【 第16章 







圭が【暁皇】へと戻った後、悠季はエミリオ先生の案内で屋敷の中を拝見させていただいていた。

一階はパブリックスペースで食堂や音楽室 客間などが配置されており、二階にご夫妻のプライベートスペースとゲストルームがいくつも並んでいた。

「悠季にはここの部屋を使ってもらおうと思うてるんや。

他の部屋は那由他から来てはるマスタークラスの三人が使ってはるし。ああ、その三人なら今夜は政府主催の催し物があるとかで、招待されて遅くなるそうや。紹介するのは明日の朝やな。

それから息子や娘も別棟に住んどるけど、こっちも今夜は出かけてるんや。全部ひっくるめて紹介は明朝やな」

 エミリオ先生は朗らかに笑ってみせたので、悠季の緊張も幾らかほぐれた。

 悠季に与えられた部屋は、【暁皇】で悠季が使っていた部屋よりは狭かったが、それでも十分な広さと快適さを持っている。

居間兼音楽室と寝室、そしてバスルーム。内装は奥様の好みなのか、やわらかな色使いで心を落ち着かせる雰囲気を持っていた。

それから特にこの部屋は【暁皇】には決してないもの、つまり窓から外の眺望が素晴らしかった。

今は夜であまり遠くまで見えなかったが朝になって窓の外を眺めるのがとても楽しみだった。

「この屋敷のゲストルームは、全て音響を考えてあるよってな。音楽室の方がピアノはあるしもっと音の響きはええけど、この部屋で練習してはっても、十分満足できる音が出ると思うわ。うちらは構わないよって時間に関係なく勉強しはったらええよ」

「ありがとうございます」

「さてと、今夜は珍しく家の中にはうち一人というわけなんや。そこで早速、夕食を一緒に付き合ってもらってええかな?マサオの話もいろいろ聞きたいしな」

「あ、はい。ありがとうございます。ご相伴にあずかります」

「なんや堅苦しいな。もっとリラックスしてええんよ。うちは悠季の親代わりになったつもりでおるんやしな」

 先生は、悠季に食堂の場所を教えると、後ほど呼びに来ると言って悠季を残して部屋を出て行った。

 悠季はソファーにぽすんと座り込んだ。

「ついに来ちゃったんだなぁ・・・」

 昨夜までは、いや数時間前までは巨匠エミリオ・ロスマッティの弟子になるなど、具体的に予想もしていなかったのに今はここに来ている。【暁皇】からあっという間に引き離されてジェットコースターのように振り回されている・・・。

「圭はなんだか急いで僕を船から降ろしたかったように思えるけど、何かあったんだろうか?」

 悠季には自分の身に危険が及ぼうとしていたことに、実感が伴わない。

自分に誰かが危害を与えようとしていたなどとは考えの外にあるものだった。落ち着いて考え始めて、やっとその疑問に気がついた。

「でも、やはりまあくんとおじいちゃんが僕をここに呼び寄せたのかもしれないなぁ。『鎖委員会』の場所は分かったんだし、近いうちに行ってみようか・・・」

 悠季が緑簾で【暁皇】を降りようと思った理由。

それは、圭が考えていたような、自分のバイオリンの向上を考えていた為だけではない。それはもっと重い意味を持っていて・・・。


 ピンポーン!


 部屋の内線が悠季を呼ぶ。急いで出てみるとエミリオ先生から食事の用意が出来たとの報せだった。

「今すぐ伺います!」

 悠季はあわててバスルームに駆け込み、手と顔を洗って部屋を出ようとした。

「あっと・・・。エマをどうしよう・・・?」

 エミリオ先生が動物と一緒の食事を嫌がるかもしれないことに気がついた。

迷った末にエマを部屋へと残し、部屋の扉を閉じると――部屋は指紋式の自動ロックだった――食堂へと向かった。

「おや、どうしてあの子を連れて来はらへんの?うちはかまわんよってここに連れてくればええよ。もっともサラマンドラとうちの犬とが相性が悪いとまずいやろうけどね」

 エミリオ先生が意外そうな顔でそう言った。食堂の入り口には大きな犬がぱたりぱたりと尻尾を振っていた。

「ありがとうございます!お言葉に甘えて連れてきます」

 悠季が自分の部屋にとって返してエマを食堂へと連れて戻ると、エマとその犬はお互いにうさんくさそうに観察しあった。

「この犬はロッシというんよ。さて仲良くできるかな・・・?」

 悠季は自分の手をロッシの前に差し出すと、大きなグレートデン種の犬はくんくんと匂いをかいでぺろりと舐めると歓迎してくれるのか、ぱたぱたと尻尾を振ってみせた。

それから悠季の肩にいるエマに改めて目をやると、なにやら警戒しているように、低くうなってみせた。それに答えてエマが高くぴいっと一声鳴いた。

「こら仲良くしなくちゃだめなんだぞ」

 悠季が二匹に声をかけると、やがて二匹は睨み合っていた態度をくずし、お互いに無関心を装ってぷいっと顔を背けた。

ロッシはしつけられているのか、食堂には入らず居間のほうへと戻っていき、エマの方は身づくろいをするようなしぐさをすると、そのままおとなしくなった。

「何やら自分らの職分を確認した、いう感じやな」

 先生がからからと笑い出した。

 悠季を食堂へと案内すると広いテーブルには悠季と先生の分の二人の夕食が用意してあった。

「うちでは、夕食は軽めに済ますことになってるんや。昼にぎょうさん食べる習慣なんやわ、言うたらディナーやね。今夜は簡単で申し訳ないけど、明日には皆もそろうさかい歓迎会をするよってな」

「い、いえ、とんでもないです。どうかお気を使わないで下さい」

「それでサラマンドラの食事なんやけど、うちが前に聞いていたような内容にしてるんやけど、これでよかったんかな?」

 テーブルの端に用意されていたのは、サラマンドラ用の食事だった。エミリオ先生はサラマンドラの知識を詳しく知っていたらしい。

「よくサラマンドラの食事のことなどご存知だったのですね。普通この生き物の事は知らない人が多いと思っていましたが」

「そやね。普通の人は知らないやろね。うちは知人にサラマンドラを持っているものがおるよって、知ってたけどな。

うちや麻美はんは構わないのやけど、留学中の三人はやはり気にするやろうな・・・。まあ、かんにんやけど明日からは悠季の部屋に用意させるようにするよって、部屋で食事させたらええな。

さて、食事や。まあ、ここにお座り」

 悠季はエマを肩から降ろすと用意された食事のそばにおいて、彼女がちゃんと食べ始めるのを確認してから自分の席に着いた。

 用意されていたのは、水ギョウザという感じのスープとトマトとチーズだけのシンプルでうまいピザと赤ワインだった。

 エミリオ先生は食事中に悠季が気を使わないようにと軽い話題を振って悠季をくつろがせてくれた。おかげで悠季もまったく初めてのお宅で、それも巨匠の家だというのにもかかわらず、食事を楽しむことが出来た。

 二人きりの食事が済むと隣の居間へと移動し、改めて失踪中の間の福山の消息についてくわしく話すことになった。

福山が悠季を買い取ったいきさつ、二人で暮らしていた時の様々なエピソード、それから亡くなったときの状況・・・。

「そうか・・・。マサオがなぁ・・・。しかしそうなると、お孫さんには会えへんかったんやろか。そのために緑簾での活動を棒に振って、行かはったんやけど・・・」

「正幸くんですね。僕はまあくんと呼んでいましたが・・・」

 悠季はまあくんの最後について話し出した。

はじめは【ハウス】での出来事は省いて小さい頃に出会っていたと話すつもりだったが、エミリオ先生はとても聞き上手で、とうとう話すつもりがなかったことまで聞き出されてしまい、【ハウス】での事件の経緯まで話すことになった。

「・・・なんともまあ、むごい・・・。正幸君を殺した者は今ものうのうと生きてるんやろねぇ・・・。なんとかしたいと思ってもすでにあの事件は決着をつけているようやし・・・。どうにもならんやろね。悠季はその男のことを覚えてはる?」

「・・・え、ええ、なんとなくですが。ただ、今その男にもう一度会っても分かるかどうか・・・」

「そうやろねぇ・・・」

 先生は何やら考え込んでいたが、夜も更けてきたのに気がつき、腰を上げた。

「とりあえず、話はまた明日と言う事で、悠季ももうお休み。明日はゆっくりしはって、明日にまた考える事にしましょな」

 悠季はお休みの挨拶をすると、自分の部屋へと引き上げた。

 突然きた客にも十分な用意をして置いてある部屋でシャワーを浴び、用意してあったパジャマに着替えて、ベッドにもぐりこんだ。いつもならベッドの上には来ないエマが、悠季の上掛けの上に乗って脇腹のあたりに陣取った。

「エマ、僕を慰めてくれるのかい?」

 いつか悠季が錯乱していた時のように、あたたかな温もりが心をなぐさめてくれる。

「そうだね、今夜は何も考えずに寝ちゃうことにしよう」

 悠季は目をつぶって強引に眠りに就こうとしていた。一度考え始めたらもう今夜は眠れなくなるのは分かっていたから。

しかし、昨夜の疲れがまだたっぷりと溜まっていたせいなのか、エマのぬくもりが慰めてくれたせいか、さほど苦労せずに眠りへと沈んでいった。









「それで、急に悠季をうちのところに連れて来はったんやね」

 パパエミリオは悠季を部屋へと送り出すとすぐに、圭の元へと連絡を取った。

悠季がいる前では話せない事を問いただす為に。

《ええ、そうです。彼がプロとしての自覚を持たせる事が最重要だったのですが、今の時期、僕の傍においておく事は彼の身に危険を及ぼす事になりそうなのです。

急な事で申し訳ありませんでしたが、しばらくの間 お願いすることにしたのです》

 圭は詳しい説明をしてみせた。【暁皇】に起こりうる様々な危険。そこに巻き込まれないようにと配慮したこと・・・。

《僕が【暁皇】の船長に就任した時に仕残していたことは、今回全て行ってしまおうと思っています。一年もあれば迎えに伺える状態にこちらも整うと思いますので、それまで彼をよろしくお願い致します》

「なんや陰謀家の発言そのものやな。しかしそうすると、悠季は桐ノ院君の伴侶ということにならはるの?悠季の話し振りではそんな感じは受けへんかったが?」

《あー、実はプロポーズの最中というところです。ですが、彼しか僕の伴侶としては考えていませんので、必ず承諾してもらうつもりです!》

「そらまあ、せいぜい肘鉄くらわんようにお気張りやす」

 楽しそうにパパエミリオは笑った。

《ええ、彼がプロバイオリニストとして活動を開始する頃には、僕も音楽のパトロンとしても環境を十分に整えておきますので。外堀(【暁皇】の事情)を埋めてから本丸(悠季)を攻略しますよ》

「そのことやけどな。今のままでは悠季はプロとしては向かへんなぁ」

《・・・どういうことですか?》

「彼は音楽家としての欲がないように思えるのや。もちろんバイオリンの技量や音楽の深みを目指す事も望んではって、一生懸命努力するやろうと思いますけどな、なんやハングリーな部分が少ない。

マサオのM.Sにも少しあったけど、どうしても『演奏家としてたくさんのお客はんを集めて有名なホールで聞いてもらえるよう目指すんやー!』っていう必死さがない。

俗な部分やけど、人間を相手にする音楽家には必要なことやとうちは思おとるんや。それなのに、何や悠季はプロとしてデビューせえへんでもええて思てるように感じられるし、何か別のことに気ぃを取られてるように思えるんやけど・・・。

まあここにいればそのうちプロとしての心構えも身に付くやろかなぁ・・・?」

《ええ、それを含めて様々なことを教えていただけるのがパパエミリオだと思っていますよ》

「今うちにいてはる那由他からのお人と足して二で割ったらちょうどええのになぁ」

ため息交じりにそんなことを言う。

《おや、那由他からの短期留学生たちはそんな人物なのですか》

「三人共というわけやない。けど中の一人はそんな野心満々でコネとツテを使いまくって、うちのところに寄宿するマスタークラスに入ったとしか思えへん人やからねぇ」

 パパエミリオはため息をついてみせた。どうやら預かったはいいが、どうにもプロとしては才能に問題がある人物に困り果てている様子だった。

《悠季に欲がないと言う理由は、彼の生い立ちにあるのだろうと思いますよ。彼から聞かれましたか?》

「ああ、えらい素直な子やからな。いろいろ教えてくれはったよ。

あの【ハウス】という、しょうもない場所にいたことも、奴隷として売り買いされていた事も話してくれはった」

《彼が連邦側の惑星で育った事は彼にとってひどいトラウマを与えてしまったのだと思います。

彼が奴隷として長年暮らしていた間、何かを自分から望むことなど考えられなかったでしょうし、自由に行動する事もできなかったはずです。諦めを諦めと気が付きもせずにいたら、音楽への野心など出てこないはずです。

もちろんこれは福山師に引き取られてからは改善されたでしょうが。いざ『プロの音楽家になりたい』と願い、それが可能になった今でもためらうばかりなのでしょう。

それに連邦には彼のようなESP能力者をひどく毛嫌いする惑星が多い。

彼は『人の心を覗く汚らわしい奴』としてかなり迫害されています。その上、恒河沙は音楽家の地位がひどく低い。

彼にとって、たぶんプロとして尊敬され丁重に扱われる演奏家というものは、夢の産物に近いものに思えているのではないかと思います》

「ESP能力者やて?」

《ええ、彼は動物や植物への親和力が高い。サラマンドラと感合したのもそのせいでしょうし、【暁皇】内の公園での食物の繁殖は驚くべきものがありますよ。彼は言いませんでしたか?》

「聞いてへんな。さよか、悠季にとってはそのことは言いたくないことやったんやな・・・」

 彼は腕を組んで何事かを考え込んでいた。

「おおきに。ずいぶんと参考にさせてもろうたよ。それなら悠季のこれからも少し考えさせてもらうよって」

《はい、よろしくお願い致します》

「なに、うちもマサオに頼まれていることやし、こんな才能のある子はちゃんと世の中に出してやらんとあかんて思うとるしな。心配せんでうちに任しとき」

 パパエミリオはにっこり笑って請合って通話を終えた。


















「最近【ハウス】について、『鎖委員会』に問い合わせてきた者がおるそうだな」

 とある場所の暗くブラインドを下ろした部屋の中で、老人のしわがれた声が響く。

「はい、【暁皇】の中でカウンセラーを務めているという、飯田という人物です。ですが、これはあの桐ノ院の若造がやらせている、と考えてよろしいかと思います」

 やや若い声が答えた。しかし、その声も若者とは言えない程度に年老いた野太い声だった。

「大丈夫なのだろうな?【ハウス】について万全の措置を取っていると考えても構わぬな?」

「はい、それはもう もちろんです。

あの事件について知っているもので、僕が関わっていたと知っているのは既に支配人だったレンベルクだけです。

彼は今私の手元に置いておりますから、いつでも見張っていることが出来ます。それに僕があそこに出入りをしていた時に関係があった子供も、既に誰も生きてはおりません」

「本当にそうなのだな?」

「ああ・・・実は一人だけ、僕を見た者で『邪眼』がおりまして、遠くへと追っぱらった者がおりますが、そいつが戻ってくる事は絶対にありえませんので」

「そいつは捜しても殺すべきだったと思うが、どうしたというのかな?」

老人の声に不穏な怒りが滲みだす。

「し、しかし『邪眼』ですよ?!殺したりしたら僕が汚れます!!」

「そんな迷信を信じて、自分の首を絞めるような真似はせんことだ。もしその子供が生き残っていたならば、どうするつもりだ?あの事件ではお前はすでに儂に多大な迷惑を掛けているのだからな、これ以上 事を長引かせるつもりなら」

 むくりと老人の姿が大きくなったような錯覚を覚え、影の中で男が息を呑んだ。

「も、もちろん僕が始末をつけます」

「当然だな。儂の勘気をこうむらない様に気をつけることだ。お前の地位に就きたいと思っているものは大勢いるのだからな」

 老人は淡々とした口調で言った。これは彼にとって当然至極の事実だったから。

「わ、分かっております!必ずご期待に沿えるように致します。あの時の子供は、僕が必ず探し出して抹殺致しますとも!」