【 第4章 







恒河沙には雪は降らない。

 もともと温度が高いこともあるが、首都の垓都の冬は、北からの強風が吹きすさぶかあるいは冷たい雨が続くかの 憂鬱な天気が続き、雪はもっと遠くにある山のほうにしか見られない。

春がようやく訪れた時に真っ先にユキモドキが咲き始めて、やがて春の盛りに吹く大風で花びらが町中に降るようになると、人々は掃除が大変だといいながらもその顔は春を迎えた喜びに満ちてくる。

白はこの地の人たちにとって『春』の象徴なのだ。

「おじいちゃん、足は痛まない?息切れはしないの?」

「ああ、今日はからだの調子もいいようだよ。春になったから楽になるだろうよ」

 福山と悠季は招かれている家具職人の親方の娘さんの結婚式へ行く為に、式場である市民会館に向かって歩いていた。

 福山は昔ながらのスーツだったが、悠季は恒河沙の民族衣装を身に着けている。明るい緑色が彼によく似合って、道行く女の子たちの視線を集めているが、本人はまったく気がついていないらしい。

 すらりと伸びた背丈と、細いがバランスの取れた体型は、彼の動きの滑らかさと相まって彼と彼の服の優雅さを引き立てている。

 福山が悠季を引き取ってからすでに十年。悠季は――あの売り渡し状にあった年齢を信じれば――すでに二十三歳になっていることになる。

 悠季の遺伝子からはミューテーション(突然変異)を起こして見掛けの年齢を変えて見せるような部分は見つからなかった。つまりごく一般的な地球型惑星で育った典型的な人間ということだから、現在では思春期から成熟期に入っているということになる。

 しかし、いろいろな事情で彼らは恒河沙から脱出する事が出来ず、未だに悠季の暗示は解けていない。

 福山は悠季が恋愛に疎い現場を見聞きするたびに、忸怩たる思いに駆られた。あの暗示がなければとっくにかわいい女の子とデートやらなにやらに浮かれていてもいいはずの年頃なのだから。

「悠季は、あの子が好きなのかい?」

 広場の入り口にあるパン屋の娘が悠季に嬉しそうに手を振って、彼も手を振り返すのを見てそう言ってみた。

「嫌だなあ。おじいちゃんまで居酒屋のアンナおばあちゃんみたいな言い方をしてる。別にあの子と付き合っているわけじゃないよ。話してていい子だなぁと思っているだけなんだから。ぼくは今のところバイオリンが恋人で充分だからね」

「やれやれ、いい年の若い者が恋愛話の一つもないとは情けないもんだ」

「おじいちゃん、バイオリン以外に気を散らすなっていつも言ってるのはおじいちゃんじゃないか」

 いつも言っていることと反対だよ、と悠季が不満そうに口をとがらせた。そうすると幼かった頃の面影が甦ってくるようだ。

「しかしだね・・・・・」

 福山の足が不意に止まった。

「おや、富士見丸ふじみまるが、やって来る・・・・・」

「え?富士見丸?」

 そこは広場に設置してある停泊中あるいは停泊予定の宇宙船を表示してある掲示板の前だった。

 つい最近まであった小早川一族同士の小競り合いから、宇宙港が閉鎖されていたが、ようやく最近は外洋宇宙船もちらほらとこの星に到着するようになっていた。

 その数少ない船の予定表の中に、彼は待ちかねていた脱出の手助けをしてくれる協力者が得られる船名を発見した。顔が自然とほころんでくる。こんなときになんとも懐かしい名前を見ることになったものだ。彼はきっと私に手を貸してくれるだろう。

「おじいちゃん、富士見丸なんて書いてないよ?」

 福山は笑い出した。

「当然だよ、これは親しいものの間だけで通用する、あだ名だからね」

 彼は掲示板を指差して、停泊予定のところに表示してある一隻の宇宙船を示した。

「あそこに、【暁皇】とあるだろう。あれが、富士見丸さ。」

「どうして、【暁皇】が富士見丸なの?」

「あの宇宙船の船籍番号をみてごらん。FJ3776Mtとあるだろう?地球のニッポンには富士山という有名な山があってね、その山の高さが3776メートルなんだよ。それに船の名前が『ぎょうこう』だから、漢字をいじって『仰高』〈高キヲ仰グ〉と読んで、富士を見る・・・・・で富士見丸なんだよ」

「言葉遊びなんだね、面白いなあ。そうすると、おじいちゃんがよく知っている人が乗っているんだね?」

「うむ。わしより年上の方だが音楽が大好きで、わしの音楽の修行中にはずいぶんと世話になったものだ。その後も親しくさせてもらっておったが・・・。さて、今も元気でおられるかな?」

 なにしろ福山が汎同盟の支配圏の惑星から姿を消して十五年になる。その間のあちらの情報はまったくといっていいほど入って来ない。すでに彼が亡くなっていてもおかしくはないのだから。

「宇宙船が到着するのは、明日の朝・・・・・か。それでは、さっそくに準備に取り掛からなくてはな」

「この星を出るの?」

「うむ、もっと早くに出たかったのだが、どうやらあの船になら頼めそうだ」

 長い間、外洋宇宙船を探していたのだが、小競り合いやら隣の惑星との緊張状態やらで、なかなかこの星を出て行くための船が見つからなかった。しかし、どうやらその心配も終わりそうで、ほっと肩の荷が下りた気分だった。

 福山一人ならばいくらでも出て行く手段はあった。しかし、悠季を外宇宙に連れ出すことが出来なかったのだ。

 悠季の奴隷受け渡し状には、彼の出身星があいまいに記入されている。悠季が連邦に来た頃にはこれでも充分な記載だったのだが、審査が厳しくなってきているから、出身星が厳重に調べられてしまう。そうなれば、悠季が連邦の中の惑星の出身ではない事が分かってしまう。

 連邦が違法な取引をしているのがバレる証人を出すはずがない。もし見つかれば、悠季は必ず殺されてしまうだろう。だから、福山は密出国させてくれる宇宙船を探していたのだ。

「どうしても、今出なければだめなのかな?」

 悠季は顔を曇らせて言った。

「出たくないわけでもあるのかね?」

「・・・・・うん。ソラくんをどうしようかと思って・・・・・」

「そうだな・・・・・。しかしそろそろ生島君が恒河沙に戻ってくるはずだ。そうなればソラを預ける事が出来るぞ」

 ソラというのは、彼らのもとに居候している少年の事だ。

 この子は垓都がいとの下町で娼婦をしていた母親と二人で暮らしていたらしいが、母親が亡くなったために住んでいた所を追い出されて食べ物も手に入れられず、森で行き倒れていたのを悠季が拾ってきた子だ。

 悠季はそれまでにも傷ついた小動物などを森から連れてきて、手当てをしては森に返していたが、さすがに人間の子供を拾ってきたときには福山も驚いたものだった。

 悠季はこの子をかわいがって、彼の食事やら勉強やらの世話を焼き、ソラも悠季のことを『マミー』と呼んで慕っていた。保護するものを得て愛情を注いでいく事は、悠季の中にも愛情をはぐくみ、傷を癒していく効果があったらしい。

 それがたとえ『まさゆきくん』のかわりだと意識していなくても。福山に愛情をかけられ少しずつ自分を取り戻していた悠季は、愛されるだけではなく愛する者を得たことで、悪夢を見てうなされることが無くなっていた。

 悠季は自分がマミーと呼ばれるのを嫌がっていたが、ソラが言うには母親といっしょに住んでいた頃食べ物をくれたりした他の娼婦たちの事もマミーと呼んでいたらしく、彼にとっては食べ物を作ってくれる人間は皆マミーなのだそうで、しまいには悠季もマミーと呼ばれるのに慣れて諦めてしまった。

 ソラは小さいながら頭がよくて独立心も強く、何とか早く自分で働けるようになったら、福山たちのもとから出て行きたいと思っているらしい。

『いつまでもマミーの世話になっているわけには行かないからな』

と言う。

 もしかしたら、彼らがこの惑星から脱出しようとしている――別れが近い事に――覚悟を決めているのかもしれなかった。

 一方、生島はこの恒河沙で交易船を動かしている男で、かなり危ない橋も渡っているという評判の男だ。危険な密貿易も行っているらしいという噂が町の人々に密かにささやかれている。

 しかし、本人は『ヤバイ物も運んじゃいるが、麻薬と奴隷だけは運んじゃいねぇぞ』だそうで、今度の航海から帰ってきたら、ソラを見習いの船員として自分の船に乗り込ませることを決めていた。――実は福山たちも彼の船で恒河沙を脱出することを考えたこともあったのだが。

「生島さんかぁ・・・・・」

 悠季は少し不満そうに言った。

「まあ、あの男は粗暴なところもあるがソラを殴ったりはしないだろう。あれは強いものとは殴りあいもするが、弱いものには手を上げない男だからな」

「うん・・・・・。それはわかるけど・・・・・。でも、なんだかなぁ」

 悠季が口ごもるのは、生島とソラとが恋愛関係にあることだ。この星の住人である二人にとって、真剣であればたとえソラの年齢がもっと低くても、充分結婚の対象になるのだから。

「もう少しソラくんが大きくなってから、生島さんに会って欲しかったな。なんだかソラくんが僕たちから独立する為に、生島さんの船に乗るのを急いで決めたみたいで、嫌なんだ」

「そんなことはないだろうよ。わしが見たところ二人ともちゃんと好き合っているようだし、ソラももうじき十五になる。ここだけじゃなく、他の星でも場所によっては自分の結婚を決めるのには充分な年齢に達しているぞ。それにソラには度胸と頭がある。きっと生島君のいい相棒になることだろうよ」

「だったら、生島さんが僕に妙な事を言うのは止めて欲しいんだけど。ハニーとかなんとか・・・・・」

「あれは生島君の挨拶がわりということだそうだ。綺麗なやつには一応声を掛けるのがやつの流儀だそうだから」

 福山は笑い出した。悠季が生島の口説きに困っているのを思い出したからだ。

「綺麗って。僕はごく普通の男だし、こんな痩せっぽちのひょろひょろしたやつのどこが気に入ったんだか・・・・・」

 悠季は相変わらず自分の容姿に関心を払わない。生島のかなりきわどい口説き文句も迷惑な冗談としか思えないらしかった。



 六年ほど前に、彼らがこの恒河沙を脱出する為の手段を探している最中に生島と知り合ったのだが、その時は商談が成立して、すぐに福山と悠季を自分の船に乗せてもらって、外宇宙へ出発することになっていた。

 ところが垓都で突然起こったクーデター騒ぎに巻き込まれてしまい、彼の宇宙船が大破してしまうという災難が降ってきた。

福山と悠季も荒れて危険になってきた垓都に居られなくなって、副都の渺祇ひょうぎに数年間避難する事になってしまったのだが、この時福山は、生島に渡航費用の報酬として渡してあった半額分の金額を取り返すことをしないで、まず生島がもう一度宇宙船を飛ばすことが出来るようにと励ましてやった。

 生島はそれからがむしゃらに働き、かなり危険な事にも手を出したようだが、無事に金を稼いでもう一度宇宙船を所有する事が出来るようになった。福山に恩義を感じている彼は、今請け負っている仕事を終えて垓都に戻ってきた時には、必ず脱出の手助けをすると確約していたのだ。

「生島君の船に乗るとなると、一気にこの惑星系から出るには時間がかかる。ハイパードライブで稼げる距離も前の船に比べるとかなり短いからな。あまりにも彼に時間と労力の負担を掛けすぎる。それに、彼の商売のやり方がこのところお上に目を付けられているらしいからなぁ。もし外宇宙に行くとなるとあまりに目立ちすぎるだろう」

 そこで違う方法がないかと探していたのだが、思いがけない幸運が舞い込んできたらしい。

「十年は長かったな。もっと早くにここを出られるかと思っていたのだが・・・・・」

 福山は嘆息した。このところ様々な理由から早く恒河沙から脱出する事を急いでいたのだが、ようやく実現にこぎつけそうだ。あとは、【暁皇】の元船長か、現在の船長に連絡を取ることが出来さえすれば・・・・・。

「これでおじいちゃんのからだも診てもらえるわけだね」

 悠季も嬉しそうに笑って見せた。

 そう、それも恒河沙から早く出たい理由のひとつ。福山の心臓は、向こうを出る前に交換移植していたのだが、このところ調子が悪くなっている。

 恒河沙では福山の心臓の遺伝子登録を行っていないので、――今の「低所得者」と言う立場では、登録を申し込む事自体出来なかったので――早く向こうに戻って診察を受けたいと思っていること。

 それから、最近住民登録がうるさくなってきたこと。

 今まで『低所得者』はあまり細かいことにこだわらず、税金さえ払っていれば滞在を見逃されていたが、あまりにも数が増えてきた為に、出身地や生年月日、現在の職業、所得などが調べられることになりそうなのだ。職業や所得はいざしらず、福山と悠季の出身地を調べられる事はかなりまずいことだった。

 そうして、これが一番の理由なのだが。


 ―― 悠季があちこちで目を付けられているのだ。―――


バイオリンの演奏のために彼を連れ歩いているが、悠季のバイオリンの優れた演奏と目を引き付ける容姿に目を留めて、目ざとい貴族の連中が悠季を口説いて、自分の屋敷へ連れて行こうといろいろと画策してくるのだ。

 パトロンとなってやるから来て欲しいという金持ちの有閑マダムや、コレクター紛いの好事家や、『愛人』として欲しいと言い出す男女を問わぬ好色なやからが後を絶たない。

 今のところ悠季の鈍さと、福山が目を光らせていることで事なきを得ているが、もっと金も権力もあって、乱暴な手段も辞さない奴が出てきたら悠季を守りきる事が出来るかどうか。

 この間の靴業者主催の記念パーティでは、久しぶりに八坂の姿を見かけていた。しばらく姿を見なかったがどうやらまた垓都に舞い戻ってきたらしく、小早川一族にまた接近して、権力のおこぼれを頂きたいと思っているらしい。


 彼には以前、見目の良い人間を夜の相手として小早川一族の誰彼に送り込んで、融通を図ってもらったと言う前歴がある。今度もそれを考えないとは限らなかった。

「悠季、今夜は依頼されていて断れないが、明日以降の予定はキャンセルして外には出ないからな」

「え?でも前々から頼まれていた演奏ばかりだし、別にあの嫌な貴族連中の舞踏会じゃないでしょう?」

 僕は出かけて演奏したいな、と不満そうに言った。

「それはそうだが、どうも八坂が近頃舞踏会やら劇場を巡って美人を探しているらしい。用心に越した事はないからな」

「美人・・・・・って。僕は美人の内に入らないじゃないか!それに男だし・・・・・。八坂が探すとしたら――それも嫌だけど――かわいい女の子を捜すはずでしょう?」

 福山はいつも通りの悠季の鈍さに、呆れたように彼を見つめると、首を振って話題を変えた。

「今日の結婚式の花嫁はいくつだったかな・・・・・?」

「確か、彼女は・・・・・」

二人は仲良く話しながら、会場へと歩いていていった。