【 第7章 






「なんだってぇ?!おい殿下、俺にあの福山悠季っていう青年の面倒をみろってか?」

「ええ、予定外の出発をしてしまったので、雑用が多くなりまして・・・・・」

 【暁皇】が恒河沙を出発した日の夜、桐ノ院は飯田を呼んでこう頼んできた。

 確かにもともと超多忙な桐ノ院だが、今回の事件のせいでさらに追い討ちをかけられたのは間違いない。

 自分でぜひあの青年の面倒を見たいのはやまやまだったろうが、時間を作る事がどうしても出来ないらしく、いかにも残念そうな表情をポーカーフェイスの下に隠し、飯田に依頼する事情を説明した。

「だからって、どうして俺に頼むんだ。俺は確かにカウンセラーの資格を持ってはいるが、こういう船の案内やらレクチャーやらは、秘書の川島君あたりの方がもっと適任だろう?」

 飯田がいぶかしげに聞くと、桐ノ院は珍しくためらい、目をそらせて言った。

「川島君は、美人ですから」

「は?」

「ですから、彼女では親しくなられたら困る、ということです」

「・・・・・おい殿下。そりゃなにかい?彼女なら、あの青年を取られる可能性もあるが、俺だったら安全だって言うつもりかい?」

「飯田君は自他共に認める愛妻家ですから。それにお嬢さん達をとてもかわいがっておられるでしょう?」

「・・・・・嫌なやつだな。それじゃあ、俺を信用しているんだか、釘をさしているんだか分からないぞ。まあいいか、彼には恒河沙で会って縁が出来てるしな。いいぜ、面倒を見といてやるよ」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

「ところで、恒河沙の方から何か騒ぎが起きている報せは来てないのかい?彼に恒河沙から脱出されて、汎同盟に行かれちゃ、あっちにとっては大変なことになるんじゃなかったのか?」

「【暁皇】で彼を脱出させた事はまだ知られていないようです。こちらには連邦から停船命令は入っていませんから」

「結構急に出発したから、疑われたんじゃないかと思っていたんだがね。意外に恒河沙の政府も抜けているってことかな?」

「いいえ、僕は嘘を言っていませんので、あちらも僕の言い分を信じているのでしょう。
恒河沙を出発しなければならなかった理由として僕が小早川暁氏に言ったのは、乗船している鉱物専門のヨーゼフ・ルベラ氏が惑星【藍昌】らんしょうで手に入れた鉱物標本というのが、実は生きていて孵化しそうな卵だということが分かったという真実です。

 確かに藍昌の政府からも至急返還の命令が出ていますし、すぐに戻らなければならなくなったのも本当のことです。現在この船は藍昌に向かっていますから」

「じゃあ、ラッキーがついて回ったということか」

「ただし、この卵が孵化するのはまだあと五日は余裕があるとみられていますし、孵化前に届けるようにとは向こうも厳命してきてはいませんがね。つまり時間はたっぷりあったという事です」

「・・・・・おいおい」

「嘘をつく時は、真実のスープに一滴だけ嘘を入れることがポイントなのですよ」

「策師め。まあいいさ、ここはお前さんに乗せられてやるよ。だがこの貸しは大きいと思えよ」

 桐ノ院はポーカーフェイスで飯田に軽く会釈をすると、あわただしく自分を呼んでいる沢山の用件をこなすべく、執務室へと戻っていった。






 飯田が悠季のいる来客用のフロアに出向いてみると、彼のあてがわれている客室のドアには『入室お断り』のランプがついていて来客を拒んでおり、船内通話もまったく通じなかった。

「まあ、育ての親を亡くしたばかりのやつなんだから、もう少しそっとしておいて欲しいのかもしれないが・・・・・」

 飯田はしばらく時間を置いてから彼に会う事にした。

 飯田にも、船長ほどではなかったが、出航直後の細々とした用事があって忙しかったのだ。そこで会いたいという旨だけは、船内メールで伝えておいた。

「いろいろかたづけてから、ゆっくり船長のお気に入りに対面するとしようか」

 しかし翌日になって行ってみても、悠季の部屋の『入室お断り』のランプはまだ消えていなかった。

「もうそろそろ、こっちと話をしてもいい頃だと思うんだけどな・・・・・」

 飯田はドアの前で首をひねって考え込んだ。

ここは強引にカウンセラーの権限をもって、強制的にこのドアを開けさせてしまおうか・・・・・?そう考えている時、この地区の警備主任の東氏が飯田に近づいてきた。

「ちょうどよかった!飯田さん、この部屋の中にいる人に聞きたいことがあるんですがね」

「どうしたんですか?東さん」

「実は危険な生き物が彼の部屋にいるんじゃないかと心配しているんですよ」

「何があったんですかね」

『それがですね、【藍昌】へ返す卵が予定外に早く孵化してしまいましてね。雛がこの地区へ逃げ込んだらしいんですよ。地区の隔壁は封鎖して置きましたし、他の乗客の部屋の確認も済んでいるので、この部屋の中にしか雛の隠れ場所は無いはずなんですが・・・・・」

 あと五日は孵化しないと思われていたらしいんですがね、逃がしてしまうなんて、とんだ失敗をしました・・・・・と困った顔でぶつぶつとこぼしてみせた。

「飯田さん、その雛っていうのが、実はサラマンドラの雛なんですよ」

 警備主任が小さい声でささやいた。

「はあ、サラマンドラだって?!」

 飯田は思わず叫んでしまいそうになった声をあわてて抑えた。

 サラマンドラは惑星 藍昌に固有の生き物の中で、最も有名で特異な希少生物なのだが、同時に凶暴な生物としても有名なのだ。

「そうするともしかしたら、この部屋の中でサラマンドラが暴れて住人を傷つけている心配もある、ということですか」

「はあ。ですが『入室お断り』のランプが点いている以上、プライバシーの問題があってこちらから中に入ることも連絡することも出来ないんですよ。いったい中がどうなっているのか心配でして」

 東氏は人のよさそうな顔をしかめながら言った。

「わかりました。俺が聞いてみますよ」

 飯田はアイヴァスを呼び出した。



――アイヴァス (AIVAS)人工知能音声応答装置――


 これは【暁皇】の中にいる全ての人間の生命維持と環境の保護を役割とし、部屋の維持管理の他、食事や家電の利用も音声で応じてくれる。人間の生活を手助けしてくれている、いわばこの船の管理人であって、客室全部のマスターキーを持っているのもこのアイヴァスだった。





《はい、御用でしょうか》

 穏やかな女性の声が響く。

「この部屋の『入室お断り』を強制解除して欲しい。緊急事態のためカウンセラーとしての依頼だ。俺の声紋は確認できるな」


《はい、カウンセラー飯田弘様。確認いたしました。それでは解除いたします》


 ドアが音も無く開くと、中から美しいバイオリンの音が流れてきた。

 飯田と東は緊急事態とはまったく違う部屋の様子に驚きながらも、聞こえてくるその音色に聞きいってしまい、演奏者が曲を止めてやっと我に返った。

 警備主任はそんな自分に照れたらしく、中の住人が無事なのが分ったから後は頼みますなどといって、そそくさと自分の持ち場へと帰っていった。

「あの、僕に御用ですか?」

 部屋から出てきたのは、パスローブを着てバイオリンを片手に持った青年だった。

「あーすまん。風呂上りだったのか?じゃあ、後でまた来てもいいが・・・・・」

「いえ、どうぞお入り下さい。僕は構いませんから」

 飯田は青年が促すままに部屋の中に入ると、部屋の中にはソファーも何も置かれていなくて、がらんとしていてなんとも殺風景だった。そして、部屋の中央にはなぜか、枕。その枕の上には王妃のティアラのように丁重に置かれた金色の・・・・・。

「サ、サラマンドラ?!」

 飯田の上げた驚きの声に、悠季はすまなそうに言った。

「すみません、どなたかのペットだと思いますが。すぐに申し出てお返ししないといけなかったのでしょうが、部屋を出るなと言われてしまいまして、連絡方法が分からなかったので今まで僕がこの子を預かっていました。とってもいい子ですね。僕はすっかり慰められていましたよ」

 悠季が無造作に枕の上の生き物の頭を撫でた。その生物はいかにも気持ちよさそうな声をあげて、悠季の手に頭をこすりつけた。

「・・・・・おい、大丈夫なのか?」

 悠季は何を言うのかと、不思議そうな顔で飯田を見返してきた。そしてバイオリンを片付けると枕の上の生き物を抱き上げて、床に座り込むと愛しそうに雛のからだを撫でながら言った。

「どうぞお座りになってください」

 飯田も適当な場所に座り込んで胡坐をかいた。普段あまりやらない姿勢なので、どうもぎこちなくなってしまう。

「あのな、お前さんのところでは床に座り込むのが一般的なやり方だったのかな、あー、地球のニッポンのように?」

 悠季は咎められたと思ったのか、目元が少し赤くなった。

「いえ、祖父と住んでいたところには椅子もテーブルもありました。でもこの部屋には無いようなので・・・・・」

「無いって?・・・・・もしかして、アイヴァイスに出してもらえなかったのか?」

「アイヴァスって?」

 悠季がきょとんとして尋ねてきたのを見て、飯田はぎゅっと顔をしかめた。

「おいアイヴァス、この部屋の登録はどうした?」

 優しいアルトの声が応答した。


《使用者が登録を行っておりません。
入居者が入ってこられて三時間たっても私に声を掛けてこなかった場合、その人物がアーミッシュ等、人工頭脳を拒否する考えの持ち主と思われるため、登録をお勧めすることは致しません。
この方は覚醒されてから、一切私に声を掛ける行動をされませんでした。そのため私は部屋の維持管理だけを行ってまいりました》


 悠季はどこからともなく聞こえてくる声にびっくりして、きょろきょろとあたりを見回していた。

「福山悠季くん、だったね。お前さんは、機械の便利さを拒否してでもいるのかい?その・・・・・宗教上の理由とかで」

「え、あー、あの・・・・・」

 何か自分がとんでもないことをしてしまったらしい事に気がついた悠季は、すっかり動転して赤くなってしまった。

「おっと失敬、自己紹介がまだだったな。俺の名前は飯田弘というんだ。はじめまして。
俺はカウンセラーで、この船の中でいろいろと雑用もこなしている。
実は、すぐにでも船長が君と御前様、つまり【暁皇】の元船長と会ってもらう予定だったそうだが、今向こうは風邪で体調を崩しているので、もう少し待ってもらいたいそうなんだ。俺は船長に頼まれて、しばらくの間お前さんの世話を任せられている。まあ、よろしくな」

 飯田は朗らかにそう言って、握手を求めてきた。

「こちらこそよろしくお願いします」

悠季も手を握り返した。彼の手は大きくて暖かくて、誠実そうな声と共に好感がもてた。

「福山くんは覚えちゃいないかもしれないが、俺は恒河沙でお前さんを船に乗せるために動いていた人間なんだよ。お前さんがもともと汎同盟で生まれ育った人間だって事もその時に聞いて知ってる」

「ああ、あのフロート車を運転されていた方ですよね。あの時はありがとうございました。どうか僕の事は悠季と呼んでください。

僕はこういう宇宙船に乗ったのは初めてなんです。凄く大きな船ですね、僕のこの部屋も広くて快適ですし。僕が以前乗ったのは奴隷船しかなくて、大きくて何もない部屋に詰め込めるだけ人間を詰め込んで運んでいましたから」

「しかし連邦の奴隷として登録される前は、汎同盟の方にいたんだろ?俺はそう聞いているんだが。その時にはアイヴァスに管理される船に乗ったことがあるんじゃないのか」

 悠季は首を横に振った。

「覚えていません」

 飯田はすっかり頭を抱えてしまった。

「あの、僕何か間違った事をしていたのでしょうか?」

「そうじゃない、そうじゃなくてこっちの手落ちだ。すまん、俺は君がこういう外洋宇宙船の事を知っているものと思い込んでいたんで大失敗してしまったんだ。すると、もしかして部屋の外に『入室お断り』のランプが付いたのは、悠季君が付けたのではなくて機械のエラーだったのかな?」

「『入室お断り』、ですか?知りませんけど。昨日外に出ようとしたら、さっきの人が危ないから警報が解除になるまで部屋の中から出るなって言われたので、ずっと部屋にいましたし。

あ、もしかしてあの時入ろうとしたらヘンな音がしたけど、それ・・・・・かな』

「それじゃあ、君は食事はどうしていたんだい?アイヴァスに登録してなくちゃ、フードユニットを使うことも出来なかっただろう?」

「食事は・・・・・すみません!ロッカーの中にあった食料品をあらかた食べてしまったんです。本当にすみません」
 この子の食欲が旺盛だったので、と申し訳無さそうにつぶやいて、悠季はまたサラマンドラのからだを撫でた。

「食事って、そりゃ緊急用の保存食品だろう?おい、お前さんそれじゃぁ」

 話を続けようとした飯田のナビが鳴り出した。

『飯田君、すみませんが福山悠季氏にお伝えしていただけませんか?祖父の具合が良くなってきたので、彼の話が聞きたいと言っております。客を呼びつけるようで申し訳ないのですが、これから祖父の部屋までおいでいただきたいのですが』

「待った!彼は今行けないんだ。一時間ほど後にしてくれ。理由は後で話す。お前さんには後でたっぷり文句を言ってやるからな!」

 飯田は乱暴にナビを切ると、悠季に向き直った。

「悠季君。本当に申し訳なかった!そうすると今までほとんど食事をしてないんだろう?置いてあった非常用の保存携帯食料じゃあ、たいした量はなかったはずだしな。向こうの用件よりお前さんの食事が先だ。それが済むまではあっちにも待ってもらうことにしようぜ」

 腹が減ってるだろう?と言われたとたん、悠季はくうと鳴いた腹の音に思わず赤くなってうつむいた。

「じゃあまず、アイヴァスに登録をしよう。おい、聞いてるか、アイヴァス?」


《はい、飯田様》


「福山悠季くんの登録を始めてくれ」


《了解いたしました。声をお出し下さい》


「声、ですか?」

「そうさ。何でもいいからしゃべってみてくれ」

「何でもいいって言われても・・・・・。何をしゃべればいいんですか?」

「そりゃ何でもいいさ。自分の名前でも歌の一節でもな」

「えーと、それじゃあ・・・・・僕の名前は福山悠季と言います。アイヴァス、どうぞよろしくお願いします。・・・・・これくらいでいいんでしょうか?」


《・・・・・登録がされました。福山悠季さま、ようこそ【暁皇】へ。どうぞなんなりとご命令をお申し付けください》


「いいぜ、これで君がこの船の中で自由に動いていても、いろいろと便利になるぞ」

「あの、船長をお待たせしても構わないのでしょうか?」

 ナビでの会話を悠季も、もれ聞いていたらしい。

「構わないさ、放っておけ。それより食事だが・・・・・何か食べられないものがあるかい?」

「何もないです。それよりこの子の食事もお願いします。僕はこの子が本当は何を食べるのか知らなくて、好き放題に食べさせてしまっていたので」

「わかった。問い合わせといてやるよ。その間にまず着替えて来いよ。そのバスローブ姿じゃ色っぽ過ぎるぜ。他に着るものはいずれ用意するが、とりあえずなんでも・・・・・。そういえばここに来るとき着てきたものがあっただろ?恒河沙の民族衣装が。あれはよく似合ってたぜ」

「あー、あれは董紗とうしゃというんですが、すみませんまだ乾いていないと思います。実は今朝方向こうの部屋で洗って、まだ干してあるんです」

 飯田は、そっちもあったのか・・・・・とぶつぶつ呟きながらキャビンへ行くと、アイヴァスに洗濯乾燥ユニットを出させ、キャビンに干してあった悠季の服を放り込んだ。

 十数分後、テーブルと椅子が出してある部屋に、綺麗に洗われた董紗を着た悠季が座っていて、フードユニットに注文して届けられた料理を美味しそうに頬張っていた。隣ではテーブルに陣取ったサラマンドラもお相伴にあずかっていた。

 飯田は船長に事情を説明したあと、二人が食べ終わるのをコーヒーを飲みながら待っていた。

 やがて充分に満足した様子のサラマンドラは、テーブルから悠季の膝の上へと移動してきて、昼寝の体制を整えた。

「さてと、それじゃあそろそろ会いに出かけてもいいかな?」

 悠季が食後の紅茶を飲み終わり、落ち着くのを待ってからゆっくりと立ち上がった。

「はい。あの、お会いする方というのは・・・・・?」

「ああ、御前様かい。桐ノ院尭宗氏だ。もともとこの船を建造した方で、この船の名前は彼の一文字を使ってつけられている。桐ノ院コンツェルンを今のような大規模なものにしてみせた傑物さ。君の祖父の福山正夫氏もこの方と親しかったんだなぁ。
そうそう、今の船長の桐ノ院圭氏の祖父ということになるね。君が会ったあののっぽな男だよ」

 悠季が不安そうにしているのに、気づいてこう続けた。

「悠季君が彼に会っても心配する事はないよ。御前様という方ははとても気さくで物分りのいい方だからね。それよりも、サラマンドラはどうしよう?この部屋に置いていくとなると、騒ぐかな?」

 飯田に続いて悠季が立ち上がりサラマンドラを枕の上に置いて、一緒に部屋を出て行こうとすると、ぴぃぴぃと憤慨したように置いていかれる事に抗議して悠季を引き止めた。仕方なく悠季はその仔を抱き上げた。

「さっきからこの子をかなり警戒されているようですけど、何か貴重なペットとかなのでしょうか?とても僕に慣れて賢い子ですけど、なつかせてはいけなかったのでしょうか?」

「あ、いいや。そうじゃないんだ。」

 どういえばいいのかな、と困ったように飯田はつぶやいた。

「実はサラマンドラというこの生き物は綺麗だがとても凶暴だということで有名な生物なんだ。【藍昌】という星にしかいない固有生物で、この綺麗さを狙って、昔っから多くの人間がペットにしようと捕獲しようとしてきたんだが、ハンターがひどい怪我をさせられて撃退されるのがほとんどでね。
もし捕獲してもまったく人になつかず、暴れて事故死するかおびえて飢え死にするかのどっちかで、ペットにはまったく向かない生き物だっていうのが定説の動物のはずでね。人の手を拒む生きた宝石の竜だって言われてるんだ。だからもしやこの部屋に入り込んで、お前さんを傷つけているんじゃないかと心配してたんだが・・・・・。聞いていた話とは違うなぁ」

 そう飯田が説明している時、来客を知らせるチャイムが鳴った。

「おい、お前さんが許可しないと、ドアが開かないぜ」

「あ、はい。どうぞ入ってください」

 その声に反応して、ドアが開く。入ってきたのは桐ノ院だった。

「失礼します。そろそろ祖父のところにお連れしたいのでお迎えに伺いましたが、よろしいでしょうか」

 彼は大ぶりの箱を持って、部屋の中へと入ってきた。

 そして、悠季に抱かれて彼の服にしがみついているサラマンドラの仔に気がつくと、飯田と同じように驚きに目を見張った。

「さすがのお前さんも驚いたかい。俺も驚いたんだが、こういうこともあるんだねぇ。このサラマンドラはすっかり悠季君になついているみたいだよ。
しかしどうする、このまま御前様のところにも連れて行くのかい?こいつは離れそうもないぜ。もし連れているのが凶暴な生き物だって有名なサラマンドラだと知られたら、船の中にいる大概の連中はパニックを起こす心配があるぜ」

「サラマンドラは凶暴だというのが確かに定説ですが、しかしあれは【藍昌】がサラマンドラを惑星外に密輸出しようとする者達を牽制する為にわざと流した噂だと聞いています。それに、人になつかないという話は事実ですが、例外的に卵から孵ったばかりの雛ならば、ごく稀に人になつくこともあると聞いたことがありますよ。これだけなついているのを見ると、多分この個体もそうだったのかもしれませんね」

 桐ノ院は少し考えてからこう言った。

「このまま連れて行っても差し支えないでしょう。僕が他の者に会わないようなコースで祖父の部屋までお連れしますし、警備主任には僕の方で警戒を解除させておきます。むこうでは僕が注意して見ていますし」

 それより、と桐ノ院は言った。

「福山悠季さん、恐れ入りますが急いでこれに着替えていただけますか?僕が祖父の部屋へご案内いたします」

 桐ノ院は悠季に持って来た箱を手渡した。

「あ、はあ・・・・・」

 悠季は今着ているこの服のまま御前様に会う事は失礼になるのだろうかと思いながら、箱を開けてみた。中には恒河沙の民族衣装董紗が入っていた。今悠季が来ているものより格段に上質な仕立てのものだった。

「この董紗って・・・・・もしかして絹ですか?」

「あなたに似合うと思います。よろしければ着てみてください」

「これを着ていかなければならないというのなら着ますけど・・・・・」

 悠季は服を持ってキャビンへと向かった。

「おい殿下、よく董紗なんか用意する暇があったな。それも悠季君に似合いそうなやつを」

 飯田がニヤニヤしながら言った。

「小早川暁氏との対面があったので、着替え用にとホテルに部屋を借りていまして、そこに飾ってあったものです。彼が今着ているものは、かなりひどい状態になっているのを知っていましたから。
むこうで逃げ回っている時にそうなったのでしょうが、彼が祖父と会う時にはきちんとしたものを身に着けて欲しいと思ったのですよ。
会うのは祖父ばかりではなく、僕の母や叔父も同席することになるのですから、第一印象が大切なのです」

 殿下にとっては、急いでいたために出来合いのものしか用意できず、オーダーメイドに出来なかった事がかなりご不満のご様子だった。

「ふうん。自分の好みで着飾らせたいと思ってただけじゃなかったんだな。もっとも彼はお仕着せを着せられたようにしか思ってないようだぜ」

 桐ノ院は心外だというように、ひょいと片方の眉を上げてみせ、飯田の言葉についての反論は避けた。

「着ましたけど」

 悠季がキャビンから、掛け布を直しながら出てきた。

董紗は、本体のスタイルは古い地球のカフタンという衣装に似ている。ゆったりとしたシルエットで、低い立て衿の上着には飾りボタンがつき、衿の周囲にはパイピングが施されているのが一般的だ。

 ズボンもゆったりとしているが、その裾と上着の幅広の袖口にはステッチのように飾り紐が周囲を巡っていて、引っ張れば寒いときの防寒にもなる。寒暖の差が大きい恒河沙の風土に合った衣装だった。

 悠季が着ている衣装は紫がかった明るい銀の絹で出来ており、悠季にとてもよく似合っていた。

 衿には渋めの薔薇色のパイピングと銀の刺繍が施され、飾りボタンも同色。袖口の飾り紐は薔薇色から紫のグラデーションをしていた。掛け布はストールのように首から肩に掛けて巻いてみせ、おしゃれと防寒とほこり除けをかねている。悠季の掛け布は同色の銀の絹に細かな刺繍を施したものだった。

「あの、この子はごいっしょしてもいいんでしょうか?僕から離れようとしないのですが」

 出て来た彼を見た二人がほう、と感心して見とれているのには気がつかず、悠季は必死で肩に乗ろうとしているサラマンドラをなんとかしようと苦心していた。しかし、鉤爪がかなり痛い・・・・・。


結局、猛禽用の肩当をアイヴァスに出してもらうことになって、うまく肩に収まった。

「悠季さん、その眼鏡は外しませんか、度は入っていないのでしょう?君の顔立ちには似合わないと思いますよ」

 桐ノ院が手を伸ばして悠季の眼鏡を外そうとすると、ぱしん!と彼はその手を振り払って見せた。

「すみません。でも申し訳ありませんが、これは外せないんです」

 悠季は言葉では謝ったが、目は桐ノ院を睨みつけ、彼の態度を不快に思っていることを隠そうともしなかった。

「・・・・・いえ、こちらこそ大変失礼致しました。それでは、悠季さん、そろそろ参りましょうか」

 出かけようとする二人を飯田が呼び止めた。

「悠季君、俺はここで失礼するが、今度は船の中を案内してうまいコーヒーの店を紹介するから楽しみにしていてくれ。いろいろとこの船の中には面白いものが沢山あるから、それも見せてあげるよ。俺の連絡先はアイヴァスに聞けばわかる」

「はい、ありがとうございます。楽しみにお待ちしています」

 にっこりと笑って悠季が答えたが、その笑顔を見た桐ノ院が飯田を睨みつけた事も、飯田がしてやったりと桐ノ院に笑い返した事にも気がつかなかった。

 こうして二人と一匹は、部屋の入り口で飯田と別れ、元船長【暁皇】の創造主、桐ノ院尭宗氏の元へと向かう事になった。