Trick or Treat ?







「意外に早く帰れたなあ」

僕は急ぎ足で我が家へと向かいながら、思わずほころんでしまう頬をこすった。

そろそろ季節は秋から本格的な冬へと変わってきているようで、ついさっきまでの日差しの温もりは失せて、風には刺すような冷たさが忍び寄ってきている。

夕闇は徐々に深くなり、オレンジ色に染まっていた空は紫色の豪華で憂いを帯びた色へと変わっていき、更にベルベットのような紫紺の空へと変化しつつある。

僕の今回の仕事はコンサートとワークショップとで、帰宅予定は明日のはずだった。しかし、主催者の都合で半日終了早くなり、更に打ち上げには参加しないで帰ってきたから、一日分の時間を稼ぎだすことが出来たのだ。

家路へと急ぐ人の群れに交じって駅前の商店街を抜けていくと、あちこちにかぼちゃの飾りが目につく。

「ああ、ハロウィーンか」

宗教に無頓着な日本の事だから、欧米のお祭りならどんなものでも取り入れてしまう。クリスマス然り、バレンタインデー然り。次の狙い目はハロウィーンということなのだろうか。

とは言え、普段から祭日にも関係ないような生活をしている音楽家にとっては、どうでもよいような行事であって、いつだった?と思うくらいのものでしかない。

それよりも、早く圭の元に帰りたくて、さっさと通り過ぎていった。

今日はあいにくと携帯の電池を切らしてしまったために、残念なことに早く帰ると連絡することが出来なかった。

ちょっとだけ立ち寄りをして、公衆電話から電話をかけてもよかったのかもしれない。

でも、電話で喜んでもらうよりも、早く帰って行って驚きながらも嬉しさを満開にした圭の顔が見たかったんだ。














おや、あれは何だ?


伊沢邸の門を開けて、小さな黒い影が入っていったように見えた。

しかし、夜になっているのに子供がやって来ることなどあるのだろうか?

僕は不思議に思いながらも、門の前に立った。

やはり門扉が細く開いている。

もしかしたらあの影は子供ではなくて、身をかがめていた泥棒か空き巣か。それとも性質の悪いパパラッチだったのか?

僕はこっそり物音を立てないように門扉を開き、屋敷の中へと入っていった。








「ねえ、ピアノが聞こえるよ」

「ほら、やっぱり」

「だからここお化けが住んでるって言ったじゃないか!俺の言うとおりだろ?」

「もう帰ろうよ。怖いよ」

「弱虫だなあ。お化けは庭には出て来れないんだから大丈夫だって!」

「でもさあ、それって本当かどうか分からないだろ」

「ここでちゃんとお化け屋敷を探検してきたんだって、B組の奴らに威張ってみせないと、ナメられちゃうんだぞ?!」

小さなささやき声が聞こえてきて、僕は思わずにやにやとなってしまった。

どうやらこの屋敷は、子供たちの格好の度胸試しに使われることになったようだ。

昭和初期に造られたという経歴を持つこの建物は、外観といい、広さといい、いわくありげに見えるというのは僕にもよくわかる。

僕と圭と二人とも留守ということもかなりの頻度であるので、定期的に手を入れて貰ってはいるけど、夏などは追いつかなくて庭木の枝が乱れ、芝生や花壇に雑草が生えてしまって荒れた状態に見えることがある。

特に今年は暑さが厳しくて、雑草の、特につる草の勢いがよかったっけ。

それに、この辺りの建物の中では、この屋敷は群を抜いて庭木の量もが多いし、木一本の太さもかなり太いものが多い。年季が入っているのだ。

手入れをしてあっても、ちょっとした林の中に建物があるように見える。子供たちにしてみれば深い森の中に古びた洋館が建っている見える事になる。

子供にとってはドキドキするような、恰好のお化け屋敷に思えたんだろう。

オマケに、ほら、

今夜の圭は作曲でもしているのか、照明も付けずにピアノに向かっているようで、時折音楽室から時折ポロンポロンと曲とも言えないようなピアノの音の羅列が聞こえてくる。

「おい、オバケがピアノを弾いてる!」

「ね、ねえ、もう帰ろうよ」

「しっ!静かにしろよ。オバケに聞かれたら大変じゃないか!」

そんな声が聞こえて、ますます笑いがこみあげてきた。

かわいそうに。圭はピアノを弾くオバケにされちゃったよ。

突然、ばたんと窓が開いて圭が外を顔を出してきた。

「誰かそこにいるんですか?」

彼も不審な物音に気がついたんだろう。普段よりも低音で迫力のある声だ。

ぎょっとなった子供たちは、逃げる余裕もなくして固まってしまったようだ。

あまりに気の毒なので、僕が声をかけた。

「うん、僕だよ。ただいま」

とたんに、自分たちの背後から声が聞こえたものだからパニックになってしまった。

『ぎゃあ』だの『ひえっ!』だのと声をあげて、ばたばたと大あわてで家の外へと飛び出していった。

僕の方もその数にびっくりした。せいぜい3人くらいだと思っていたのに、走り出した子供の数はもっといたんだ。


どんっ!


「うわっ!」

僕の腰のあたりにぶつかってきた者がいた。

よろめいたけど、何とか持っているバイオリンは死守した。

見ると、取り残されてしまったらしい子供が僕にぶつかって、転んでしまったらしい。

「悠季、そこにいるんですか。どうかしましたか?」

「ああ、僕は大丈夫。それより電気をつけてくれないかな?」

ぱっと音楽室の明かりがつくと、僕の目の前には腰を抜かしてしまったらしい少年が怯えた様子でこちらを見ていた。

「大丈夫かい?怪我はない?」

「・・・・・人間なんですか?」

苦笑してしまった。

「正真正銘、ごく普通の人間だよ」

僕は手を差し伸べて彼を助けようとしたけど、その前に玄関から出てきた圭に押しとどめられた。

「君は疲れていますから、僕が替わります」

家の中から出てきた大男に転んだままの少年は、ひっと小さく悲鳴を上げた。

「大丈夫。彼も人間だから」

「・・・・・人間以外のモノに間違えられるとは思いませんでしたよ」

圭は呆れた様子のまま、その子を家の中へと連れて行ってくれて、その後を僕はくすくす笑いながら入っていった。