僕にぶつかった男の子は、音楽室に連れて行かれてびっくりした様子で、きょろきょろと見回していた。。

そうだろう。壁一面に並んでいるCDや楽譜、それに幾つか収納されている楽器を見れば普通の家の中とは違って見えるはずだから。

「音楽室みたいだ」

ぽつんともらした言葉になるほどそう見えるだろうなあと思う。

もっとも、昔の作曲家じゃなくて、僕たちの演奏写真やあちこちで撮った何枚もの写真が飾られているのが違うだろうけど。

彼の怪我はたいしたことはなくて、転んだときについた擦り傷くらい。

さて、彼をどうしようか?

「仲間の子供たちが捜しに来るでしょう。仲間を置いていくようなら友達ではありません」

「圭」

男の子がひるんだ顔をしたのを見て、僕はたしなめた。

しかし、僕の考えはただの杞憂に過ぎなかったようで、玄関のすぐ近くに先ほどの子供たちが戻ってきていた。

僕は玄関を開けて言った。

「入っておいで。お友だちならここにいるから」

恐る恐ると言った具合に、彼等は伊沢邸の中に入ってきたのだった。



「つまり、君たちはハロウィーンの肝試しにこの屋敷へとやってきたわけですか?」

「・・・・・はい」

子供たちにも音楽室に入ってもらうと、目はきょろきょろと物珍しそうに辺りを見回している。買い置きのクッキーを出すと、殊勝な顔をしながらもみんな手を出してきて、美味しそうにかじっていた。

圭の質問にも、素直に返事をした。

「ここって誰も住んでいないと思ってたんです」

電気がついているのを見た事があまりないし。

木や草がボーボーだし。

某テーマパークの中にある、ホラーな建物にそっくりだし。

子供たちは口々にしゃべってくれた。

・・・・・なるほどね。

そう言えば僕も最初にこの屋敷を見た時も同じような感想を持ったんだっけ。

「確かに僕たちは留守が多いけど、ちゃんとここに住んでいるから無断で入ったりしないでね。なるべく庭の手入れもしておくようにするけど、勝手に入って怪我なんかしたら危ないからね」

「そうですね。それに、この屋敷に幽霊が住んでいるというのもまんざら嘘ではありませんよ。過去に何度も侵入者を撃退してきたこの家の家主が、長年屋敷を守っていますからね。君たちも彼の機嫌を損ねないようにした方がよいでしょう」

圭が脅すように言った。



ことん・・・・・。



とたんに廊下の方で小さなもの音がした。

それがたまたま家鳴りしただけなのか、光一郎さんからの同意のメッセージだったのかは分からない。

でも、子供たちには充分な脅しになったようだった。

とたんに真っ青になって、一斉に立ち上がって帰っていったのだから。











「あーあ。子供たちを怖がらせちゃったじゃないか」

「あれくらい言っておいた方がいいです。子供だからと言って興味本位でこの屋敷の中をのぞかれたりしたくないでしょう?」

「うん、まあね」

ピアノ室であれやこれや絶対に見られたくないようなことを仕掛けて来る彼がいるのだから。

「一階の窓が開いているときには君の声を聞かせるわけにはいきませんから」

「そ、そんなに僕の声って大きいかい!?」

僕は今までこの部屋でどんな声を出してしまっていたのか思い出そうとしたけど、思い返せばここで二人で暮らすようになってから何回もあったことだから、今さら記憶からさらい出すわけにもいかなくなってた。

「声の大きさよりも音色の艶めかしさが勝ります。惜しいですから、誰にも聞かせたくありません」

う、うわ〜!

「ところで、予定では君の帰宅予定は明日ではありませんでしたか?」

あ、すっかり忘れてた。

「うん。予定よりも早く終わったのと、打ち上げは遠慮させてもらったから今夜帰れたんだ。電話を入れようと思ったんだけど、携帯の電池が切れてしまっていてね」

電話するより早く戻って君の顔が見たかった僕の気持を分かってくれたんだろう。圭もにっこりとほほ笑んでくれたから。

「まさかハロウィーンの『Trick or Treat』の逆パターンがこの家で起こるとは思わなかったけどね」

「ああ、本当に」

ハロウィーンなら子供たちがお化けの仮装をして家々をめぐり、『お菓子をくれないと悪戯しちゃうぞ!』と叫んで、出てきた家人からいろいろなお菓子を貰って帰っていく。

もっとも日本ではハロウィーンのこの風習はあまり定着していないようで、せいぜいがカボチャを飾るくらい。


「では、今度は僕が君に言ってみましょう。

Trick or Treat  

君の甘いお菓子を味わわせていただきますよ」

うわ、耳元に甘い低音で囁くなんて、なんて確信犯な!

僕はすっかり腰がくだけてしまって、圭にうながされるままに、二階への階段を上がっていった。

もっとも、圭はその前にしっかりと玄関の鍵をかける事を忘れなかったけどね。

その夜、どれほど僕が賞味されてしまったかは、内緒。

僕を隅々まで愛してくれながら、『こちらは甘いですね。この辺りは歯ごたえがある。そうですね、こちらはちょっとビターだ』などと耳に吹き込んでくれたりしたから・・・・・

その・・・・・、恥ずかしさのあまりもだえ苦しむような羽目になった。

それは更に夜の濃密さが深まることになってしまって・・・・・。

だから、つまりよかったわけだけど。



翌日はドーナツクッションが必要だった事も事実だけどね。












余談だけど、数日後のこと。

僕は近くの小学校へ出かけて、バイオリンの演奏を聞かせる事を申し出た。

前々から考えていたことなんだけど、僕がバイオリンを習い始めるきっかけは、小学校での音楽観賞会で聞かせて貰ったバイオリンの音色が忘れられなかったからで、今の子供たちにもバイオリンの音色に触れる機会を持ってもらいたいと思ったからだ。

CDやテレビではない生の音の迫力を知ってもらいたいと思ったから。

更には、フジミに興味を持ってくれる人が生徒だけではなく、父兄たちの間にもいてくれればいいなあと思った事。

そして、一番の切実な理由は。

僕たちが富士見町にある古い洋館に住んでいて、度胸試しに使おうと考えたりしないように、それとなく、さりげなく、知ってもらうことだった。

もうひとつこれにラッキーなことがついてきた。

今回の演奏では、圭がピアノの伴奏をしてくれることになっている。彼がぜひにと申し出てくれたんだ。

思いがけない機会に、圭と競演出来る。

ああ、楽しみになってきたよ!












私としては珍しく、というより、お初のハロウィーン話です。
日本人にとって、あまりなじみのない行事。
うーん、西洋版お盆? なんて、認識くらいしかありません。
本当は違うんでしょうが(苦笑)
ちょっとばかりかわいい話で仕上がりました。





2010.10/24 up