【 第10章 下 】
夜明け近くになってようやくうとうとと眠る事ができ、朝日が差し込むようになってから目が覚めると、彼の温かなからだが圭のからだに寄り添っていた。
どうやら明け方の薄ら寒さにぬくもりが欲しかったらしい。彼の目を覚まさないように、そっとそのからだを抱きこんでまた目を閉じた。
なんという、幸福感!
しばらくすると、もそもそと悠季のからだが動き出してきた。そろそろ彼も目覚めてきたらしい。
「おはよう」
圭が声をかけると、
「ん・・・・・・」
と、なま返事を返してきた。が、とたんにぎょっとしたように飛び起きてきた。自分が圭のからだに抱きつくようにして寝ていたことに気がついたようだ。
「僕は理性には自信があるのですよ」
圭がにっこりと微笑みながら言うと、悠季は真っ赤になって口の中でなにやら呟いている。彼はなんとも可愛らしい反応に笑ってしまいながらシャワーを浴びに行った。
二人はその日一日も何事もなく過ごしていた。圭は今日こそはきっと何かが起こると思っていたのだが、【暁皇】への定時連絡も滞りなく、あちらでもたいしたトラブルはないらしい。
桐ノ院家の力を使って、政府の中にあちこちと情報を求めたが、不穏な動きはないようだった。悠季をこの惑星へと永住させようとする動きはあるようだったが、それも本格的なものにはなっていないようだった。
そしてこちらの場所でも、この島から出なければ何をしていても構わないと言われ、別段行動の自由を制限される事もなく・・・、まるでリゾートに遊びに来ているような気がしてきていた。
事実ここに来てからは、悠季と一緒に行動したり他愛ない会話で笑いあったりと、水入らずの時間は、二人の親密さを増している。
悠季のバイオリンの練習時間以外は、海で泳いだり、周りの砂浜を散歩したり、ボートを見つけて周囲を調べに行ったり・・・。最初は僕らの監視人かと思っていた人物は、この海岸からキングがいるという島へ渡ろうとするふとどき者が出てくるのを監視することだけが目的らしい。
二人を送ってきたカヨノは、その後二回ほど様子を見に来ており、藍昌の自然や産業、政治形態などこの星に殖民する為の情報がつめこまれたディスクを置いていった。自然保護局の局長のバルディもやってきて悠季にさりげなくこの星に残ってもらえないかと尋ねてきたりもしたが、穏やかで平和的な勧誘だけで、先日の是が非でもこの星に残ってもらおうという脅迫感は感じられなかった。
僕の杞憂だったのだろうか?
と、圭はいぶかしく思っていた。
強いて昨日と今日との違いをあげるとすれば、昨日は一匹二匹くらいの野生のサラマンドラが姿を見せていたのだが、今日になると数が増えて、こちらを見ているような気がしてくるくらいだ。
もっとも、エマは仲間のいることなどに頓着していなかったし、このことが二人と何のかかわりがあることとは思えなかった。
夜には食事をしたあと、昨夜と同じように圭と悠季は一つのベッドで眠った。すでに決まっていた事のように暗黙のうちに、ベッドを分け合い背中を向け合って。だが、二人とも昨晩ほどには緊張せず、時間を置かずに眠る事ができた。
翌朝になってみると、悠季はまた圭の腕の中で眠っていた。まるで前々から馴染んでいる場所にいるかのように・・・。そして圭はまるでそれを当然のように受け入れている。
朝には近くを二人で散歩しながら他愛のないことを話し合い、そのあと悠季はバイオリンを稽古して、その間に圭は【暁皇】と連絡を取り合ったり、悠季のバイオリンを拝聴したりして過ごし、昼には親しくなったというシェフに厨房を借りて、悠季が趣味だという料理を圭に披露してみせた。
肉じゃがと魚の照り焼き(ブリという魚らしい)とキュウリの酢の物とナスのはさみ揚げと味噌汁とキャベツもどきの浅漬けと・・・。
「これは地球のニッポンの家庭料理というものなんだそうだよ」
悠季が照れながら説明してくれるあれこれを聞きながら、圭は感激して食卓を囲んだ。悠季は箸の使い方に苦労している圭を見て、優しげな苦笑してみせた。
しかし、そんな平穏さはこの日の夕方に現れた人物によって、あっという間に壊されてしまった。
「ねえ圭、なんだか野生のサラマンドラの数が多くなった気がしないかい?」
「確かにそのようですね」
「それはそうだろう。彼らは未来の伴侶に対して、謁見を求めにやってきているのだからね」
彼ら以外の声が答えた。
二人が驚いて振り向くと、そこには一人の男性が夕日を背に立っていた。
白人男性で、年齢は六十歳過ぎくらいにも見えるし、三十代にも見える。頭をごく短く刈り上げていて、ごく普通の服装だったが、容貌は、禁欲的な聖職者にも見えるし、エネルギッシュで精力的な俗物丸出しの人物にも見える。不思議な雰囲気の人物だった。
「初めまして。俺はスティーブン・ブラウニーといって、ここで鳥類を研究している。君の件に関して、藍昌から全権を委任されてやってきた。それから、こいつの名はビューティ。よろしく」
「福山悠季といいます」
穏やかに言って手を差し出してきた彼の肩には、悠季と同じようにエマよりも少しくすんだ金色のサラマンドラが乗せられていた。
このサラマンドラがエマと違う点は、一回りからだが大きくて、エマよりも尻尾や首筋で光る鱗が多いことだった。どうやらこちらは成獣らしい。
今まで他の野生のサラマンドラには興味を示さなかったエマが、興味を示して相手を見ており、互いに挨拶を交わすように鳴き交わしていた。
「他のサラマンドラには見向きもしなかったのに・・・」
悠季が驚いて言うと、ブラウニーというその人物は、自分のサラマンドラを撫でてやりながらこう言った。
「君のサラマンドラはまだ雛だからね、雄にはまだ興味がないのだろう。大人になればまた違った反応をするだろうよ。
あと数年もすれば、立派な女王竜となる」
「女王、ですか?」
「そう。金色のサラマンドラは、繁殖出来る唯一の竜だからね」
圭は驚いて聞き返した。
「しかし、緑色の竜も雌のはずですが」
「彼女たちには妊娠が出来ないんだよ」
ブラウニーは椅子に座り、その正面に向かい合って座った二人に説明し始めた。
サラマンドラには数種類の色の竜たちがいるが、その中で唯一の繁殖可能な竜が金色の女王であること。緑の竜は繁殖能力を持っていないこと。女王竜はごくまれにしか現れず、卵が孵化するまで分からないこと。女王は成獣となってから、およそ一年おきに繁殖期を迎え、一回で20個ほどの卵を産卵すること・・・。
「現在野生ではない女王をパートナーにしているのは俺一人なのさ。だから俺のあだ名もキングと呼ばれているんだ。サラマンドラを増やしたい政府としては、ぜひとも女王を持っている人間を手元に置いておきたいだろうね。君を拘束しようとした理由もそれなんだよ」
「ですが・・・!」
「そう、この星の人間でなければ、正当な理由無しにはこの星にとどめておく事はできない。君をここに拘束する事は汎同盟の条約によって認められないことだ。サラマンドラをなつかせているという事だけでは、正当な理由とは言えない。君たちはいつでも帰ることが出来る」
二人はほっとため息をついた。
「まあ、今回藍昌の自然保護局が君を拘束しようとした行為は、ひどく乱暴で不適切なものだったが、つまり彼らは女王竜をこの星の取り戻し、君にここに永住してもらいたくて手荒な方法をとろうとしたんだ。それもこれも、サラマンドラのことを思えばこそと分かってもらって、許して欲しい」
キングは自然保護局のかわりに、頭を下げて謝罪した。
「福山悠季君・・・だったね。ちょっと聞きたいのだが、君はこのサラマンドラとどうやって出会ったのかな?」
「実は……」
悠季は船の中での出会いを話した。孵化した後自分の部屋に入り込んでしまった事、なついてきたので食事を与え、そのあとずっといっしょに過ごしていた事・・・。
「彼女と二人きりで?一日以上・・・?」
彼は難しい顔で悠季の答えを聞いていた。
「それでは、完全に君と彼女は感合しているんだね。・・・引き離す事は無理のようだ。かわいそうに・・・」
キングはため息をついて、エマを撫でてやった。
「どういうことでしょうか?」
悠季がびっくりして聞き返した。『かわいそう?』なぜそんな言葉が出てくるのか?
「このあとの話はちょっと込み入っているのだが・・・。二人きりで話せないだろうか?」
「僕がいると邪魔なのでしょうか」
圭がポーカーフェイスで聞き返した。
「君は福山君の伴侶なのかな?」
キングは穏やかな中にも、圭がひるむような威厳をもって尋ねてきた。
「・・・いいえ、違います。・・・今はまだ」
なりたいと願っているのだが。
「では、君には話すことは出来ない」
キングがきっぱりと言い返してきた。
「分かりました。それではしばらく席を外します」
圭が立ち上がって外に出て行こうと、悠季がすまなそうな顔でこちらを見てきた。圭はちょっと笑いかけるとそのまま海へと出て行った。
少なくとも内心の不満を悠季に気取らせない程度の平静さを装って。
悠季とブラウニーの話し合いは、一時間ほど掛かっていた。
海岸に置いてあるベンチに座っている圭のもとに、キングがやってきた。圭が悠季の元に戻ろうとすると、それを押し留めて話しかけてきた。
「しばらく彼はそっとしておいて欲しい。かなり難しい選択を彼に委ねてしまったのでね」
「あなたは悠季に何を言ったのですか?」
「それは俺の口からは言えないな。もし聞きたければ彼から聞くといい。しかし言いにくいことも多いから、あまり強引に聞き出す事はしないで欲しいんだがね」
「それは・・・彼のプライペートにかかわることという意味ですか?」
「まあそうなんだが・・・。君は彼の伴侶ではないという事だったが・・・、現在求愛中ということなのかな?」
「それが今回の事に何か関係があるのでしょうか?」
「まあね。どうやら君は悠季君を伴侶にしたいと思っているらしいので、一つ忠告をしておこうと思ってね」
やはり圭の内心などお見通しだったらしい。
「忠告、ですか」
「そうさ。彼は見たところとてもシャイでたおやかで、とても自分の意思を押し通すタイプに見えないだろうが、サラマンドラと感合するくらいだから、かなり内面は頑固だと思うよ。俺もちょっと話しただけだが、彼は自分が決めた事は貫き通す強い意志の持ち主だね」
「……何をおっしゃりたいのでしょうか?」
「サラマンドラという生き物は、なりは小さいが、れっきとした竜だ。竜をパートナーにする人間というのは、その人間も竜と同じだということだよ。竜は誇り高く誰にも束縛されない生き物だ。サラマンドラはペットではなく、人間をパートナーとして選んで、いっしょに生きていく。一生ね。そういう人間を愛するという事はかなり大変なことだろうと思う。」
君も苦労すると思うよ。と、キングは笑った。
「それは・・・」
「まあ、俺は明後日の朝にもう一度ここに来る。彼に任せてある判断を聞きにね。向こうの島にまだ仕事が残っているから俺はこれで帰る。では、それまで二人でごゆっくり」
彼は圭に手を振ると、自分の肩に乗せてあるビューティーを撫でながら、ゆっくりと立ち去っていった。
圭がコテージの中へと戻ると、ソファーに座って硬い顔でエマを撫でながら宙を睨んでいる悠季の姿があった。
「悠季?」
圭が声をかけると、びくっと肩を震わせてこちらを向き直った。先ほどまで圭に穏やかな表情しか見せていなかった彼の顔が、なにやらうろたえている。
「どうかしましたか?」
思いつく限りの慎重さで悠季のそばへと近づき穏やかに声をかけたが、彼は圭と目を合わせようとはしなかった。
「ごめん、圭。しばらく一人にしておいてくれないか」
彼はエマを肩に乗せて、そのまま外へと出て行ってしまった。
暗くなってようやくコテージに帰ってきた悠季はまだ話したい気分ではないらしく、食事にもほとんど手をつけずシャワーを浴びてきて、硬い顔のままで圭に言った。
「今夜は、僕はソファーで寝るよ」
「・・・何故なのか理由をお聞かせしていただくわけにはいかないのでしょうか?」
悠季は俯いたままでしばらくいたが、ため息を一つついて切り出した。
「・・・うん。そうだね。突然僕がこんなことを言い出しても分からないよね。君にもちゃんと話しておかなくちゃだめだよね」
悠季はゆっくりと先ほどのキングとの会見について話し出した。