The Green Hills of The Earth
――星々は夢にささやく 終章――
【上】
『地球とはまた、なんと美しいところであったことか!地球こそはあらゆる惑星へとひろがって行ったすべての人類の故郷なのである。およそ詩人たるもの、かりにその人がかつて地球を訪れることのできた幸せものであろうとなかろうと、この、全人類の生地に激しい郷愁を寄せる男たちの姿をうたいあげたことのないものがただの一人でもあっただろうか・・・・・。あの涼やかな緑の丘に、優雅な雲の浮かぶ清澄な青空に、そして飽くこともなく渚に寄せては返す大洋の波にひそやかに秘められた地球のあたたかさを・・・・・。』
かつて、地球人類が太陽系どころか地球からさえ飛び立つ以前、はるか昔のSF作家が書いた小説の一文である。
――地球を初めて目にした悠季も、この文章の中身とまったく同じ感動を味わうことになった。
裁判での証言が終わり行動の制約が解かれると、悠季は自分の生まれ育ったその地を自分の目で確かめるために地球へとやって来た。
圭も一緒に来たがったのだが、悠季の証言直後に発表されたセレンバーグ老人の死という大問題が発生したことによって、桐ノ院一族の長として様々な問題をこなさなくてはならず、身動きが取れなくなってしまったのだ。
そのため、悠季は圭から申し込まれたプロポーズへの返事を保留にしたまま、一人で地球へと旅立つことになったのだった。
地球まで行くには、緑簾から銀河を横断していくために高速長距離宇宙船で何回も乗り換えていくことになる。そこまでの旅程について圭がセキュリティが厳重で贅沢な設備の整っている船を予約しておいてくれた。専用のコンシェルジュが世話をやき、きっちりと定められたスケジュールに沿って乗り継いでいけばいいだけとなる。
しかし、マスコミが今回の裁判ですっかり有名になってしまった悠季を放って置くはずもなく、何人もの人間が宇宙船内に乗り込んでついてきていた。
あわよくば悠季をつかまえてインタビューをものにしようとしていた。出来ないならばせめて、映像か画像を撮ろうというのだろう。圭が先見の明を発揮して一等の個室を取っておいてくれたことに心から感謝することになった。
一等の船室は待遇とセキュリティにおいて一般客とは格段の扱いの違いを示して完璧なシャットアウトをしてのけた。
そこまでしなければならないほど、彼らの取材攻勢は露悪な好奇心に満ちていた。
・・・・・もっとも圭からそのチケットを渡された時は、贅沢すぎると猛抗議していたのだったが。
悠季はマスコミから逃れるために、日中はほとんど部屋から出られなかった。部屋の中でバイオリンを弾いたり、部屋に設置してあるライブラリーで本や3D映画を見たり、時折掛かってくる星間通信で圭と話したりして過ごした。部屋から出掛けるのは夜遅くにこっそりと娯楽室やリラクゼーションスペースに行くときと、食事の時だけ。
夜遅くの外出は悠季の能力で近くに監視している人間がいないかどうかを確認して、こっそりと出かけてはエマを自由に飛ばせていたし、食事は警備の人間に守られて指定のテーブルについた。テーブルは全て席が決められており席を交換することは原則として出来なかったので、その時だけはマスコミとは無関係の、同じテーブルで仲良くなった人たちとの楽しい会話をもつことが出来た。
それでも不自由にはかわりなく、何回かの乗り換えのあと地球軌道にある検疫ステーションについたときはほっとしたものだった。
―― 太陽系惑星、「地球」 特別区。重力1.00 酸素量 1.00 。――
ここは人類発祥の地であり、銀河系の各地から観光客が大勢訪れる。しかし、入国審査は他のどの惑星に比べても厳しく、ここに住み着くとなれば更に厳重で許可されることは極めて少ない。
到着した宇宙船からステーションに降り立つと、悠季は丁寧な対応で導かれ、他の乗客とは別の場所で入国審査を受けることになった。
「守村悠季さん、ですね?」
「あ、はい、そうです」
あわてて答えた。悠季はいまだに自分の名前に実感がわかない。審査官はわかっているというようににっこりとしてうなずくと、P.I.C(身分証明)を返してくれた。
「ようこそ、地球へ。そして、お帰りなさい。あちらでご家族の方がお待ちですよ」
「ありがとうございます」
悠季が案内の発光パネルに沿って歩き入国ゲートを出ると、到着口には警備の人が数人待ち構えていて案内をしてくれた。まるでVIPのように。いや、VIPのようにではなく、本当にVIPの待遇だったのだ。なぜそんな特別扱いするかは、外に出てその理由を知ることになった。
そこには船の中に乗り込んでいた人とは比べ物にならないほどの報道関係者が待ち構えていた。出てきた悠季めがけて一斉に突進してきて取り囲むと、遠慮も礼儀もお構いなしで3D写真を撮りまくり、マイクを向けてコメントをもぎとろうとしてきた。
「守村さん、地球の感想はいかがですか?」
「守村悠季さん、ここへ来た目的は?」
「こちらには住み着かれるのですか?」
「先日の裁判について伺いたいのですが?」
「桐ノ院コンツェルンとはどういうご関係で・・・・・」
「はっ?あの・・・・・・・・・・・!?」
どわっと波動が押し寄せてきて、言葉として飲み込むことも出来ない。悠季が目を白黒している間に、警備の人間が彼らを押しのけて、悠季を応接室へと導いてくれた。
中に入ってドアを閉めると急に静かになった。それ以上マスコミの人間が入ってくる事は許されなくて、ほっと息がつけた。そして、中に目をやるとそこには三人の女性と一人の男性が悠季を待っていた。
記憶の中に残っていない―――家族の姿だった。
「悠季!よく、戻ってきてくれたわね!」
三人の女性はにこやかに笑いながら迎えてくれた。しかし、どことなく雰囲気が、硬い。
「私は千恵子。あなたの一番下の姉よ。こっちが一番上の芙美子姉さん。そして八重子姉さん。・・・・・覚えていないかしら?あなたはまだ小さかったから記憶に残っていないかもしれないけど」
悠季はあいまいにほほえんだ。姉の方も悠季があの事件のせいで記憶がおぼろげなのも無理はないと思っているのだろう。確かに悠季には姉たちの顔に見覚えがなかった。もっともまだ若い頃の顔と大人になってからの女性の顔は違ってくるものだが。
「それから、芙美子姉さんの旦那さんで現在ディジィ社を経営している盛貞義兄さん。初めて会うわけだわね」
どうやら千恵子が悠季の説明役を買って出ているらしく、てきぱきと紹介してくれた。
「悠季は母さんの顔立ちを受け継いでいるのねぇ。とても似ているわ・・・・・」
おっとりした調子で芙美子が声をかけてきた。どこかなつかしげな眼差し。彼の顔に亡き母の面影を見ようとしていたのだろうか。
「そう・・・・・なんでしょうか?」
悠季には実感がわかない。
「そろそろニイガタに向かいましょうか。子供たちも待っているでしょうし」
千恵子が席を立つようにとうながしてきた。子供たちとは芙美子の子供で、悠季にとっては甥や姪にあたるのだそうだ。
一行はマスコミが待ち構えているドアとは別の、直接搭乗口に接続しているドアから待機していた専用のシャトルに乗り込むとそのまま地球へと降下して行った。大気圏に突入し雲を抜け、大陸のそばの大きな島々へと近づいていく。
「あそこがニッポンよ。あそこに降りるの」
悠季の横に座った千恵子がてきぱきと説明してくれた。大きな列島が近づくにつれ山頂に白いものを頂く円錐形の山が見えてきた。
「あの山はなんという山ですか?それに、あの白いものは何ですか?明礬?塩?それともああいう色の砂とか」
「あの山は富士山よ。綺麗でしょう?それに、山の上に降り積もるといったら雪に決まっているわ。ああ、地球では山頂にあるのは雪ばかりなの」
「へえ、あの山が富士山なんですか。それに、雪?・・・『空から降ってくる冷たくてふわふわとしているもの』?」
「まあ、知っているんじゃない」
「おじいちゃん、つまり僕の養父が教えてくれたんです。養父は地球の出身で僕にいろいろなことを教えてくれました。とっても懐かしい思い出なんです」
悠季の声がわずかな悲しみに湿る。
「ねえ悠季、その養父っていう方は・・・・・怒らないでね、乞食をなさってた方なんでしょう?恒河沙というところで物乞いをしていたんだって、星間ニュースで言っていたの。その・・・・・奴隷だったあなたを買い取って手伝いをさせて育てていたって」
芙美子が言いにくそうに聞いてきた。
それでなのか。と、悠季は思った。会ったときに姉たちの固い表情が気になっていた。どうやら姉たちは遠い星で大きくなった弟が自分たちの生活をかき回すような貪欲で粗野な人間となって戻ってくるのを心配していたらしい。
「恒河沙ではおじいちゃんと僕は辻楽士をしていました。あの星では辻楽士は物乞いや大道芸人たちと同じ身分として扱われているんです。つまり乞食と同じ最低限の扱いということで『乞食』と報道されたんでしょう。
でもおじいちゃんは本来生活していた汎同盟では立派な教育者でしたし、有名な演奏家でした。元の惑星に戻れば尊敬を得ていた人物なんです。ただ、ある目的が・・・・・行方不明の家族を探す必要があったので、身分を隠してあの星にとどまって暮らしていたんですよ。
恒河沙ではおじいちゃんは僕にじゅうぶんで広範囲な教育とバイオリンを教えてくれて、慈しんでくれました。僕にとって、とても大切な人なんです」
「そうだったの・・・・・」
少し考え込んだあと納得したのか、雰囲気が柔らかくなった千恵子が窓の外の景色についてあれこれとレクチャーしてくれたり、とりとめのないおしゃべりで時をつぶして過ごした。
シャトルは富士山から離れ、高い山々が並んているところを通り、その裾野の緑の深い場所へと近づいていった。その中に開けた場所があり、家々が点々と立ち並んだその隅に専用の駐機場があるのが見えてきた。広大な敷地の中に守村家はあった。
「ああ、あそこがニイガタの守村の本家。我が家があるの」
シャトルが到着するやいなや、待ちかねたように子供たちが待合場から走りだしてきた。
「お帰りなさい!」
「お帰りなしゃい!」
四人の子供たちは口々に声を張り上げ、新しくやってきた叔父を見ようときらきらと好奇心に満ちた目を向けてきた。
「初めまして。悠季、といいます。君たちの名前を教えてくれるかな?」
子供たちはわれがちに名前を教えてくれた。その甲高い声に誘われたのか、悠季の特別仕立ての――マスコミにエマが見られないようにデザインされた――コートのひだの中に隠されて大人しくしていたエマが、ぴるる・・・・・と鳴いてみせた。
「え、なになに?おじさんのコートの中に何がいるの?」
悠季はエマを中から腕へと移して子供たちにも見えるようにしてやった。
「この子はサラマンドラのエマ。僕と縁があって一緒にいることになったんだ。よければ触ってやって。とてもおとなしくて人なつこい子なんだ。この子は目の上を撫でてもらうのが好きなんだよ」
子供たちがおそるおそるエマを撫でているのを見て、姉たちは顔を見合わせると何やらうなずいていた。
守村家の本家だというその家は古き良きニッポンの伝統家屋で、どっしりとした柱や梁が黒光りしており、重厚な感じとともにどこか懐かしさを覚える屋敷だった。築100年は越えているが、様々な手入れをして使い続けているのだという。
千恵子は昔ながらの古い建物に過ぎないわと言いながら、悠季を連れて家の中を案内してくれた。いくつもの部屋と時代を感じさせる落ち着いた調度。しかし、住む人が使いやすいようにと目立たないようにして近代的な設備がいくつも施されていた。
そうして、ここが自分の部屋だったのだと言われて悠季が連れて行かれた部屋。しかし、そのどれにもまったく見覚えがなく、ここに来て本当によかった
のかという居心地の悪さは増すばかり。
「そうね。悠季はいつも外にばっかり出かけて遊んでいたからね。家の中に見覚えがないのかもしれないわね」
「だったら、あそこに連れて行ってみたらどうかしら?」
子供たちを預けてきたらしく、芙美子がやって来てそう言い出した。
「あそこって・・・・・、ああ、あの!」
千恵子も姉が何のことを言いだしたのか分かったらしい。
「そうね、悠季ならあそこのほうがきっとなつかしいと思うでしょうね。行ってみましょうか?」
「はい。お供します」
姉たちは悠季を連れて屋敷の外、裏山へと入っていった。周囲には様々な種類の木々が生い茂り、足元には名前のわからない植物たちが綺麗な花を咲かせている。木々の葉は新緑の鮮やかさに彩られて木漏れ日がさらに魅力を増している。
「この森の植物たちは、守村の家が代々守ってきたものなの。薬になったり、いろいろな効能があったりするんで大切なものなの。昔だったらどこにでもあった植物たちだったのでしょうけどね。でも今はすっかり貴重になってしまって・・・・・」
「今がこの森の一番いい季節かもしれないわねぇ。もちろん春や秋もいいけれど、今は森の中もにぎやかだから」
そう言っている間に道は開け、そこには大きな楠が枝と根を広げてこの森のぬしだと主張するかのように堂々とそびえていた。幹の半ばには白い紙を切った飾りをつけた麻縄がぐるりと巻き締められている。
「・・・・・これって・・・・・!」
「守村の家のぬしの木よ。樹齢は数千年だと言われているわ」
千恵子が教えてくれたが、悠季の耳には入ってこなかった。彼は一緒にいる姉たちのことも忘れ、楠に近づくと太い幹にぎゅっと抱きついた。
「ただいま、帰って来たよ!」
穏やかで大らかな波動が悠季を包んでくれる。お帰りよく帰ってきたね、と。
ここは悠季という人間が生まれ、育った場所。『僕は今、自分の居場所に戻ってきたんだ!』という実感と共に安堵がじわりとからだに沁み込んでいっ
た。
「悠季らしいわね。きっと、きっとそうすると思っていた」
背後から芙美子の声がかかってきた。振り向いて見ると三人の姉たちは皆ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「父さんがよく言っていたもの。悠季は確かに息子だけど、このぬしの木の子供でもあるんだよって。DNA登録や顔立ちで悠季だと思っていたけど、今の姿を見て実感したわ。悠季が帰ってきたんだって!昔はあなたはいつもそうしていたわねえ」
八重子も泣き笑いしながら話してくれた。
「私たち、心配してたの。あなたが死んだと思われてからもう二十年近くの年月がたっているし、その間に様々なことがあったでしょう?星間ニュースだけのわずかな情報しか入って来ないから、あのおとなしくてやさしくて、でもちょっぴり頑固だった悠季がどんな風に変わって私たちの前に現れるのだろうかって心配だったの。もしかして貪欲で自分のことしか考えない、鼻持ちならない人間になっているのではと不安だったわ」
千恵子もうなずいて言葉を続けた。
「でも、あなたは変わっていないわね。さっき子供たちと話していた時に分かったわ。昔のままの悠季が大きくなって帰ってきたんだって!ごめんなさい、誤解していたわ」
姉たちはほっとした心情を口々に言ってきた。
「でも、僕はこれからあなた方の気分を害するようなことをするかもしれませんよ」
悠季は後ろめたい思いをしながら、しかしきちんと姉たちの顔を見て話しだした。姉たちは顔を見合わせたが、そのまま悠季の言葉を待った。
「僕はある人からプロポーズを受けています。相手は・・・・・その、男なんです。同性婚は汎同盟では認められてはいますが、多くの惑星では禁止されていることも知っています。嫌悪感で迎える人が多いのも知っていますし・・・・・。
ですが、僕は彼を愛していますし、一生寄り添って生きていたい相手なんです。ですから、姉さんたちにはとんでもない話かもしれませんが、僕は彼の申し出を・・・・・その、受けようと思っています」
悠季は一気に話した。最後には顔を見ていられなくて目を伏せてしまい、罵声が飛んでくるのを覚悟しながら姉たちの言葉を待った。
「あら、この地球でも同性婚は認められているわよ。もちろん昔かたぎの人たちには受け入れられないことらしいですけどね」
八重子があっさりと言った。
「むしろもっと年配の人の方が認めてくれるわねぇ。地球は古い歴史を持っていて、こういう問題は経験しているから。昔だったら、同性婚は地球では一
般的に認められていたことだけど、殖民していった人たちが同性婚を罪悪だと声高に主張していたので、地球でも認めない風潮が広がってしまったの
よ」
自分たちは大丈夫なのだと芙美子は言い、三人ともにっこりと笑って見せたが、ふっと表情を引き締めた。
「でもね、このニイガタは血縁地縁が未だに濃い地なの。お付き合いは良くも悪くも親密だわ。今日だって死んだと思われていた弟が帰ってくるということで、親戚やらご近所やらが大勢挨拶に来たがっていたんだけど、『弟は長旅で疲れています』って言って今日だけはお断りしていたのよ。
明日からは大勢押し寄せるわよ。中には家の内情にまで首を突っ込んでこようとするおせっかいやひどい偏見を持った人もいるわね。
そんな人たちがいる以上、この地で同性婚だと堂々とはまだあまり言えない状態だけど、私たちはあなたの味方ですからね!」
そのかわり明日の忙しさは覚悟しときなさい、と千恵子はおどかして笑った。
「ありがとう、姉さんたち!」
悠季は姉たちに心からの感謝を告げるのだった。
覚悟していたように、次の日には大勢の人たちが歓迎しに悠季のもとへとやって来た。田舎に住む人間特有の、子供のようにあけすけな好奇心に満ちた態度で。
姉たちは次々とやってくる客の応対と歓迎会の接待に追われていた。客の中には歓迎の言葉というよりも悪意に満ちた言葉を投げかけるものもいたし、プライバシーに露骨に踏み込んだ質問をぶつけるものもいたが、それを姉たちがやんわりと角が立たないように否定してくれたりあっさりといなしてくれたりして悠季をかばってくれた。
訪問者の中には悠季の幼馴染だという人間がいた。
「覚えてないかなぁ。村上だよ、村上卓治。昔よく遊んだろう?」
「もしかして・・・・・ガキ大将のタクかい?」
「そうさ!なつかしいなぁ、覚えてくれていて嬉しいよ」
彼は昔の楽しくて懐かしい思い出を、『あれはこうだったろう?』『これはそうなっていて・・・・・』としゃべり続けてくれて、その話を聞いているうちにだんだん悠季にも昔の記憶がよみがえっていくのを感じていた。
穏やかで懐かしい幼年期の記憶。どこか物悲しくすでに失われた遠い記憶。その中には、姉たちや父や母との思い出も含まれていたのだった。
「そういえば、悠季。お前は今までどこに住んでたんだ?緑簾だっけ?」
「緑簾にいたのは最近までの短い期間なんだ。その前は養父と恒河沙という惑星にいたんだけど、養父が亡くなった後 ある宇宙船に引き取られて生活していたんだ。【暁皇】っていう宇宙船だよ」
「【暁皇】だって?!俺、知ってるぜ。実は俺は今お前の姉さんのとこのディジィ社で働いているんだ。メンテナンス部門に入ってあちこち飛び回っているのさ。ついこの間も【暁皇】に行ってメンテナンスをしたばかりだぜ」
「へえ、そうなんだ」
「あれ?もしかして・・・・・船の中の緑地帯で、あの『秘密の花園』って命名した人物ってお前のことか?」
「・・・・・そうだけど、何でそんなこと知ってるの?」
「そうかー、やっぱりな。植物たちに好かれるやつなんて他にはそうそういるもんじゃないからなぁ。船長に聞いたんだよ。公園の木々を成長させた者がそう名づけたってね。あの時に俺、その人に会わせてくださいって船長に言おうかどうしようかすごく迷ったんだ。プライベートなことだからってあきらめたけど、言えばよかったよ!」
「圭にそんなことを言おうとしてたのか」
「圭って・・・。お前船長のことを呼び捨てしてるのか?」
「え、い、いや、その、あの船の中では桐ノ院さんは大勢いるし、彼も同い年なんだからお互いに親しい呼び捨てしてもいいんじゃないかって言ってくれたんだ」
「ふうん・・・。ところで、聞きにくいことを聞いてもいいか?この先のことだけど、お前ディジィ社を継ぐのか?もともと亡くなったおじさんたちはそのつもり
だったんだろう?お前は守村の緑の親和力を持っているんだから、跡継ぎだよな」
「いや、姉さんたちともいろいろ話したんだけど、僕は地球には住まないつもりなんだ。姉さんたちが今まで守村の家とディジィ社を守り続けてきたし、盛貞義兄さんが芙美子姉さんと守村家を継いでいってくれるだろうからね。それで十分ここはやっていけるんだ。
それに、僕はバイオリニストなんだ。これからバイオリニストとしてきちんと立っていきたい。どれほど出来るか分からないけれど、養父の、福山正夫の遺志をついでグァルネリを歌わせていってやりたいんだ。だからバイオリニストとしての僕の居場所はここじゃあないんだよ。
それに、もし僕がここに残りたいと思ってもきっと迎えにくるやつがいるから」
「え?それって、誰のことなんだ?」
「・・・いずれ分かるよ」
悠季は照れくさそうに言うと、話題を変えた。
遠い宇宙のかなたからの帰郷者を見ようと、引きも切らなかった来客たちも、いつしか興味を失って平常の生活へと戻っていった。今では道で出会っても簡単な気候の挨拶を交わしてすれ違ってしまう。悠季はここの住人として改めて認められたのだ。
マスコミの人間たちは、ここに入り込んで悠季や住人たちに何とかしてコメントをもらおうと動いていたが、一度自分たちと同じ仲間だと認めた者を守ろうとする結束は固く、彼らが喜ぶような話をしようとはしなかった。
悠季は姉たちと相談して数社の会見とインタビューに答えることで決着をつけると、あとはこのニイガタでの生活を満喫することに専念した。
ここ、ニイガタはまるで時間さえゆったりと動いているような穏やかな地で、悠季は昔行った場所を尋ねて歩き回り、姉たちの仕事を手伝い、甥や姪たちと遊び、時折あのぬしの木へと出かけてはバイオリンを聞かせて日々を過ごしていた。
季節は初夏から夏へと移っていき、山の草木も次々と新顔の花や果実を見せてくれている、
そうして、悠季の中にも一つの思いが結実していった。