【 第1章 






 福山の住処は、町を抜けた公園の奥にある。

その公園は町に近いところは丁寧に手入れがされており、市民たちの憩いの場所となっていたが、その奥は手付かずの森へと続いている。

いや、自然のままの森を公園にしようとしていたのが内乱の為に財政が困難になり、中途半端に開発されてそのままになっていたのだ。だからこそなのかもしれなかったが、奥に行くに従って樹木と蔦や藪で人間が容易に入れないような荒れ具合になっていた。

 その森と公園の境目あたりに、本来は小音楽堂として出来上がるはずだったらしい建物が建っていた。

 屋根と壁だけはきちんと建っていたが、建物の用途としてはまったくといっていいほど分からない廃墟で、それが放り出されたままの時間の経過につれ蔦や苔におおわれて、なんとも不気味な雰囲気を漂わせていた。

 福山はその廃墟の中に入る前に少年の首輪を取り去り、腹立たしげに傍らへと投げ捨てた。

 それから少年の背中を押して、その建物の地下への階段を下りていった。階段は廃墟にしては荒れておらず足元もきちんとしていたが、少年が驚いたのはさらに建物の奥へ入って、もともとは出演者の控え室や倉庫があったらしい場所へと踏み込んだ時だった。

「さあ、着いたぞ」

 福山はほっとしたように言うと、右手にある壁を探ってスイッチを入れた。

 ぱっと明かりがつくとそこは福山の貧しい老辻楽師としての稼ぎからは考えられない暮らしぶりがあった。

 さほど片付いているとはいえないが、居心地のよさそうな居間。清潔そうで、質素ではあるが趣味のいい家具が幾つか配置され、天井からは無眩灯が辺りを照らし出している。少年がものめずらしげに周囲を見回していると、福山は少年を近くの椅子に座らせて、壁にあるパネルをいじりだした。

「お前さんが伝染病を持っているとは思いたくないが、あそこの競売では検疫をしっかりやっているとは思えないのでね。念のために調べさせてもらうよ」

 福山が引っ張り出したのは、セーシューと呼ばれる家庭用の医学用器械だった。少年が怯えないようになだめながら、手早く病気の有無を検査する。もっとも、少年はされるがままになっていて、さほど反応を示さなかったのだが。

「ふむ。伝染病はなし。皮膚病と外傷と・・・・・栄養失調・・・・・」

 彼はその結果を見ながら、少年に圧縮式の皮下注射をした。

「さて、まず身体を洗いなさい。それから食事にしよう。風呂場は、こっちだ」

 少年を隣にあるシャワー室へ案内すると、使い方を説明してみせた。そうして自分は台所へと行き、冷凍してあったシチューを解凍し始めた。あとはパンと小さなポマトの実が一つずつ。それが今回の食事の全てだった。がたがたと居間の方で音がする。どうやら少年がシャワーから出てきたらしい。

「すまんが、今日はたいしたものがない。用意してなかったのでな」

 福山がそう言いながら居間へ食事を運んでいくと、少年はなんとかして扉を開けようと奮闘しているところだった。真っ裸でシャワーの滴をからだや髪の毛からぽたぽたとしたたらせながら。

 扉は指紋認証型の鍵がかかっており、福山の指紋でしか開かない。少年は彼が戻ってきたのを見るとますますあせって扉を開こうと奮闘し始めた。

「扉を開けて欲しいのかね?開けてもいいがその前に食事をしないかね?」

 少年は疑い深そうな目をして福山を眺めていて、扉からは離れようとはしなかった。

「そこでいつまでも裸で滴をたらしていられては困る。シャワーを済ませなさい!」

 老人がやや声を荒げると、少年はびくっと身を震わせて、そのままシャワー室へと戻っていった。少しするとおずおずとした様子で、少年が部屋に戻ってきた。福山が用意したシャツとズボンはかなりぶかぶかで、それをなんとか折り上げて着ていた。

「食べなさい」

 福山が勧めると、少年はスプーンを取り上げてゆっくりシチューを食べ始めた。

 福山も自分の分を口にし始めたが、少年がそのうちにスプーンを置いて食べやめたのに気がついた。奴隷船に乗せられていたかなり長い間、充分な食事が与えられていたとは考えられにくい。この場合少年が、がつがつと食べなかったのが不思議だった。

「どうした、口に合わないか?」

少年は頭を横に振って見せた。

「欲しくないです」

「胃が小さくなったのかな。確かに急に大量の食事を詰め込むのは良くないだろうが・・・・・。不味かったかね?わしが作ったものだから、あまり言えたものじゃないかもしれんが」

「いいえ、美味しいです。」

 少年はまた『でも』というと、そのまま黙ってしまった。福山が食べ終えて食器を片付けると、あらためて少年の前のソファーに座った。

「お前さん、わしのそばから逃げたいのかね?」

「・・・・・いいえ」

「しかし、その奴隷の刺青がある以上、この星のどこからも逃げられないよ。わしはその奴隷の身分から解放する事が出来るが、今夜すぐにというのも無理だしな。それともどこか、いくあてがあるのかい?」

「いいえ、いくあてはありません。逃げようとしたりして、すみませんでした」

 少年は下を向いたまま、老人と目を合わせようとはしなかった。

「こっちを見なさい!」

 老人が声を強くすると、少年はまた肩を震わせて顔を上げてみせた。おびえて、目を合わせたくないのを必死で合わせてくる様子は、猛獣を前にした小動物のようで、福山をどうにもいたたまれない気分にさせた。

「お前さんの名前は?」

「・・・・・みんなは僕のことをユーキと呼んでいました」

「それが親から付けられた名前ではないのかね?」

「わかりません。僕は親を覚えていないんです。この名前も、登録番号から付けられたものです」

 少年の太ももにはYUK1・・・・・・と彫り付けられていた。

「なぜ逃げようとしたのか、教えてもらえないかね?」

 福山は努めて優しげな声で少年に声を掛けた。しかし、その質問は少年にとってきわめて答えにくいものだったらしく、真っ青な顔色になり、膝の上に握り合わせた両手の拳は真っ白になっていた。

「い、いや、答えられないのなら、答えなくてもいいよ」

「ぼ、僕を・・・・・た、食べるのだろうと思ったから、です」

 ごく小さな声で、少年が言った。

「たべるだと!?」

少年がこっくりとうなずいてみせた。福山は思わずうなった。

「そりゃ、わしは子供でも食うような怖い顔をしているがな。本当にそんなことを言い出すやつがいるとは思わなかったぞ」

 彼は少年の肩を優しくたたき、安心させてやった。

「わしは、お前を食おうとは思わんよ。安心していてくれ。どうりで、食事もちゃんと食べなかったのかわかったよ。そりゃ食われるかもしれない人間と一緒に食事なんか出来ないだろうからなあ」

 子供っぽいことだと大いに笑えた。奴隷の間には多くの迷信が飛び交う。少年も大人の奴隷たちからさんざんに脅されてこんな思い込みをしていたのだろう。大人たちはただ子供をからかうつもりに過ぎなくても、子供にとっては真実の恐怖以外の何者でもないのだから。

「まあ、まず今夜はゆっくり休んで、明日になったらお前さんの身の振り方を考える事にしよう」

 福山は居間のソファーを客用のベッドに変えると、毛布と枕を持って来た。

「わしは向こうの部屋で眠る。お前さんはここで寝なさい。寒くはないね?それじゃ、お休みユーキ」

 福山がベッドへ入って数時間後、ちょうど眠りが深くなった頃に隣室からすすり泣く声が聞こえてきた。

「父さん、母さん、ねえおきてよ。ねえ、なんでおきてくれないの?ねえなんでユーちゃんをほっとくの?こわいよ!火がいっぱい出てるよ!ねぇ、母さんどこにいるの?」

 幼い嘆きは隣の部屋にいる老人の眠りまで覚ましていた。老人はベッドを出ると少年のそばに行き、優しく肩を抱いて背中をぽんぽんと叩きながらなだめてみた。

「大丈夫、大丈夫。怖くない、怖くない。もう少しぐっすりお眠り。いい子だね」

 やがて少年のからだから緊張が抜け、寝息が深くなった。それを見届けると福山は自分の部屋へと引き上げた。が、少年がうなされた為に起こされるのはこれ一回では済まなかった。最初の悪夢から数時間後、また少年の叫びで彼は起こされた。

「いや!いや!いや!やめて!やめて!やめて!やめて!痛い!痛い!助けて!助けて!助けて!」

 繰り返される少年の悲痛な叫び。福山は急いで少年の枕元へと急いだ。

「大丈夫だよ。怖くない、何も怖くないからね」

「・・・・・デモボクノコト食ベタイノデショウ?ボクノコト食ベタインデショウ?ボクノコト食ベルノデショウ?」

「・・・・食べたいといったら、どうする?」

 福山はどうして自分がそんなことを口に出したのかと自分でも驚いた。が、少年がこの言葉にかなり執着を持っている事が気になり試したくなったのだ、と自分に言い聞かせた。

結果は驚くべきものだった。

「食ベタイノネ?」

「そうだ。食べたい」

 少年はにっこりと笑った。

 それは今までのおずおずとはにかんだ少年らしい笑みではなく、みだらな性的欲望を露わにして、相手を誘いこむような禍々しい微笑だった。 福山は、ぞくりとした。まるで違う生き物がそこに姿を現わしたかのようで、一瞬背筋を冷たいものが走った。

 彼には、同性愛の嗜好はない。しかも少年を愛玩の対象にしようと思ったことなど一度もない。しかし、そんなことはまるで瑣末な事のように思わせるほどの色気が少年にはあった。

 少年は福山の首に腕を巻きつけ、ソファベッドに彼を引き倒して上に乗りあがってきた。ゆっくりと頭を引き寄せると、赤い唇を舌で舐め回してうれしそうに老人の唇に自分のそれを押し付けようとした。

 だが彼があわててその顔を引き剥がすと、今度は少年は福山の服のボタンをはずしながらからだを撫で回し、唇で愛撫し始め、そうして自分のからだをずらして行き福山の足元に座り込むと、彼のズボンを引き下げようと動いていった。

「やめろ!やめるんだ!ユーキ!」

「ダッテコレ、アナタハオ好キナンデショウ?ボクモコレガスキ。ダッタラ楽シモウヨ。ネ?」

 少年はにっこりと笑い、手を止めようとはしなかった。福山は必死で少年の行為を止めさせようと思った。

 しかし次第に彼の手や唇や舌が福山のからだを・・・とうの昔に忘れていた興奮が呼び覚まされていくことに気がついた。

 幼く、痩せた青白いからだがとても魅力的に感じられ、赤く濡れた唇がいかにも美味しそうに見え・・・・・かぶりつきたくなる誘惑を感じる。なぶり、なでまわし、泣かせて見たい欲望を覚える・・・・・。

 今まで感じた事のないような性的興奮。

 かすれた声で制止しようとし、両手で少年を押しのけようとした手からは力が抜けていく。頭の中が霞んで、次第に『そのまま溺れてしまえ』と本能がささやきだすのを感じる。いつの間にか自分の服が脱がされ、彼も全裸になって細いからだが寄り添ってきているのに頭の隅で気がついていた。

 だが、少年の手がそこに触れた瞬間に、ふっと理性が警鐘を鳴らしていたことに気づいた。

 正気に戻ってみれば、少年のその手はかすかに震え、福山の肌に触れているうちに冷たく緊張しはじめていた。顔は嬉しそうに笑いながらその行為を続けようとしているのに、からだからは興奮したせいとは思えない冷たい汗が吹き出ていて痙攣が体中に起こっていた。

 福山の喉から叫び声がほとばしった。

「や、やめろぉー!わしはお前を た、食べたくない!」

 一瞬にして少年は愛撫の手を止め、安堵感を一杯にして嬉しそうに―― それも先ほどのような禍々しいものではなく―― にっこりと微笑むと、そのまま気を失って倒れていった。