「僕の誕生日プレゼントをリクエストしてもよろしいでしょうか?」
悠季はびっくりした様子でまじまじと見てきた。おそらくそんな顔をすると思っていたのだが、やはりそのとおりになった。
いつもなら自分からプレゼントをねだるような真似はしない。彼からのプレゼントであれば何でも嬉しいのだから、注文をつけるような真似はする必要がない。
しかし、僕が欲しいものは「物」ではなかったのだ。
以前、まだ彼がプロのバイオリニストとして活躍を始めていなかった時期であれば悠季が演奏する時、彼の秘書あるいは執事としてかしずくことが出来て実に楽しかった。
しかし今の彼はプロになり、演奏活動は多忙となってきた結果、彼には有能なマネージャーがつくことになり、僕の出る幕はなくなってしまった。
だからたまには彼の傍に居ることが出来、かつ彼のリクエストに色々と応えることが出来る執事としての役割がしたくてたまらなくなるのだ。
元くんの優秀さはよくわかっている。悠季との相性も良く、彼も彼女に全面的な信頼を寄せている。当然だ。そんな人物でなければ傍に置いておくわけにはいかないのだから。
とは言え、彼女の職分は分かっているのだが、せめて僕の誕生日だけはこんなわがままを通させて欲しいと思っている。口に出したくなかったのだが、このところ悠季と過ごす時間が少なくて寂しかったのだから。
欧米では夏の時期はコンサートなどはオフ・シーズンになっている。皆がバカンスに出かけてしまうためで、大きな音楽祭などはほとんど行われない。
だが日本では夏であっても結構音楽祭など大きな催し物がある。悠季の大学は夏休みなのだがあちこちから招かれて出かけてしまうことになる。ただでさえ彼の実家やイタリアのロスマッティ師のところにも行く予定があるわけだから、更に忙しい。
僕の方は夏休みなのに、だ。
だから悠季不足をおぎなうために、こんな強引なやり方を望んだ。
「僕のマネージャーごっこかい?それとも執事ごっこ?花の天才指揮者を使うって宝の持ち腐れってもんで申し訳ないんだけど」
「君のそばにいることが望みです」
「うーん、でも井上さんの仕事を取っちゃうことになるからねェ」
腕を組んで悩んでいたのだが、ようやくひそめていた眉を開いて僕の方を見た。
「宅島君たちも二人きりで過ごす時間が欲しいだろうからね。いいよ、それで。でも、君が井上さんを円満に説得することが前提だよ。無理強いは許可しない」
「分かりました。必ず彼女の了承を得るようにします」
「まあ、井上さんも君の我がままには慣れているからきっと笑って許してくれるだろうけどね」
僕も君と一緒ならうれしいし。と、ほんのりと目元を赤くしてうつむいたのは悠季も僕と一緒にいることを望んでいるということだ。
そうして元くんを説得した結果、僕は悠季の一日マネージャーに就任する事が出来たのだった。
怒涛のような歓声と拍手をBGMにして、悠季が舞台から下りてくる。
「素晴らしい演奏でしたよ」
「ありがとう」
僕の評価に悠季はにっこりとほほ笑んだ。
「守村さん、もう一度舞台に出て下さい」
「はい」
ステージマネージャーの指示に彼は出て行き、一層割れんばかりの拍手と歓声を得た。
アンコール演奏の後であり、もう一度ステージに出てオーケストラと指揮者に感謝を示したところでカーテンコールは終了だろう。このあたりの動きは元くんからレクチャーを受けていた。
予想通り、彼は舞台での挨拶を終えるとそのまま舞台袖へと戻ってきた。
「お疲れさまでした」
「あー、うん」
彼の手からくさなぎを受け取るとほっと表情をゆるめた。
今日の演奏会はことのほか力が入っていたから、疲れもひとしおなのだろう。
しかしびっしょりと汗に濡れた顔は、持てるものを全て出した解放感で満足そうだ。
さて、それでは次の準備をしなければ。彼の前を歩き、控室へと急いだ。
悠季がからかって言うところの、『お気に入りの執事ごっこ』をするためだ。
「来客はどうされますか?疲れているようなら遠慮していただきますか?」
「大丈夫だよ。せっかく来て下さった方たちなんだからお礼を言わなくちゃね」
まだ疲れから回復していないらしく、いつもよりもけだるげな様子で僕が渡したペットボトルから水を呑みながら答えた。
物憂げな表情とゆっくりとした動きは悠季の疲れがかなりあることを示しているのだが、同時に濃密な色香がまとわりついてくるようにも見えるところがなんとも複雑な気分だ。
このところ特にその様子が顕著で、僕は密かに危惧している。
だが、それを本人に言ったところで、いつものように『あばたもえくぼ、恋する者の慾目ってものだよ』と言って笑い飛ばされるのがオチというものか。
彼がリサイタリストとしての自信を持つようになると共に、内なる輝きがあふれ出し、その余波で目を離せなくなることになっている。
特に演奏という内面を解放した直後には、その度合いが強い。
それに気がつかないのは悠季だけというのは、なんとも困った事だった。
何とか目立たないようにさせたいのだが彼にどう忠告しようか。出来ることなら人の目に触れないようにさえしておきたいが・・・・・さてどれだけ防いでおけるものだろうか。
複雑な気分で悩んである間にも、悠季は用意しておいた熱いおしぼりで顔を拭き、何回か深呼吸をして気合を整えると席を立った。
聞きに来てくれた客やサインを貰いに来てくれた客たちに愛想よく挨拶を開始した。
僕は客たちの花束やプレゼントを受け取って整理する。
そろそろ体力の限界を心配するようになった頃、ようやく最後の客を送りだす事が出来た。
明日のマチネーの後には打ち上げがあると聞いている。ならば今夜は早めに帰って疲れを溜めないようにしなくては。
「あー、疲れた―」
悠季は先ほど堂々とした態度で熱演をしたばかりの演奏家とは見えないような子供っぽいしぐさで、どさりとソファーに座りこんで、ころりと寝転がった。
「悠季、眠ってはだめですよ」
目をつぶった彼に警告した。
「あはは、君と同じような癖が出たら光栄だね」
「冗談ではなく、ほらそろそろ帰りますよ」
「・・・・・うん」
のろのろとした動きで起き上がると、着替えのためにドレスシャツを脱ぎだした。
ボタンをはずし、しっとりと汗に濡れた肌が現れる。
そのしぐさは・・・・・。
こんな悠季を人目にさらすことには我慢できない。
「・・・・・悠季、車ですからこのまま着替えはせずに帰りましょう」
「え、そう?」
シャツのボタンを元通りに閉じると、ドレスシャツと燕尾服のズボンという姿で楽屋を出た。
急いで車を運んでくると、眠りかけた悠季を乗せバイオリンを固定する。すぐにぐっすりと眠り込んでしまった悠季と共に我が家への道を急いだ。
彼を無事に我が家まで届け、ベッドに寝かしつけるまでが本日執事としての僕の仕事となるのだから。