【 第12章 下】
ピーピーピー・・・。
突然圭の持っているナビが呼び出し始めた。圭が端末を開いて通信を開始すると、どうやら船の方からの連絡だったらしい。
「申し訳ありません。実は船の方で問題が起きたようで、僕は帰らなくてはならなくなりました。このあとも君の案内をしたかったのですが・・・」
「大丈夫だよ。一人でも見て回れるし、楽しんでいるから。
子供じゃないんだから付き添いはいらないし、それにナビを持っているから、どこにいても迷子になったりもしないしね。ここは治安がいいと君もいっていただろう?」
「・・・せっかくのデートでしたのに・・・」
いかにもふくれっ面で圭が言いだしたので、悠季はぷっと噴いてしまった。
「デートって・・・ねぇ。まあ、また今度君の案内を頼むから、今日は早く帰った方がいいよ」
しぶしぶながら圭が【暁皇】へと帰っていくと、悠季はぶらぶらとそのあたりを冷やかし始めた。
美しい色とりどりのあざやかな花々、精密できらびやかな色々な細工物、あちこちから集められたらしい珍しい品物・・・。甘い匂いは屋台で売っている菓子のものか。そこにいる人たちは皆いかにも楽しそうに歩いていく。しかし悠季は、先ほどまで圭と他愛ないことを話しながら歩いていた時とは比べ物にならないほど―――――――― 面白くなかった。
「そうだ、神木のところまで行ってみようかな」
にぎやかな市場の喧騒に疲れて、悠季は居住地のはずれへと歩き出した。目的地は視界から消える事がない大木だから、そこを目指してゆっくりと歩き出す。
そうして到着した場所は、広い草地の奥に板で出来ている舞台が一つ。広さはあるが、建物もなく緞帳もない。野外劇場というにはあまりにお粗末な場所だった。
しかし歩いていると、周囲を囲っている木々のせいか、それとも名前の知らない草で覆われた草原のせいなのか、音響がとてもよいことに気がつく。空は開いているのに、不思議と音が上へと拡散しないのだ。
悠季は観客席らしい草地の隅に腰を下ろした。そのあたりには宇宙船で来ている地球人類の観光客たちがかたまって眺めていた。前の方の特等席には、菫青人たちが座を占めている。
舞台の上ではどうやら科白劇を行っているらしい。
舞台装置もほとんどなく、俳優の科白だけで話が動いていく。観客としてかなりの数の菫青人がいるのだが、どうやらお気に召さないらしく、ざわざわと雑談らしきものが聞こえてくる。
劇が終了すると、おざなりの拍手とぱらぱらと投げられた宝石で出来を評価して俳優たちを退場させた。
「なんだか、おひねりを投げているみたいだな」
悠季は恒河沙でやっていた、辻楽士のころを思い出して懐かしく思った。
次の出し物は、なんとバイオリンだった。
演奏者は自信満々な態度で舞台に現れると、超絶技巧たっぷりのスケルツォを弾き始めた。正確無比なテクニック、音程。バイオリンの音も澄んでメリハリと強弱もきっちりとしている。しかし、この演奏を好きかと問われれば・・・。
突然、ブーイングが始まった。
菫青人たちは、手近な物を打ち鳴らし、大声を上げてバイオリンの音をやめさせようとしている。演奏者はほうほうの態で舞台を去った。
「あの演奏で、だめなのか・・・?」
呆然となってしまった。
確かに好みの演奏ではなかったが、あの演奏でブーイングを喰らうとすれば、自分の演奏など一音出しただけで退場させられるのがオチに思えた。
彼らが認める演奏とは、いったいどれくらいの名演奏を要求されるのだろうか。
すっかり意気消沈した悠季は、その次の出し物の詩の朗読が開始されていたが、そっと立ち上がって【暁皇】に戻る事にした。
先ほどまでは、マムの言葉でここに参加してみようかという気持ちになっていたのだが、その気がすっかり失せてしまった。
【暁皇】へと向かうシャトルを待ちながら、悠季はこの先将来の事を考えていた。
緑簾に到着したら、祖父の遺してくれたM.Sを持ってエミリオ・ロスマッティ師のところに行くつもりだった。しかし、自分の演奏があの巨匠の弟子にしてもらえるほどの技量があるとは思えない。
といって、このままずるずると桐ノ院家の客分として厄介になっているのも気が引ける。緑簾で降りて、また辻楽士として稼ぐ事にしようか・・・。
悠季は楽士という職業が尊敬されるべきものだとは思っていなかった。たまたま楽器を弾けて、人々を楽しませることが出来る職業ではあっても、地位の高い人々から見れば、足元にあって無視してしかるべき職業だとしか思っていない。
働かざるもの食うべからずという観点で見れば、余りものの人間だと思っている。だから、圭が自分のことを高く評価しているのも、あの事件の償いとしてか、あるいは惚れた欲目なのだと思っている。
悠季は、汎同盟では音楽家という職業が尊敬されている職業なのだとは、まったく知らなかったのだ。
「ちょっとあなた、少しいいかしら?」
「はい、なんでしょうか?」
悠季が【暁皇】に戻って、自分の部屋へと歩き出したとたん、一人の老婦人が声を掛けてきた。どうやら彼がこの船に戻ってくるのを待っていたらしい。
「お話があるの。私といっしょにいらっしゃい」
おだやかに応対した悠季に対して、老婦人は高飛車な態度で用件を告げた。
「・・・あの、どなたですか?」
「来ればわかります」
老婦人はさっさと歩き出した。悠季が付いてくるのが当然と思っている様子で、後ろを振り向く事もなく。
仕方なくついていくと、彼女は悠季をリフトに乗せて桐ノ院家のプライベートフロアに連れ込んだ。
しかしそこは桐ノ院本家の人たちが住んでいる所ではなく、関連企業を経営している分家の人たちが住んでいる場所へと歩いていった。
「お入りなさい」
老婦人が悠季を連れ込んだのは、分家の中でもうるさ型の西脇一家が住んでいる場所だった。――――――もちろん悠季がそんなことを知るはずもなかったが。
部屋の中では一人の老紳士が悠季を待っていた。
「ハツさん、あとは私が彼に話をするから。もういいよ、ありがとう」
彼女は何やら言いたそうにしていたが、老人が老婦人をまったく気にとめない様子を見ると、渋々頭を下げて挨拶して部屋を出て行った。
「福山悠季君・・・だったね。私は桐ノ院の分家の西脇というものだ。君は今、御前様の客分となっているそうだが」
彼は悠季をソファーに座らせると、ここに連れ込んだ失礼も詫びず、さっそくに用件を切り出した。
まるで部下か召使を呼びつけているかのような傲慢さ。しかし、恒河沙でぞんざいな扱いに慣れていた悠季は、それが無礼な態度とは思いついてもいなかった。
「はい。そうですが、それが何か・・・」
「この先君はどうするつもりなのかね?」
悠季は一瞬ひるんでしまった。先ほどまでの気持ちの揺らめきを口に出されて聞かれたような気がしたから。
「君が圭と恋人同士だというのは本当のことかね?」
「は?」
悠季は言葉を無くしてしまった。
どうして知らない相手から恋人同士などという話を聞かれるのだろうか。
確かに圭が機会をとらえては『恋人になって欲しい』と冗談にまぎれてほのめかしてくることはあるが、悠季の気持ちを尊重して押し付けてくる事はない。まして人に言いふらすようなことはしていないはずなのだが。
【暁皇】の中では自分たちが恋人らしいという噂が、すでに公然の事実のように思われていたが、当人である悠季自身の耳にはそんな話題は入ってこなかったのだ。
ところが、西脇氏は悠季が口ごもったのを『YES』の意味ととったらしい。
「やはり噂は本当だったんだね。困るんだよね、よそ者がそんなふうに圭の気持ちをかき乱すようなことをしてもらっちゃあ・・・。圭も若いから新しく来たものにはつい物珍しくてふらふらと気が行くのだろうが、彼にはもうれっきとした婚約者がいるのだからね」
「こんやくしゃ・・・ですか」
「そうだよ。彼の父親、前の船長桐ノ院胤充との間で話が進んでいたんだ。
彼が亡くなって、圭も仕事を引き継いだばかりのせいで話が止まっているが、そろそろ話を進める時期に来ている。いずれ彼の身分にふさわしい女性と家庭を持つことによって対外的にも桐ノ院コンツェルンの安泰をアピールしなくてはならない。
確かに汎同盟では同性婚も認められてはいるが、中にはそれを認めていない惑星も多いんだ。男と結婚などもっての他な話なんだよ。まして君みたいなどこの馬の骨か分からない人間と結婚など出来ないだろう?諦めてくれたまえ。」
「・・・確かにおっしゃるとおりですね。
僕はただの辻楽士で、この船の船長とどうこうしようなどと大それた事は考えていません。恋人同士などという話は圭さん、いえ船長のただのジョークにすぎませんよ。
船長とは親しくしていただいてはいますが、それは御前様から客分としていただいているので、友人として扱っていただいているというだけのことです。今は緑簾までこの船に乗せていただいていますが、到着したら出て行くつもりです。ご心配になるような事はありません」
西脇氏は悠季の言葉を聞くと、嬉しそうに何度もうなずいていた。
「そうか、そうか。君は物分りのいい人だね。いやぁ安心したよ!ここで君がごねたらどうしようかと思っていたからね。そうかね、緑簾で船を下りるのかね。ならば、今のうちにこれを渡しておこうか・・・」
西脇氏は一枚のカードを差し出した。
「1000クレジットが入っている。緑簾での何かの足しにしてくれたまえ」
「・・・これはどういう意味ですか?」
「だからだね。君はこれを黙って受け取ってこの船を去ってもらえばいいんだよ」
「いりません!そんなものをいただく理由はありません。それにこのようなものを出していただかなくても、僕は船から出て行きますのでご安心下さい。それでは、失礼します!」
悠季は立ち上がって会釈すると、まだ西脇氏が何か言いつのろうとしているらしい言葉を聞かず、足早に部屋を出て行った。
頭の中を様々な思いがぐるぐると渦巻いていってとても苦しい。
何でこんな気持ちを持たなくてはいけないのだろう。
圭は僕と恋人になりたいと言っていながら、実は他に婚約者がいたなんて・・・!どうして裏切られた気持ちを僕が持たなくてはならないのか!なぜ相手の女性に嫉妬の気持ちを持たなくてはならないのか・・・!
・・・くるるる・・・。
遠慮がちに鳴いているエマの声にはっと我に返った。
無意識のうちに自分の部屋へと帰っていたのだ。途中どうやって帰ってきたか、誰かと会ったのかも覚えていない。
留守番をしていたエマの声でやっと部屋に戻っていた事に気がついた始末。
だが、部屋に入ってもどうにも落ち着かなかった。この部屋は桐ノ院家の裕福さを見せ付けるようで、どうにも息苦しい。今はこの部屋にいることがとても苦痛だった。
悠季はバイオリンケースを掴むと、エマを肩に乗せて部屋を出て行った。行く先は公園の『秘密の花園』。だが、公園の入り口まで行くと、そこには立ち入り禁止と書かれたディスプレイが置いてあった。
「メンテナンス中につき、本日は立ち入り禁止・・・か」
だが部屋に戻る気にはどうしてもなれない。悠季はそのまま菫青へ降りるシャトルへと乗り込んで行った。
また菫青に降り立ち、どこか誰にも聞かれずにバイオリンを弾きたいと思っても、場所を捜すのはとても難しかった。
それは当然のことだろう。いつでも菫青では祭りのようなものなのだから。
悠季は仕方なく森の先へ先へと歩いて行き、地球人居住区を出ている事に気がつかなかった。ただただ誰もいないところに行きたかった。
それでもしばらく歩いていくと、ぽっかりと木々の間に広場が出来ているのに気がついた。先ほど見ていた神木の場所のように草原があり、周囲を木々に囲まれている。しかし神木のある場所と違ってここにはそれほど大きな木があるわけではない。
いずれ神木ほど大きくなるだろうと思われる木はまだまだ若く、枝ぶりも密ではない。それでも充分に威厳を持っている。
悠季はエマを草原に下ろすと、木の根元へと歩み寄った。そっと木の肌に触れた。
「すみません。しばらくここでバイオリンを弾かせてもらいます」
調弦をし、悠季はバイオリンを弾きだした。
音階練習、そして何曲ものエチュード。そうやって気を落ち着かせてから、心に浮かぶままに小曲を奏でた。ツィゴイネルワイゼン、タイスの瞑想曲、ロマンス・・・・・・。
そして最後に、ここで弾かせてくれた木への感謝を込めてバッハの無伴奏一番を。
無心な演奏。
誰かに聞かせたいとか、自分を慰めたいとかをまったく考えず、ただ音楽を捧げるような気分だった。テクニックも音の良さもまるで考えない素のままの音楽。
弓を下ろして余韻も消えて、やっと『ああ、自分はバイオリンを弾いていたのだ』と気がつくようなトランス状態。
ふっと我に返ってみると、あたりがかなり夕暮れのオレンジ色に染まっているのに気がついた。
居住地まではかなり歩く。
早く帰らないと、森の中で迷子になることだろう。迷子は即刻、死に繋がりかねない。
この星の住人たちは視力がいいから照明はいらないそうだが、悠季の方はそうはいかないのだから。
あわててバイオリンを拭き上げてケースにしまい、エマを肩に乗せて歩き出そうとしていたら、そこに自分たち以外の者がいることに気がついた。
「―――――――――!」
彼女が何かを言っている。だが言葉が分からない。
「ごめんなさい。僕言っている事が分からないんだけど・・・」
彼女は先ほど見たマムたちよりもからだが小さく、からだにつけている飾りも少ない。どうやらまだ言葉の訓練を受けていない子供らしかったが、態度はかなり大人ぶってみえた。
彼女の身振り手振りはどうやらここでの演奏への評価をするから、代価を受け取ってくれという事らしかった。
悠季は首を振って必要ないことを相手にわからせようとした。
「いりません。僕はバイオリンを自分の為だけに弾いていたんですから」
――だが最後の曲はあの木に捧げたものだろう?――
そんなふうに、その子供は身振りしてみせた。
「あの曲は、今までバイオリンを弾かせてもらっていたお礼です。代価は要りません」
悠季はそう身振りで断ると、彼女に一つお辞儀をして走り出した。
「―――――!」
呼び止めようとする声は無視した。
あたりはオレンジ色から紫色の暮色に沈み始めているのに気がついたからだ。早くしないと真っ暗になってしまう。
薄闇に沈んでいく木々の間を出来る限りの速さで走り、悠季はなんとか居住地へと戻ってきた。そうしてそのまま最終のシャトルに乗り込み、【暁皇】へと戻る事が出来た。
自分の部屋へと戻ると、やっと先ほどの演奏の事を思い返すことが出来るようになった。自分のからだがバイオリンを弾くための部品の一部になったような気分。音楽そのものになったようなトランス状態。
そのくせ心のどこかでは冷静に自分の演奏を評価しているような気がしていた。ああ、なんていい音なのだろうと。
「圭にも聞かせたかったな」
つぶやいてみて、一気に先ほどの桐ノ院家の人間とのやり取りを思い出してしまい、気持ちが沈んでしまった。
「ああ、そうか。そういえば確かに圭は僕と恋人になりたいと言っていたけど、結婚してくれとは一言も言っていなかったんだっけ。そうだよな、【暁皇】の船長として男と結婚は出来なかったんだな。でもそうなら、なんで僕を口説いたりするんだ?婚約者の女性に失礼じゃないか」
恋愛と結婚は別物なのだろうか。彼がそんな二股をかけるような男には思えなかったが、違うとも言い切れない。だからと言って、彼に直接聞くのも嫌だった。自分は恋人にはならない、友人のままでいいと言い張っていて、『それでも構わない』と言われていたのだから。
内線のチャイムが鳴って、通信が入っているのを伝えた。悠季が上の空で通話を開くと、相手は圭だった。
《先ほどは失礼しました。お詫びといってはなんですが、これからいっしょに食事をしませんか?》
穏やかで優しい声。婚約者のことを聞いていなかったら、また会える事を嬉しく思っていたことだろう。
「ああ、ごめん。あり合わせのもので済ませちゃったんだ。今日はこのまま休むよ」
《・・・声が疲れているようですが、何かありましたか?》
「いや、なんでもないよ。ちょっと菫青の重力が効いたのかもしれないけど」
《そうですか。では、ゆっくり休まれてください。それでは、また明日》
「うん、お休み」
通話が切れた。
「ああそうだ。エマの食事を用意してやらなくちゃ」
悠季は彼女の食事を用意すると、エマはかなり腹を減らしていたらしく、勢いよく食べている。だが自分はどうにも食べる気分が起きなくて、そのままベッドに身をうつ伏せた。
「・・・何も考えたくない・・・」
悠季は暗闇の中で目を凝らし、夜が過ぎていくのを見つめていた。