ケイはユーキがどこで住んでいるのか、どこでどうやって暮らしているのかを知りたくて、帰り道にあれこれと質問をしてみた。
直接的に、あるいはさりげない誘導尋問で。
しかし彼の口は堅く、ケイはとうとうその場所を知ることが出来なかった。
ひどく残念だったが彼はその代わりに、また会ってくれることは約束してくれた。
ケイはこのまましばらくいたい、それが叶わないのならば明日にでも会って欲しいと子供のように甘えてねだってみたが、ユーキは微笑みながらもノーの答えを与えた。
今度会えるのは3日後にこの時間で、雨が降っていても必ず館の廃墟で待っていればやって来ると告げてくれた。
雨のときは楽器は持っていけないけれど、と言いながら肩をすくめた。
「そのときは僕の演奏のかわりにケイの話を聞かせてくれませんか?」
そうユーキは言い、ケイは約束した。だが、ケイに出来るような話とは何だろう?
わくわくしながら、ケイはあれこれと考える。
彼はケイたちがこの地に到着するまでの旅の話が聞きたいのだろうか?だが、期待するほどのおもしろい話があったわけでもなく、寒くてきついだけの旅程だった話では彼の心を惹きつけてみせることは出来ないだろう。
と言ってもブリガンテスが行ってきた血なまぐさい戦争の話など自慢たらしく話したくもないし、政治の話を彼とすることはふさわしくは思えない。学問?建築学?食べ物や着るもの?どれもこれも恋するものに語るには似合わないものばかりだ。
そう。恋人が始めて語るのにふさわしい話をするべきだ。
では何を彼に語ろう?
・・・・・恋の・・・・・そう、恋の詩はどうか?僕の心のたけを詩に託してみてはどうか?
いや、恋の詩では彼は喜ばないかもしれない。まだ彼と親しくなるところにまでもいっていないのだから。なぜ自分に恋の歌を捧げるのかと不思議に思うかもしれない。
あるいは、唐突に恋を告げることで、敬遠してもう会いたいとは思わなくなるかもしれない。男性の彼に恋を告げることは、たとえケルトの民の末裔であっても充分にお互いを分かり合ってからするべきだろう。
だとしたら恋の詩はもっと親しく言葉をかわせるようになってからするものだ。
恋は、ケイを祭りに浮かれた子供のように、あるいは風に怯える臆病者にもするようだった。
「ああそうか。あれを語ればいいのかもしれない」
ケイはある物語を思い出した。
その物語は暗記するほどに覚えていた。幼いころどれほどこの物語に胸をときめかせ、想像の翼に身をゆだねたことだろう。長じて世間の厳しさと戦争の残酷さがまるで衣服を纏うかのようにぴったりと身に張りついてしまったケイだが、この物語を思い出すときには幼いあの頃感じた胸の熱さと憧れとが思い出されてくる。
では、あの物語を彼に語ろう。
約束してあった3日後はあいにくの雨だった。
春とは言ってもまだまだ気温は低く、見た目は地味でも実は高価な素材を使ってある厚手で暖かな服に、きっちりと目の詰まった毛織のクロークをからだに巻きつけていても雨と寒さが身にしみ込んでくる気がした。
廃墟にやってきたケイは夏が近いとはいえ、待っている時間が経つにつれてこの寒さが我慢がならなくなった。
具合のよいことに、壁際の暖炉にはユーキが用意してくれていたらしい焚きつけ用の小枝や落ち葉がこんもりと山を作っていて、そのそばには太い薪がきちんと積んであった。
ケイは炉に火をつけられるように小枝をうまく組み上げると、いつも持ち歩いている火打石と鉄片を取り出し数回火を切ると、火種用の細かい綿毛のような穂の繊維にうまく火がついた。
そっと吹いて火を育てると小枝の方に火が燃え移り、何本か太い薪をくみ上げて炎が高くなったところで背後の出入り口から優しい声が響いた
「ああ、待たせてしまいましたか?申し訳ない」
優しい声がした。ケイにとっては何よりも喜ばしい声。振り向くと顔から雨のしずくを拭いながらこっちへと近づいてくる彼がいた。
彼の服は濡れぼっていて前髪からはときおり透明なしずくがしたたり落ちた。着ているチュニックは薄いものなので、冷え切った白い肌に薄紅色に色づいている乳首が透けてしまって見えるので、ケイは思わず目をそらしてしまった。
「どうしたんですか!?こんなに濡れてしまって」
なぜ彼はこんな天気にもかかわらずクロークを着てこないのだろう?
ケイは彼に急いで自分のクロークを着せ掛けようとした。
「いや、いいですよ。せっかくのクロークが濡れてしまいます。こんな豪華なクロークを濡らすのはもったいないです。焚き火をしてくれていたようだからしばらく火に当たっていたら乾くでしょうし」
ぎゅっと着ていた服の裾を絞ると、ぽたぽたとしずくが床に落ちた。
「しかし、そのままでは・・・・・」
ケイは自分の上着を脱ぐと、ユーキに差し出した。
「上だけでも脱いで着替えた方がいいです。風邪をひきますよ。今着ている服を乾かしている間どうぞこれを着ていてください」
「いえ、そんな・・・・・」
「いいから着てください!あなたの濡れて寒そうな姿を見ているとこっちもつらくなってしまう」
「・・・・・すみません。ではしばらくお借りします」
ユーキは部屋の隅へと歩き出した。
「どこへ行くつもりですか?」
「あ、あの、向こうで着替えを・・・・・」
「ここで着替えた方がいいですよ。雨のせいで寒くなっています。わざわざ寒くて暗いところに行くことはないでしょう。僕と君は男同士なんですから、目の前で着替えても差し支えはないはずです」
「・・・・・ですが・・・・・」
「失敬」
ユーキがためらっているのを見て、ケイは足早に近くとユーキのチュニックを無理やり剥ぎ取った。
「な、何をするんですか!?」
ユーキがあっけに取られている間にさっさと上着を彼に着せ掛けた。その時、彼の白くて滑らかそうな肌やしなやかな肩のラインと女性ではない平らな胸に飾られている乳暈、そして淡い腋の下の茂みが見えた。それを見たいと思ってやった行為で、うまく見られたのは内心の狙いどおりだったとはいえ、・・・・・かなりどきりとさせられた。
「こうでもしないとあなたは遠慮するでしょう?僕はクロークを羽織っていますから」
「・・・・・分かりました。ありがとうございます」
ユーキは礼を述べたが、強引なやり方に少々とまどいと怒りが目の色に滲んでいた。その様子を見ているケイはと言えば上機嫌だったのだが、ポーカーフェイスのままだったからユーキには分からなかっただろう。
上着は大国の王子の着るものらしく、織りといい縫製や刺繍といいとても豪華で着心地が良いものだった。ユーキよりも長身の彼の服なので、ユーキが着ると上着の裾は膝の辺りまで来ていて、袖や胴まわりもたっぷりと余っていた。
ズボンも脱いでしまうと、上着の裾からすんなりとした足が見えてしまうのが、なんとも色っぽくて可憐だった。
ユーキはケイの不穏な視線にはまったく気がつかず、着ていたチュニックやズボンをぎゅっと絞り、暖炉のそばに置いてある火覆いにあまり火に近づけないようにして広げた。これならすぐに乾くだろう。
「ついでにからだの中から温めませんか?」
ケイが取り出したのは小ぶりの皮袋だった。携帯用として液体を入れて持ち運ぶ皮袋は、ケイが揺するとちゃぷちゃぷとのどが渇くような音を立てた。
「ワインですよ。この間美味しいミードをいただきましたから、そのお礼です。こんな寒い日には欠かせないのは極上のワインですよ」
「じゃあ杯を持ってきて・・・・・」
「いえ、これはこうして飲む方がうまいですよ」
ケイは酒袋の栓を外した。この酒袋は飲み口は細くなっていて独特の飲み方をする。
ぎゅっと皮袋の中ほどを握り締めて線のようにほとばしってくる酒をラッパ飲みするのだ。彼はいかにも慣れているらしく鮮やかな手際を見せた。
飲み口から口を離していても弧を描いてワインがほとばしり、まるでワインが自ら飛び込むようにケイの口へと入っていき、一滴もこぼれなかった。
「いかがです?」
ユーキは黙って受け取ると、吸い口を恐る恐る持ち上げてワインの酒袋を傾けた。だがケイほど慣れていない彼は、何とか口へと入れることは出来たが、飲み口を戻す時にこぼれてしまった。
ワインはユーキののど元を伝わって、胸元へと流れ落ちていった。
「わっ!」
ユーキが仰天したのは、ケイが手を伸ばしてこぼれたワインを拭い取ったことだった。ケイの手はするりと上着の中に入り込み、胸板をするりと撫でてから出て行った。
「な、何をするんです!?」
「ワインはすぐに拭かないとべたつきます」
「え?あ、・・・・・はい、すみません」
素直に礼を述べてしまった悠季は、眉をひそめていた。なぜ彼がこんなふうに自分をかまいたいのか分からない。
せっかく久しぶりに美味しいワインを口にしたと言うのに、味が分からなくなってしまう。気を取り直すと、もう一度皮袋を握り締め、今度はあやまたずワインを口へと飛び込ませた。
「味はどうですか?」
「あ、美味しい・・・・・です。ありがとうございました」
確かに極上のワインだった。きっとタナタス王の秘蔵のものを拝借してきたのだろう。皮袋を返そうとすると、ケイは皮袋を持った手をぎゅっと握ってきた。
「冷たいですね。もっと火のそばに来られた方がいいですよ」
そう言うと、彼の手をとって暖炉の前へと導いた。そして肩にかけていたクロークを広げると自分とユーキと一緒に包み込んだ。
「このほうが温かいでしょう?」
「・・・・・はあ。そうですね」
ユーキが戸惑ってからだを強張らせていたが、ケイは構わず上機嫌で話し出した。
「さて、雨の日は僕が話をする約束でしたね。それでは・・・・・」
そう言って話し出したのは・・・・・。
【12】