【 第1章 






「さあ、次は物件34号ですよ!」

競売人が大声をあげた。

「男の子ですよ!」

 次の商品がよろよろとよろめきながら、倉庫から引き出されてきた。

 その少年は病人らしくおぼつかない足取りで、台の上へと押し上げられた。台の上でもゆらゆらと身体が揺れているのがわかる。

 何しろ今回の奴隷船は三十光年のかなたからやってきたのだ。

 奴隷船特有のあのなんともいえない悪臭――身動きならぬほどに詰め込まれた垢じみた人間たちが放つひどい体臭、そして恐怖や口汚いののしりや、古めかしい嘆き――などを船倉いっぱいに詰め込んでやってきていており、ぼろぼろの薄いズボンだけを身につけている彼の身体にもそれは充分すぎるほどにしみこんでいた。

 一昔前の亜光速宇宙船であれば、商品となる人間たちは冬眠保存が施されてここまでやって来ていただろう。そうであればもう少し健康状態も良かっただろうと思われる。

 しかし、今の宇宙船はハイパードライブという航法が発明されて以来格段に速度が上がっており、かなりの遠距離でも日数が掛からなくなっていて、冬眠保存をかけて運ぶような手間を惜しむ奴隷商人ばかりになっていた。だから奴隷船の中で、弱い人間はこのように酷い状態で競売に上がる事になる。

 ちょうど競売は活発になったところで次々に高値で取引されており、競売人は満足げな顔で次の商品を迎え入れたが、少年の状態を見てわずかに眉をひそめ、それから何事もなかったかのように、にこやかに少年を指し示した。

「さあ、物件34号です。健康で上物の男の子ですよ。お屋敷の使い走りにはもってこいの男の子です。お商売をされる商家の旦那方も下働きに使えるちょうど手ごろな年頃で。この子は・・・・・」

 そのとき彼の声は、ちょうど宇宙港に進入してきた宇宙船の、耳をつんざくばかりの轟音にかき消されていた。ここ自由惑星連邦のうちの一つ、惑星恒河沙こうがしゃの宇宙港に隣接したあたりの『公正広場』に奴隷市場はあり、大勢の人々が集まる歓楽街となっている。

 奴隷の売買は、ここ恒河沙の主要な産業になっており、銀河系の各地から集められた人間は、ここで競売に掛けられ、また銀河の各地に運ばれることになる。奴隷の競売は、毎日のように行われており、何千、何万という人間が売り買いの対象になっていた。ここは、奴隷売買の重要な中継地であり、政府もこの産業を奨励していて、これによって潤沢な税金を得ていた。

 少年が乗っている台のすぐ近くの土間に陣取っているのは通称『低所得者』と名前だけは小綺麗に呼ばれている、乞食や辻楽師や大道芸人達である。買い手が付きかけた時、歓声を上げて場を盛り上げ、入札者をその気にさせるサクラの役目を持っている。

 その向こうに半円形につくられた一番見やすい桟敷席は特権階級のための席であり、その左右のやや落ちる桟敷席は平民ではあるが金を持っている者たちの席である。

 その桟敷席のうしろにはごく普通の平民たちがひしめきながら立っていた。桟敷席を買えるほどの金は持っていないが、使用人かあるいは女房のための召使に使えそうな出物はないかと目を光らす小商人たち、徒弟となるものをさがす職人たち、よそから来た観光客、そして暇な野次馬や、冷たい飲み物とか軽食を売る売り子たちや、スリたちが。

「物件34号ですよ。どなたかいらっしゃいませんか?」

 老辻楽士の『頑固の福山』は、自分の座っていた場所から身体をよじって、台の上の少年を注意深く観察した。

 彼にはその子が労働に向くとはとうてい思えなかった。暮れかけて来た夕日に照らされた少年は青白くて小さく幼く、見えるところ全ての部分の骨が見えるようなからだをしており、罰のムチ数発であっという間に死んでしまいそうに思える。

 だが、少年は自分が今まさに売られようとしていることに関心がないように見えた。まるで、他人事のように穏やかに周囲を見渡していて、競売を盛り上げる為に小さく流れている、楽隊の音楽の方がよほど彼の興味を引いているようだった。

 これは頭が弱いのか、と思っているとちょうど目が合い、あまりに無遠慮でこの場に似合わない厳しい福山の視線に対しても、微かに微笑んで見せた。

 まるで自分の運命をそのまま受け入れているかのような、静かな諦観。彼は自分がこれからどうなるか充分知っており、それをあるがままに受け止めようとしていた。

「おい、そんな飢え死にしそうなガキじゃなく、さっきみたいな上物を出せ!」

 斜め横に座っている粗暴そうな男が、だみ声で競売人に向かって叫んだ。

「お静かにおねがいします。旦那さん。競売は目録の順番でやることが決まっているんでして」

「それならさっさと早くしろ!さもなきゃそいつをひっこめて、売り物になる奴を見せるんだ!」

「はいはい、ごもっともで」

 競売人は声を張り上げた。

「さあ、早くしろという旦那さんのご意見ですが、皆様もご同様のはず。さて、ぶちまけた話この上物の男の子は若くていかようにもお好みのままに染められます。つまり・・・・・」

 競売人はこの惑星のごく普通の慣習について述べて見せた。

「てことで、それではごく安くから始める事にいたしましょう。それからどんどん競り上げていただこうじゃありませんか。さあ、お買い得ですよ。二十銭でどうです!」

 貴族達の方は手元に置いた冷たい飲み物をすすったり、ハルマの香りの良い煙を水タバコから吸い込んだりとまったく関心を示さない。平民の方にも互いを見回してどこかにトンマなヤツが現れないかと興味を示しているだけで、入札しようとするものはいない。

「・・・わかりました。こちらだって主人への申し開きが出来ないといけないことは考えていただきたいもので。・・・まあ、もう少し安くいたしましょう。十銭でいかがです?捨て値ですよ!」

「おい、おれはさっさとやれと言っているんだ!」

 さっきの男が低い声でおどしつけた。

「どなたか、いらっしゃいませんか?どなたかー」

「おい、なんだってそんなひどいしろものを出すんだ。必死に売らなきゃならん理由でもあるってのか?」

「申し訳ありません、旦那さん。この競売では目録にある順番に売っていかなきゃならない決まりになっているんでして。いえ、これはあたしらの為ではなくてでして、こちらの商品を出している方々の利益を守る為の法律ってやつなので、あたしにもどうにもならないんでございますよ」

 男は益々睨みつけながら、うなってみせた。

「そ、そりゃあたしらだってこの次に控えている上物の商品をご紹介したいのは山々なんでございます。このあとにゃかわいい双子の女の子とか、技能もちの男とかいろいろ沢山待っているんでございますからね。本日の目玉物件がこの後次々に出てまいるんでございます。ですが決まりは決まりでして、こいつが売れなければ一度この競りを中止しまして、主人と相談してからの再開になってしまうんでございますよ!もったいない話なんでございますよ!」

「じゃあ、どうにかしろ!!」

 大声で怒鳴りつける男に競売人は震え上がった。相手はこの星の実力者小早川一族に擦り寄って小金を溜め込んでいる、八坂という男。

 小早川一族が手を出せない汚い仕事を替わりにやって気に入られているという。その腕っ節は何人もの男を素手で殴り殺した事もあるという。それも、ただ気に入らなかったから、という理由だけで。

 競売人は自分がこの場で殴り殺されるはめになるかもしれないということに今更ながらに気がついた。それも相手は、何の罪にも問われずに・・・・・。

「嫌だなあ。下品すぎるよ、八坂は。競売人脅しつけたってなんにもならないじゃないか?」

 舌ったらずで甘ったれた感じの少年の声が響いた。

「競売人は、商品を売りたいだけなんだから、怒鳴りつけたって仕方ないじゃないか。ばかだなぁ」

「なんだと!」

怒った八坂が、さっと振り向いて声の主を探すと、とたんに低姿勢の猫なで声になった。

「おや、これは小早川の旦那。宕谷君もごいっしょで」

 正面の一番見やすい席に陣取っているのは、小早川一族の中でもやり手と評判の小早川匡。そして彼の今一番のお気に入りの小姓の宕谷はその匡にすり寄って甘えながら、八坂をからかっていた。八坂も内心は穏やかではなかったが、ここで遣り合って匡氏のご機嫌を損なうような愚は起こさなかった。

「それじゃあ、さっさと売らないか!」

 宕谷に言い返せない鬱憤を競売人にぶつけると、競売人は飛び上がって声を上ずらせて叫んだ。

「わ、わかりました!で、では、どなたでも結構です。お好きな値段をおっしゃってくださいまし。そこから競りを始めましょう!」

 だが、群集の誰もが彼らのやりとりを面白そうに眺めてはいたが、台の上の商品を買おうと言いだす奇特な人物は現れなかった。

「ど、どなたか・・・・・!」

 競売人の声がかすれてくる。自分の命がかかっているとなれば、必死にもなろうというものだが、肝心の商品に価値はあまりにも少ない。

「おい、そこで手を上げているものがいるじゃないか」

 八坂が声を掛けてきた。競売人があわてて彼の指差す方を見ると、老辻楽師が手を上げていた。

「おい、あんたに入札の権利はないはずだ!」

 競売人が苛立たしげに叫んだ。

「おい、お前はどなたでも結構だ、と言ったはずだぞ。そこにいる乞食のじじい、おっとと・・・・・じゃなかった低所得者だって権利はあるはずだ」

「ですが・・・おい、お前はいくら出すつもりなんだい?」

 福山は指を一本出して見せた。

「一銭かい?」

「いやいや、一厘だよ」

 この星の最低な金額だった。

「な、なんだと!この・・・・・地獄へ落ちろ!とんでもないことを言いやがって!」

 競売人が足を振り上げて蹴飛ばそうとするのを、福山はひょいとよけてみせた。

「おい、そいつが値段をいったからには、りっぱな客のはずだ。客は大事に扱え!」

 八坂が面白そうに声を掛けた。

「し、しかしですね・・・・・」

「いくらでもいいんだろ?こっちは次のやつが見たいんだ。そんな死にぞこないの子供はそいつにくれてやって、さっさと次に行け、次に!」

「で、ですが旦那さん。競りには四人以上の人数が必要なんで・・・・・。いえ、これも決まりってやつでしてあたしにもどうにも出来ないんでございます」

「それじゃあ、俺が入ってやるよ。二厘!」

「三厘!」

福山がまたややしゃがれた声を張り上げた。

「四厘!」

 向こうの平民席から声が掛かった。これは面白い余興だと思ったらしい。

「五厘、だって」

 宕谷が楽しそうに声を掛けた。そして、台の近くにいる福山に喜捨箱を持ってくるよう手招きした。

 彼がそろそろと近寄ると、宕谷は匡氏から渡された小銭を、その箱にばらばらと入れてきた。福山は丁寧にお辞儀をして礼を述べると元の場所に戻って、落ち着いた声で競売人に声を掛けた。

「六厘」

 次第に価格が上がり、一銭に近づいてきたが、見ているものにとってこれはすでに余興以外の何者でもなく、これ以上無駄な時間を過ごしたくはないと、いらだった空気が流れ出す。それを見て取った競売人は、さっさと打ち止めを宣言した。

「六厘、六厘でいいですね。・・・どなたもいらっしゃいませんね・・・。それでは、物件34号は六厘で決まりました!」

 競売人は腹立たしそうに台の上に立つ少年の腕を掴み、福山の方へ乱暴に押しやった。

「そいつをさっさと連れて、ここから出て行け!」

 少年はふらふらと福山の方へ倒れこみそうになったところを危うくつかまえられた。

「おいおい、商品は大切に扱えよ」

 極め付きに、八坂の嘲る笑い声が響いた。

 競売人は内心では歯軋りしたい心境ではあっても、愛想良く笑って見せ、六厘で福山との間で譲渡手続きを済ませた。

 落札金額には譲渡税が含まれており、完全に赤字の取引となっていたが、競売人はこのあとの取引でこの穴埋めは必ずすることを心に誓った。彼もただこのまま損をしているつもりはなかったからだ。

 譲渡手続きの終わりは、落札者が品物の首に首輪と鎖をかけて、引っ張ってこの市場から出て行くことだった。

 貴族であれば自分の紋章付のものを持参してここに臨んでいるし、平民たちも自分の名前を記したものを必ずといっていいほど持って来ているが、福山は当然そういうものを持ってきてはいない。

 どうしても儀式としてそれを要求されるので、彼はその場で売っていた既成の首輪と鎖を買い求めた。(ここでもまた、福山は手持ちの金額に足らず、匡氏に喜捨を願った。落札価格の六厘よりも、首輪と鎖の値段の方がよほど高かったからだ。)

 逃げ出そうにもそんな体力も気力も無さそうな少年にむごいことではあったが、これもしきたりという事で、福山は少年の首に革の首輪をかけ、肩を優しくたたいて退場を促した。

「旦那様。私めにご助力いただきまして、まことにありがとうございます」

 福山が匡氏に丁寧に礼を述べると、彼はうっとうしそうに手をふって福山を追い払った。すでに次の取引の物件の方に興味が移って行ったらしい。隣に座る宕谷は最初から見むきもしない。

 福山は首輪に繋がれた鎖を持つと、そのまま奴隷市場を抜け自分の家へと歩いていった。少年は素直についてきたが、その歩みはのろのろとしてゆっくりなものだった。

「お前の名前は?どこから来たのか分かるかね?」

 福山がしゃべりかけたが、少年は答えなかった。言葉が分からないのかもしれないとは思い、銀河標準語の他にあちこちで使われている地方言語やスラング類を話しかけてみたが反応はなかった。

 これはやはり、頭が少々足りないのかもしれないと福山が思っていたとき、きょろきょろとしていた少年の足がぴたりと止まった。

 少年はうっとりとした顔つきで、流れてくるバイオリンの音色に耳を傾けていた。それは福山と同業者の辻楽師が弾くバイオリンで、そこで彼は広場で古き良き地球の音楽を奏でていた。

「バイオリンが、いや、音楽が好きなのかね?」

 少年は初めて福山と目を合わせると、今度はこっくりとうなずいた。

「でも・・・・・」

 少年は口を濁して、その先を言わずに黙って下を向いてしまった。

 福山はその先を無理に聞き出すことはせず、そのまま少年を促すと自宅へと向かった。夕日はかなり傾いており、急がなければ真っ暗になりそうだった。

 なにしろこの星で街燈が完備しているのは、貴族が住む街と、金持ちの平民が住むあたりだけなのだから。真っ暗になれば、このあたりは辻強盗の格好の稼ぎ場所となってしまう。