【 第15章 上】
「話とはなんでしょうか」
「ほら、いいからここに座って」
悠季はベッドの上に座り込むと、隣の場所をぽんぽんと叩いて示した。
「・・・いえ、ここでいいです」
「そこじゃ遠くて話しづらいから、こっちへ来てよ」
ためらいがちに圭が近寄ってきて、指定された場所よりも少し離れて座ってみせた。
「ねえ圭。僕はね、君の事を嫌いじゃないよ。
でも、この気持ちは君を恋しているのだとは思えないんだ。だから君が僕を伴侶にしたいという申し出は受け入れられそうもない。
でも、もし君がその・・・そうしても・・・あの、その・・・かまわないんだ。ええとね・・・」
しどろもどろになりそうな口調で、真っ赤になって悠季は話をする。
そんなかわいい態度についほほえましく思いながら圭は話を聞いていた。
「断っておくけど、これは君への同情から犠牲的精神を発揮したわけでもないし、今までここに置いてもらった感謝とかお礼というわけでもないよ。
前にね、キングにたかがセックスって言われた事があるんだ。
僕にはそこまで割り切ることは出来ないけど、君とだったら昔の暗示も心配せずに、・・・だ、抱かれることが出来るんじゃないかと思うんだ」
「・・・無理をされなくてもいいのですよ」
「別に無理をしてるわけじゃない!・・・あのね、君に餞別とエールを送って欲しいと思ったんだ」
「・・・餞別、ですか?」
「うん、僕は今もまだ少し人と関わるのが怖いんだ。まだ眼鏡を外す事が出来ないし、心をさらけ出す事もためらってしまう。
そんなことではバイオリニストとしてちゃんとやっていけないと思っているんだけど、これがなかなか難しくてね。
だから、ここで君とその・・・セックスをしてみて、もう自分には怖いものなんかない、暗示なんてもう僕には効かないんだって、納得してからこの船を降りたいと考えたんだ。
そうして、ロスマッティ先生のもとへと行きたいと思うんだけど・・・」
悠季は圭の顔から視線をそらして、小さな声で続けた。
「・・・そんなことを言ったら・・・だめかな・・・?これって僕の我が儘だよね」
「いいえ、そんなことはありませんよ」
圭は悠季のからだを抱きしめた。まるで溺れかけた者がしがみついていくように。
「・・・君の言う事はいつも正しいことばかりだ。確かにたかがセックス、ですね。僕は何を見失っていたのだろう」
「・・・圭?」
「君がこの船を降りると知って、僕はうろたえて自分のやるべき事から逃げてしまっていた。そうだ、するべきことはいくらでもあったのに・・・」
「圭?何を言っているの?」
彼は悠季のからだから手を離し、安心させるかのように穏やかに微笑んでみせた。
「なんでもありませんよ。ただ僕の気持ちが決まっただけです。君は気にしなくてもいいです」
「・・・そうなの?」
「ええ。では旅立つ君に力づけとなるかどうか分かりませんが・・・。今夜は僕のそばにいてくださるのですね?」
悠季はうなずくと、ためらった末に自ら眼鏡を外してみせて、サイドテーブルの上に置いた。
「うん、それじゃあ、まず・・・」
と言ってベッドから勢いよく立ち上がり、着ていたシャツのボタンを外しながらキャビンの方へと歩き出した。
「バスルームはこっちだよね。先にシャワーさせてもらうから!」
「待ってください!」
あわてた圭が、悠季の後ろから抱きついて押しとどめた。どうしてこうも話が即物的な方へと流れていくのだろうか。
「僕としては、初めての夜はもっとロマンティックに過ごしたいと思っていたのですがね」
「僕にそんな情緒を求められても困る!」
圭がため息混じりに言った言葉に悠季が口をとがらせて抗議した。
「君の服を脱がせる楽しみを、僕から奪わないで下さいませんか?」
耳元に低い声でささやくと、とたんに悠季の耳から襟足まで真っ赤に染まってしまった。
おとなしくなったからだをひょいと横抱きに抱き上げると、ベッドの上へそっと降ろす。
悠季の手を取ると、圭は指の一本一本にキスし、いとおしむように唇で手のひらをたどり、手の甲に恭しくくちづけする。
悠季の手は、先ほどのあっけらかんとした態度と違って、緊張のために冷たくこわばっていた。
あっさりシャワーを浴びに行こうとしていたのは、緊張からきた照れ隠しだったのだと、今なら分かる。
「ねえ、圭。あの、明かりを消してくれないかな」
「どうしてです?僕は君の全てを見てみたい」
「こんな薄っぺらいからだを見て、どこが楽しいんだ」
「君のからだはとても綺麗ですよ。色白で、肌理が細かくてからだのどこのラインもとてもそそられます」
「あ・・・んっ・・・」
悠季のからだから服が脱がされていき、圭の手と唇と舌が、悠季のからだを覚えこもうとするかのように丹念に動き回る。それにつれて、魅惑的な手足の線がシーツの上で複雑な襞の波を作る。
「あっ・・・ああ・・・」
悠季ののどからは艶かしいため息がこぼれていく。
「あ、待って、圭、何か音かけてくれないか?これじゃ僕の声が響いて恥ずかしいよ。嫌なんだ、なんだか浅ましいみたいで・・・」
あえぎに混ぜて、また悠季が訴える。
「もう、黙って・・・」
「ひっ・・・、ああっ・・・!」
圭の穏やかさはそこまでだった。
激情に押し流された彼のむさぼるような愛撫に悠季の感覚は溺れていき、それ以上は何も言えなくなってしまう。
悠季はそうやって熱さと思ってもいなかった快感に蕩かされて、圭に全てを委ね、全てを明け渡してしまう。
感覚の全てが敏感になり、頭の中には自分のものか圭のものなのか分からない激しく圧倒的な想いが流れ込んでくるようだった。
おびえてしまうほどの熱い欲情。
その感情に飲み込まれて、悠季の頭の中はもやがかかったようになって何も考えられなくなってしまう。
気がついたときには、圭をそこに飲み込んで激しく揺さぶられて、快感によがり泣き叫んでいる自分を発見する。
しかし束の間の理性は、たちまちまた燃え尽きて、熱い激情の只中に放り込まれてしまう。
悠季の記憶は、何度目か分からない絶頂の果てに、途絶えた。
「・・・き。悠季。目を覚ましてください」
「・・・ん・・・。おはよう」
目を閉じたままの悠季の唇にキスが落とされた。
その優しい感触にうっとりとしていると、キスは濃厚なものへと深まっていき、朝っぱらからこんなみだらなキスをしていいのかと悠季の理性が物申す。
まだ睡眠が足りないと訴えるからだに無理やり命令して目を開けてみると、目の前に愛しそうに微笑む圭の顔があった。
「そろそろ緑簾に近づきます。僕は船長として行かなくてはなりませんが、仕事が終りましたらまた戻ってきます。それまでここで休んでいてください」
「・・・ん。・・・分かった。っていうか、からだが動かないよ」
「すみません。昨夜は僕の理性の箍が外れてしまいました。しかし、昨夜の君はあまりに悩ましく、魅力的で・・・」
「こら!朝っぱらからそんなことを言うなんて、反則だぞ!」
真っ赤になって悠季が抗議する。
「ええ、すみませんでした。では行ってまいります」
「うん、行っといで」
悠季は、またシーツの海へと沈んでいった。
圭ってなんてタフな奴なんだと頭の隅で思ったのを最後に、また眠りへと誘い込まれていった。
そうしてようやくからだが欲していた睡眠を得られたと思っていたのも束の間で、やがてまた圭に揺すり起こされてしまった。
「んー。また何か用なの?」
「悠季、もう昼過ぎですよ。いいかげん起きて食事をとらないといけませんよ」
「ええっ!?」
あわてて時計を見ると、すでに船内標準時では2時近くになっている。
「起きられますか?」
あわててベッドから飛び起きた悠季は、立ち上がろうとして足元がふらついた。
「バスルームへどうぞ。お手伝いしましょうか?」
「だ、大丈夫!一人で出来るよ!」
真っ赤になった悠季は、あわてて教えられたバスルームへと飛び込んだ。
バスタブには圭が入れておいてくれたらしく、温めの湯が張ってあり鎮痛作用のある入浴剤が入れてあった。そこに入って、強張って痛い筋肉をほぐしていく。
「うわっ!これって・・・」
からだ中にちりばめられた小さな赤いシルシ。
昨夜の狂態が思い出されて、悠季は一人で赤面していた。
鎖骨のくぼみ、肱の内側、脇腹、内腿の奥にも数え切れないほど。膝の内側やくるぶしにまで付けられている。きっと自分では見ることは出来ないが、背中にもたくさん付いていることだろう。
「なんだかマーキングされたというか、圭とこういう間柄になったという、確認の印みたいだ」
口に出してみて、なんともいえない気分になった。くすぐったいような照れくさいような・・・。
「圭って意外に子供っぽいのかもしれないなぁ・・・」
風呂の中でとりとめのない物思いにふけりながらのんびりしていると、部屋の外からノックが聞こえた。
「悠季、バスタブの中で寝ているのではないでしょうね?」
「大丈夫。ちゃんと起きてるよ」
「それなら構いませんが。そろそろ食事が届いていますよ」
「わかったよ!すぐ行く」
悠季は急いでバスタブを出ると、置いてあったタオルでごしごしとからだを拭いた。
ボディドライヤーで一気に乾かしてもいいのだけれど、やはりこうやって昔ながらのやり方で拭いたほうが気持ちがいいと思う。
圭が用意しておいてくれた服に着替えると、バスルームから居間の方へと向かった。部屋からはなんともいえない美味しそうな匂いが漂ってきていて、ぐうっとお腹がなってしまう。
「どうぞ座ってください。お腹がすいているでしょう?」
「うん、ぺこぺこだよ」
圭はブランチと称して、かなりのボリュームのあるメニューを用意してくれていた。
魚介類のカルパッチョ、コンビネーションサラダ、小さめのフィレステーキにオリエンタルソースをかけて・・・、デザートに桃のコンポートにアイスクリームを添えて・・・等々。
最初は、昨夜のことがどうにも気恥ずかしくて、テーブルに座った圭の顔を見られなかった悠季だったが、圭の方は悠季の気分がわかっているのかそのことにはまったく触れず、くつろいだ雰囲気にしようと気を使ってくれる。
やがて悠季も気楽にこの食事を楽しむことが出来るようになった。
まるで二人で以前からこんな風に朝のひと時を過ごしていたような気分さえしてくる。穏やかで豊かな愛情に彩られた時間がゆったりと過ぎていく。
悠季はふと思っていた。いつまでも二人でこんな時間を過ごせたらどんなに幸せだろうかと。
しかし、すぐにそんな甘い感傷は振り棄てて、意識を現実へと戻した。
「さっきこの部屋を出るときにそろそろ緑簾に到着するとか言っていたけど、もうじき到着じゃないのかい?船長がこんなところで油を売ってちゃいけないんじゃないのかな」
「いいえ、もう既に【暁皇】は緑簾に到着していますよ。
僕の船長としての義務は到着までです。到着後の係留作業は機関長と航海長の仕事となります。この後僕の仕事は船長としてではなく、桐ノ院コンツェルン総帥として、緑簾政府との外交、ということになりますね。
ですから船橋にいる必要はないのですよ」
「ふうん、そうなんだ」
「悠季、僕がサボっていると思ったのではないですか?」
「い、いやそんなことはないよ」
だがちらりと目元が赤くなっていた。圭はそんな彼を愛しそうに見つめ、微笑を浮かべながら悠季に言った。
「悠季、この後僕と一緒に来ていただきたいところがあるのですが」
「いいけど、どこなんだい?」
「緑簾へのデートです」
「・・・え?」
圭は、悠季の緑簾到着後の予定を話し出した。
【暁皇】は首都天藍の時間とこの船内の時間がほぼ同じようになるように調節して到着している。
天藍に最も近い衛星軌道上にある係留場に停泊していているために、天藍も夕方近い時間となってしまっている。
そのため到着のセレモニーは明朝となり、緊急の用件の者は検疫の方も済んでいるので、既に惑星に降りられるが、観光等の目的の者はそのセレモニーの後になってから下船が許可される。
「実は少々船長の特権を使ったわがままを言わせて貰って、これから君と緑簾の観光兼夜のデートとしゃれこもうかと思いまして」
「そんなことを船長がしちゃだめじゃないか!」
「しかし、僕は明日以降ここの政府やらあちこちの企業のトップとの会見で自由な時間が取れなくなるのですよ。
今度こういうデートの時間を捜そうと思ったら、たぶんこの星の滞在最終日あたりになるかもしれません。いや、もしかするとまったく取れなくなるかもしれないのですよ。
ですからこんなチャンスは逃がしたくないのです。ご一緒していただけませんか?」
圭がいかにもおねだりといった調子で頼んできた。
「・・・図体の大きな奴がおねだりしてもかわいくないぞ」
「おや」
肩をすくめてみせる。
「しかしまあ、たまには一緒に出かけるっていうのもいいかもしれないね」
「それでは、楽しみにしていますよ」
圭はいかにも嬉しそうに言った。
「それからバイオリンを持参してくださいね。ある場所で弾いてみていただきたいので」
「嫌だなぁ。一体どこに連れて行く気なんだい?公園とかなら構わないけど、立派なコンサートホールとかだったら絶対に断るからね」
圭は笑って答えなかった。