【 第15章 










惑星【緑簾りょくれん】 重力1.082 酸素量 1.03 首都 天藍てんらん








 食事の後、二人は他に誰も乗っていない搭載艇に乗り込み、緑簾の首都天藍へと降りた。

【暁皇】の船内時間と天藍とでは多少の時差があるため、既に天藍では夕方の六時になろうとしていた。

 緑簾は、汎同盟の中でも一二を争う有力な惑星で、もっとも重要な位置を占める。

ここにはあらゆる星系からの企業が本社や支社を置き、活気溢れる状況を作り出している。

 特に首都の天藍は、エネルギッシュな商業都市という側面の他に、文化的な施設も充実していて、遠くの星系から多くの若者たちがここへやって来て、この都市のどこかの舞台へ上がれる事を夢としている者が多い。

 それだけに、立体映画、演劇、舞踏、そして音楽と幅広い分野で優れた才能を持つ者の多くは、ここを住居と定めて活動している。

 搭載艇は宇宙港へと着陸しそこから無人エアハイヤーを頼んで車中からの天藍観光ということになった。

二人と一匹を乗せたエアハイヤーは宇宙港から緩衝地帯を抜けて、市街地へと入っていく。

もっとも薄暗い夕方になっていては、観光気分になど興味がないエマは、悠季の膝の上でさっさと眠ってしまっていたが。

 大きな川を渡ると、広い敷地の中に夕日をバックにして厳しくて少し古めかしい建物群が長く青い影を引いて見えてくる。高層のビルの周囲に4棟の低いビル。ビルの正面には沢山のパネルが掲げられていた。

「あそこが汎同盟の本部ですよ。並べられているパネルは汎同盟に加盟している惑星の国旗です」

「もしかしてあの中には、『鎖委員会』も入っているのかな?」

「『鎖委員会』ですか、何かあそこに用事ですか?』

「うん、おじいちゃんの知り合いだった市山さんがそこにいると聞いているから。おじいちゃんからのM.Sはその人宛のもあるから、届ける義務があると思って」

「確かにあそこに入っていますよ。機会をつくって訪問されればいいでしょう」

 エアハイヤーはそのまま走り続け、もっとも賑やかなあたりへと入っていく。

次々に現れる建物を指差して、圭が説明してくれた。有名なショッピングセンター、あれこれの専門店――名前だけは悠季も知っていた――それから美術館、

記念館、そしてコンサートホール・・・。

「ほら、あそこがネオ・カーネギーホールですよ。昔地球にあったという名コンサートホールを再現したものですね。それからこちらが・・・」

 目の前に次々に現れてくる景色に、悠季は目を丸くしていた。

今まで垓都の賑わいを繁栄した都市の情景だと思い込んでいたが、ここでの風景はそんな常識を一度にひっくり返してくれるものだった。

 おのぼりさんよろしく悠季は言葉も出ずに次々と現れる光景に目を奪われ、ぽかんと口をあいたまま圭の説明を聞いていた。

 やがてエアハイヤーはいくらか静かな通りへと入って行き、広い公園の周囲を回って更に奥へと進む。

しばらく走ると、高級住宅街に入ったらしく、たっぷりと取った敷地の中に、ぽつんぽつんと家が建っている。その中のひときわ広い一軒の屋敷の近くで、圭は一度エアハイヤーを止めさせた。

「この先にある屋敷が、エミリオ・ロスマッティ師のお住まいです。これから君をそこにお連れしようとおもっています」

「ああ、いずれお世話になりにうかがいますって御挨拶だね」

「いいえ、ロスマッティ師にお願いして、君を残していこうと思っています」

「・・・なっ、なんだって?!だって初めてのフジミの演奏会があるんだよ?それに第一僕はコンマスなんだ、僕が今ここで船を降りるわけにはいかないじゃないか!この前そう言っただろう?」

 圭は首を横に振った。

「今の君はフジミのことよりも自分に一番良いことを考えた方がいいです。

確かに初のフジミの演奏会ということで団員の諸君たちは君を頼っていますし、君がいた方がより良い演奏になるでしょう。

しかし、それではせっかくのタイミングを外してしまうことになる。君が参加してのフジミの演奏会はこの先幾らでも行う事が出来ますが、チャンスの神は前髪しかありませんよ。後で、後でと言っていたら後悔するに違いないのですから」

「でも、突然すぎるよ!」

「その点については、申し訳ありません。実はロスマッティ師は、数日前に天藍に演奏旅行から戻られていらっしゃるので、ちょうどタイミングがいいのですよ。

僕が君をきちんと紹介できるのは、さっき話していた多忙になる事情のせいで今夜しかありません。君を驚かせるような事態になったのは本意ではないのですが、先ほどロスマッティ師から今夜を指定されまして、ここにうかがったわけです

それに、思い出してください。福山師の遺言はどうおっしゃっていましたか?」

 悠季は、M.Sに入っていた言葉を思い出す。

「僕は思い出しましたよ。

福山師のM.Sには、君を音楽家として大成させてくれるように努めてくれとあった。

僕は自分のことだけを考えて君に【暁皇】に残って欲しいと願っていましたが、君に今一番必要な事は、きちんと君の疑問と要望に答えられる先達なのだと気がつきました。

悠季、まずプロとしての第一歩を踏み出す為にも、君はここで【暁皇】を降りて、福山師が望んだとおりロスマッティ師のもとで修行してください。

 君はいつも自分のことになるとためらってしまう。でも、いざとなれば自分で考えている限界以上に何でも出来る人だ。

僕は君に考える時間を与えたくない、ということもあったんです。君は考えすぎるとマイナスの方向へと自分を追い込みますからね」

「・・・でも・・・」

「飯田君から僕のことについても何か言われていたのでしょう?それで僕のことを心配して下さった・・・。しかし僕は大丈夫です。君が示してくれた昨夜の思いやりで十分満足です。もう迷ったり間違ったりする事はありませんから」

 圭は穏やかに微笑んでみせた。

おじいちゃん、僕はどうすればいいんだろう? 悠季は迷う。自分の我儘だけを貫いていいのだろうか・・・?フジミの演奏会の成功を考えなくていいのだろうか?自分のバイオリンのことだけを考えた方がいいのだろうか?

悠季は、自分のために福山が残してくれたメッセージを思い返してみた。

『わしが持っていた技術と音楽への愛情を全てお前に注ぎ込んだ。後はお前がこれを自分の中で咀嚼し、より深く大きなものにして多くの人へと伝えていって欲しい。

お前には才能がある。それも神様から頂いた貴重な音楽の才能がな。大事にして、精進するのだぞ・・・。』

 確かに、福山はそう言い遺していた。

 それではやはり、僕には【暁皇】に残る道はなかったらしい、と悲しく思う。

船に残ろうと思っても、運命はこうやって僕にさせるべきことをさせようとする。僕を引き止めるはずの圭さえ僕のためを思って、背中を押してくれてしまう・・・。

悠季は心の中で密かに育てていた思いを切り捨てた。

ついさっきまでは、船に残って圭との新しい関係をこの先も続けていってもいいのではないかという甘美な夢想を味わっていたというのに・・・。

 心がざっくりと切り裂かれるような切なさを覚えながらも、何気ない口調で悠季は答えた。

「そう、だね。

確かに僕はエミリオ・ロスマッティ先生の下で、もっと勉強しないといけないね。・・・分かった、僕はここで【暁皇】から降りるよ。」

「ええ、それがいいです」

「でも、せめてフジミの団員さんたちに、僕がここで降りることを伝えて、ちゃんとお別れをしてからにしちゃいけないだろうか?こんな薄情なやり方は申し訳ないよ」

「しかし君は今までに何回も緑簾で降りることを言えるチャンスはあったでしょう?それでも言えなかった。

とすれば、船に戻ってそんなことを告げた場合、押し切られて【暁皇】に残る事にもなりかねませんよ。

 フジミの諸君には僕からきちんと事の経緯と突発になった理由をお伝えしておきますよ。大丈夫、君が演奏会に参加できなくなってしまった残念な気持ちは皆わかってくれるはずですから」

「・・・うん・・・」



 ――どうしても僕は、あのホログラムのニュースを見たときに決意したように進まなくてはいけないのだろうか?





   運命はそのようにレールを引いている・・・?

                        ああ、まあくん・・・!――





 緑簾に降りると言っていたのは自分のはずなのに、いざとなるとこれほどにつらい。

 圭はエアハイヤーに命令して、ロスマッティ師の邸宅のそばへと近寄せていった。門柱のそばで連絡を入れる。

「先ほど連絡を差し上げた、桐ノ院圭です」

《ああ、来はったね。どうぞ中へ入っておくれやす》

 門が開き、エアハイヤーを内部へと通した。玄関前には一人の人間が立って待っていて、後ろからの照明に黒い影の姿となっていた。

「いやー、よう来はったなぁ。久しぶりやね、二年ぶりやろか。相変わらずの男前やし」

「お久しぶりです。パパエミリオもお元気そうですね」

 圭がパパエミリオと呼んだふっくらと太っているその人物は、ほがらかな笑顔に大きな動作と開けっぴろげの態度で、いかにも歓迎しているということを教えてくれる。

「さあさあ、中にお入り」

 彼は二人を室内へと案内してくれた。

部屋の中は天井が高くて、アンティークな雰囲気を漂わせていた。木の調度品が多く置かれていて、どこか懐かしささえ感じさせてくれる。

「ちょうど今はウチの奥さんは、出かけてはるんやわ。桐ノ院君が訪ねてくれたと聞いたらさぞかしがっかりするやろね」

「それは残念でしたね。ところで今夜急にお伺いした件なのですが」

 圭は彼に悠季を紹介する。

「彼の名前は、福山悠季と言います。福山正夫師が恒河沙で養子としたのです。福山師は彼をあなたのところへ届けるように依頼し、愛器のバイオリンを彼にゆだねています。悠季は福山師の最後の弟子なのです」

 ババエミリオは目をぱちぱちとさせて、話が飲み込めない様子だった。

「・・・つまり・・・?」

「僕は祖父と『鎖委員会』の市山氏から依頼されて、恒河沙に福山師を捜しに出かけておりました。残念ながら一足違いで福山師にはお会いできず、病死されていました。あなた宛のM.Sを彼が持って来ています」

 圭は恒河沙でのいきさつをパパエミリオに話した。彼は黙って聞いていたが、やがて顔をおおって泣き出した。

「なんと・・・!マサオが、亡くなってはったなんて・・・!」

 悲嘆にくれる彼の様子に、悠季はここでも愛され待ち望まれていた福山の存在の大きさを改めて感じずにはいられなかった。





悠季がバイオリンケースに入れてあった彼宛のM.Sを渡すと、ロスマッティ師はそれをその場で再生装置にかけた。

流れ出した旧友福山の言葉を目を閉じて聞き入っていた。

「そうやったか・・・。それでうちのところに悠季を連れて来はったんやね」

ロスマッティ師は深いため息をついた。

「はい。彼のバイオリンの腕は福山師があなたに先を託すほどですから、お聞きになればお分かりになると思います」

ロスマッティ師宛の内容は桐院尭宗に宛てたものとほぼ同様で、ただ悠季の技量に関してのコメントが寄せられていた。

 福山の悠季に対する評価は悠季が思っていた以上に高く、悠季は聞いていて誇らしい思いと共に、それほどに期待されていた自分への先行きに改めて身を引き締めた。

 ロスマッティ師は穏やかな表情で悠季を見つめる。

「よろしゅうな、悠季。これからうちに出来る事は全部したげるさかい、マサオに叱られんようお気張りやす」

「ありがとうございます!どうぞよろしくお願いします」

 ・・・ぴいい・・・。

 悠季のすぐ横で眠そうな小さな声が聞こえた。

「あ、この子の事をお話しするのを忘れていました」

 悠季はおとなしくソファーの上に眠ったままだったエマを膝の上に抱き上げると、ロスマッティ師に紹介した。

「この子はサラマンドラのエマです。ここにご厄介になることになると、この子も一緒にお願いしてしまう事になるんですが、構わないでしょうか」

「いやあ・・・!珍しい!サラマンドラとはね。この年になってこんなに綺麗なものをまた見られるとは思わへんかったわ」

 触ってもいいかと悠季に許可を得てから、彼は恐る恐るエマのからだを撫でてきた。エマは愛想良くその愛撫に応えて小さく鳴いてみせた。

「人懐っこい子やね。ええよ、うちは構わんよって、連れておいで。しかしまた金色のサラマンドラとは・・・確かあの星から出たんは、初めてやないか?」

 ロスマッティ師が圭の方に確認するように聞くと、

「ご存知でしたか。ええ、それで少々問題になりましたが、結局他のサラマンドラと同様の待遇で、星外に出ることが許可されました」

 圭はうなずいて、その時の経緯を要領よく話してみせた。

「それからこれもお話しておいた方がいいと思うので、お伝えしておきます」

 圭は菫青での出来事を簡略に話して聞かせた。悠季が神木への奉納演奏で『宝石の果実』を得ている事を。

「今は持ってきておりませんが、後日彼の荷物と共にこちらへ運んでまいります」

 圭の話を聞いて、ロスマッティ師は何やら考え込んでいたが、思いついたように悠季の方を向いた。

「なあ悠季、今うちに何か曲を聴かせてくれへんやろか?あまり構えんで気楽に聞かせるつもりでええよって」

「は、はいっ!」

 隣の音楽室に移動すると、悠季は急いでバイオリンを用意した。そこに鎮座しているピアノでA音をもらう。

「マサオのグァルネリやね。久しぶりやわ・・・」 

 懐かしそうな微笑が彼の顔に浮かぶ。悠季は力づけられた気分で、バイオリンを構えた。


 Air ――G線上のアリア――


 まるで福島正夫への思い出に捧げる曲のようだった。

天へと昇るように音が駆け上がり、消え去っていく。

悠季の弦をすべる指も弓を動かす手も楽々と動いて、自分の意のままに望みの音を出してくれていた。

曲が終わり、弓を下ろすと、ほっとため息が出た。

「オ〜、ブラッヴォ〜ッ!」

 ロスマッティ師が悠季に抱きついてきて、ぎゅうっと抱きしめると頬にチュッとキスしてきた。

「あ、あのロスマッティ先生・・・」

「うちの事はエミリオと呼んでくれたらええよ。いやあ、悠季の音はやさしゅうて、うち大好きやわあ。なんや聴いてたら涙が出てくるわ」

「あ、ありがとうございます。ええと、エミリオ先生」

 悠季がちらりと圭の方を見やると、ポーカーフェイスのうちに、憮然とした表情を隠していた。それから恨めしそうにエマの方を見つめてぼやいてみせた。

「ずいぶん僕のときとは待遇が違いますね」

 エマはまるで『私は下心があるものは分かるのよ』と言っているかのように、エミリオ先生に抱きつかれてもキスされても、つんとよそを向いて騒ぎもしない。

「それで、悠季はこのままうちに泊まりはるんやろな」

「はい、そうお願い致します。僕は明日の到着セレモニーやら緑簾の政府とのあれこれがあって、もう準備の為に戻らなくてはならないので、そろそろ失礼致しますが」

「あいかわらず急がしそうやな。うんうん、またおいでやす。待ってるよってな」

「ありがとうございます」

「ほな、ちょっと待っといてな。もう遅うなってるよって、悠季の部屋を用意させるさかい」

 パパエミリオが部屋を出ると、圭はエマに向かってきっぱりと言った。

「エマ、僕のいない間は、君が悠季を守って欲しい。僕のかわりに」

 悠季がぷっと吹いた。

「エマが僕の護衛役かい?」

「この際どんな手も借りたい心境ですので」

 エマは分かっているのかいないのか、圭を見るとピィと一声鳴いた。

圭はそっと悠季を抱きしめて言った。

「僕はもう行きます。また会える時を楽しみにしていますよ。そのとき君はきっとプロとして華々しく活動を開始しているのかもしれませんね」

「・・・圭」

「君が【暁皇】を離れても、いつまでも富士見二丁目交響楽団の一員であることには変わりありませんから。また一緒に演奏できる時を楽しみにしています」

「うん・・・そうだね」

「どうかからだに気をつけてください。君は自分の体調の事も考えずに練習に没頭しようとする傾向にありますからね」

「大丈夫、気をつけるよ」

「明日には君の私物はここに運んできます。フジミの皆にも僕から十分な説明をしておきますから安心してください。きっと彼等も君の事を応援してくれると思いますよ」

「うん、皆さんによろしく言っておいてね」

「・・・愛しています。君だけを、いつまでも・・・!」

 ぎゅうっと圭の抱擁が強まった。

それから悠季の唇に圭のそれが押し付けられ、狂おしい様子で深く熱くむさぼっていき・・・悠季のからだからくったりと力が抜けていった。

 そうして、圭はさっと自分から悠季のからだを引き離すと、くるりと背を向けて出し抜けに部屋を出て行った。玄関先でパパエミリオに挨拶している声が聞こえる。



圭はそのまま振りかえる事もなく去っていき、悠季は最後まで彼のたくましい背中しか見ることが出来なかった。