【 第13章 下 】
あの時のように、圭は悠季を連れて自分の部屋へと案内していった。
部屋に入ると、図らずも二人とも初めてこの部屋へとやってきた時の悪夢のような出来ごとを思い出してしまい、なんとも気まずい空気が漂ってしまった。
「あー、決してこの前のようなことはしませんので、そのように緊張しないでいただけませんか」
「君だって、どうしてそんなふうに後ろめたそうな顔をしているんだい?気が咎めるようなことをするつもりがなければもっと堂々としていればいいじゃないか」
悠季もやり返したが、この状況は心臓に悪い。あの事件の後、何度も平気で入っていた部屋がまた緊張を呼んでくる。
「実は、これは君には見せるまいと思っていました。少なくとも、君が僕にもっと心を開いてくれるまでは、と思っていたのですが・・・」
圭は、鍵のかかるデスクの引き出しから、一つの袋を取り出し悠季の手の上に乗せた。
「・・・これって・・・?」
「覚えてらっしゃいませんか?」
悠季の手の中にある袋には、那由他の祭りの図柄が入っており、中には見覚えのある懐かしい思い出の飴が入っていた。
「・・・どうしてこれを君が持っているんだい?」
「これを君に渡す約束を果たす事が出来ませんでしたから」
袋は悠季の手の中でかさりと軽い音を立てた。
ふっと悠季が視線を上げた。
「・・・『圭君』・・・か?」
「思い出していただけましたか」
悠季は遠い記憶の中から、一人の少年の姿を思い出した。
【ハウス】にいた時に、外から迷い込んできて一緒に遊んだ唯一の男の子。まあくん以外の子供と仲良く遊んだ楽しい思い出。
いつも【ハウス】の中に子供か世話をしてくれる大人たちとしか接した事のない悠季には、その時の鮮明な記憶が残っていた。
ひょろひょろと背が高くて、大人ぶっていて、そのくせ泣き方を知らないような子供だった。
理由は聞かなかったが何かつらい事があったらしく、ぽろぽろと悠季の腕の中で声を立てずに涙をこぼしていた。悠季はただ黙って背中をぽんぽんと軽く叩いて、慰めていた・・・。
「それで僕がうなされていた時には、君は僕の背中を叩いて慰めてくれたのかな。なんだかあの時とても懐かしい気がしていた」
「ええ、昔君が僕を慰めてくれたように、僕も君を抱きしめて背中を叩いて落ち着かせようとしたんです。しかし、まあくんと間違えられたのは心外でしたがね」
悠季はくすりと笑った。
「そういえば、あの時も君は僕に『圭』と呼ばせたがっていたね。まあくんをそっちのけで僕を特別扱いしようとしていた」
「僕は我儘で女々しい男ですから、一度手にした大切なものは、なんとしても手の中から離したくなかっただけです」
圭が自嘲気味に笑って見せた。
「あの時、僕は母との問題でとても傷ついていました。それで船から出かけられることを幸いに、逃げ出していたんです。
自分が落ち込んで泣きたいという気持ちでいるということにも気がつかない、かたわな育ち方をしていたから、泣けばいいのだということにも気がつかなかった。
君が『泣いてもいいんだよ』と、何も聞かずに慰めを差し出してくれたことは、僕には忘れられない出来事でした。
今も僕と母との関係はかなりぎくしゃくしたものがありますが、それでも君と会っていなかったら、もっと彼女に対して優しく接していく事は出来なかったと思っています。君は僕にとって、恩人であり、出会った思い出は宝物だったのですよ」
「僕は何もしてないよ。そんなふうに思われても・・・」
「そうでしょうね。あの【ハウス】での出来事は、君にとってつらい思い出が多すぎる。
だからこそ、僕も言わずにおこうと思っていました。まっ更な状態で、初めから君と親しくなり、君と愛情を育んでいけたら・・・と思ったのですが、僕は焦りすぎました。いや、君を誤解していた」
「誤解・・・?」
「君があまりに明るくて無邪気で過去に何の問題も持っていない様子を見せていたので、君が【ハウス】での出来事をさほど気にしないで育ってきたのだろうと思っていました。
まさか、まさひろくんがむごい死に方をしているとは知らず、そのことで君の心にひどい負担が掛かっていることにも気がつかなかった。
それに恒河沙では同性愛も一般的だ。君はそこで育ってきているのだから、僕の求愛を受け入れるにも抵抗は無いだろうと勝手に考えていました。
だから、僕の必死のプロポーズに対して気がつかないそぶりで完全に無視してくれて、そのくせ僕の求愛を拒絶もしないのは、僕をじらしているのだろうと解釈してしまったのです」
「じらす・・・だなんて。ただ僕は、君が僕に興味があるなんて思わなかっただけだ」
「ええ、君が興味を持っていて大切に思っているのは音楽とバイオリンのこと・・・ですね」
そんなふうに圭に言われると胸が痛む。
今はバイオリンのことだけを思っているわけではなかったから。
昨夜一晩中考えていたのは、自分と圭との関係。圭の事を本当はどう思っているのかどうしたいのか、自分の心の奥底に突き詰めて考える時間だったから。
「・・・圭、あのね・・・」
悠季が言いかけたとき、圭のナビに呼び出しがかかった。相手はまた秘書の川島嬢だった。
「・・・!」
圭は口の中で何やらののしったらしかったが、平静な口調で応答した。
《船長、お忙しい所を申し訳ありません。実は菫青のマム様から緊急の呼び出しが入っております》
彼女の話は、急いで昨日会った彼と一緒に来て欲しいという要請だった。こんなふうにマムが人間を呼び出すのは珍しい。どうやらよほどの大事が起こったらしい。
「もしかして、先ほどの件か・・・?」
菫青からの要請とは、昨日菫青の神木に演奏を奉納した者が、代価を受け取らずに帰ってしまったというものだった。
菫青としては、代価を払わずに演奏を受け取る事は出来ないし、名誉にかかわる重大な事件だと強く主張しているらしい。速やかに当人を見つけ出して代価を受け取らせるように、と厳命していた。
そのため居住地の代表者は居住地全体と、停泊している宇宙船全体にこの緊急連絡を入れて、その人物を特定しようと躍起になっているらしい。
では、今回の呼び出しで悠季を名指ししてきた意味は・・・・・?
「悠季、君は昨日僕と別れた後もう一度菫青に降りていますね。もしかして神木の前で演奏を奉納しましたか?」
悠季は急に話を振られてきょとんとした。圭は急いで先ほどの通信の内容を伝えた。
「いや、僕は神木には近寄っていない。『秘密の花園』が使えなかったので、かわりに菫青に降りてどこか人がいない場所をと探し歩いて、演奏していたよ。
そこは別に神木があったわけじゃないし、観客もいなかったしね。聞いていたのは、エマと・・・あ、そういえば子供らしい小さな菫青人が一人いたけど」
「そうですか・・・」
とにかく行ってみるしかないだろうと、二人はあわただしく身なりを整えてから菫青に降り立った。途中になった話し合いは後ほどということにして。
――――だが、話し合いを続けなかった事を、圭は後になってひどく後悔することになった。
「圭さん、お呼びたてしてごめんなさいね。どうしても早くに解決しなければならなかったから」
マムは自分の住まいにやってきた二人を歓迎してみずから部屋の中へと招き入れると、居心地よさそうな客間へと案内した。
彼女が女王を退いた後住んでいるという場所は、地球人類から見るとかなり不思議な場所だった。
彼ら菫青人たちは地下を居住地としているのだが、ここも例外なく地下だった。
だが、地下というものにつきものの『暗い、湿っている、狭くて圧迫感がある、風が通らず息苦しい』という欠点はまったく見当たらない。
天井も通路も広くどこからともなくさしてくる明かりは、ほのかに黄色味をおびた白色で太陽光とよく似ている。住居の中をグリーンモスやラベンダーのようないい匂いの風がめぐり通り、ただ窓が無いだけで、宇宙船や建物の中にいると思えてしまう場所だった。
客間の壁には豪華で壮麗なタペストリーが掛けられており、見たことのないような花を咲かせた鉢植えがあちこちに置かれている。
部屋の中には椅子が無く、綺麗なクッションが沢山置いてあった。客は好きなクッションを選んでその上に座るのが礼儀ということらしい。圭に教えられて、悠季もクッションの上にぎこちないしぐさで何とか座った。
マムは二人が落ち着くのを待ってからクッションを引き寄せ、下半身にある四本の脚を優雅なしぐさで折って二人の正面に座ってみせた。そして、召使がお茶を並べて下がるのを待ってから話し出した。
「至急に、悠季さんにぜひとも会っていただきたい子がいるのですよ。昨日会っているんじゃないかと思いましてね」
「マム。それはもしかすると、居住地全域に出された要請に関係したことなのですか?」
「ええ、実はそうなの。昨日孫娘が自分の木に初めて奉納してくれた者があると言い出しましてね。
でもその方は自分の演奏が代価を受け取れるものではないと言って、何も受け取らずに帰られたそうなのですよ。しかし、我々の慣習では、代価も無しに奉納されたものを受け取るわけにはいきませんのでね」
「その人間が、守村さんだと?」
圭は、先ほど聞いた悠季の話を思い出していた。
「孫娘は、その人の特徴を『緑と水の守護を受けるもの。悲しみと苦しみの闇を抱えてなお強く、闇よりも明るい光をまとっているもの。いにしえの木で出来たスピリットを友とし、――の加護を受けているもの。その肩に大地と風の子供を乗せているもの・・・』と言っているのですよ。
これはあなた方には分かりにくい言い回しかたで申し訳ないのですが、私たちはあなた方のように顔や姿かたちや服装や人を識別しないので、こんな言い方になってしまうのです。
――はあなた方には発音しにくいけど、訳すれば音楽の神というところかしらね。それを聞いて私はあなたを思い出したのですが、違いますか?」
聞いていた悠季はあわてて反論を始めた
「あ、あの、確かに僕は昨日は とある木の下で演奏しましたし、その場に菫青人のお子さんがいらっしゃったから、捜されている人間とは僕のことをさしているのかもしれません。でもあれは僕自身に聞かせる為の演奏で、奉納とかのつもりはなかったんです。だから代価がどうこうといわれるような必要はありませんでした。奉納に値するような出来ではなかったと思いますし・・・」
「でも、最後の一曲は木のために演奏されていた、と彼女は言っていますよ」
「それだって、あの場所で練習をさせてもらっていたお礼のつもりで、一曲丁寧に弾いただけです。代価ということでしたら、十分つりあいは取れています」
「それについては、彼女にも聞いてみましょう!」
マムは合図をして孫娘を部屋の中へと呼び入れた。彼女は子供らしく跳ねるような動きで部屋へと入ってきた。
「―――――」
「彼女はあなた方の言葉を聞きとり理解することが出来ますが、まだ話す訓練をしていないので、私が通訳を致します。この子はエレミア。私の孫娘です」
二人は立ち上がってエレミアに挨拶した。エレミアも挨拶を返してから、マムに向かって興奮した様子で何か言った。
「―――――!」
「彼女は昨日会ったのは悠季さん、あなたに間違いないと言っていますよ」
「では、彼女に伝えていただけませんか?昨日の演奏は場所をお借りした木へのお礼なのだから、代価はいらないと」
マムが彼女に通訳すると、エレミアは大きな身振りで悠季の申し出を断って見せた。
「どうやら、彼女は昨日の演奏の釣り合いが取れていないと思っているようですね。
彼女の木に初めて捧げてもらった演奏があれほど素晴らしいものだったのだから、感謝の気持ちとしてもぜひ受け取ってもらいたいと言っていますよ」
「彼女の木・・・ですか?」
「ええ、彼女はアガサの娘です。その時期が来たら女王になるはずの娘なのですよ」
そう言って、二人を驚かせた。
「実は私たち菫青人は、女王となると決まった時に、森の中から一本の木を自分の木として選ぶのです。その木にあなた方が奉納してくれる演奏や演劇などを他の菫青人たちが見聞きして、そのときの感動の――・・・まあ地球人には分かりにくいでしょうから仮に香気とでも言いましょうか、それが降り注いで木の栄養となるのです。
ただ単に娯楽として演奏などを木の下で奉納してもらうわけではないのですよ」
初めて聞く話に、悠季はもちろん圭も驚き戸惑っていた。こんな秘密を知らされたのは二人が初めてかもしれなかった。
「以前福山正夫さんにも私の木に演奏を捧げてもらいました。それは素晴らしいものでしたよ。お礼として、私はあの方に、私の神木で出来た果実を加工して差し上げました」
「ああ!おじい・・・じゃなくて、養父が大切にしていました。宝石でできた真っ赤なりんごですね。とても綺麗でした。ただ、今は事情があって僕の手もとにはなくなってしまっているのですが・・・」
悠季は申し訳なくて、素直に謝った。マムは軽く触手を振って謝罪を退けた。
「持っている、持っていないということはたいしたことではないのですよ。
そのときの素晴らしい時間を共有できたという証なのです。悠季さん、あなたも代価としては受け取れないといわれるのなら、エレミアが自分の木の前で共有できた素晴らしい時間の証として、感謝の品を受け取っていただく事は出来ませんか?エレミアにとって初めて行う女王候補としての仕事となるのです」
「―――――?」
エレミアがかわいいしぐさで、必死に『お願い?』とねだってみせた。
姿かたちは地球人類と異なってはいても、女の子にかわいくお願いをされてすげなく断れる男は・・・さほどいないだろう。
「・・・それでは、エレミアの木への初めての奉納品の栄誉として、ありがたく受け取らせていただきます」
悠季は苦笑しながら言った。
「!!!〜〜」
地球人の女の子なら飛び跳ねて喜んでいるといった所だろう。
エレミアは実に嬉しそうなしぐさで悠季に自分の気持ちを現して見せた。それから、ぱたぱたと部屋を出て行くと、奥の方から小さな箱を一つ持って戻って来た。
「これは、エレミアの木になった初めての果実を加工したものです。まだ彼女の木が大きく無いので果実も大きくありませんけどね。でも、彼女が一生懸命に育てたものです。喜んでいただければ嬉しいと言っていますよ」
マムが通訳する。
悠季が箱を受け取って蓋を開けると、中には女の子らしいピンクのウサギの柄の布にくるまれて、大振りのさくらんぼのような実が入っていた。透明感のある緑の枝と、艶やかな真っ赤な木の実。
食べたくなるようなその実は、実は宝石で出来ていた。いや、宝石にされている、というのが正しい。
「ありがとうございます。とっても綺麗ですね!大切にします」
悠季はエレミアの触手をとって、圭がマムにやったのと同じようなしぐさで、淑女に対しての礼をしてみせた。
そんなふうに丁寧な礼をしてもらったことがなかったのだろう。エレミアは嬉しそうにはにかんでみせた。
「悠季さん。せっかくバイオリンを持ってきてくださっているようですから、ここで演奏していただく事は出来ませんか?奉納という堅苦しいものではなく、私たちを楽しませてくれる演奏を、ね?」
「はい、喜んで」
二人はマムたちの前で演奏してから辞去すると、【暁皇】へと帰ってきた。
そのままリフトで公園のあるフロアに行き、モーツァルトに腰をすえて話をしている。
二人の話を邪魔しないように、石田さんはそれぞれのコーヒーを手元に置くと向こうへと離れてくれた。
時間帯のせいなのか、店内には二人だけしか客は居らず貸切となっていて、圭は悠季との話を楽しんでいた。
「悠季、素晴らしい演奏でしたよ!僕も聞きほれてしまいました。しかしなんでエレミア嬢の木の下で演奏をしようと考えたのですか?他に演奏できる場所は居住区に近い所にもあったと思いますが」
「・・・うん、僕の古い記憶の中に、とても年老いて大きくて大好きだった木があったんだよ。僕はその木が一番のお気に入りで、いつもそこに遊びに行っていたような覚えがある。エレミアの木は記憶の中の木ほど大きくなかったけど、その木を思い出されるような何かがあったんだ」
悠季はエレミアから貰った赤い木の実を、明かりに透かした。きれいな赤に視界が染まって見えた。
「それは、【ハウス】でまあくんと出会ったという木のことでしょうか?」
「いや、もっと古い記憶なんだ。僕が【ハウス】に来る前の、家族と一緒にいた頃のものじゃないかと思う。
僕はようやく歩けるくらいの年頃で、誰かに手を引かれてその木のそばに連れてきてもらっている。その誰かは僕を抱き上げて、上のほうの枝に僕を触らせてくれている・・・。きっと父なのだろうと思う。そして、この木はお前を守護してくれるんだと言っていたと覚えている」
紅い実に見惚れながらも、いかにも楽しそうに語ってくれた。
「大切な思い出ですね」
「うん、でもそれが何時のことで、どこにあったものかは分からない」
悠季の声の中に懐かしさと淋しさが混じる。
「いつか探し出して、またそこに行ってみたいと思っているけどね。・・・そして・・・」
悠季はその先は言わなかった。
「ええ、そうですね」
圭の声がなだめるかのようにそう言った。圭にも悠季が言わなかった言葉の続きが分かる。そして家族を探し出して会いたいという切ない願いを。
「ところで、あれだけの演奏を出来るのでしたら、もうどこのプロのオーケストラと競演しても引けを取らないでしょう。マムたちも絶賛していましたし。そろそろ演奏活動をしてもいいくらいではありませんか?」
「またまた・・・。きみの贔屓目だよ。僕はまだ修行中だからね」
「しかし、菫青でも君の演奏が認められたということは、素晴らしいことですよ。いつまでも考えてばかりいないで、試してみるべきなのではありませんか?」
「試してみるっていったって・・・どこも僕と競演しようとするところなんてないよ」
悠季はいかにも困惑した様子で言った。
「そうですね・・・まず、あちこちの楽団に君の演奏のディスクを送ります。きっとすぐにオファーが来ますよ」
圭はさっそく悠季を売りだすための方策を話し出した。
「・・・桐ノ院コンツェルンの威光でかい?それは断るよ」
「いえ、桐ノ院コンツェルンの名前を使うのではなく、僕と祖父の名前を使います。
音楽関係の世界では、祖父の評価というのは、一目置かれていますよ。僕のほうも、まあまあ、知られていますし。言っておきますが、これはコネとか情実とかとは違います。純粋に音楽を愛するものが、素晴らしい音楽を演奏する奏者を紹介するというごく普通の推薦です」
「でもね、僕は今まできちんと正規の音楽教育を受けているわけじゃないんだよ?僕にとって専門的な教育を受けていないって、すごいコンプレックスなんだ。
確かに福山正夫という素晴らしい教師についていたけれど、それだって系統立てて楽理や何かを習ってきているわけじゃない。それにおじいちゃんは中央を離れてまったく最新の音楽事情が入ってこない状態がずっと続いていたんだ。十年以上のブランクは大きいと思うよ」
「正規の音楽授業を受けていたからといって、必ずしもプロの演奏家になれるというものでもありません。君はまずチャレンジしてみる、ということも大切なのではありませんか?」
「そうは言ってもね・・・」
苦笑しながら悠季が言いかけて、言葉が止まった。次の瞬間、みるみる顔がこわばっていく。
「何かありましたか?」
圭の背後、悠季の正面に当たる所には、ホログラムで最近のニュースを流していた。
もちろん音は流さず、下にテロップが出て、記事の内容を補足していた。だが、圭が振り向いてみた時には、既に ある清涼飲料のCMに変わっていた。
「い、いや・・・なんでもないよ・・・。たいしたことじゃない」
悠季は下を向いて、しばらく何事かを考えていた。そして、何かを思い切るかのように、こう言い出した。
「圭、僕は緑簾で【暁皇】を降りようと思う。そして緑簾にいらっしゃるエミリオ・ロスマッティ先生を訪ねてみたい。
おじいちゃんがあの方へのM.Sを残しているからね。それを持って弟子入りさせていただけないか聞いてみようと思うんだ。僕がデビューできるかどうかは別として、まず僕に足りないものを教えて頂く方が先だと思うんだ」
「しかし、悠季・・・!」
下を向いていた悠季の顔が上がり、圭の目を見てはっきりと言った。
「もう、決めた」