タクシーがモーツァルトの前に止まるのをじりじりとしながら待って、急いで中に入った。

「おやコン。いらっしゃい。こんな時間に立ち寄るなんて珍しいね」

いつものでいいのかと聞いてきたのをさえぎって、僕はせきこむようにして尋ねていた。

「石田君。『守村悠季』をご存知ですね!?」

知らないとは言わないで欲しい!

どうか!

「・・・・・ああ、『もりむらゆうき』くんね。知ってるよ」

石田君は僕が血相を変えて問いただしてきた態度に驚いた様子だったが、すぐに落ち着いてにっこりと笑って応えてくれた。

ほっとして、ぐにゃりとひざから力が抜けていくようだった。

ここには確かに悠季を知っている人がいたではないか!

「確か、数年前にフジミに在籍していた学生さんだね。その後、親の仕事を手伝わなきゃいけなくなったって言って、故郷の新潟に戻っていったね・・・・・。さて、今はどうしているか」

・・・・・違う!

期待は裏切られた。目の前が真っ暗になる気がした。

「ねえ、どうかしたのかい?気分でも悪いのなら帰った方がいいよ」

いつもの優しげな声が気遣ってくれるが、その言葉さえ僕を傷つけているとは知る筈もない。

いや、もうひとつだけ・・・・・望みがあった。

新潟に行って彼の姉上たちに聞けば、悠季の消息が分かるかもしれない。

突然立ち上がった僕に驚いた顔をしている石田君を残してモーツァルトを飛び出すと、そのまま東京駅へと向かった。

そして一番最初にやってきた新幹線に飛び乗るり新潟へと急いだ。







駅前のタクシーの運転手に行く先の住所を示して目的地へと向かう。

しかし、新潟に到着しても守村家に電話しなかった。

怖かったのだ。

もし電話をかけて『この電話は現在使われておりません』というメッセージが聞こえてきたらと思うと。

あるいは、まったく知らない家に繋がってしまったら。

新潟ここが僕にとって最後の望みの綱なのだから。

タクシーは青々とした田が広がる光景の中、見覚えの道を進んでいき、昔から建っていたであろう、似たような造りの農家が点在している。その中の一軒の前で止まった。

「ここじゃないですかね」

運転手は越後なまりでそう告げた。

礼を述べてタクシーを降りると、辺りを見回した。間違いない。僕の記憶の中にある守村家だった。

泣きそうな不安と期待に押しつぶされそうになりながら、その家の敷地へと足を踏み入れた。

広々とした庭は農家特有のもので、昔ならここに農作物を干したりしたのではないだろうか。

見れば庭の奥で草むしりをしているらしい人影を発見した。まぶしい日差しの中でしゃがんでいるのはほっそりとした体型の若い男性らしい。

「悠季!?」

人影に向かって走り出した。

やはり悠季はここにいたのだ。僕の妄想などではなく、ちゃんと実在していたではないか!

僕の足音に気がついたのだろう。男性が立ち上がってこちらに振り向いた。




しかし。







―――― そこにいたのは、悠季ではなかった。




「あの、どちら様ですか?」

朴訥な声で尋ねた彼は、いぶかしげにこちらを見ている。

悠季よりも背が低く、農家の男らしくがっしりとしてよく日に焼けた顔で。

困ったように首に巻いたタオルをいじっている手はごつごつと節くれだっていて、バイオリンなどいじった事もなさそうだった。

「・・・・・失礼しました」

僕は失意と絶望とでくずれそうになりながらも何とかここに自分が来た理由を述べていた。

行方不明の友人がここにいるらしいという話を聞いて尋ねてきたのだ、と。

それを聞いて青年は一気に同情の色を浮かべて、親切にも僕に家の中に入って休んでいくよう勧めてくれた。

しかし僕は断わり、タクシーを呼んでもらうと逃げるように退散した。

彼と僕との声を聞きつけて家の中から妻らしい女性が子供を抱いて出てきたのを見て、更につらくなったから。

駅に戻り、そこからどうやって新幹線に乗り富士見町の我が家へと戻ってきたのか、記憶はかなりあいまいだ。

蹌踉とした足取りのまま鍵を開け中へ入ると、そのまま呆然と音楽室のソファーに座りこんで、ようやく自分が帰ってきた事に気がついた。

見るともなく台所の方に目をやれば、留守電のランプがチカチカとにぎやかに光っていた。

おきざりにした宅島か、用件をすっぽかしてしまった M響の事務局からか。それとも、僕の様子を心配した誰かなのか。

いずれにせよ、どうでもいいことだった。

僕の悠季はどこにもいなかったのだ。

ふと視線が滑って、部屋の中に飾っている写真に目がとまった。

そこで、僕がこの部屋の中に入ってきたときに感じた違和感の理由に気がついた。

どうしてすぐに気がつかなかったのだろう。

飾られている写真全てに、悠季の姿がなかったのだ。

急いで秘蔵しているアルバムを取り出して開いてみたが、中はどうでもいいような、僕一人の写真ばかりが並べられていて、悠季の姿はどこにも写っていなかった。




・・・・・もう何も信じたくなかった。


最愛の恋人は存在せず、全てが僕の作り上げてしまった妄想に過ぎなかったなどとは。

絶対に信じるわけにはいかなかったのだ。

僕はよろよろと二階へと上がり、服を脱ぐとそのままベッドへと潜り込んだ。

これは僕のみている悪夢に違いなかった。目がさめればきっと僕の隣には悠季がいるに違いない。

ならば早く目を覚まさなければ。













圭、どうしたんだい?悪い夢でもみた?

夜明けに見た夢は逆夢だから、きっといい事に変わる筈だよ。

ほら、こっちに来て。獏こい、獏来い。



ぽんぽんと優しい手が僕の背中を叩く。

もう大丈夫だよ。


















                         大丈夫。これは夢だ。












桐ノ院さんのお誕生日用のお話に、何という話を書くか・・・・・(苦笑)
どうも夏というと、頭が煮えてこんな話を書きたくなるようです。
特に今年は猛暑だし。(爆)







2010.8/10 up