【 第7章 








 宇宙船が出港してから最初の数光年の間というもの悠季は、とんでもないことをしてしまったのではないかというひどい後悔の念に悩まされ続けていた。

ハルマの強くて鎮静効果のある匂いのせいで消えてしまっていた意識が徐々に覚醒していき、周辺の環境にゆっくりとからだが反応し始める。

 気分はかなり悪かった。

ハイパードライブ中の【暁皇】は、常に船内を1Gに保持しているようだったが、惑星恒河沙の重力とは微妙に違っていて、からだにこたえる。

それよりも、彼のからだは自然の重力場と人工の重力場との名状しがたい微妙な違いを感じ取ってしまっていて、意識の中におぼろげながら奴隷船の記憶を呼び起こしてしまうことになり、ここ数年来絶えてみる事のなかったあの悪夢を見る羽目になってしまった。






――食ベタイ・・・・・?――






だめだ、だめだ、だめだ!!






 悠季はなんとかその悪夢をねじ伏せて目を開けると、周りを見回してみた。今自分は宇宙船に乗って恒河沙を出発しているらしく、快適な部屋に置かれているのがわかった。

 自分がもう誰からも逃げ回らなくてもいいという安堵感と、今、何処かにむけて旅をしているのだという興奮が沸き起こってくる。気持ちが高揚してくれば、気分が悪いのも好転するものだ。

おじいちゃんを失ったという悲しみは、いまだに悠季の心の大半を占めてはいたけれど、周囲のあまりの変化と物珍しさに少しの間だけ棚上げとなってしまい、彼はこの周囲の環境を探検しようとする好奇心に捕まっていた。


悠季が寝ていた部屋を見回すと、この部屋は周囲3メートルくらいのかなり広くて居心地よさそうな部屋で、ベッド以外には家具らしいものはほとんど何も置いていない。

壁には、ホログラムらしい景色が映っていて、閉塞感を和らげてくれていた。ベッドはとても心地よい素材で出来ていて、からだをちょうど良い弾力で支えてくれて、肌が触れた感触もとても気持ちがいい。ヘッドボードのくぼみには彼の黒ぶちの眼鏡もちゃんと置いてあった。

「え?どうなってるんだ?」

 目覚めた時には、天井はかすかな光を放っているだけだったが、悠季がベッドから立ち上がった途端に、光度を上げて、そのまま輝き続けていた。しかし明るい光の中でも、部屋のドアがどこにあるのか分からなかった。きっとどこかにあるに違いないのだが、壁には隙間なく感じのいい壁紙が張り巡らされていて、取っ手や扉がまったく見つからない。

悠季は壁紙のあちこちをなでながら、出入り口を探して回った。別に出たかったわけではなかったが、外の様子が知りたかったのだ。

「あれ、ここかな?」

 壁紙の模様にまぎれて、四角いパネルが2つ並んでいる。彼はその片方に触れてみた。

 シュッという音と共に扉が開いて、外へと出る事が出来た。やはりこれがドアの開閉スイッチだったらしい。外はかなり広い廊下で、何人もの人があわただしく歩き回っていた。

同じような服を着ていて、胸についている印も同じもののようだから、同じ仕事をしている人たちのようだったが、殺気立った雰囲気があって声をかけづらかった。

「おっと、外に出て行く前に何かドアに挟んでおかないと。また開け方が分からなかったら困るし、どこの部屋かも分からなくなっちゃいそうだ」

悠季はベッドから枕を持って来てドアのところに置くと、大声を出しているリーダーらしい人の所へと近寄って行った。

「おい君!部屋へ戻りたまえ。乗客は部屋から出るなとパネルに表示してあっただろう?邪魔だ!」

「あ、すみません。僕この船は初めてなので。あの、何があったんですか?」

「とても危険な生物が船内に逃亡したんだ。パネルにOKが出るまでは部屋から出てはならん!わかったね」

「あの、船長さんにお会いする事は出来ませんか?」

「船長は今忙しい。後にするんだな。早く部屋へ戻りなさい!」

「・・・・・はい、分かりました」

 彼は好奇心に膨らんでいた気持ちに水を差された気分で自分の部屋へと戻り、枕を取り上げるとドアを閉めた。

どこかに触れたのか、ピピッと開ける時とは違う音がした。

「あれ、何か音が違う・・・・・?」

 しかし周りを見回しても何の変化もなかったから、悠季は気にしないことにして、部屋の中へ戻ってみると・・・・・。

「ええ〜っ?!ベッドが無い!」

 ベッドは彼が部屋を出て行った後に、どこかに消えてしまっていた。

「いったい、どうなっているんだ?」

 あわてて部屋の壁という壁を探し回ったが、スイッチらしいものはどこにも見当たらず、困惑してしまった。

「うーん、もしかしてこのままってことかぁ?」

 悠季は頭をかいて周囲を見渡して、ため息をついた。

「まあ、誰かがそのうち僕のこれからを相談しに来るだろうから、このまま放ったらかしにされるってことはないだろうけど・・・・・」

 しかたなく部屋の中だけを探検することにした。

 先ほど出会った人がパネルと呼んでいた壁のホログラムの風景の左隅には、注意事項らしい文章が書いてあった。

 確かに、一般乗客は自分の個室から暫らく出ないようにという注意書きがあり、さらにこの船の現在位置と行き先などが表示されていた。

「あ、僕のバイオリンだ!」

 バイオリンは透明な強化プラスチール製の保管ケースに入れてあり、部屋の奥にあるロッカーのようなところに固定してあった。

「ちゃんと僕のバイオリンを持ってきてくれたんだな」

 おじいちゃんが大切に弾いていた愛器、今は彼のものになっている形見のバイオリンを抱きしめると、それだけでこの船の船長を信頼してもいい気分になってきた。

 無表情で尊大そうな背高のっぽの男は、悠季を妙にじろじろと見ていて、あまりいい感情を持っているようには思えなかったし、祖父である元船長に言われていたから仕方無くこの船に迎え入れたとしか思えなかったのだが、こうやって悠季の大切なものを丁重に扱ってくれる誠意は嬉しかった。

 他にはと、ロッカーの中を探すと、いろいろな保存食料が置いてあるのを見つけた。

「船の中だから、こういうものしかなくて、料理とかが出来ないのかな?それともこれを食べてこの部屋でおとなしく待っていろってことなのかなぁ?こんな船に乗るのは初めてだから勝手が分からないぞ」

 悠季は隣の小さなキャビンにも入ってみた。そこはユニット式のバスとトイレとレンジなどが機能的に収納された場所で、とりあえずしばらくこの部屋に籠もっていても大丈夫なだけの設備は整っていた。



 ――それで探検すべきところは終了。



 悠季は与えられた部屋の中を全て探検しつくしてしまうと、それまでの浮き浮きしていた気分がぺしゃんこにしぼんでしまうのが感じられた。そうして過去の恒河沙でのさまざまなことを思い出され、これからへの不安な気持ちが舞い戻ってきて、気分が沈んでいってしまう・・・・・。

「おじいちゃん・・・・・。葬式はいらんって言ってたけど、でも僕はちゃんと最後を看取って、立派なお葬式をしてお別れをしたかったよ。こんなあわただしい別れになるなんて思わなかったなぁ。
どうして僕はおじいちゃんをおいて来られたんだろう・・・・・おじいちゃんは僕の本当の家族を探せって言ったけど、僕はおじいちゃんがいれば充分だったんだ・・・・・!」

 悠季は部屋の隅にしゃがみこむと、膝を抱えてその中に顔をうずめてしまった。

「また一人ぼっちになっちゃったよ、僕・・・・・。おじいちゃん、まさゆきくん、これから僕はどうなるんだろう・・・・・」

 またぽろりぽろりと涙が溢れてくる。この一日でどれほど涙が出たことだろう・・・・・。


――何を馬鹿なことをいつまでもくよくよ考えとる!

さっさとバイオリンの練習をせんか!――



 ぎくっとなって悠季の背中が伸びた。福山に耳元で怒鳴られた気分がした。

 空耳に間違いはなかったのだけれど。

「いけない。僕はいつも余計な事を考えすぎるって言われていたんだっけ。こんな事をいつまでも考えてくよくよしていたら、きっとおじいちゃんに怒られる」

 悠季は勢いよく立ち上がると、保管ケースからバイオリンを取り出してきた。

「そうだね。僕とおじいちゃんとは音楽でまだ繋がっているんだった。ちゃんと修行をしておじいちゃんの弟子として名前に恥じない、立派なバイオリニストにならなきゃいけないんだよね」

 ケースを開け、調弦をし、弓を張り、バイオリンを構える。

 福山の愛器だったグァルネリから、まろやかで優しい音色が流れ始め、悠季を包み込んでいく。その音は恩師であり肉親と同様な愛情を注いで育ててくれた福山が悠季を守ってくれているように思えて嬉しかった。

悠季は福山への哀悼の演奏を、心を込めて奏で続けていった。







 そのまま演奏に夢中になっていた悠季は、ポログラムの背景が夕焼けになっていたことにようやく気がついた。いつの間にか何時間もバイオリンを夢中で弾いていたらしい。

ぐう・・・・・と腹の虫が鳴った。

 そこでロッカーの中を捜し、保存食料の中から幾つかもらうことにして、調理方法を調べて作り始めた。

「えーと、ここを開けて・・・・・レンジで・・・・・?」


チン!


 調理器が出来上がったことを知らせた。

「へえ?思ったより美味しそうだな。さてどこで食べようか」

 しかし、食べるにはテーブルも椅子もない。仕方なく部屋の中央に持って来て、調理済みの食べ物のパックを開け始めた。湯気が出てきて、美味しそうな匂いがする。

 ぴるるるるる・・・・・。

「え?なんだ?今の声は?」

 悠季が驚いてきょろきょろとあたりを見回すと、作りつけの棚の奥の陰に光る目があるのに気がついた。

「もしかして、鳥・・・・・なのかな?」

 ぴるるるる・・・・・。

 悠季が立ち上がって光る目の場所を覗き込んだ。すると奥にはきらきらと光る宝石のような物がうずくまっていた。

「え、これって何だろう?出ておいで」

 悠季がそっと手を差し伸べてみると、しゃっ!と威嚇の声を上げてみせたが、悠季が何もしないと分かると、恐る恐る手の先をくんくんと匂いをかいできた。

「出ておいで。もしかして、君も腹が空いているのかな?」

 悠季は食べ物の方へ戻ると、肉やパンの欠片を持って来た。

「これって、この子食べられるのかな?」

 そうっと差し出してみると、その生き物は警戒しながらも悠季が差し出す食べ物に噛り付いてきた。

 よほど腹が減っていたらしく、食べている間に空いている手で悠季がからだを撫でてみても何の文句も言わなかった。それどころか手に乗っている食べ物が無くなると、もっと欲しいというようにぴいぴいと鳴いてみせた。

「じゃあ、こっちへおいで」

 悠季が両手を差し出すと奥から出てきて、素直に手で外に出されるのに任せた。

「へえ、何て綺麗なんだろう!もしかして、君って竜なのかな?」

 ロッカーの奥から出てきた生き物は、胴体は握りこぶし大くらいの大きさで、楔形の頭を持ち、身体の表面が金と少しの緑が混じった色の金属光沢をしていた。

尻尾はからだより長く、まるで感情を表すように絶え間なく動いている。尻尾には鱗なのか、色が変わるところが点々とあり、それが時々宝石のようにきらりと光る。今は広げていないので分からないが、背中には皮膜を張った翼がついているようだった。

眼を覗き込むと、猫のような縦長の瞳孔を持ち、周りの虹彩は見ている間にも色彩を変えていく。初めは赤が多かったが、次第に青や緑が混じった色合いになっていった。

「なんだか宝石で作った竜みたいだね」

 悠季が感心してそういうと、そんなことより腹が減った!とでもいうように、またぴいぴいと抗議してきた。

「はいはい、じゃあこっちね」

 悠季は自分の夕食へと案内した。

「えっと・・・・・、猫や犬と同じなら刺激物はだめだと思うけど、この子はどうなのかな?」

 ためらっているうちに、その生き物は大急ぎで食べ始めてしまった。しかし自分で分かっているかのように、幾品かには口を付けず、好みの品だけを食べている。

「・・・・・自分でわかっているみたいだね。じゃあ僕もお相伴に預かることにしようか」

 人間ではなくとも、一人きりで食べるはずの夕食にお供が出来た事でご機嫌になり、悠季も向かい合って座るとその保存食品を食べ始めた。悠季一人が満足するには、かなり量が少ない夕食になってしまったけれど。

『竜』、と呼ぶべきかどうか分からないその生き物は、自分が満腹になると遠慮なく悠季の膝に乗りあがってきて、丸くなって眠る姿勢をとってしまった。

「なんだかすっかりなつかれたみたいだなあ」

 悠季がからだを撫でてやると、気持ちよさそうにくるる・・・・・と鳴いた。

 この子のからだは毛が無いように見えていたが、実はびっしりと短い毛が生えていて、それが金属光沢を生んでいるらしかった。撫でている悠季も気持ちがよく、この小さな生き物に、先ほどまでの沈んだ気分が癒されている自分に気がついた。

「いずれ飼い主に返さなくちゃいけないんだろうけど、僕はまだこの部屋を出ちゃいけないようだし、連絡も取れないのだから、もう少し君を預かっていても・・・・・いいよね」

 悠季は呟き、それからこのあとベッドをどうしようか考えた。自分では壁から出せないのだから、もうこのまま床で眠るしかないのだろうか?

「あ、そういえば・・・・・」

 悠季はキャビンのほうへと行ってみた。キャビンの棚にはバスタオル類がたっぷりと用意されていたので、これを使えば臨時の布団代わりになってくれそうだった。

 居心地よく寝場所を作ると、

「お休み」

 悠季は仔竜を抱いて、そのままぐっすりと眠ってしまった。