子守歌
Berceuse







「守村先生、お久しぶりですぅ」

「久しぶり。いったいどうしたんだい!?」

ドアベルが鳴らされたので出ていってみると、玄関の外には由之小路くんが立っていた。

ただし、いつもの見慣れたおしゃれな(あるいは奇抜な)格好ではなくて、Tシャツに作業ズボン、足には地下足袋というなんとも珍しい格好だったもので、とてもびっくりした。

「今日はお庭をいじらせて貰いに来ましたです」

と、妙な事を言い出した。

「君が庭師希望ってことは知ってるけど、どういうこと?」

「前々から気になっていたんですけど、あの花壇のそばにある木は枯れかけてますよね。あれ、もうだめやと思いますけど」

「ああ、あれ。あれがどうかした?」

低木が1本虫が食って枯れかけているのは僕も知ってた。圭は伊沢さんに頼んで植え替えてもらうつもりだって言ってたけど、まだできていない。

「あそこを植えかえさしてもらうつもりでして」

「うーん、それは圭に聞かないとなァ」

もともとこの家の持ち主は圭のお祖父さんで、更に言えば伊沢さんのご実家だったそうだし、僕の一存では決められない。

「桐ノ院先生にはOKを貰ろうてます。守村先生がいいと言えば、やそうです」

「僕は別にかまわないよ。でも急になんで?」

「葉ぶりはいいんやけど余所の家に植えとけない木が出てきまして、出来ればこちらに植えて貰いたいと思ったんです」

どうやら弟子入り希望の植木屋さんから貰ってきた木を植えてくれるつもりらしい。

「バイオリニストが手を痛めたりしないでくれよな」

「大丈夫、慣れてますよって。ほな、さっそく植えさせてもらいます」

由之小路君は手際良く枯れた木を掘り出して、そのあとに転がしてきた軽トラからくだんの木を運んで植えてくれた。

それほど大きな木じゃない。僕の腰くらいだろうか。でもぼさぼさと細かい枝が茂っているために見栄えがよくない。

「あまり面白みのない木だね」

「そりゃ、そうです。でもこれから面白くなりますから」

そう言って由之小路くんは腰の小物入れから植え木ばさみを取り出した。

「トピアリーって知ってはります?」

「えーと、聞いた事があるな。確か木の枝を刈り込んで物の形にするとか。それなの?」

「はい。そのとおりです」

そう言うと、ばっさばっさと伸び放題の枝を刈り込みだした。

少し刈り込むとちょっと離れてバランスを見て、また刈り込んで。

「君の師匠の植木屋さんって日本庭園をやっている庭師さんかと思っていたけど、こんな洋風なこともするんだね」

「まあ、昨今は日本古来の庭をさして貰うことが少なくなったって嘆いてはりますねェ。こういうのも時たまやらはるんですよ」

それでトピアリーにも興味をもったようだ。

「少し時間がかかりますよって、出来あがったらのお楽しみってことで」

「うん、分かった。じゃ、よろしく頼むよ」

彼に任せて僕は家の中に戻って雑用を済ませることにした。時間を見計らってお茶の用意をしていると声がかかった。

「出来ましたです」

そう言って報せてくれたのは、始めてから2時間ちょっとくらいだろうか。

「どれどれ」

出来あがった作品を見に行ってびっくりした。細かな枝と葉っぱが茂った木で出来ていたのはかわいらしいウサギだったんだ。

「へえ!ウサギのトピアリーか。かわいいねぇ。君の植木屋としての腕もよくわかったよ」

由之小路は得意そうな顔をしていた。

「実は前々からここにきっとトピアリーが合うと思ってたんですよねェ。やらせてもらえて嬉しいです」

「そうだったんだ」

由之小路君は木の枝を刈り込んでいろいろな形にするやり方を教えて貰ったばかりなのだと言った。

「もしかしたら、この家を練習台にした?」

「あはは、まあそんな考えもありますけど」

「出来あがった作品がいいから文句を言う筋合いはないなァ。どうもありがとう。世話になったね」

彼はこの後に行くところがあるそうで、淹れてあげたお茶を飲んでちょっとだけ休憩すると、すぐに軽トラを運転して帰っていった。

僕は彼を見送りがてらもう一度トピアリーを見るために庭に出てみた。

「これ、家にあるウサギに似ているなぁ。もしかして由之小路くんも見たことがあるのかな?それにしても良く出来てるなぁ」

圭が大切にしている、小さな置きもののウサギにそっくりなんだ。

僕はぐるっと回ってウサギを見た。

緑の葉で出来ている事と大きさ以外は置き物とそっくりで、チョッキを着ているように刈り込まれているところまでそっくりだ。

ふと、顔に冷たいものが触ったんで、ぴっくりして顔を上げた。

「雪かなぁ?」

雪国育ちの僕は雪が降ることに敏感な方だ。朝から曇っていて寒かったけど、雪が降るとは思わなかった。もしかしたら雪雲がちぎれて飛んできたのかもしれなかった。




あれ?

視線を戻すと、庭の隅に小さな人影があるのに気がついた。

「そこで何をしているの?」

僕の声かけに少年がパッと顔を上げるとごしごしと目をこすっていた。彼がそこに小さくからだを丸めていた理由わけは・・・・・。

もしかして、泣いていた?

「ぼ、僕は!」

うろたえた様子で僕を見ている。昔は(今もときどき?)町内でも有名な幽霊屋敷だったそうだから、また肝試しにやって来た子なのかと思っていたんだけど、どうやら違うらしい。

「せっかくここに来てくれたんだ、家の中に招待しよう」

僕がそんな風に声をかけたのは、彼の赤くなっていた目のせいもあったけど、顔色が青く感じたからだ。この寒さの中、こごえているみたいだったから。

「いえ、僕は・・・・・」

「ずいぶんと冷えているみたいだよ。温まっていくといい。どうぞ、中に入って」

僕が手を差し出すと、迷っていたみたいだけど、僕の手をおずおずと握って立ち上がった。冷え切ったとても冷たい手だった。



おや、立ち上がるとこの子は意外に背が大きい。

子供っぽい顔をしているけど、僕とたいして変わらない身長をしているんだ。手足ばかりひょろひょろと長くて筋肉はないみたいだけど。

おずおずと家の中に入ってきた彼は、物珍しげにきょろきょろと見まわしていた。それから僕が案内した音楽室へと足を踏み入れるとびっくりした様子で立ちすくんでしまった。

「ああ、ごめん。ちょっと散らかってるよね」

圭が音楽室の棚を増設することを思いついたんで、壁に飾っていた写真類は全て外して部屋の隅に置いてある。CD類もかなり棚から下ろして段ボールの中に入れてあった。

まるで音楽室の中は引っ越し直前みたいな状態になっているんだ。

「あの、お兄さんはここに越してきたばかりなんですか?」

「あはは。うーん、これじゃやっぱりそう見えるよねェ」

どうやら彼には越して来たばかりに見えちゃったらしい。

「・・・・・ここは僕の知っているおうちだと思って入ってしまいました。ごめんなさい」

「そうなの?」

でもこの近所に似たような洋館ってあったかなぁ?

「ちょっと待っててね」

僕は彼を音楽室に残して、台所へと行った。冷え切っていたからあたたまるものをと思ったんだ。

コーヒー・・・・・じゃ子供には苦いかも。あ、あれがあったか。

僕が音楽室に戻って来ると、彼はソファーから立ちあがって棚に並んでいる楽譜を眺めていた。

「音楽に興味があるのかい?」

彼はびっくりしてぴょんととび上がった。背は高いけど、しぐさがまだ子供っぽくてかわいい。

「勝手に見てごめんなさい!」

「いや、かまわないよ。音楽に興味があるみたいだね」

「バイオリンの曲が多いみたいですね」

「よくわかったね。僕はバイオリニストなんだ」

「プロ、なんですか?」

「うん、そう。まだまだ駆け出しだけどね。はい、どうぞ」

僕が差し出したのはココア。いや、正式にはホット・チョコレートと言うべきかな。

圭が近頃趣味で揃えた調味料類の一つで、それに砂糖と牛乳をくわえて味を調えた。

ココアパウダーから作る本格的なものは、調整ココアとして市販で売られているものより香りがいい。

もっとも圭が買ってくるパウダーが高級ってこともあるんだろう。

「・・・・・おいしいです!」

「そうかい。それはよかった」

熱いココアを両手で持って、息を吹きかけながら美味しそうに飲んでいる。

「君はいまいくつ?」

「9歳です」

「ええっ!?中学生かと思ってたよ」

同年齢とくらべるとずいぶんと背が高い。中学生の中でだって高い方になるだろう。

そう言えば圭も小学生のころに既に170センチを超えていたって言ってたっけ。

態度は落ち着いているけれど、ときどき出るしぐさが子供っぽいと思ったのも当然のことだったんだ。

「あ、あの、もしよければお兄さんのバイオリンを聞かせてもらえませんか?」

うらやましそうにバイオリンを見ていたから、きっと言い出すんじゃないかと思ってた。

「いいよ」

小さなお客さんのためにちょっとだけサービスしようか。でも何を弾こう?

バイオリンを構えて少し迷った。

ああ、あの曲がいいかな。

僕は十八番おはこのG線上のアリアを弾いた。それから賑やかな曲がいいと思ってチャールダーシュを。
キリがいいところでもう一曲。

バイオリンをおろすと、彼はとても熱心な拍手をしてくれた。

「僕は・・・・・」

彼はふと悲しげな顔をして、小さな声で言い出した。

「音楽が大好きで、音楽をやりたいんです。趣味じゃなくて一生続けていきたいんです。でもお父様がだめだって言うんです。僕には他にやるべきことがあるから、許す事は出来ないんだそうです」

詳しい事情は分からないけど、どうやらご両親が反対しているらしい。それで泣いていたのかな?

僕は圭の事を思い出していた。彼も幼い頃から、銀行家である実家を継がなくてはならないと言われ続けていたそうだけど。

少年に励ましの言葉を言ってあげたかった。『だいじょうぶ』とか『何とかなる』とか。

慰めの言葉を言う事は簡単だ。でも、それは薄っぺらい同情にしかならないんじゃないだろうか。

「あきらめるのかい?」

少年は首を横に振った。何度も。

「僕は音楽家になりたいんです!・・・・・まだ何の楽器をやりたいか迷っていて決めていないですけど。でも、きっと音楽家になります!」

「うん、そうか」

彼が望む道を進めるかどうか、部外者の僕にはわからない。もしかしたら音楽家以外の道を進む方が彼に向いていることもあるかもしれなかったから。

でも、夢をあきらめて欲しくはなかったんだ。

僕は少年の隣に座って、ぎゅっと手をにぎりしめてうつむいている彼の頭を撫でた。

うつむいた少年のひざにぽとりと涙がこぼれていたけど、僕は何も言わなかった。

肩を抱いてあげて、黙って寄り添っている事しか出来なかった。

そうしているうちに、少年のからだが傾いてきた。

ありゃ、眠っちゃったのかな?

疲れていたのかもしれない。からだだけじゃなくて、心も。

でもこのまま寝かしておくわけにはいかないぞ。あまり遅くならないうちに起こして家に連れて帰さないとまずいだろう。もっともこの子の家がどこなのか分からないんだけど。

その時だった。家の電話が鳴りだしたんだ。

そっと彼を起こさないようにして立ちあがって急いで台所に行き、電話を受けた。

《もしもし、お忙しいところすみません。先ほどお電話したのですが、お出かけだったようですね》

僕のマネージャーの元さん、宅島夫人だった。

「いえ、いましたけど。あ、もしかしたらさっき庭に出ている時だったのかな?ごめんね。何かあったの?」

《実はボスからの連絡がありまして、今日は予定よりも早く帰られるそうです。あら、ずいぶんと時間が過ぎてましたね。もうそろそろそちらに到着される時間じゃないかと思いますけど》

「そう、連絡ありがとう!」

圭が帰ってくる!

僕は電話を切っていそいそと歩き出したところで立ち止まった。

あの子のことはどうしようか?

ところが様子を見ようと音楽室へと戻ってみると、ソファーには誰もいなかったんだ。

「・・・・・帰っちゃったのかな?」

礼儀正しい感じの子だったから挨拶もなしにこっそり帰るとは思わなかったけど。泣いたり眠りこんだりしたから恥ずかしくなったのかな?

玄関に行って見ても靴はない。だとすると、やはり帰ったんだろうか。ちゃんと家に帰れればいいけど。

ついでに玄関を開けたのは、もしかしたら少年がまだそのあたりにいるのではないかと思ったからだ。

けれどやはりあの子はいなかった。

でも、そのかわりに。

「おや親方。ナイスタイミングですね!」

大きなスーツケースを持った宅島君が立っていたんだ。

「お疲れさん。ねえ、男の子を見かけなかった?結構背が高い子なんだけど」

「いえ、誰にも会ってませんね」

宅島君は言いながらスーツケースを家の中に運びこんだ。

彼が急いで家に帰ろうと思えるほど元気が出たのならよかったけど。

「そうか・・・・・ならいいか。ところで、圭は?」

「ボスならあそこですよ」

くいっと親指を振った先、トピアリーのそばに人影がある。

帰宅した圭が出来あがったトピアリーをじっと見ていたんだ。

「それじゃ、急ぎますので俺はこれで帰ります」

「ああ、気をつけて帰って」

宅島君は荷物を置くと、家には入らずにさっさと帰っていった。無理もない、新婚さんだしなぁ。

彼を見送ってから庭に出てみた。

「そこで何をしているの?」

トピアリーのそばから動かない圭に、僕の方から声をかけると、彼はぎくりと肩をふるわせて振り向いてきた。