【 第19章 



―― 悠季モノローグ2 ――









あの『食ベタイ』という暗示は、【ハウス】にいた全ての子供たちに与えられていたわけではない、と思う。

心の奥底にまで抵抗できないように暗示をかけ、きめ細やかに閨での誘いの手管あれこれをするように覚えこませるのは時間と労力が必要だから。

しかし特別なペットとして仕込むことで付加価値をつけようとしていたんだと思う。そして、そんなペットを持っている事を自慢するために特別に仕込まれていたんだ。

両方の客が来ない間に、よくも【ハウス】が約束を守って僕を他の客に紹介しなかったものだと思う。

確かに僕の太腿には誰の名前も所有者として刺青されていなかったのだから、二人が来ない間にこっそりともっと金回りのいい客に紹介することも出来たはずだ。

どうやら僕を競り落とそうとしていた二人の客は【ハウス】にとっては上客だったらしい。あるいは逆らうと怖い相手だったのか?

(もしかしたら、僕の両親を殺した海賊と同業だったのかもしれないが・・・)機嫌を損なうことは避けたかったらしい。

その上 僕はそのころ客寄せとしても十分目を引く子供だったらしく、やって来た客が僕を指名し、『あいにくその子は予約済みでございます。他の子ではいかがでございましょうか?』と言われて、他の子供に流れていくという、まるでサンプルか おとりのような役目を与えられていた。


――あるいは、僕にまったく記憶にないだけで、実は客を取らされていたのかもしれない。まったく稼がない子供をただ置いておくような無駄なことはしないんじゃないかと思うから。それに客の中にはまったく無抵抗な人形にように眠っている子供を相手にしたがる変態もいるのだから・・・もしかしたら?――

記憶がないのは幸いだ。その時の真実について詳しくつきとめたいなんて思わない。


悪夢が増えるなんてまっぴらだ!



あの男たちはすぐにやって来るだろう、もうじき来るだろうと怯えながら、僕は【ハウス】での日々を恐怖とともに過ごしていたが、三年間近く経ってもあの客たちは現れなかった。それも両方とも。

破産してここ【ハウス】へ来るための金が無くなったのか、それとも航海中に死亡したのか・・・?かなりお互いに敵対している相手の様子だったから、互いにやりあった末の事なのかもしれない。そんな話を【ハウス】の従業員たちがひそひそと話していたように記憶している。

かなりの非合法な船の(あるいは海賊船の)船長らしかった大男が戻ってきて僕を抱いていたとしたら、僕はこの世にいなかったかもしれない。それほど彼の頭の中に浮かんでいた様々な『かわいがり方』は恐ろしいものだった。

時間が過ぎていくにつれて、今度は僕に違う価値が出てきたのだろうか。約束の三年が過ぎる九歳になる頃には 僕はもっと有力な客への貢物とされる為に、取り置きされることになったのだ。

キープが切れた時に改めて僕はその人物の相手にすることになっていた。特別に教育と躾を施した極上の贈り物として。

しかし、その時が近づくにつれて僕は【ハウス】の中の雰囲気のせいで体調を崩していて、むやみにおびえて人との接触を避ける子供になっていた。

耳をふさいでも響いて来るかわいそうな子供たちの悲鳴や慟哭が僕の心を休めてくれず、その緊張がさらに能力を活性化させることになる・・・といった悪循環が続いていたのだ。

どうにも扱いづらい僕を、【ハウス】では何とか早く薬が使える程度の健康を取り戻させたいと焦っていた。あの客が【ハウス】にやって来る前に、と。

そんな時に僕は正幸君と出会うことになったのだ。

健康で快活なまあくんは、僕の心の防波堤となってくれて、徐々に健康を取り戻すようになっていた。【ハウス】の支配人はきっと僕が使えるようになったとほっとしていたに違いない。後は、お目当ての上客がやって来るのを待つばかり、だと。


ところが、ここにきて思わぬ齟齬が起こった。


那由他が十五年間ほど加盟していた連邦(自由惑星連邦)から脱退することになったのだ。

政権が交代したことによって政策がかわり、以前加盟していた、汎同盟(汎宇宙惑星同盟)へと帰り新参ということになったのだ。

加盟することになれば、連邦では認められていることでも汎同盟で禁止されている様々な事柄に、厳しい司直の目が向けられてしまうことになる。

まだ成人になっていない、少年少女の売春もその一つで、【ハウス】も当然この対象に入っていた。

政府の中にも有力なコネがあるとはいえ、警察の手に潰されるのを防ぐのが精一杯で、今までのような派手な営業は出来なくなってしまったのだ。

しばらくの間、警察の目から身をやり過ごすということで、営業の自粛、完全にただの孤児院という形態をとって、【ハウス】は身を慎んでまた商売が出来るチャンスを待っていた。







僕が思い出した記憶が【ハウス】で起こったことがら全てではない。たぶん、かなりの部分が抜け落ちていると思う。僕はそこまで全てを思いだそうとは思わない。きっと、僕自身が思いだしたくない酷い記憶も数多くあるだろうから。

こうやってぽつぽつと思い出した記憶は、軟禁中の暇にあかせて検索した過去のニュースで客観的に確認することになった。なぜ【ハウス】という組織が那由他にあったのかとか、【ハウス】が二年近くの間営業を自粛せざるを得なかったのはなぜだったのかとかを調べることができて、やっと納得がいったのだ。

そうしてまあくんが【ハウス】に来てから約二年。ついに元のように【ハウス】の営業が開始された、という矢先に・・・あの事件が起こったのだ!



あの日、僕は【ハウス】を訪れたあのマティルド・ダヴィド=セレンバーグ氏へ、極上の貢物として引き渡されることになっていた。

彼は【ハウス】が再開するのに尽力してくれた重要な客で、僕の前にも二人の子供を薬を使った強姦まがいの陵辱で殺してしまったが、それくらいのリスクを負うのも構わないと【ハウス】が考えるほど、これからも大切にしたい客だった。そう言えばここの経営権を買い取る話さえ出ていたんじゃないかと思う。。

彼の前に差し出された僕も、死んだ子供たちの仲間になってしまう可能性が十分にある・・・過酷な運命が待ち構えていた。

だが、数日前から僕は風邪をひいて熱を出してしまっていた。薬を使ったら間違いなく死んでしまうと判断した支配人は、僕の代わりにまあくんを彼の前に差し出したのだ。



――そうして、まあくんは・・・死んだ。僕の身代わりとして――



代わりに僕が死ねばよかったなどと言えば、まあくんはきっと僕を怒るだろう。でも、あの事件以来 僕はまあくんが僕の身代わりになったと自分を責め続けていた。

きっとそのせいかもしれないけれど、僕の心にはまあくんが棲みついてしまったようだった。

でもそれは僕を責めるためじゃない。まるで僕を守ってくれているように、何かがあると話しかけてくるんだった。

奴隷として売り払われた後、買主に虐待されて心のバランスを崩しそうになっていたのを支えてくれたのは まあくんだった。あの『食べたい』の暗示に負けないように助けてくれたのもまあくん。

そして、圭とのあの強姦未遂事件のあとで、うなされていた僕を正気に戻してくれたのもまあくんの声だった。彼は死んだ後も僕を支え助けてくれている。守り続けてくれているんだ!

だから、今度は僕がまあくんが殺された無念を晴らして、のうのうとそのまま生きている犯人の所業を止めさせ、相応の罪滅ぼしをさせたいと思っている。







こうやって【ハウス】のことを思い出しているうちに、圭と初めて会った時のこともはっきり思い出した。

あの頃すでに僕もまあくんも【ハウス】というのがどんな組織なのか、自分たちの身がどうなるのかよく分かっていた。けれど、外から来た『圭くん』には知られたくなくて、ここは孤児院らしいと言っていたんだ。せっかく友達になった子に軽蔑されたくなかったから。

けれど、再会した圭は僕がどこにいたか、どんな暮らしをしていたかを知っていたし、理解してくれた。きっと軽蔑すると思っていた彼は、それでも僕を欲しがってくれた。僕だけが欲しいのだと・・・。

僕はそうして【暁皇】での圭との様々なことを次々と思い出した。思い出し始めると、それはまるであふれ出るように湧き出してくる。

彼と話したいろいろな話、彼が僕にからかって言いかけてくる言葉の数々、

びっくりするような称賛の言葉をささやいてきて僕が赤くなると楽しそうに微笑んでいる。僕が何か彼に話しかけると嬉しそうに返事をして、ふとした瞬間に彼は僕の顔を切なそうに見つめていて。なにより僕の演奏をうっとりと聞いていて・・・。

いかにも恋人のそばにいる恋する男の風情で・・・。


「・・・あ・・・っ!・・・そうか・・・!」


心の中に投げ込まれた小石は波紋を広げ、やがて収束する。

僕は自分の心に蓋をしていたのに気がついたのだ。ようやく今、僕は自分の心に正直になってその言葉を口にする。

「僕は・・・圭のことを愛していた・・・?それを・・・今頃になって気がつくなんて、僕は何て鈍いんだ・・・!」

ぎゅうっと胸が苦しくなってくる。重い重い喪失感。

自分や圭にいろいろな言い訳を言ってはいたけど、あの別れの夜、僕が圭に抱かれたのは僕が圭を愛していたからだったのだ。そうでなければ、これほどセックスに対して反発や嫌悪感を持っている僕が、どうしてすんなりと彼に抱かれたりなどしただろうか?

エミリオ先生のもとにやってきてからの時間、僕は必死に圭のことを思い出さないように自分に言い聞かせていた。もし思い出したりすれば、心があの【暁皇】の楽しかった日々へと引き戻されてしまうだろうから。

そうやって僕は自分の心の真実から目をそらしていたのだ。圭の元に戻りたいという望み、ずっと愛する人のそばに居たいという願いから。

僕はゴシゴシと目をこすって、あふれてきたがる涙を止めた。後悔するのは今更遅い。

せっかく圭が勧めてくれた音楽家としての道を歩み続けるはずだったのに、僕はこうやって横道にはまっている。圭に合わせる顔などないではないか?

【暁皇】のホログラムであの男を見かけた時、僕はこのまま【暁皇】に残ることが出来ないことを知った。これはまあくんからの報せであって『緑簾に降りなさい、するべきことがあるから』と言っているのだと思えた。

でも圭がエミリオ先生のところへと連れて行ってくれたことで、緑簾に降りるべき理由というのが変わってしまった。

おじいちゃんから教わってきた勉強をもっと頑張って、プロとしてのバイオリニストとなる道を選びなさいという意味なんだと思い込んでいた。いや、思いこもうとしていた。

つまり復讐のことは・・・しばらく忘れてもいい、あるいは先延ばしにしてもいいのではないかと思っていたのだ。確かにまあくんを殺した男は憎いけど、過去のこととして今の僕は黙って見逃していてもいいのではないかと。そのときまでは・・・。

けれど、ダヴィド氏と握手をすることになり、彼がまだあの【ハウス】を甦らせようと計画しているのを知って、僕が取るべき道が違うことに気がついたのだ。

まあくんが望んでいたのは僕がバイオリニストとなることではなかった。

僕のやるべきことは、まあくんや他の子供たちをひどい眼にあわせてきた者たちを相応の刑に服させてやること。そして【ハウス】を再開させたりせず、新たな犠牲者を出さないようにすること、だったんだ。

だからもう、僕は【暁皇】には戻れない。



戻り道は全て閉じてきたのだから。







そして、その結果が、このリゾートにひとりぼっちだ。


ところで、どうも尾山さんの様子がおかしいことに気がついてしまったのは、こうやって神経がぴりぴりと昂ぶっているからなのだろうか?

【ハウス】にいた頃のように、能力が上がっている。

監視装置についてはすぐに気がつくし、ひどく目障りに感じられたから、僕は見つけ次第にそれらを片っ端から取り外してしまった。

自分の部屋が誰にも見られないようにすることも今の僕ならなら出来る。もっとも、部屋の外からの電波や赤外線を使った監視装置までは防ぐことが出来ないようだったけど。

尾山さんは、表面的にはとても慇懃で『鎖委員会』に忠実に見えるのだが、ふとした瞬間にそうではない、と思えるときがある。どうやら僕の行動を誰か別の人間に知らせているらしく、僕が少しでもどこにいるか分からない時間があることを嫌がる。

やがて、僕は自分の命も狙われているのではないかと思うようになった。監視から向こうの指令が変わったのだろうか?

もちろん、おおっぴらに狙っているわけではないらしく、事故を装って消そうとしているらしい。・・・なんて、今の僕にはそんなことまで分かるんだ。

でもちょっと待て。僕を殺そうとしているということは、尾山さんが内通者だということになる。相手は連邦の関係者か、それとも【ハウス】の関係者か?

もちろんホテルの周囲に出るときは、危険な場所には近づかないようにしたし、食事や飲み物にも注意した。とはいえ、僕はこういうことには素人だし、僕の命がずっと危険にさらされているということはたまったものではない。

僕は延原さんに密かに連絡を入れることにした。

延原さんは、市山さんに『鎖委員会』の席で副官だと紹介してもらった人で、あの飯田さんとも古くからの知り合いだと知ったのだ。

この人は飯田さんと同じように一癖も二癖もある人物で、ある意味市山さんや飯田さんより諜報向きの人間らしかったが、握手をしたときに流れ込んできた感情には、僕に対する好意と奴隷制度を潰さなければならないという強い信念がうかがわれた。この人の飯田さんへの少しひねりの効いた友情も気に入った。

僕はこの人を信用することにしたのだ。

「そうか・・・。それはずいぶんと早い。実はこっちでもうすうすは気がついていたんだが、まだ尻尾を出すのは先の話だと思っていたんだ。確かに裁判を行う上で君という証人は重要だが、そこまで切羽詰っていたとは・・・。

わかった、すぐこちらから君を救出してもっと安全な場所へと移動するよ。君の知っている人間が行くから、心配しないで待っていてくれ。彼が到着するまでだが・・・」

「分かりました。がんばります」




延原さんは、相手の監視装置を無効にする為の方法をいろいろと僕に教えてくれた。そして僕は散歩の途中で近くの骨董屋で買った(と、尾山氏には言ってあるけど、実は延原さんが密かに届けてくれた)ラジオを尾山氏に気づかれないようにつけた。

古くて性能もあまりよくないラジオは、いろいろな雑音波を出して、最新の機械との相性が悪い。

尾山さんにセキュリティ用のカメラの映りが悪いと文句を言われた時にはそんな風に言い訳をしていた。気に入っているから部屋から出す気はないと言い張って。

でも本当のところは、中身は延原さんが調達してきた高性能の機械で、最近の高性能のコードレス監視カメラや盗聴機の効果がないようにしてくれていたんだ。

そして、昼間でもカーテンを閉めて、壁の厚いところにじっとしていること。それで赤外線を使った監視装置も使えなくなるのだという。セキュリティの方にも手を入れて、救出する人間がやってきても情報が通り抜けるように手も打ってあるそうだった。

僕は尾山氏に体調があまりよくないことを理由にして、部屋を薄暗くして救出の手を待った。




「・・・え?・・・圭が来るなんて・・・?!」

僕を迎えにやってきたのは、思いがけず圭だった。

彼がやってきたのは、ホテルに入るときから分かっていた。(おそらく現在 過敏になっている僕の能力のせいだろう)彼がポーカーフェイスの陰に様々な感情を押し殺して、こっちへとやってくるのが分かった。

 ――会いたい!あってちゃんと気持ちを言いたい!・・・でも、会いたくない!今の僕は彼に会わす顔がない!それに、彼と【暁皇】にまた迷惑を掛けてしまう・・・!――

混乱した僕は圭が早く立ち去ってくれるように願い、部屋に来た圭にはあくまでも証人としての立場を強調したのだけど、圭はそんな僕の口先だけで言い訳をする断りの言葉などまったく気にせず、僕を力づくに訴えても脱出させようとしていた。

「君らしい・・・。いいよ、一緒に行く」

僕は思わず笑いがこぼれるのを感じた。圭が延原さんからの救出の手かどうかは分からなかったが、彼が僕を懸命に助けようとしている以上、先の事は考えず、素直にその手に自分を委ねようと思ったのだ。

光の中で見上げた彼の顔は、僕を心配していた為だろう、ひどく憔悴していた。僕はきゅっと胸が痛むのを感じて、たまらなかった。

ああ、僕はこんなに彼に会いたかったんだ!と。

彼が僕を抱きしめる手にひどく安堵する自分を感じながら、僕はささやいた。

「好きだよ、圭」

僕は素直になってやっとこの言葉を言うことが出来た。

「悠季!」

彼の手がぎゅっと僕を強く抱きしめてきた。

「本当に?これは夢じゃないのですね?」

僕は顔を上げると彼の唇におずおずと自分からそっと口付けた。そんなしぐさをするには渾身の勇気が必要だったが。

圭は、恥ずかしくてすぐに離そうとした僕の頭を抱きかかえると、今度は僕がぼうっとなるまで熱いキスを与えてくれた。

しかし、いつまでもこうしてはいられない。そのことに気がついた圭は、しぶしぶからだを離して僕をエスコートして脱出させてくれた。











「どうやって僕の居所が分かったんだい?」

待機していたエアカーに乗り込むと、僕は疑問に思っていたことを口にした。

延原さんや市山さんが部外者である圭に居場所を話すとは思えなかったからだ。話したくても公的な立場からは言うことが出来ない。この脱出はたぶん圭だけの判断のはずだった。

「キングに頼みましたよ」

「キングに?」

それは本当に非常事態だった。緊急措置をとってあの藍昌まで巻き込んだことに驚いた。

「今回僕は『鎖委員会』とは無関係で君を捜した、という立場が必要だったのです。市山氏や延原氏に聞いてはいないということで、あくまでも民間の僕が救出するべきだったのですが」

「すると、君は延原さんを知っているの?」

「ええ、知っていますが、今回の救出にかかわっているのは、むしろ飯田君の方が大きいですよ」

圭は、飯田さんと延原さんの企みを教えてくれた。延原さんはこのままもう少し尾山氏を泳がせて、どこに情報を漏らしているのか確証を握りたい、飯田さんは『鎖委員会』に貸しを作るとともに、桐ノ院家がこの件に関して公正な立場を貫いているのを示したい。ということで、今回 藍昌を動かして僕を捜す事になったらしい。

僕たちは飯田さんの指示に従ってホテルを脱出すると、そのままエミリオ先生が待っているという場所へと連れて行かれた。







「馬鹿にせんといて!人ォばかにするんもええかげんにしよしや!」

 そこで待っておられた先生は、僕の顔を見るなり太った顔を真っ赤にして、怒鳴りつけてこられた。

目を丸くした僕は、一瞬にして背筋がしゃっきりと伸びた。

圭とのんびり甘い再会をやっている場合ではなかった。ここには、一番もうしわけない仕打ちをして、最大限に謝らなければならない人がいたのだから。

「うちは誰や?!押しも押されん世界の巨匠エミリオ・ロスマッティやで!そのうちが、なんで人の顔色見なならん!うちの演奏をどうこうすることは誰にもさせへんよってな!

悠季はきちんとうちと話さなあかんえ。相手が誰であろうと、うちは自分の身に降りかかった火の粉は自分で振り払うことが出来るんや。悠季に気をつかってもらう必要はあらへん!

悠季、分かりはった?!」

「は、はい!すみませんでした」

僕が頭を下げると、エミリオ先生は不意に顔色を和らげられて、ぎゅっと抱きしめてきた。

「よかった。悠季が無事でほんまによかったえ」

そう言うと先生はぽろぽろと涙を流し、僕のからだを揺さぶっていた。

僕は自分だけの考えでエミリオ先生にご心配をおかけしたことを、本当に、本当に申し訳なく思った。

「ごめんなさい、先生、ごめんなさい・・・」

目からは熱いものがあふれ、いつの間にかしがみついて子供のように泣いていた。



しばらくしてようやく落ち着くと、ソファーに座り圭とエミリオ先生を前にして、改めて僕は今まで隠してきた事柄をあらいざらい話した。自分の生い立ちから【ハウス】での出来事、まあくんとの事件、奴隷時代のことこれからやろうとしている裁判のこと、そしてその証人として立ったこと・・・等々。

二人は長くてかなり話が前後してしまう言い訳話を最後まできちんと聞き、そして僕がやってきたことを改めて認めてくれたのだった。

「そんなことがあったなんてなぁ。確かにそんな事情があったのならそのままにするなんてできへんかったやろうけどなあ…」

ため息とともに、エミリオ先生は言い、それからさらに言葉を続けた。

「悠季、うちらに心配をかけてすまないて思てはるのやな?それやったら、裁判が始まるまで次の隠れ家へ行ってても当分暇やろうから一つ宿題を出すよって、それを仕上げておいない」

「はいっ!」



エミリオ先生からの宿題とは、実に思いもかけないものだった。