【 第18章 










 ここは緑簾の北半球にある、高原地の中規模のリゾートホテル。

今はシーズンオフのせいであたりは閑散としており、ホテルの中にも客たちの姿が見えないそこに圭はやってきた。

「ここが風光明媚ですって?」

ふん、と鼻をならした。

あたりには葉を落とした木々が並び、寒々とした景色が続いている。

ここが暖かな季節だったなら人々も大勢やってきて観光で賑わい、花々が咲き乱れて確かに綺麗な場所なのだろうが、今は何もない冬枯れた景色としか言いようがない。雪が積もればまた違う味わいもあるのかもしれなかったが。

ホテルに入るとフロントには誰もいなかった。これは事前の情報どおり。構わずそのまま階段を使って上っていき、とある一室の前に立った。

発信器の信号はこの中から出ている。確認した圭はドアのロックを外し扉を開けた。

「・・・圭、来ちゃったの?【暁皇】の船長がわざわざこんなところまで来るなんてだめじゃないか」

悠季の甘い声が部屋の奥から聞こえて来た。

「・・・悠季?」

 部屋の中はまだ夜には早いというのに、ぴったりとブラインドが閉じられ、その上照明まで消されている。明るい外から入ってきた圭には、どこに何があるかも分からない状態となっていた。

小さい声は窓際から聞こえてくる。闇に慣れない目にはぼんやりと影がそこにあるとしか思えない。

「悠季、僕がここにくることをわかっていたのですか?」

「うん、君だろうと思った。感じたから」

「それでは、僕がここに来たわけも分かるはずですね。君を迎えに来ましたよ。帰りましょう、エミリオ師も心配されていました」

「僕は【ハウス】の証人なんだよ、ここから動くなと言われているんだ。だから一緒には行けないよ」

淡々とした口調で彼は話していた。いや、ひどく平坦な声音ではないだろうか?なにやら圭には不安な兆候に思えた。

「悠季、これが君の望んでいたことですか?プロバイオリニストとして活躍するのが夢だったのではありませんか?それなのにこんなところに閉じ込められて・・・!正幸くんの復讐などより今は君の将来が掛かっている時ではありませんか?!」

「・・・うん、馬鹿なことをやっているとは、自分でも思うよ。でも、これは僕が決めたことなんだ。だからどうかこのままそっとしておいてくれないか?」

「ここでは君の身の安全が保たれているのかどうか信用できません。僕がもっと居心地のいい場所にお連れしますから、どうか僕と一緒に来てください。もし、それが嫌だというのなら・・・」

「・・・どうするの?」

「どちらかを選んでいただきます。僕と一緒に素直にここを出て行くか、それとも縛り上げられてここから連れ出されるか。君はどちらがお好みですか?」

 薄闇の中で、影がくすくすと笑い出した。

「君らしい・・・。いいよ、一緒に行く」

 窓際から影が動いた。ピイと鳴き声がして彼の腕にエマが抱かれていたのが分かった。そのまま影は入り口へと近づき、圭の傍までやってきた。足が見え、ズボンと白いシャツが光に浮かび上がる。しかし、まだ顔の部分は闇の中だった。

「悠季、バイオリンはどこですか?」

「ああ、あれはここに連れてこられた時に取り上げられた。ここでバイオリンを弾かれたりしたら、僕がここにいるのが分かってしまうからと言ってね。それに僕の手元にあれば、弾きたくなるだろうからと持っていかれた。どこかに保管されているはずだ。・・・大事にしまっておきますと言われたから、きっと大切にしてくれているよ」

やはり・・・!と圭は思った。やはりバイオリンが悠季にとってどんなに重要なものか分からない者が、彼から取り上げていたのだ!

「さあ、行きましょう!バイオリンは僕が必ず取り返しますし、いくらでもバイオリンを弾ける場所を提供しますから」

圭が手を差し出すと、ゆっくりと悠季の手が闇から差し伸べられた。

なんと、なんと細くなってしまっていることか!

冷たい手を握り締めて、そのまま彼を光の下へと引き出した。

彼は圭の思って以上に痩せてやつれており、あの意思の強さを見せていた綺麗な瞳さえ、ぴりぴりとした光を放っているように見えた。

――なんてことだ・・・!――

圭は心の中で、ここに彼を閉じ込めた者たちへの呪いの言葉を吐き続けていた。

彼は圭の方を見上げると安心したように表情を和らげていき、ふわりと微笑んでみせた。そして、エマをテーブルの上に乗せると圭のからだに寄り添って来た。ことりと悠季の頭が肩に乗せられた。

「・・・好きだよ、圭」

圭は一瞬自分の耳を疑った。ずっと聞きたいと思い、だがこのまま聞くことは出来ないと諦めていた言葉が悠季の口からささやかれたのだから。

「悠季!」

 圭の手がぎゅっと悠季を強く抱きしめた。

「本当に?これは夢じゃないのですね?」

「・・・うん」

ひどくはにかんだ顔で、悠季は顔を上げると圭の唇に自分からそっと口付けてくれた。彼の唇は覚えていた記憶の感触よりもずっと柔らかで官能的だった。

「あ、ごめん・・・!」

圭は、真っ赤になってすぐに離れようとした彼の頭を抱きかかえ、そのすっかり細くなってしまったからだを抱きしめると、今度は悠季がぼうっとなるまで熱いキスを続けた。

 悠季はくたりと腰がくだけてしまい、立っているのもやっとになって圭に身を預けてくれていたが、ふと顔を上げた。どこかからの声を聞いてるように小首をかしげた。

「あ・・・誰かここに来るみたいだね。もうすぐリフトがこの部屋に止まるよ」

悠季が顔をリフトの方へと向けたのをみていてぎょっとなった。

「・・・悠季、分かるのですか?もしかして僕が来るのが分かったというのも、それでしたか?」

「うん、ここにいたら他に何もすることがなくて、いつの間にか分かるようになっちゃって」

またふわりと微笑みかけてきた。しごく当然のことのように。

圭はそれを見て嫌な予感がした。悠季はこの能力を嫌がって自分では使わないようにしていたはずだった。それが日常的に使えるようになっているということは、それだけ彼の日々が緊張を強いられていたということになる。

「今ここに来る、という者達は委員会の人ですか?」

「いや、違うなぁ・・・。いつもここに様子を見に来るのは尾山という人なんだけど、違う人みたいだね。僕の姿を頭に浮かべて、なんだかぴりぴりしているようだけど・・・。ああ、二人・・・なんだ」

悠季の声はのんびりとしてごく普通に天気の話をしているかのように、緊張感がない。

「急いでここを出ましょう!」

圭はエマをすくい上げて悠季に手渡すと悠季の肩を抱き寄せて部屋を出るとある装置を仕掛けてから鍵をかけた。

そのまま前もって確認してあった従業員用の搬入路から外へと脱出して、止めておいたエアカーに乗り込んだ。リフトが止まり知らない男たちが部屋の前に現れたのはその直後だった。

圭たちの乗ったエアカーがしばらく走っていると、背後で騒ぎが起きていた。それはどうやら先ほど出てきたホテルの方向のようだった。







「おい、いくらなんでもやることが派手すぎるとおもうがね。ホテルの中で爆発騒ぎを起こす必要はないはずだ!」

マティルド・ダヴィド=セレンバーグはうなだれて緊張しきっている部下をがみがみと叱りつけた。

「確かに証人を消せとは言ったが、あそこであのような大騒ぎを起こせば鼻の利くマスコミの奴らが、なぜこんなことが起きたのかかぎつけることになりかねないのだぞ。そうなれば衆目が事件の方に向いてしまう。それがまずいから、お前に密かに行動しろと言ったんだ。こういうことは隠密裏に片付けるのが当然のことのはずだぞ!」

「は、もうしわけありません。実は命じたものが、個人的に部屋に持ち込まれていたボンベが爆発したというシナリオを考えていたようで、そのついでに死亡させる計画でした。下手に部屋に入って殺害するよりも事故で死んだように見せかけようとしたようです。証拠は全て消えますから。しかし部屋に鍵がかかっていたために中に一人分の熱量があるのを確認した上で爆破させたようです」

「なぜホテルの中にモニターを設置しておかなかったんだ?そうすれば中の様子が分かり、確実に殺せたはずだぞ」

「それが・・・内通者の言うことには、彼はモニターの設置を拒否したそうで、その上、骨董品のラジオとかいう品を持ち込んできたために、電波がかく乱されてしまったそうなのです。外部からの監視もなぜか不可能になっておりましたので・・・。そのため、原始的な『見張る』という方法を取らざるを得ない状態だったようなのですが・・・」

「なんとも雑な計画だな!それで、どうなんだ?彼は死んだのか?」

「いえ、それが・・・爆破担当が到着する直前に彼は逃げてしまったようで、ほんの五分ほどの行き違いだったようです。対象者が部屋から出られない事を確認した上で爆破したのですが・・・」

「つまりこちらの計画がバレていたということか?それとも我々の計画に気がついた誰かが、彼をあそこから連れ出したのか?」

「おそらく彼が『邪眼』であるためかもしれません。彼の能力で、ホテルにやってきた者に自分が危害を加えられるのではないかと察知して逃げ出したのだと思われます。そうでなければ、我々が到着する十五分ほど前に内通者がホテルを出るときにはまったくそんなそぶりも見せていなかったのに、突然何の理由もなく逃げ出すはずがありません」

困惑した調子で、彼は続けた。

「それにフロントのセキュリティに確認したところ、映像には誰もその時間にはホテルに入ってきていないそうです。誰かが彼のところに来たとは考えられません」

「またしても、『邪眼』か!いまいましい!それで、その後の奴の足どりはわかっているのだろうな?」

「それが・・・」

「見失ったのか?無能者め!どうするつもりだ?大伯父になんと言えばいいというのだ?レンベルク!?」

腹立ち紛れに、彼の前に立っている男をけとばした。

「ま、まだ方法はございます、私にお任せください!内通者から一ついいことが聞きだせました。あの福山悠季という人間の身元はまったくわからないのだそうです。素晴らしい情報でした!」

「それがどうしたというのだ?」

「内通者のいうことには、現在汎同盟に登録されている全惑星で、生きている人間とすでに死亡しているとされている人間全てを検索した結果、どこにも彼のDNA登録がされていないことが判ったそうなのです」

「・・・どういうことだ?」

「つまり福山悠季という人間は、汎同盟に加入している惑星の出身ではないということです!そうなると、彼は連邦か或いは連邦にいる奴隷の誰かから生まれた子供、或いは――あまりありそうにないことではあるのですが――考えられるのは、汎同盟にも連邦にも所属していない辺境の星の出身ということになります。彼は汎同盟の憲章に保護されていない人間であるということです!」

「・・・いったいお前が何を言いたいのか分らないぞ!」

「ですから、福山悠季は今回の連邦の奴隷制度を弾劾するための証人になれず、その上、【ハウス】の事件の証人にもなれないということです。

あなた様が気にされている【ハウス】の事件で問題になっているのは、幼い子供に売春行為をさせていたことと、その子供たちが汎同盟から連れ去られた子供たちではないかということです。ですが、証人とした【ハウス】にいたといわれる子供が呼び出されても、汎同盟ではない出身の子供だったとしたら・・・証人とはなれないのです!」

 彼は、一息ついてから説明を開始した。

「那由他はあの一時期汎同盟から離れて連邦に所属していました。連邦は奴隷売買とともに少年の売春を公認しています。つまり彼が連邦の出身者あるいははぐれ星の出身者であれば、連邦に所属する星と星との間の売買と売春ということで、汎同盟には連邦に何の文句もつけることは出来なくなります。

そして、連邦に属している時期のことであったとなれば、【ハウス】での売春行為は全て連邦の憲章のもとで行われた事であり、【ハウス】は合法な組織であったことになるわけです。あなた様への容疑は、少なくとも法律上ではなんら問題とはならなくなるのです。訴えは却下されるでしょう!」

「しかし、あの福山悠季の訴えている死亡事故があった時期は、既に汎同盟に帰り新参していた時期だが?」

「そんな多少の時期のズレなど、あなた様の力でどうとでもなりますでしょう?とにかく、福山悠季が汎同盟の人間でなければよろしいのですよ」

「ふむ?・・・そうなると、連邦の代表者・・・ああ小早川暁氏と詳しく連絡を取る必要があるわけだな・・・。向こうが無罪ならこちらも無罪となるし、こっちが有罪となればあちらもただではすまない。・・・いい取引になりそうだ」

マティルド・ダヴィド=セレンバーグは交渉のやり方を考えながら、満足げに笑っていた。







「久しぶりだね。こんなふうにプライベートで連絡をもらうのは、何年ぶりになることだろうねぇ。四十年、いや五十年近いか・・・」

暗闇の中から、しわがれた声が嘲笑を含んだ声で話している。

《わしとしては、おぬしとは今後一切連絡を取るつもりはなかったがな。しかし、どうしても話さなくてはならない要件が出来てしまってはやむをえん》

「ほう?【暁皇】の元船長、桐ノ院コンツェルンの元総帥、桐ノ院尭宗氏がこの儂に何の用があるというのかね?」

しわがれた声は、『元』という言葉を強調して、あざ笑った。

《確かにわしは、現世の権力に執着して未だに支配の手を他の者に委ねようとせず、老醜をさらしている君とはわけが違う。だが、わしにも未だに使える力はあるのだぞ、デイビッド・セレンバーグ!》

「・・・それで、その元総帥が儂に何の用かね?」

《福山正夫の養子悠季の件だ。お前は彼を甥のダヴィドの問題で、彼を抹殺しようとしているらしいな。またお前はわしの時と同じようなことを繰り返そうとしているのか?》

「ほう?そういえば、桐ノ院コンツェルンの現総帥はあの小僧に首ったけだという噂があったが、あれは本当だったのかね?歴史は繰り返すというが、いやぁ本当なんだねぇ」

いかにも楽しそうにセレンバーグ老人は笑っていた。

《わしが若かった時、光一郎をお前の悪意を持った手から救い出すことが出来なかった。まだわしはコンツェルンを掌握しきってなかったからだ。しかし、今は違う!わしはあの時とは違ってお前を阻止する力は十分にある!必ずお前を止めてみせるからな》

「ああ、あの綺麗で清廉潔白の伊沢光一郎くんね・・・。思い出したよ、彼は若くして亡くなったんだったねぇ・・・。君をかばった上に、事故死だったか自殺だったか・・・?気の毒だったねぇ・・・。

もしかして、君は今も彼を愛していたのかい?お前さんは彼の弟といい仲になっていたのだろう?てっきり彼の事は忘れていたのかと思ってたよ。彼との思い出は船の名前の【暁皇】の中だけだと思っていたからねぇ」

セレンバーグ老人は、嘲笑した。

【暁皇】の名前は、その昔桐ノ院尭宗が自分の名前尭宗の『ギョウ(尭)→(暁)』と光一郎『コウ(光)→(皇)』の名前を組み合わせたもの。それを知っている者はもうほとんど残っていない。

《お前が船の名前の由来を覚えていたとは思いもよらなかったな。それより、ダヴィドのことだ。あいつはお前の若い頃に本当によく似ている。考え方もやろうとすることも・・・。

しかし、あの頃のお前とわしと違ってダヴィドと圭の力の差はない。いや、圭の方がよほどわしよりも優秀だ。どんな問題があろうとダヴィドを追い落とすことになるだろうし、そのことにいささかのためらいも覚えないだろう。

それに、もしダヴィドがわしの孫や福山の大切な養子に危害を加えようと考えているなら、圭にばかり任せてはいられない。このわしにも考えがある!》

「ほう?儂に対して宣戦布告かね?」

《警告だ。もし、何かあればわしは容赦のない対応をとるつもりだ。・・・それも方法を問わずに》

「ほう?それは楽しみにお待ちしているよ」

妖怪と呼ばれているセレンバーグ老人は不敵に笑うと、桐ノ院尭宗氏の返事を待たず、あっさり通信を切っていた。