれば助けられたかもしれないと思うと、実に悔やまれてしかたがないところだ。彼とは本当に長い付き合いだったが、こんなふうに終わりになるとは思ってもいなかった。もっと長く友誼を続けていたかった・・・・・。それがだめならせめて彼の最後に立ち会いたかったが・・・・・」
老人は、首をふりながらため息をついた。
「しかし君という者がそばにいてくれたことは、本当に彼にとってよかったと思っている。君を見ていると、正夫君と君とがとてもいい関係で暮らしていたことが分かるからね。君も彼を亡くしてさぞかし悲しんでいることだろうし、この先の不安もあるだろうが、これからはわしが君の庇護をし、面倒を見るから安心しておくれ」
「はい、ありがとうございます。僕も祖父からこちらでの指示に従うように言われています。どうかよろしくお願いします」
老人の声はかすかに震えていて、心から福山の死を悼んでいるのが感じられ、初めて会ったこの人物への親近感が湧いてきた。
悠季もぐっとのどに詰まってくるものをこらえて、礼を述べた。
「実はここに来てもらったのは、彼のM.Sをここで開いて、この者たちにも彼の遺言を確認させようと思うのだが、悠季君、構わないかね?ここにいるのはわしの直系の者たちで、孫の圭はもう知っているだろうが、こっちの男は晃嗣と言ってわしの次男だ。それからこっちは燦子といってわしの次女だ。隣は娘の小夜子だ。長男と長女は他界している。これは」
といって尭宗氏は自分の背後の男を向き、
「わしの腹心の秘書で伊沢という。この者たちがこの遺言を聞く必要がある者たちなのだが」
穏やかな顔で、悠季に同意を求めた。紹介された人々は無言で悠季に会釈してきた。
「はい、どうぞ。僕はかまいません」
悠季がうなずくと尭宗氏は圭の方を向いた。
「圭。M.Sを開いてもらえるかな」
彼は無言で老人の背後にある机の中からM.Sを取り出し、テーブルの上で開いてみせた。
――遺伝子承認、音声承認、画像・・・・・──
《銀河標準暦834年4の月21日、恒河沙皇紀暦228年白花月15日 場所、恒河沙首都垓都にて、記録者 福山正夫・・・・・・》
続いて本文が流れる。
《なつかしい古馴染みの友、富士見丸の元船長へ心からの抱擁を送る。そして、貴下の家族とその乗組員に対しても心からの挨拶を送る。君がこのメッセージを受領された時、私はすでにこの世にいない事だろう。貴下、もしくは貴下の後継者にこの遺言の執行を求めたく、このM.Sを作成する。
貴下のもとにこのメッセージを届けた青年は私が残す唯一の身内である。名前を福山悠季と言う。彼は私がこの恒河沙で養子として縁を結んだものであり、汎同盟の支配する惑星に行っても充分に暮らしていけるよう養育してきたものである。
私は残してきた財産の一切と愛器として所持してきたバイオリンを彼に譲る。貴下はこの手続きを代行者として執行してもらいたい。私は貴下のもとで彼の身柄の庇護を受けられるよう希望するものであり、また私は貴下に後継者として私と同じように彼を養育することを要望するものである。
そして機会あり次第、彼の身柄を汎同盟宇宙軍の【鎖委員会】の司令官に預けて、彼が汎同盟の遭難者であることを告げ、その家族を発見してもらうべく申し入れを行う事を希望する。
彼らが全力を尽くしさえすれば、この青年の身元割り出しは可能であるし、家族の所在を突き止めることも出来るはずである。あとはすべて貴下の賢明なる判断にお任せしたい。
彼は善良で常識を備えた人間であると、満腔の自信を持ってその身柄を引き渡すものである。
今私は別れを告げなければならない。直接会ってこのメッセージを告げられなかった事をまことに残念に思っている。》
メッセージは一度そこで途切れた。
《尭宗氏、わがままを通しぬいて最後まで心配をかけたままで逝ってしまうことをまことに申し訳なく思っている。
お聞きのとおり、私はすでに死亡しており、あとには孫のように慈しんで育てた悠季を残すことになってしまった。
彼は恒河沙においてのわしの喜びであり、また最上の弟子であった。私の死後の葬式は必要としない。私のからだがどうなろうとまったく構わない。それよりどうかこの子のことをよろしく頼む。
私はこれと同じ遺言を後二通残しており、それは、委員会の市山氏と同じ音楽家のロスマッティ氏宛である。
最初にこのメッセージを受け取った者が私の遺言の執行者になってもらいたいと思っているが、おそらくその可能性が一番高いのは尭宗氏だろうと思う。最後まで面倒をお掛けする事になるが、どうか容赦願いたい。
それでは、貴下の長寿と繁栄を祈りつつ、私は退場する。わが人生は長く実り多いものであった。私は今満ち足りた思いに満たされている。さらば》
部屋の中にしばしの沈黙が流れた。
「そうか・・・・・。正夫君は最後までわしを頼ってくれたのだな・・・・・。ありがたいことだ」
尭宗は目元を押さえて言葉を無くしていた。しかし悲しみを振り払うようにして、顔を上げ周囲を見回してこういった。
「わしは福山正夫君には恩義がある。それをいささかなりと返したいと思っている。わしは福山悠季君をわしの保護下に置こうと思っておる」
「お祖父様、一つ問題があるのですが」
圭が尭宗の言葉をさえぎった。
「実はこの遺言の中に福山悠季氏が汎同盟の遭難者であると言われているのですが、実は連邦で奴隷として売買されていた所を 福山氏に買い取られ、解放してから養子として引き取られていたそうです。連邦と事を構えることになるかもしれませんが、よろしいのでしょうか。お祖父様のお考えを確認しておきたいのですが」
「構わない。正夫君が恒河沙に出向いた時にその可能性が起こる事は考えていた。それに遺言の中で汎同盟の遭難者と言っているのを聞いた時点で理解している。悠季君は孫息子の正幸君と同じように、海賊によって売買されてきた人間なのだろう、とな」
「それでは、僕もお祖父様の考えに依存はありません」
圭は、軽く頭を下げた。
尭宗はそこにいる者たちを見回すと、他の者たちも無言でうなずいた。それを見て、老人はこう言った。
「それでは、わしはこの福山悠季君をわしの養子として桐ノ院家に迎え入れたいと思う。皆もそれでよいな?」
一人を除いて、皆がうなずいた。
「待ってください!それには僕は反対です!」
圭がもう一度あわただしく立ち上がると、大声で抗議した。
「ほう?圭、それはどうしてかな?」
「彼の家族を発見してもらうべく申し入れを行う事を希望する。と遺言の中で福山正夫氏は述べておられます。これは我々桐ノ院の一族に加えてくれということとは意味合いが違うでしょう。音楽の後継者として養育ということになれば、桐ノ院家は不得手な分野ですので。
それにこれ以上彼の戸籍を変更することは彼のもともとの家族を捜す上でも良くないことになります。つまり、汎同盟宇宙軍の【鎖委員会】の司令官に彼の身元を確認してもらうという事であれば、桐ノ院の戸籍に入れるより、彼の身に自由な選択の余地を持たせて置いたほうがよいと思います。
福山悠季氏は桐ノ院家の客分として丁重に保護するのが妥当だと思われますが。」
「ふむ?それだけの理由で、養子の件を拒むのかな?」
「もちろんです!」
圭は平然としたポーカーフェイスでそう答えたが、尭宗の胸中では違うことが推測されていたようだった。
晃嗣も同じように考えを察していたようで、今までの無表情をわずかに崩して口元がおかしそうに歪んだ。ホログラムの女性たちの表情は変わらなかったが。
悠季は、尭宗の提案を否定する彼を見ていて、ここでも桐ノ院圭という人物から嫌われている自分を感じて、気まずい思いをしていた。この船を預かる人間としては当然な事なのだろうが、悠季としては養子の件はともかく、快く迎え入れて欲しかった。
「まあよかろう。それではとりあえず福山悠季君はこの船の客分ということにしよう。後々でも変更がきくことだからの。
悠季君もそれで良いかな?」
「あ、はい。僕は構いません。ご迷惑をおかけします」
その場にいる全員が依存はないことを尭宗に告げた。
そうしてホログラムの女性たちは尭宗に別れを述べ、悠季に会釈をして消えた。晃嗣は悠季の元へ近づくと手を差し伸べてこういった。
「よろしく、福山悠季君。僕は緑簾で医者をやっている晃嗣という者だ。そこまで帰るのにこの【暁皇】を利用しているんだけどね。何かあったらいいなさい。環境が変わると体調を崩す事が多いからね」
「ありがとうございます」
握手すると、晃嗣はそのまま部屋を出て行った。
「さて、悠季君。もう少しくつろいで、正夫君のことをいろいろと話してもらえると嬉しいのだが。それから折角バイオリンを持ってきてくれたのだから、何か弾いてもらえないだろうか?」
「はい、喜んで」
「お祖父様、僕も彼のバイオリンを聞きたいのですが、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
圭が尭宗に頼んできた。
「お前はこの後に急用があったはずだが。彼の演奏はこの後でも聞く機会はいくらでもあるだろう。わしは彼と二人きりで話したいのだよ」
尭宗がそういうと、彼はポーカーフェイスのまま黙って頭を下げて部屋を出て行った。
「圭め。スネおったな」
尭宗はおかしそうに笑いながら悠季の方を向いて、隣の部屋へと招き入れた。
隣室は尭宗の書斎らしく、壁には今では珍しい紙で出来た本が並べられ、部屋の隅にある保管棚にチェロが置かれている。
書棚ではない方の壁には一枚の人物画が掛けられていた。青年が座っている姿が描かれたその肖像画は、尭宗の手を支えて部屋へと導いていた伊沢によく似ていた。
「この絵が珍しいかね?これはこの伊沢の兄の光一郎の絵なのだよ。若い頃にわしを支えてくれ、片腕とも頼んだ人物だったのだが、若くして亡くなったのだよ。本当に惜しい人だった・・・・・」
絵を見る老人のまなざしには穏やかな哀しみが浮かんでいた。伊沢は黙ったままで、テーブルの上に二人分のお茶の用意をしてから、静かに部屋を出て行った。
「あ、あの、桐ノ院様」
悠季がためらいがちに声をかけると、尭宗はおかしそうに言った。
「この船の中では桐ノ院の名前を持つ者だらけだよ。わしの事は尭宗と呼ぶか、おじいさんとでも呼んでもらえると嬉しいが。それに様はいらんよ」
「しかし、それでは・・・・・。あ、あの、よろしければおじい様と呼ばせて頂いても構いませんか?」
老人はにっこりと笑ってうなずいた。
「よいとも。わしと君とはウマが合いそうで嬉しいよ」
「ですが・・・・・、船長は僕のことをお好きではないようですね。僕がこの船に乗るのが気に入らなかったようですけど、構わないのでしょうか」
「圭のことかね?ほう、悠季君はそう思ったのかね?」
悠季が困ったようにうなずくと、尭宗は面白そうに彼を見つめた。
「悠季君は今いくつかな?」
「おそらく二十三歳になっているはずです」
悠季は自分が福山に買い取られた時の経緯と、自分の家族などについては覚えていない事を簡単に話した。
「なるほど。だが恒河沙で十年も暮らしていたとなったら、誰か好きな子でもいなかったのかな?恒河沙を出るのはつらかったのではないのかね?」
悠季はその言葉が福山と重なるのを感じて、強い親しみを覚えた。口元に思わず微笑が浮かんだ。
「おじいちゃん・・・・・いえ、養父にも同じようなことを言われたことがあります。僕には恋人はいません。バイオリンが恋人ですから、必要ないんです」
尭宗は思わず苦笑した。
「やれやれ、いい年の若い者が、恋人の一人もいなかったとはな。どうりで圭が空回りするはずだな」
「は?」
「大丈夫だよ、圭は君の事を嫌っちゃおらん。それより正夫君のことをいろいろ聞きたいのだが。圭から彼が死んだときのいきさつならば大体は聞いておるが。そちらではなくて、恒河沙で君と彼がどういう生活をしていたのかを知りたいのだがね」
「はい。おじいちゃんと僕とは・・・・・」
悠季は恒河沙での福山との生活について、住んでいた場所や仕事として演奏していた事。今までの暮らしぶりやバイオリンの稽古、楽しかった事、つらかった事・・・・・様々な話をした。
尭宗は時々うなずいたり、涙ぐんだりしながら、福山との思い出を語る悠季の話を熱心に聞いていた。そして、福山が悠季をロスマッティに預けたいと言っていた、という話を聞くと、今度は悠季のバイオリンを聞きたいと言い出した。
悠季は承知してグァルネリを取り出すと、調弦をして弾き始めた。
「G線上のアリア」
「チゴイネルワイゼン」
「パルティータ1番」
目を閉じて聞いていた尭宗は曲が終わると、目を開いてこう言った。
「品がある。繊細かつ緻密な感性を君は持っているらしい。しかし、惜しむらくはどこか自分の感情に正直ではない演奏をしているように思える」
「・・・・・自分の感情に正直ではない・・・・・?」
「演奏というものは、自分の中の全てをさらけ出して、はじめて聴衆を感動させるものだ。君はどこか自分を抑えているように思える。もどかしい思いがするのは、なぜなのかな?」
「それは・・・・・」
「だがそれは、これからの君の精進で克服できる問題だと思う。きっと君は世界中の聴衆を感動させるすばらしいバイオリニストになるだろう。楽しみにしているよ」
尭宗は優しく言った。しかし、そろそろ疲労がたまってきたようで声に力がなくなってきていた。そこへ伊沢が静かに部屋に入ってきて、彼に休息するように勧めた。
「長い間相手をしていただきまして、ありがとうございました」
「うむ、まだからだが本調子ではないようで失礼するよ。また話をしに来てくれると嬉しいが、来てくれるかな?」
「はい、またうかがわせて頂きます」
悠季は尭宗の手をそっと握ると、退室した。