【 第13章 










圭はポーカーフェイスではあっても、彼を知っているものにとっては不機嫌そのものという顔で【暁皇】に帰還した。

せっかく菫青で悠季とのデートを楽しんでいたというのに、野暮用で船に呼び戻されたためだ。

途中彼に出会った人間は、『触らぬ神にたたりなし』といった様子でそそくさと彼から離れて行った。




 呼び戻されることになった用件とは、【暁皇】内の全ての植物のメンテナンスを依頼している、ディジィ社からのものだった。

 宇宙船の中の空気は専用の機械があって、水から作られて船内に供給されている。

しかし、人間の感覚は単に最適な配合で作られた空気を心地よいとは感じない。どこかで自然の植物を求めているらしい。

それで船内にリラクゼーション施設として公園や小さな森を作って、ストレスを緩和している。

 普段、船内の植物は専門の部署が世話と管理をしている。しかし定期的に専門家の詳しい診断と交換を受けることは、大きな船を管理するうえで常識となっている。

大きな木々の手入れが丁寧に行われ、その他にも、植えられているし一年生・多年生の植物を調べることも大切な作業だった。

植物の世代が経つにつれて、種の力が弱って成長が鈍くなったり枯れたりする事がある。あるいは、もっと育てやすい品種が現れたり、人間にとって良い効能を持つ植物が開発されたりする。

また、酸素供給をするのに、もっと効率の良い植物が開発されたりする事があるので、その船に適した植物かどうかを調べるのだ。

 たいていの宇宙船では、このディジィ社と契約して、定期的に船内の緑のメンテナンスを受ける事が常識となっている。

他にも緑を扱う企業は多いが、この業者は専門に緑を扱っていることでは老舗で、さほど規模は大きくなくても品質とサービスが良いと定評がある。

【暁皇】でも祖父の時代からここを使っており、一度も不満を感じたことはない。

 今回、菫青でメンテナンスを行う事が決まったのは、向こうのディジィ社の船が菫青での薬品を買い付けに来ていたためで、両方共にタイミングが良かったと喜んでいたのだが・・・。

 対話室で圭を待っていたのはディジィ社の村上という人物で、以前【暁皇】を担当していた者が退職したために代わりにやっていた者だった。

彼は新任の挨拶の後、今回のメンテナンスでの詳しい報告と購入するべき品種などの説明を簡単にしてから、船長を呼び出した理由を話しだした。

「お手間を取らせて申し訳ありませんでした。実は公園スペースの中の一角に他と成長スピードが異なる場所があるのですが、そこについて調査するようにと桐ノ院様からのご依頼がありまして、その件についてのご報告なのですが」

 それを聞いて、圭は思い出した。

「ああ、『秘密の花園』の件ですか」

「ひみつのはなぞの・・・ですか」

「ええ、ある人がそう呼んでいまして。それで、何か分かりましたか?」

「それが・・・」

 村上氏が言葉を選んで、迷っている。

「確かにあそこには特別な事はしていないのでしょうか?」

「・・・何か問題でも?」

「実は何も問題がないから困っているのですが・・・」

 村上氏は顔をしかめながらこう言った。

「我々もプロですから、たいていのことは分かります。しかし、あそこの植生はとても不思議なのですよ。他の場所と肥料も光も同じはずなのに、成長がまるで違う。こんなのは初めてなんです!

そうですね、例えて言えば、誰かに『大きくなれ』と命令されたみたいなんですよ」

村上氏は冗談ですがと笑って見せた。

「命令・・・ですか。もしかしたら・・・ああ、それでしたらいくらか心当たりがあるのですが・・・。音楽が植物の成長に影響があると聞いたことがあるのですが、もしバイオリンを聞かせた場合、顕著な成長を見せることはあるのでしょうか」

「バイオリン・・・ですか」

「ええ、先ほどの『秘密の花園』と名付けた者がそこでバイオリンの練習をしていたそうです。

彼が練習を始めてから、僕がそこを見せてもらうまでの時間としては二週間程度でした。その時には、もう他の場所とはあきらかな違いがありましたね」

「二週間・・・ですか。それではさほど効果があるとは思えませんね。確かに音楽を聞かせると植物の成長がアップすることがあるのは分かっていますが、もっとゆるやかなものですよ。

もしかして、その方はESP能力者なのでしょうか?彼らの中には植物の成長を左右する力がある人もいますから。それでしたら、あの成長ぶりにも納得がいきます」

「さあ・・・彼から聞いたことはありませんが。今度聞いてみましょう」

 村上氏はほっとしたようにうなずいてから、話を続けた。

「実は、僕も昔そんな能力を持っている一人を知っていたんですよ。子供の頃でしたがね。彼が歌うと、他の場所に植えた球根よりも早く育って花が咲く。『君はみどりの指を持っているんだ』と言っては、とてもうらやましがったものです。ただ、彼はかなり前に亡くなってしまいましたが・・・」

 村上氏はため息を一つついて、圭に謝った。

「失礼しました、私事の余計な事を申しまして」

「いえ。では、その方と同じような能力をこの船に居る彼も持っているかもしれないのですね?」

「ええ、それでしたらあの植物の育ち方も納得できます。

その方に聞いてみてはいただけませんか?もし違うようなら、また他の原因を考えて、危険な兆候がないかどうか突き止めなければなりません」

「分かりました。聞いてみましょう」

 村上氏は他の船のメンテナンスもあるので、分かったら連絡をくれるようにと圭に頼んで【暁皇】から立ち去った。

 圭は悠季と会う口実が出来たことを喜びながら、もう一度菫青に戻りたかったのだが・・・。

「船長、滞っている決済事項は山ほどあるのですよ。デートは後でも出来ますから、さっさと済ませてくださいな」

秘書の川島は甘やかせてはくれなかった。

「・・・川島君。せっかく彼とデート出来るチャンスなのだから、見逃してくれませんかね」

「いいんですか?悠季さんに言いつけますわよ。船長は仕事をサボって来ていると」

 にっこり笑いながら、そういう怖い脅しを言ってくる。

生真面目な悠季なら、そんなことを聞かされたとたん、急いで船に帰ろうというに違いなかったし、次に誘おうとしたときにも、サボりを疑ってついて行こうとはしなくなるだろう。

「・・・川島君。君は僕の味方なのですか、敵なのですか」

「あら、私は自分の職務に忠実なだけですわ。船長がきちんとお仕事をこなしていただいているなら、もちろんいくらでも恋の応援は致しますけど」

 圭が睨んでみても平気な顔でにっこりと笑ってみせる。圭は降参してため息をついた。

「分かりました。それではさっさと用件を済ませましょう。そのかわり、夕食に彼を誘いたいのでレストランの予約をしておいてください」

「承知致しました」

 しばらくして、仕事が一息ついた合間に、とりあえず悠季に連絡を取ろうとしたのだが、連絡が取れなかった。

「部屋に戻っていないのですか?」

 アイヴァスは、悠季が船に戻っていない事を報せてきた。

一度戻ってきたが、また菫青に降り立っているのだと。ナビの信号も、確かに彼が菫青に降りている事を示していた。

「もしかして、神木に奉納に行ったのだろうか・・・?」

 しかし、圭にも言わず一人で出かけるとは、心配りのよい彼らしくない。

圭は、万が一彼が神木に演奏をしている最中かもしれないという場合を考慮して、彼に連絡を取るのは控えた。

 だが、夜になって彼が【暁皇】に帰ったという報せを聞いて連絡を取ったのだが、すげなく夜のデートは断られてしまった。

画面の向こうの悠季の顔色の悪さと泣きそうな視線が気になったのだが、何もないと言い張るのみだった。

「彼の演奏ならば、菫青人からひどい評価を受けるはずはないのだが・・・?」

 圭は、一晩待って落ち着いてからわけを訊きだすつもりになった。彼の中で整理されてから聞いた方がいいだろうと思えた。

 しかし翌日、圭が悠季の部屋へ連絡を取ってみると、彼は既に部屋を出たあとだった。行く先は、ナビの信号によると『秘密の花園』らしい。

 圭は後を追って公園へと出向いた。

 公園のいつもの場所からは悠季のバイオリンが聞こえてくる。

だが、その音は昨日までの明るくて朗らかなものとは違い、どこか張り詰めた緊張感をたたえている。その分人を惹きつける魅力は増しているように思えたが。

「ヴィターリのシャコンヌですか。彼が弾いているのは初めて聞きましたね」

 切なく甘いその調べ。手を伸ばしても伸ばしても届かない遥かなものへの憧れをバイオリンの音色に載せて切々と訴えかけてくる。

 圭が悠季の姿が見える場所まで近づいた時、ぱしり と、かき分けた小枝が折れる音がした。ごく小さな音だったのだが悠季にも聞こえたらしく、演奏が止んだ。

「ああ、失敬。演奏を続けてください。ここでおとなしく聞いていますから」

「・・・いや、もういいよ。今日はもうこれで止める」

 振り返った悠季の顔を見て、圭は眉をひそめた。

目の下にくっきりとしたくまが出来ていて、強張った表情でこちらを見ている彼からは、昨日までの無邪気で無防備な笑顔は消えていた。

「どうかされたのですか?」

「何も」

 そっけなく答えた悠季は、顔を背けてそのままバイオリンを拭き上げ始めた。

「菫青で何かあったのではありませんか?」

「別に、どうもしていないよ」

 では、どうしてそんな顔をするのですか?と尋ねたかったが、悠季が言いたくないと思っている以上、無理強いをすることは出来ず、話題を変えた。

「実は昨日この場所を、植物のメンテナンスの者に見てもらったのですが、どうにも理由が分からないと言っているのですよ。こんなふうに植物が急激な生長するのは、まるでESP能力者が植物に命令したようだと」

「それって僕がやったことだと?」

「可能性がある、ということですが。何か心当たりがあるのでしょうか?」

 悠季は言うか言うまいか、迷っていた。実に不安そうな顔で。しかし、ぎゅっと唇をかみしめると、顔を上げて圭に向かって切り出した。

「・・・うん。そうかもしれない。たぶん僕がやったのかも。気がついていなかったけど。・・・ごめん」

「どうして君が謝るのですか?素晴らしい能力じゃありませんか」

「・・・素晴らしい?」

 悠季が睨んできた。

「こんな気持ち悪いものを?」

そのいかにも嫌そうな表情に圭は驚いた。

今までESP能力があると聞いて喜んだ者は知っているが、嫌がる者がいるとは思わなかったからだ。

「恒河沙では、ESP能力者は迫害されていたのですか?」

「あそこではね、ESP能力者なんて言い方では呼ばないんだ。

感応者とか、異能者とか呼ばれる。特に僕のように心に働きかける力を持ったものは『邪眼』と呼ばれてひどく嫌われる。

おじいちゃんは気にしなかったけど、よその人が知るととても嫌がってたよ。人の心を覗く汚らわしい奴だって言われて、追い払われるのがほとんどだった。

僕が奴隷の時もそれが原因で何度もきつくぶたれたし、惜しげもなくさっさと転売された。 だからいつも隠していたし、君にも黙っていたんだけど・・・。ごめん、もっと早くに言っておくべきだったね」

 悠季はバイオリンケースを持つと、そのままそこを離れようとした。

「もう君のところには行かないから。ごめん、今までありがとう」

 下を向いたままそう言うと、歩き出してしまった。

「待ってください、悠季!どうしてそんな結論になるんです?!」

 あわてて走っていくと、悠季の腕を捕まえた。びくんと掴まれた腕をこわばらせて悠季が立ち止まる。

「君がESP能力者なら、僕が今どんな気持ちなのかは分かるでしょう?」

 悠季は下を向いたまま、頭を横に振った。

「僕にはそれほどの能力はないよ。普段はせいぜい相手の気分を知るくらいだ。それも意識してじゃないと分からない。

むしろ動物や植物の意識の方が分かりやすいんだ。だから、今君が僕をどう思っているのは・・・分からない。いや、分かりたくないんだ。

僕を汚いものでも見るような人たちと同じように思っているのかと思うと、・・・知りたくないから」

「こちらを見なさい、悠季!」

 圭は悠季の両腕を掴むと、苛立たしげに揺さぶった。

「能力で知りたくないというのなら、僕はいくらでも言葉で君の考えを否定してみせますよ!

僕は君を気持ち悪くも思わないし、君の能力を嫌なものだとも思わない。むしろ素晴らしい能力を持っているのだと思っています。恒河沙では否定されているのでしょうが、汎同盟ではESP能力者は尊敬されるべき人たちなのですから」

「・・・それだけじゃない」

 小さな声で、悠季が反論する。

「僕はただの辻楽士だ。君みたいにちゃんとした職業に付いているわけではない、根無し草のやくざな人間なんだよ。

君はいつまでも僕なんかに関わりあっていちゃいけないんだ。

僕もやっと目が覚めた。君と僕なんかとでは身分が違うってことにね。

今まで君もこの船の人たちもそんなことを考えていないように付き合っていてくれたけど、僕が気がついた以上もう今までのようにはいられない。

・・・僕はこれ以上この船に深入りすべきじゃない人間だから」

「ええ、今までは無名の辻楽士だったでしょう。しかしさらに修行をすれば、汎同盟の中央でも十分通用する立派な音楽家になることでしょう。

音楽家という職業は、恒河沙と違って汎同盟ではとても尊敬される職業なのです。どうか、僕なんかなどとは言わないで下さい!身分が違うなどとは誰も考えていませんよ」

 しかし、悠季は分かったとは言わなかった。

「確かに今の君はもっとバイオリンの修行をされたいでしょう。完成された演奏をするために。

君のバイオリンはとても素晴らしいものですから、僕も君の優れた演奏をぜひ多くの人々に聴いてもらいたいとも思います。

ですから、ここを君の本拠地にし、勉強してやがて演奏にでかけるということには出来ませんか?君にはここでずっと暮らして欲しいのです!」

「・・・無理だよ。いっしょに暮らすなんて・・・。でも・・・そうだね、君の結婚式に招待してくれるなら、喜んで演奏させてもらいに伺うよ」

「結婚式、ですって?」

「うん。君、婚約者がいるんだってね」

「・・・婚約者、ですか?!誰がそれを君に言ったのですか?」

圭の頭の中では、悠季にそんな話を吹き込みそうな心当たりの人物をあれこれと思い浮かべていた。

「誰でもいいよ。とにかく君は僕なんか構ってないで、彼女を大切にした方がいい。そうして【暁皇】の立派な船長としてこれからも頑張って欲しい」

 悠季の顔がその日初めて圭の顔を正面から向いた。その表情は真剣で誠実で、心からそう思っているのだということが見て取れた。

「悠季、信じてください!僕は婚約者などいません。

婚約話は父が生きている時に起こったのですが、僕はきっちりと断っていますし、僕がゲイだから女性を愛せないのだと宣言しています。もし僕の言葉が信じられないのなら、これから行ってきちんと話をつけてきます!悠季、僕が愛して、結婚したいと思っているのは君だけです!」

「無理だよ。僕は友人にしかならないと言ったはずだ」

「ええ、覚えています。しかし僕は君しか愛せない!君が【暁皇】に乗船した時から、いつかプロポーズしたいと思っていました。僕の犯した罪のせいで、言い出せなくなってしまいましたが、僕の気持ちは最初から変わっていません!」

「でも、君は最初僕がおじい様の養子になるのを反対していただろう?僕みたいな問題だらけの人間をこの船に乗せて【暁皇】にトラブルを抱え込むのを嫌がっていたじゃないか!僕はここでは迷惑をかけるだけだ」

「あれは・・・・・」

圭は口ごもってみせた。

それを見て、悠季はやはりと思ったようだった。

「理由を言いますよ!君が呆れると思って言わないでいましたが、君がそんなふうに思っているとは思いませんでした。

僕はですね、君がお祖父様の養子になることを止めようとしたんです。君が養子になれば、僕と君とは叔父と甥ということになる。結婚出来ないじゃありませんか!」

 これでどうだというように圭は開き直ってみせた。

 悠季はぽかんとした表情を浮かべ、次の瞬間には顔がみるみる赤くなっていった。

「君って、そんなことを考えていたんだ・・・」

「ええ、もちろん。君と初めて会った時から僕はそう考えていましたよ。

・・・・・もしかして、君も婚約者という言葉に動揺されたのならば、いくらか僕のことを気にして下さったと考えて喜んでよいのでしょうか?」

「違うよ!僕はないがしろにされているという、君の婚約者が気の毒だと思っただけだ。それに・・・・・君がそんな人がいるのに他の人に声をかけるような浮気な人間だったのかと思って、ちょっとがっかりしただけだ」

 平気な顔で言い張っていたが、ふっと目元が赤く染まってみえた。

「ですが・・・」

 圭が話しかけようとした時、ナビから緊急の連絡が入った。圭が通信を開こうとすると、悠季が話は済んだとばかりに、さっさとその場から歩き出した。

「悠季、話は終ってはいませんよ」

 ここで去られては大変と、圭は悠季の腕を捕まえてからいらだたしげに通信に出た。

 相手は川島嬢だった。

《船長。菫青から緊急の要請が入っております。ある人物を特定する為に、地球人全体に対して発信されているとのことで、居住区の方では大騒ぎになっているようです》

「分かりました。内容をこちらに送ってください」

 川島嬢にこの要請を船内に流して、該当者がいないか確認するように頼んでから急いで通信をきった。

「ねえ圭、もう僕を放して。僕にはこれ以上話す事は何もないから」

「君にはなくても、僕にはあります。ついてきてください!」